第18話 火炎と灯し

 ドォォォォン!


 空に浮かぶ小鬼が太鼓を叩くと、目の前が炎に包まれた。


 なるほど。奴が太鼓を叩くと炎がこちらに放たれるようだ。


「くそ! 飛んでる敵は戦いづらいぜ」


 ドォォン!


 再び、太鼓の音。新たに燃え上がる炎。


 現実は無情だ。


 僕たちは逃げることしかできない。


 ドオォン!


 鬼は容赦なく太鼓の音を重ね、火炎を放つ。


 ドォォォォォオオオオオオオオオオン!


 空気を割るように音が響き渡り、僕と荒熊さんをかすめるように火炎が踊る。


「とにかく、このまま逃げましょう!」


「逃げていたって勝ち目はねぇぞ」


「でも、こう炎を放たれては、容易には近づけないですよ」


「我慢すればいけねぇか?」


「いや無理無理無理! そういうレベルじゃないですから! 危険すぎます!」


 近づいただけで呼吸が苦しくなるような火勢に、離れていても髪の毛や服が焦げ始めそうなすさまじい熱気。


 あの太鼓が放つ炎には、見た目以上の熱量が込められているようだ。


「うーむ。……なら、こんなのはどうだ?」


 荒熊さんはそう言うと、こぶし大の石を道ばたから拾い上げ振りかぶると、野球選手のような素晴らしいフォームで小鬼めがけて投げた!


 もし当たれば、ひとたまりもないだろう。


「ギャ?」


 しかし、飛び回りながら太鼓を叩いていた小鬼は石に気づき、そして、手に持ったバチを振りかぶり……こちらへ打ち返してきた!


「うぉぉぉぉおおお! 危ねぇ!」


「ギャギャギャ!」


 小鬼はこちらを向いて笑っているようだった。


「あのやろう! ぶっ飛ばしてやる!」


「落ち着いてください! 荒熊さん!」


 荒熊さんをなだめながらも考える。


 火の勢いが強すぎて妖に近づけない。かといって遠距離から何かを投げても打ち返されてしまう。こうなると、いよいよ出来ることがないかもしれない。


 さあ、どうするか?


「兼定! 何かいい手はないのか!?」


「今、考えてますから!」


 太鼓。そして、火。焔、火炎。太鼓と火炎――そうか! 


「火焔太鼓だ!」


「なんだそりゃあ?」


「落語の噺の一つです。火焔太鼓といっても、別に火が出る太鼓ではないんですが……それよりも大事なのはその先」


 たとえ理由がこじつけでも、この噺をモチーフにした妖なら、きっとあの弱点が。


「荒熊さん! この妖、僕らで鎮めますよ」


「おう! 当然だ!」


「では、このまま逃げましょう!」


「はぁ? どういうことだ? あいつと戦うんじゃないのかよ?」 


「『逃げる』では語弊がありましたね。正確には『誘導する』です」


「誘導? どこにだ? というか、何のために?」


「詳しいことは後で。今はあそこに奴を誘導しましょう」


 指を差し、誘導場所を荒熊さんに示す。


「あそこはたしか……寺だな。まあ、どんな策なのかわからんがお前を信じよう」


 僕たちは寺に向かって走り出し「おーい! こっちだ、こっち!」と小鬼を誘導していく。


「ゲギャ!? ギャギャギ!」


「おーい、かかってこい!」


「ギャギャギ!」


 小鬼は、太鼓を鳴らし炎を放ちながら、こちらを追いかけてくる。

 

 僕たちは攻撃をかわしながら順調に誘導していき、そして目的地である寺にたどり着いた。


「さて、これから何をすればいい?」


「それでは――」


「グギャアアアアアアアア!!!」


 逃げ続けられたことに腹を立てているのか、小鬼はこれまでで一番、荒ぶっていた。


 ドドドドーン! ドドドドドドドドドーン!


 まるで、この世の終わりを告げるかのような巨大な炎が迫りくる。


「これはやばいぞ! 兼定!」


「走って! そして、あそこにある『鐘』を叩いて鳴らしてください!」


「おう!」


 迫りくる火炎。


 僕たちは走る。……荒熊さんはより速く。


「くっ!」


 走り続けてきた疲労からか、足が思うように動かない。


「兼定!」


「気にせず! 走って!」


 火炎は容赦なく迫りくる。


 どうか間に合ってくれ……。


 鐘に向かって走り続ける荒熊さん。


 火炎は今まさにこの身を燃やし尽くそうとしていた。息が苦しい。体が熱い。体内の水分がすべて蒸発しそうな勢いだ。意識を保っていることが逆につらい。もう……ダメだ。


 諦めかけたその時。


「うおぉぉぉー!」

 荒熊さんが鐘に飛びかかる。


 ジャーーーーーーン!!!


