04-010.変化と胎動。 Änderung und Anzeichen.

2156年9月30日 木曜日

 午前中は曇り空が多いローゼンハイムでも、今日は青い空が広がっている。昨日、夜半まで降り続いていた小雨は、ほんのり潤いがある朝の空気に名残なごりを感じられる。


 その空気に風情を感じる間もなく、マクシミリアン国際騎士育成学園の朝は慌ただしい。特に騎士科の面々は早朝鍛錬をしている者も多く、始業間際に教室へ駆け込む学園生の姿がチラホラ見られるのも日常風景の一つだ。

 しかし今日の騎士科は、学年に関係なく何時にも増して騒がしい。とは言え一年生達は、その原因について実体験を伴わない者が殆どだからこそ、噂話の域を超えることはないのであるが。


「昨日に比べて、直接攻勢をかけてくる人が増えたような」

「ん? ティナは何のことを言ってるんだ?」

「イキナリ意味不明ヨ。電波受信したカ?」


 人差し指を顎に添え、小首を傾げながら言葉をこぼすティナ。彼女にしてみれば珍しい仕草であるため、わざとらしさを強調していると親しい者から見れば一目で判る。何に対しての態度かと言えば、周りの外野へ向けたものである。

 会話の前後に予兆もなく放たれた言葉に京姫みやこが疑問の声を上げるのも当然だろう。花花ファファはプラスアルファでベクトルの違う言葉を追加して来たが、ナチュラルにそれが出たことを見るに、ネタではなく本心であると思われる。


「いえ、先日の大会参加メンバーが公表された件の話です。みんな私がMêlée殲滅戦へ参加するとは思っていなかったようで、随分と興味をいだいてるみたいで……」


 如何にもヤレヤレと言った表情で言葉を紡ぐティナ。そしてジト目で言葉を継ぐ。


「それと花花ファファ、私をちょっとアレなヒト扱いするのはやめてください」


 さすがの姫騎士さんも、電波系と見られるのは看過出来ないようだ。


 ――冬季学内大会でティナがDuel決闘に出場しない――


 先週、ティナが立ち話レベルで明かしたその情報は、騎士科のみならず学科を超えて一気に広まった。Duel決闘の部、優勝候補の大本命と称されていただけに、何事があったのかと様々な噂話が絶えなかったのである。そして、Duel決闘不参加イコール競技に参加しない、と殆どの者が認識してしまっていたのだ。

 だからこそ、Mêlée殲滅戦の参加者にティナの名前があることに、Duel決闘参加者達は見つけるのが遅れ、今日になって直接尋ねに来る者が増えたのである。その行動理念は動揺と不安の払拭ふっしょくだ。

 何せ、集団戦にティナが錚々そうそうたるメンツを引き連れてチームを組んでおり、一体何がどうしてこの現状に至ったのか疑問しか湧かない者が大半であった。しかも、そのメンツ達も大会のメンバーが公開されるまで、チームを組んでいるなぞ、全く素振りも匂わせることがなかったのだ。


