第20話 妖と兆し

 凶鏡きょうきょうをこの身に宿してから、幾日いくにちか経った。


「(おはよう、凶鏡)」


 僕は目覚める度に凶鏡に語りかけるが、依然として凶鏡の声は聞こえない。


 でも、凶鏡の存在を感じようと目を閉じて体に中に意識を集中させると、たしかに凶鏡の気配を感じることはできる。


 だから、凶鏡が僕の中にいるのは間違いなんだろうけど――。


 ピンポーン。


 ふいに、チャイムが鳴った。


(誰だろう?)


 玄関に向かい扉を開けると、そこには見慣れたあの人の姿があった。


「荒熊さん」


「よお、兼定。調子はどうだ?」


「とくに異常はないです」


「そうか。それはよかった。……なあ、兼定。今ちょっといいか?」


「はい。何ですか?」


「少し、話したいことがあってな」


「そうですか。そういうことなら、どうぞ、部屋に上がってください」


 荒熊さんを招き部屋に戻り、向かい合わせで床に座った。


「それで、話って何ですか?」


「あの日、俺はお前に『妖とは何か』について説明をしたが、その内容は覚えているか?」


「ええっと、なんだかすごく簡潔な説明だったことは覚えています」


「はは、そうか。……あの日、俺はお前に『妖とは、人ではない何かで、我々人類にとって危険な存在である』と説明したんだ」


「ああ、そうでしたね。……それがどうかしましたか?」


「あの説明は間違いだったかもしれない」


「というと?」


「今まで俺は、すべての妖は人類の敵だと疑わなかった。……でも、敵じゃない妖もいるかもしれない。お前に出会ってから、そう思うようになったんだ」


「それは、良いことですか?」


「おそらくな」


「そうですか。……話はこれで終わりですか?」


「えっ。まあ、そうだな。お前のおかげで視野が広がったよ。ありがとな」


「いえ、こちらこそ」


「こちらこそ?」


「はい。僕も荒熊さんに出会ったことで、視野が広がったんです」


「というと?」


「これまでに何度も妖と対峙してきました。そしていつも、荒熊さんが妖を退治してくれました。僕は荒熊さんに守られてばかりでした」


「まあ、お前の協力があったから、対処できた場面も多いけどな」


 荒熊さんはすかさずフォローの言葉をかけてくれたが、その言葉で僕の決意が揺らぐことはなかった。


「話を続けますね」


「ああ」


「荒熊さんの言ったようにすべての妖が敵だとは限らない。でも、言い換えれば、僕らを敵視している妖は確かに存在する。だから――」


 僕がそこまで言うと、荒熊さんは目を見開きこちらを見て「兼定、まさかお前……」と声に出した。


 僕は荒熊さんの目を見つめながら、こう続けた。


「妖と戦うことができる力がほしい。荒熊さんと一緒に戦いたい。荒熊さんの力になりたい。――そう思うようになったんです」


「……それは、あまり良いことではないかもしれない」


「どうしてですか?」


「楽な道ではないからだ」


「大丈夫です。きっと乗り越えていけるはずです。だって、僕は1人じゃないから」


「だとしても――」


 コンコン。


 荒熊さんの言葉を遮るように、窓を叩く音が鳴った。


 窓の外にはベランダがある。


 もしかしたら、そこに誰かいるのかもしない。


 しかし、カーテンがかかっているため、はっきりとはわからない。


「ど、泥棒かも? 怖いです」


「ああ、怖いな。でも、確認しないのはもっと怖い」


「た、たしかに」


 ゆっくりと立ち上がり、おそるおそるカーテンを開けた。


 そこにはあの少女の姿があった。


「死神!?」


「ちっ! こんなところまでわざわざやって来るなんてな」


 荒熊さんは素早く拳を構えた。


 それを見た死神は慌てて、どこからか白旗を取り出して懸命に振った。


「どうやら、戦う意思はないみたいですね」


「ああ」


 荒熊さんは戦闘態勢を解いた。そして、続けてこう言った。


「だとすれば、何のためにここに?」


「たしかに」


 僕たちが死神に視線を送ると、死神は白旗をしまってから、コンコンと窓を叩き、必死に窓の鍵を指さしながら何か声に出していた。


「――て。あ――て。――けて。開けてー!」


 なるほど。中に入りたいようだ。


 僕が鍵を開けると、死神は勢いよく窓を開け、部屋に入るやいなや


「話は聞かせてもらいましたよ!」


 と元気に話しかけてきた。


「待て。ほんとに戦う意思はないんだな?」


 荒熊さんが冷静に問いただす。


「もちろんです。武器も持ってきていないですし」


