第19話 借りと貸し

 僕たちは、凶鏡が待つ亜汰護山のふもとにたどり着いた。


 山へ入ると町のそこかしこでは聞こえていた人の営みの音は一切せず、空気はしんと冷えていた。


「ここまで静かだと、不気味ですね」


「ああ、たしかに気持ち悪いぜ」


「さて、山の中に入ったは良いですが、奴はどこにいるんでしょう?」


「山の頂上を目指すぞ。ボスがいるのは頂上と決まっている」


「そうですね」


 僕らは奴がいるであろう頂上を目指して、山を登っていった。


 しばらく登っていくと霧が濃くなってきた。


「大丈夫か? はぐれないように近くに来い」


「は、はい」


 これまでの疲れと生命力を奪われたことによって、歩くペースが落ち、荒熊さんについて行くのが大変になってきた。


 とはいえ、意地でもついて行かなくては。こんなところで、へこたれているわけにはいかないのだ。


 ドンドンと歩いていく荒熊さんの背を必死の思いで追いかける。

 

 やがて道は険しくなり、歩くというよりは登るという方がふさわしい様になってきた。


 必死に手と足を前に出す。霧が濃い。前が見づらい。荒熊さんの背中を追うも、霧の狭間に見え隠れして見失いそうになる。


 口を開いて呼び止めようとしてやめる。呼んでしまったら自分の弱気に負けてしまいそうだったから。


 息を大きく吸い、霧をかき分け進む。そして――。


「兼定。頂上だ」


 荒熊さんの向こうには、少し開けた平地と、そこで立っている奴が見えた。


「やぁ、よくきたね」


「覚悟しろ! 凶鏡!」と即座に声をあげる荒熊さん。


「おやおや。それじゃあ全身全霊で相手をしよう。さぁかかってこい!」


 荒熊さんも凶鏡も、こぶしを握り臨戦態勢をとる。


 駆けだす荒熊さん。待ち構える凶鏡。


「「うぉおおおおおおおおおおおおお」」


 必殺の間合いになり互いにこぶしを前に突き出す。


 こぶし同士がぶつかりあう……はずだった。


「なーんてね」


 凶鏡はこぶしを引っ込め、荒熊さんの攻撃をかわした。


「は? って、うぉぉぉぉおおおお!」


 思いもよらない空振りで荒熊さんはよろけ、そして、霧に隠れてよく見えなかったが凶鏡の背後には崖があり、そこへ足を踏み外しそのまま転落していった。


「荒熊さん!」


 荒熊さんの後を追おうと崖をのぞき込んでみると、かなりの高さだった。


「やった、引っかかった!」


「お前! なんてことを!」


「まさか、あんな真正面から彼とぶつかると思ったのかい? 無理無理! 命がいくつあっても足りないよ。――それより彼が心配かい? でも、多分大丈夫だよ。彼は化け物じみているから、崖から落ちたからって死ぬわけない」


 たしかに、荒熊さんは何があっても死にそうにない強靭さを持っている気がする。でも、だとすれば凶鏡は何のために荒熊さんを崖から落としたのか。


「何のため、って顔しているね。前にも言ったが、ボクは君と話がしたいんだ。彼がいたら落ち着いて話ができないからね。それで、君とちゃんと話をして、ボクに協力してもらおうと思って」