「人が認識の仕方で一意の思考にかたよるのを見ているのは面白いですね」

「やれやれ。当の本人は高みの見物でご満悦になってるな。そう言えばティナがDuel決闘に出ない噂しか流れていなかったしな」

「聞かれナイから言わナイて、ティナはいつも通りヨ。高いところ電波よく入るヨ」

「そこはかとなく私がディスられているのは気のせいでしょうか。そして、花花ファファの電波推しが謎すぎます」

「電波ビリビリするヨ! こう、シュババーとヨ」


 花花ファファが景気よく手刀を上から振り下ろしたのだが、途中で少し上に戻ってから二段階の振り下ろしをしていた。


「なんだ? Nの字……か?」

「ビリビリシュババー、ヨ!」

「ああ、Blitz雷光ですか。今時では絵本の中でしか見ない表現ですね」

「テレビ見たヨ。電波飛ばしてたヨ」


 得意顔の花花ファファは昔のアニメーションでも見たのだろう。電気的な表現をジグザグに描くことは普段、まず見ることがないものなので。


「あー、いたいた。ティナー、団体でるって聞ーたんだけどー。それマ?」


 話が脱線している間に、また一人ティナに突撃して来た。以前、ティナがDuel決闘に出ないことを会話の流れでシレッと聞かされ驚愕したメンツの一人である。


「ええ。公表された通りで間違いないですよ」


 朝ちゃんと歯磨きしましたよ的にシレッと答えるティナ。生活の一部ですから聞くまでもないことですよ、と当たり前のことを何故聞かれるのか不思議ですと言った顔である。当然、その顔もわざと作っている。Duel決闘ではなく集団戦へ参加した経緯など、面倒な質問をさせないための圧力用途だ。内側から凄みが効かされている。


「……あ~ね。いつメンと違うっしょ。マジえぐいって。あーし、バビる~」

「幸いにも、みなさんお誘いしたら乗って来てくれましたので」


 ティナはたおやかに微笑む。これは騎士シュヴァリエとしての受け答えだ。誰に聞かれても同じ態度で接している。

 受け答え自体はこんな感じで、実際の目的やチーム戦術についてなどは微塵も言葉にすることはない。勝手に想像してくださいと、如何様にも受け取れ確信には触れない。少し斬り込んだ言葉を受けても、のらりくらりと煙にまき、些細な情報すら徹底して漏らすことはない。この辺りは隠し事を得意とするティナならではの性質と言ったところだろう。

 結局、誰ももティナから得ることが出来た情報は、チームを率いてMêlée殲滅戦に参加する、ということだけであった。


 ただ一つ、姫騎士さんだけが、直接尋ねて来る学園生が心情の動きでどのような言葉を出してくるのかを、たおやかな笑みで受け応えている中、発言の分析、つまり思考パターンをつぶさに観察していたのだ。得た情報は、ティナが人心掌握や印象操作をする際に役立たせるためのシンクタンクに格納していく。それはそのまま二つ名【姫騎士】定着の啓蒙活動に用いたり、騎士シュヴァリエとしての戦術組み立て、果ては外交等の政治的戦略に利用する。使うための知識であるため、一つも無駄にはならない。ちょっと黒いことにも大いに活用したりするが。


 しかし、姫騎士さんは忘れていた。学内大会は公式下部大会の位置付けであるため、参加者一覧は外部に公開されるのだ。Duel決闘に参加していた時は気にもしていなかったが、今回はMêlée殲滅戦のみ出場することがおおやけに知れ渡ったため、国内外から問い合わせが殺到すると言う事態に。ティナの外部向け公式メールアドレスにも数えきれないメールが届いており、そのままメールクライアントをそっと閉じたのだった。

 姫騎士さん痛恨の大誤算。放置も出来ないので、急遽自身のブログにお知らせを掲載する羽目に。



2156年10月2日 土曜日

 今週はティナの実家があるザルツブルクへ帰省するスケジュールであり、朝も早くから騎士装備一式を荷物に加え、送迎車へ乗り込んだ。今回の帰省、ティナは当然として、ティナの従者見習い修行中であるルー、ハルを鍛錬する師匠として、花花ファファ京姫みやこ、そして小乃花このかと何時もの面子。人数と付随する装備の運搬もかなりのかさとなるため、夏季休暇明け以降は、ブラウンシュヴァイク=カレンベルク邸からの送迎車をマイクロバスに変えている。

 今回の滞在で、ゲストが一人。オランダ出身でお侍さんを目指す、ヒルベルタ・ファン・ハウゼン――愛称ベル――が参加した。テレージア、ハンネ、ラウデは別のイベント準備で出かけてしまうとのことで、ベルだけ一人で残されるように見えたルー。ここ暫くの付き合いからそれを許容できなかったらしく、強引に引っ張ってきた。