 死神はその場でくるくる回り、怪しいところはないことを証明しようとしていた。


 実際のところ、最初に死神と会ったとき、死神はどこからともなく鎌を取り出していたから、本当に武器を持っていないかどうかを見極めることはできない。


 でも、この死神が嘘をつけるとも思えないので、たぶん本当なんだろうな。


「ふむ。危険はなさそうだ。それで、何の用だ?」


「提案をしに来ました。私と手を組みませんか?」


「は?」と荒熊さんがいち早く反応する


「私も妖に困っているんです」


「どういうことだ? 妖であるお前が妖に困っているだと?」


「はい。先ほど、あなた達が言っていたように、妖の中でも人間を敵視するものもいれば、そうでないものもいます。そして、考え方の違いから、妖どうしでも争いが起きているんです」


「なるほどな。過激派と穏健派の派閥争いってところか」


「そんなところですね」


「そんで、俺達を仲間に加えて、戦力を増強するってことだな?」


「はい。ちなみに、私達と手を組めば、あなた達にもメリットがありますよ。妖を探すのが簡単になります。人間達はアクセスできない情報網が、こちらにはありますから」


 それを聞いて僕は


「より簡単に妖を見つけられるのは、いいですね。実戦経験を積める機会が増えそうです」


 と口を挟んだ。


「俺は仕事熱心じゃないから、妖に会いたくないけどな」


 荒熊さんはすかさず、難色を示した。


「そう言わないでくださいよ。人々の安全を守るためにも、人間を敵視する妖を鎮めていきましょうよ」


 苦笑いをしながら、諭すように荒熊さんに話すと、荒熊さんは急に険しい表情を見せて、こう言った。


「待て、兼定。それは間違いかもしれないぞ」


「えっ? どういうことですか?」


「おい、死神。お前はどっち側だ?」 と荒熊さんは死神に問いかける。


「えっ?」

「えっ?」


 僕と死神の声が重なった。


「この死神は、自分がそうじゃない側だと一言も言っていないんだよ」


 荒熊さんは、冷静だった。


「お前は、俺達を騙そうとしてるんじゃないか?」


「そ、それは」


「どうして荒熊さんは、そこまで疑うんですか? 彼女が人を騙すなんてできるわけ――ええっと、するわけがありません」


「あっ、あの」


 と死神は声を漏らしながら、あたふたと慌てた様子だった。


「彼女は真っ直ぐな性格の持ち主です。僕にはわかります」


 視線に力を込めて、荒熊さんの方を見た後、死神にも視線を送る。


「あ、ありがとう。信じてくれて。……えっと、ここで、はっきりと宣言しておきます」


 死神はそこまで言うと、真面目な顔になり、力強い声でこう言った。


「私達の理想は、妖と人間の共存です」


 その言葉を聞いた僕は、ほらね、という目で荒熊さんを見る。


 荒熊さんは頭をガシガシと掻きながら

「わかったよ。疑って悪かったな」

 と死神に言葉をかけた。


「い、いえ。それで、協力してくれますか?」


「僕はもとより賛成です」


「しょうがねぇな」

「ありがとう」


 死神はニコリと笑い、開いた手を差し出した。


 おそらく、ここに手を重ねろ、ということだと思われる。


 死神の手のひらの上に、僕が手を重ねると、荒熊さんも続いて手を重ねた。


「それじゃあ、改めて宣言しますね!」


 死神が元気な声で言った。


「ミスるなよ? 大事な締めの場面なんだから」


 荒熊さんは茶化すように死神に言う。


「大丈夫です! 任せてください!」


 と死神は荒熊さんの言葉をもろともせず、自信満々の様子だ。


 そして、息を大きく吸い込み、高らかにこう宣言した。


「妖と人間が共存できる世界を目指して。えいえいおー!」


 皆で手を高く上げる。


 満ち足りた空気が辺りを漂い、僕らに一体感を与えた。


 今この瞬間、僕達は理想への第一歩を進んだのだ。


 微笑みながら、互いに視線を交していると、ふいに荒熊さんが口を開いて、死神に向かって、こう言った。


「いい宣言だったな。どっかでつっかえるんじゃないかと不安だったが、そんな心配はいらなかったみたいだ」


 それを聞いた死神はドヤ顔をして、誇らしげにこう言い放った。


「当然です。私、噛まない(鎌ない)ので」

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あやかしと小噺 sudo(Mat_Enter) @mora-mora

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