「協力?」


「ああ、そうさ。平穏な日々を過ごすための協力さ。っと、その前に君に灯を返さないと」


 そう言うと、凶鏡は僕の方へ歩み寄ってきた。


「近づくな! どうせ何か企んでいるんだろ?」


「まあ、そう考えるのも無理はない。でも、信じてくれ」


「誰がお前なんか――」


 僕が言い切る前に、凶鏡をこちらに素早く駆け寄り、一瞬のうちにみぞおちに触れた。


 凶鏡に触れられると、先ほどまでの異様な体の重さが瞬く間に和らいでいった。


「ね。ちゃんと返したでしょ」


 凶鏡は僕の体から手を離すと「それじゃあ、話の続きをしよう」と笑った。


「まったく、よくわからない奴だ」


「だから、話をするんだよ。理解してもらうためにね」


「わかった。話せよ」


「ありがとう。とりあえず、結論から話そう。君の体を貸してくれ」


「はあ?」


「その代わりに、君にボクの力を貸すよ」


「いやいや、意味が――」


「……い、……あぁ」


 ふと、どこからか声がした。


「……ーい、かね……あぁぁ……」


 この声は……。


「おぉーい! 兼定ぁぁぁ!」


「荒熊さん!」 


「今からそっちに行くぞー!」


 崖の下から声が聞こえる。良かった。やっぱり無事だったんだ。


「やれやれ。早すぎだろ」と凶鏡は呆れていた。


 凶鏡が崖の下をのぞき出したので、僕も体を乗り出して様子を見てみた。


 荒熊さんは、着ていた服やズボンを脱ぎ捨て、裂いて、結んで、長くして、即席のロープのようなものを作り、その先に石をくくりつけるとぶんぶん振り回し始めた。


 そして、ハンマー投げのような勢いで、崖に生えている木に向かって投げた。


 おそらく、即席のロープで木を捉え、それを利用して崖を上がってこようという算段だろう。


 しかし、残念ながらロープは、狙っていた木ではなく、あさっての方向へ飛んでいく。


 とはいえ、何度か投げていれば、いずれは狙い通りにいくだろう。


「はあ。ここが亜汰護山だからって、まさかあの噺と同じ展開になるとはね」


「やっぱりお前は……」


「ふふっ。言わずもがなだろ?」


 凶鏡はそう言って、ポケットから短冊を取り出しヒラヒラとさせて後、そこに書かれた内容を僕に見せた。



『割れても末に逢わんとぞ思う』



「さて、急がないと荒熊が戻ってきてしまうな」


「えっと、僕の体を貸せば、代わりにお前の力を借りることができる、だったよな」


「ああ。体を貸すといっても、乗っ取られるわけじゃないから安心して。君の体を隠れ蓑として使わせてほしいんだ」


「なるほど。僕の体を隠れ蓑とすることで、妖を退治するものから身を守れる。そういうことだな?」


「その通り。理解が早くて助かるよ」


「それで、お前はどんな力を僕に貸してくれるんだ?」


「まず、ボク自身の能力の中に【貸与拝借たいよはいしゃく】と【お血脈】という力がある。貸与拝借は様々なものを貸し借りする能力。お血脈は……まあ、その時が来たら説明するよ」


「……そうか」


「よっしゃあああ!」と荒熊さんの大声が、突然響き渡る。


 おそらく、荒熊さんのロープが木を捉えたのだろう。


「さて、いよいよ時間がないな」


「わかった。僕の体を使え」


「いいのかい?」


「ああ。僕はお前を信じる」


「ずいぶんと簡単に言うじゃないか」


「……別に構わないだろ」


「ありがとう。それじゃあ、遠慮なく」


 

 凶鏡が僕に左の手のひらを向けたので、その手のひらに合わせるように、僕も右の手ひらを差し出した。


 手のひらと手のひらが触れ合ったかと思うと、凶鏡は光の粒子となり、僕の体の中へ流れ込んでいった。


 凶鏡の姿は完全に消えたところで、凶鏡の存在を感じようと目を閉じて体に中に意識を集中させると、たしかに凶鏡の気配が感じられた。


「(調子はどうだ?)」


 体の中の凶鏡に語りかけるように、言葉を思い浮かべてみた。


 こうすれば、凶鏡に声が届く気がしたから。


 しかし、僕の考え通りにはいかず、凶鏡からの返事はなかった。


「待たせたな!」


 気づけば、荒熊さんは崖を登り終えていた。


「兼定! 奴はどこに行った?」


「凶鏡は僕の体の中にいます」


「なに!?」


「でも、大丈夫です。乗っ取られたりとか、操られたりとか、そういうことはありませんから」


「だが、相手は妖だ。何を企んでるかわからないぞ」


「まあ、そう言わずに。彼が妖だろうと心配はいりません。僕は彼を信じているんです」


「しかしなぁ……」


「大丈夫ですよ。だって彼は〇〇が好きだから」


「えっ、何が好きだって? ……まあ、いいや。お前が大丈夫だと言うなら大丈夫なのだろう。だけど、もし何か異常があったときは遠慮なく言えよ」


「わかりました。ありがとうございます」


「さて、これからどうするか」


「どうするって、家に帰って寝ましょうよ。色々あって疲れました」


「いや、まあ、そうなんだが……」


「あっ、そっか」


 荒熊さんは着ていた服やズボンを、即席のロープにしてしまったため、今は下着一枚の状態だ。


「こんな格好で歩いているところを誰かに見られたら大変だ。――やれやれ。がないと苦労す・・・るな」

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