「うわー! お屋敷なんて初めて見ます! アパートメントゥ集合住宅みたいに大きいですよ!」

「どうです! ブラウンシュヴァイク=カレンベルク家のお屋敷はすごいのです!」


 送迎車から下車した邸宅前のロータリーで感嘆の声を上げるベルと、無い胸を反らせて誇らしげなルー。幼く見えてしまうこの二人に、思わず頬を綻ばせてしまう年長組。


「さあ、お迎えも来たようですし、家に入りましょう。ベルはゲスト認証しますから、こちらのインターフォン前に立ってください」

「はい! ティナさん判りました!」


 ティナに連れられ、インターフォン前で顔認証や指紋認証、生体認証等々の操作を指示された順に実施するベル。姫騎士さんちのセキュリティレベルは特に高いため、普通では行われない認証登録も多く、初めての経験にベルも楽しそうである。


 正門が――キィ、と金属の擦れる音を小さく出して自動で開く。門へ誘引されたつるバラのフロレンティーナが返り咲きの花を微かに揺らした。


「皆さま方、お帰りなさいませ。当主共々、皆さまのお着きをお待ち申しておりました」

「きゃー! みんなきたー!」


 出迎えは初老の家令バルドと、次期当主ハル自らが足を運んできた。堅苦しく書いたが実際の見た目は、好々爺な老人と、嬉しくてピョンピョン跳ねている元気な幼児の組み合わせである。


「ハル~、ただいまヨ~」

「ハル、元気だったか?」

「ハルはお迎えできる良い子」

「坊ちゃま、不肖ルーはただ今帰還いたしましたです!」


 お姉ちゃん達から揉みくちゃにされているハルは構って貰えるのが嬉しいらしく、キャッキャと笑いながら身体をクネクネとよじっている。抱っこされたり頬を擦り合わせたりされながら、ハルは門の脇にいる自分の姉と初めて見る人物に気が付いた。

 今はルーに背中から脇の下へ腕を通して抱えられていたが、ズリズリとずり落ちて姉の元へトコトコと歩いてゆく。

 ああ!癒しが行ってしまったです!と、ルーが小騒ぎしているが、皆慣れたもので軽くスルー。


「はい、これでゲスト登録終了です。門を開く時はインターフォンで解除の連絡をいただきますが、その先にある敷地内の邸宅では扉横のプレートに手か顔をかざしてもらえばドアのロックは解除するようになってます」

「すごいです! ティナさんのおうちはハイテクです!」


 実際は、それプラス生体認証が行われており、既定の認証数を満たさなければドアは開かない仕組みとなっている。


「こんにちは! ねぇねのおともだち?」


 何時の間にか側でベルをじっと見上げている幼児が、ティナとの会話を終わるまで待ってから声を掛けた。その目は期待に満ち溢れている。


「はい! こんにちは! ティナさんのお友達ですよ~、私はヒルベルタ・ファン・ハウゼンっていいます! みんなからはベルって呼ばれてるんですよ~」

「ハルはね、ミヒャエル・ジークハルト・フォン・ブラウンシュヴァイク=カレンベルクっていうの! ごさい!」

「ハルくんのことはみんなからとても良い子だって聞いてるんですよ~。会うのが楽しみだったのですよ!」

「んふー♪ ハルも! えっと、ひる、ひるべーと……?」

「ふふふ、私のことはベルって呼んでくださいね~」


 ベルは膝に手を置き身体を曲げて子供の視線に合わせてから首を軽く傾け、ハルと初遭遇のご挨拶中だ。


「うーんとね、うーん、べるべる……、おねーちゃんはべるべる!」

「ほえ? 私はべるべるですか? 」

「そう! べるべる!」

「じゃぁ、今日からべるべるです! よろしくね? ハルくん」

「はーい!」


 元気いっぱい挙手するハル。幼児の可愛らしい所作に、周りの笑顔を誘う。そのハルは、新しいお姉ちゃんに手を繋いでもらい、ご機嫌で邸宅へ続くアプローチを足取り軽く連れ立って行った。



 ――十時過ぎ

 ブラウンシュヴァイク=カレンベルク家の面々と、いつもの面子にベルを含めた軽食後の一寛ぎ中。

 もっぱら家主の一族は、新たなゲストであるベルを歓待中だ。特に母ルーンがベルに興味を持ち、色々と構っていた。今は、ベルの先祖が元々ベルギーに居を構えていた話が出ていた。