 鳴り響く鐘の音。


 それは解放の音。


「ゲギャ!?」


 小鬼が驚くのも無理はない。


 先ほどまでの巨大な火炎が、見る影もなくなったのだから。


 ドン! ドン! ドォオォォォン!


 小鬼は慌てて太鼓を叩いたが、太鼓から火炎が出ることはなかった。


「なぁ? これってどういうことだよ? 鐘を鳴らしたら火炎が消えて、その上、新たに火炎は生み出されない」


 荒熊さんはこちらに歩み寄りながら尋ねてきた。


「あいつがやることなすこと、すべて『おじゃんになる』ってことですよ」


「よくわからんが、そいつぁ良い!」


 しばらく鳴り続けていた鐘の音が鳴りやみ、辺りは静寂に包まれる。


 ドドドン!


 静寂を切り裂くように小鬼が太鼓を叩くと、小さな火炎がこちらに迫ってきた。


「おわっ!」

「うわっ!」


 僕たちはかろうじて火炎を回避する。


「なんだよ!? 火炎出るじゃねえか」


「どうやら、鐘の音が鳴っているときだけ、火炎を無効化できるみたいですね」


「それならば!」


 荒熊さんは鐘の元へ駆け出す。


 そして、小鬼が太鼓を叩き火炎を出そうとする度に、ジャーンと鐘を鳴らし、すべてをおじゃんにしていく。


「ゲギャアアアアアアア!!!」


 小鬼は我慢ならなくなったのか、ついにはバチを振り上げ、僕たちをそのまま打ち倒そうと向かってくる。


 それに対し、荒熊さんは大きく鐘を鳴らしてから意気揚々と立ち向かい、ここぞとばかりに右手を振りかぶり力を込める。


「殴り合いなら負けねぇよ」


 その言葉通り、荒熊さんはあっという間に小鬼を殴り倒していた。


「グギャ……」


 太鼓と小鬼は静かに光の粒子となって消えていった。


「火遊びはほどほどにな。はしゃぎすぎると火傷するぞ。って、もう遅いか」


「やりましたね」


「そうだな。しかし、さすがの俺も疲れたぜ」


「僕も早く寝たいです」


「それじゃ、早いとこ家に戻ろう」


「そうですね」


 寺を後にしようと歩き出したその時、こちらに向かってくる人影に気づいた。


「やあ、また会ったね」


「凶鏡さん! いや、凶鏡!」


「ちっ! 新手か」


 荒熊さんはこぶしを握り、凶鏡に向かって行く。


「おお、怖い」


 凶鏡は一瞬おどけて見せた後、荒熊さんに立ち向かっていき、そして荒熊さんを睨みつけた。


「な、に!?」


 凶鏡に睨みつけられた荒熊さんは体をビクッとさせ、動きを止めてしまった。


 そんな荒熊さんの横を走り抜け、凶鏡は迷わず僕に向かってきた。そして、僕のみぞおちあたりに手を押し付けると、こう唱えた。


貸与拝借たいよはいしゃく


「ぐぁ!」


 途方もない疲労感に襲われ、その場に膝をつく。


「兼定!」


 荒熊さんは、すでに動けるようになっていたようで、こちらに駆け寄って来ていた。


「退散、退散っと」


 凶鏡はそう言うと、すぐさま走り出し、どこかに消えていった。


「ちっ、逃げたか。――それより、兼定、大丈夫か?」


「くっ。大丈夫です。何ともありません」


 そう言ったものの、実際は体がとても重い。


 凶鏡に何かされる前も疲れていて体は重かったが、今はその時の比じゃないほどに体が重い。


「本当か? あいつは、兼定に何をしたんだ?」


「さあ? ……って、あれ? なんだこれ?」


 僕の足元に1枚の短冊が落ちていた。そして、その短冊にはこんな事が書かれていた。


『君のともしびの一部を拝借した。返してほしければ、僕のところまで来い。タイムリミットは日が沈むまで。亜汰護あたごやまで待ってるよ』


「どういう意味だ? 分かるか? 兼定」


「そうか……。そういうことか」


「兼定。どういうことか説明してくれ」


「ろうそくの火が消えそうということです。風が吹けば消えてしまいそうなほどに」


「ますますわからん」


 灯。これはおそらく、僕の命。生命力のことだ。凶鏡の貸与拝借たいよはいしゃくとやらによって、僕は生命力を持っていかれたのだ。


「このままだと、僕は死んでしまうかもしれないということです」


「なに!? 凶鏡め! なんてことをしてくれたんだ!」


「とにかく、僕は今から亜汰護山に行きます。時間もあまり残されていませんし。……荒熊さんは、ついて来てくれますか?」


「もちろんだ。あいつを一発ぶん殴らないと気がすまないぜ」


「わかりました。それじゃあ、早速行きましょう」

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