「はい! 私の家は百年くらい前にベルギー王国ベルギエンからロッテルダムに移住したってお爺ちゃんから聞きました!」

「あら、だからベルはルーと同様、フラマンの方言が色濃く残ってるのね。でもオランダ王国ネーデルラント日本ヤパーンの剣術を最初に学ぶなんて、随分と珍しいんじゃないの?」

「お侍さんになるには剣術が必要ですから! 学校帰り、道場に通ってました!」


 ニコニコと答えるベルは、目がキラキラと輝いている。何をやっても楽しそうなこの娘は、とても素直で人見知りもしない。ハルが釣られてニコニコとなるくらいだ。


 剣道道場は世界でも数多く存在するが、剣術道場となると海外では数が限られてくる。ロッテルダムにあるのは、流派の道統伝承者から認可を得て正式に分社として興された剣術道場である。道場主は代々、宗家へ修行に赴き、皆伝位を授かることが必須の義務である。


 ――新陰流兵法 外伝位


 それがベルの修める術理に伴う段位である。十段位の上から三段位、奧伝を授かる一歩手前まできている。学校帰りの鍛錬で高々二年と遠く離れた学園に来て一年ほど。その期間で精緻な身体運用法や技術体系を身に付け、高位に登れることが異常なのだ。


 ここに至るまで、ルーンにしては珍しく口数多く会話を交わしていた。所々に含みを持たせる言葉を織り交ぜてベルがどのような反応をするか見ていたのだ。その結果、どの言葉に対しても前向きに捉え、負の感情さえも前に進む原動力に変える性格なのだと判断する。

 ルーンがここまでベルを気にするのは、ひとえに彼女の成長速度を前もって聞いていたからである。天才と称しても良い人物が、どのような人柄なのかを見極めること。

 それは、成長を残すルーに良い刺激を与え、共に切磋琢磨していくことが出来る相手かどうかを気にかけているからだ。


 幾らルーンの一族に連なる者だとはいえ、ルーの待遇は破格と言えよう。一介の護衛をカレンベルク当主一族がここまで面倒を見るなど通常では在り得ない。ルーは見習いではあるが、業務に問題ないレベルで知識と技術を修得しており、即戦力として当主家に送り込まれているからだ。

 ならば、その理由は将来の期待から……と言う訳でもない。この太々ふてぶてしくも騒がしい小さなメイドが、皆から愛されているだけだ。不貞腐れたり小生意気でギャーギャー小暴れする姿も、苦笑しながら仕方がないなと、ついつい手を貸してしまいたくなるのだ。


「ほえー、学校帰りで道場通いです? なんか習いごとみたいです」

「ルーちゃん、ローマは一日にしてならずなのですよ。日々修行でいっぱい教わりました!」


 和気藹々と呑気に会話を展開するルーとベル。お互いが軽く話しているが、判るものが聞けば大概な内容が含まれている。そんな会話を小耳に挟み、少し引きる姫騎士さんは、日本ヤパーンの剣術に造詣が深い京姫みやこ小乃花このかにコソコソと尋ねる。


「ああは言ってますけど、お稽古事レベルの時間で二年間修練したとして、どの位上達するものでしょうか」

「型と技は一通りなるかな?」

「うむ。その程度。そこにして、と言う条件はまず入らない」

「……なるほど。やはりベルの成長率は異常なのですね」

「そうだな。在り得ない、と言っていいな」

「ちょこおいしーね!」

「おいしいヨ! まろやか~ヨ」

「ベルの才能は身体の使い方。身体運用が先に完成するから技の熟練度が間に合わない」

「くまさんのちょこ!」

「普通は技の練度と共に理合いが身に着くものだからな」

「白クマヨ! アタマから丸かじりヨ!」

「ベルの技が身体のキレとちぐはぐに映るのはそう言った理由ですか。それなら伸びしろも大分ありそうですね」

「まるかじりー」


 花花ファファとハルがクマの顔を象ったチョコレートを言葉通り、頭からパリポリと噛み砕いてる音がすぐ脇で聞こえる。

 オヤツに舌鼓を打っている二人の直ぐ側でヒソヒソ話をしたお陰で、会話が混じってしまっているのはご愛敬。

 少し苦笑いをしながら時計が視界の隅に入った姫騎士さん。あっと、思い出したように慌てだす。


「ああ、不覚です! 時間が過ぎてました! みなさん、ちょっと海外放送をけますよ」


 いきなりの発言にキョトンとしている周りを取り残して、ティナはリビングのモニターをARリモコンの手振りで点灯する。画面の右上にチャンネル変更のダイアログが現れ、四桁の数字が入力されていく。画面が変わり、キックボクサーだろうか、グローブを付けた格闘技選手がレイアウトされたトップページには、U―18十八歳以下打撃系格闘技大会であることが記載されている。その画面のパスワードスペースへ文字が入力されてゆく。当然ながら、表示はアスタリスクだ。

 この時代、衛星や地上波のテレビ放送は少なくとも番組の半分が有料放送の仕組みを採用しており、ネット放送とは違う視点のコンテンツで視聴者獲得に力を入れている。


「なんだ? 格闘技の放送を見るなんて珍しいな。態々わざわざチケットを買ったのか」

「ふ~ん、どこの格闘ヨ。ん? 日本? なんで日本の番組見るヨ?」

「私がスポンザン活動資金提供している選手が出場するんですよ」

「ああ、か」

「お嬢が気に入ったって言う坊やかい? なら、随分と面白そうだな」


 例の彼とは、夏季休暇でティナが来日した際に邂逅した一人の少年である。遥か高みに目標を据えているが、具体的なプランが出来ていなかったため、ティナがテコ入れをし、個人資産にてスポンサーとなったのだ。

 その彼が、日本の打撃系格闘技イベントで公式デヴューする試合をこれから始まる番組で見るのだ。日本では十八時開始だが、エスターライヒが夏時間のため、ただいま十時過ぎ。八時間の時差がある。


「姫姉さまスポンゾァスポンサーなんかしてたです? アパレルビィクライドゥングでも始めたですか? ルーはFALKEの靴下がお気に入りです」

「ティナさん、お洋服屋さんですか! 私は着流しを買います! ツマヨージをくわえると武士になれます!」

「ベル、それは素浪人。無職の侍」

「チャンバラヨ! 悪即斬ヨ! 早く始まれ、ヨ!」

「てれびはおさむらいさんなの~?」

「なぜか時代劇を見ると勘違いされている件について」

「また話が発散してるわね。さて、ティナが見出した子はどの程度戦えやれるのかしら?」

「私としては、カレンベルクの名を使ったからには最低限、魅せて欲しいところだね」


 ルー、ベルの天然系会話術で明後日に向いた会話が、本来の話と置き換えられ混沌としているが。両親に至っては、別の目線も入っている様子。


 お喋りをしていると、ようやく試合が始まった。試合開始前の解説で目的――武徠ぶらい――の試合は四試合目であることが判っている。相手は昨年度のU―18十八歳以下スーパーヘビー級百キログラム以上のチャンピオンであり、今年になってプロデビューを果たしている。これは、ティナが試合の枠を捻じ込む時に、運営を煽りながら言葉巧みに一番強い相手とマッチする様に仕向けたものだ。

 当該の試合までしばらくは、余り目にしない打撃系格闘技試合に物珍し気な視線を送る者が多かった。みなが驚くことに、花花ファファが一番詳しく試合の状況を理解していた。彼女は、帰国するたびにキックボクサーや総合格闘技の選手とスパーリングもするので、技術的な説明や見るべき点なども添えて周りに実況していた。押さえるポイントを知れば見方の理解度も高まるもので、聴衆もなるほどと納得している。


「やっと武徠ぶらいさんの試合ですか。さてはて、あれからどう変わりましたでしょうか」


 四試合目。前年度チャンピオンのネームヴァリューが有るのに中盤辺りの試合に配置されているのは、ひとえに対戦相手である武徠ぶらいが無銘の新人であることが大きい。大会主催者側もチャンピオンによるエキシビジョンの位置付けで、メインやセミファイナルなどから外したのだろうことが透けて見える。

 しかし、選手入場からある意味盛り上がっていた。武徠ぶらいがセコンドも付けずに一人きりで花道を歩いてきたからだ。ローカル大会と異なり、リアルタイムで放送がされるU―18十八歳以下全国区の大会をただ一人で威風堂々と歩く姿は歴戦の猛者もさのように映る。


「あら、ヘビー級なだけあって随分と身体が大きいのね。それでいて歩法が柔らかいのは面白いわ」

「うーん。あれ、結構絞ってきたみたいですよ。お会いした時より引き締まってますが、過度な減量で性能劣化に繋がらなければ良いのですが……」


 ティナの心配を他所に、試合は開始された。

 武徠ぶらいは開始直後から棒立ちの状態で相手に好き勝手打たせる。納得したような表情を見せ、下段へ可変する中段蹴りと右の拳を一つずつ放った。それが決め手であり、開始三十八秒のKO劇で幕を閉じた。


「おー、拳一つで決めやがったです。なかなかヤリやがるです」

「柔術とか合気みたいな足どりでした! 横に滑ってから脚と手が一緒にバーンってなりました!」


 ルーとベルが楽しそうに口にした言葉は観客的意見であるのだが、いきなり見せられた格闘技の試合だと考えれば当たり前の反応だろう。


「(弱点だった武術の組み合わせが、ひと月少々でだいぶ改善していました。あの時、起き上がれなくなるまで揉んだのが功を奏したようです。この調子なら思ったより早く登り詰めるのではないでしょうか)」


 姫騎士さんは試合の出来よりも、武徠ぶらいが身体運用を理解して使用した様子が見られたことの方が収穫だった。


「ふ~ん。丸いヒト、あの筋肉全然使てないヨ。身体運用マゼマゼしたオモシロ武術ネ」


 画面越しで身体運用を見分けるのは難易度が高い。花花ファファのように、武術の身体運用を深く身に着けているからこそ、見た動作に何の意味があるのかを凡そ判断出来るようになる。


花花ファファ、丸いヒト呼ばわりはアンマリだと思うのですが」

「ん? 丸いヒトは丸いヒト、ヨ」


 花花ファファの中で武徠ぶらいは、丸いヒト呼びが決まっているようだ。テレージアをドリル呼びがまかり通っているように、花花ファファには全く悪気が無い。彼女の陽気な性格に引き摺られ、周りもついつい許してしまう得な性質を持つ。つまり、「丸いヒト」で確定。

 実際、武徠ぶらいは関取と稽古をするだけあって脂肪もある程度は蓄えていたのだが、体形はソップ型と呼ばれる細身の部類に入る。まぁ、比較対象が関取なので、一般的な見方をすれば腹回りが気になるのでは、と。


「格闘技の試合で武術を成立させるなんて、やるじゃない。ティナの選んだ子が、今後どう成長するのか面白くなりそうね」

「そうだね。この調子を続けられるなら、カレンベルクとしての支援も考えておいた方がいいかな。今の名前だけ貸してる状態じゃなくね」

「そこは将来――、と言うことで配慮していただけたらと。彼の性格を考えると、今の提供した資金も全額返そうとするでしょうし」


 両親からも、まずまずの好感触を得られたようで何よりと、姫騎士さん。どこかのタイミングで顔合わせの機会をお膳立てする必要があるな、と。


「あれ? このイベント、重量級と中量級はトーナメントなのか。明日も試合があるんだな」

「格闘技で一日複数試合させるのは無謀」


 現在、ミドル級の試合真っただ中である。昨今、日本人も身体の大きい選手が多くなり、ミドル級からヘビー級の選手層が随分と厚くなっている。

 Chevalerieシュヴァルリ競技のように、肉体へ物理的なダメージが発生しない競技の場合は、一日に数試合はざらであるが、競技が異なればコンディションの許容範囲もまた異なるのだ。


「ティナさん、丸いヒトは勝ちましたから、明日も試合するんですか?」

「丸いヒト、他のヤツラと動きの基本が違うみたいです。なんていうか、コッチよりの人間です?」

「もう、あなた達まで、その呼び方をして……。彼は武徠ぶらい楢木ならきと言う名の武術家です。明日も同じ時間に試合がありますよ。後、来週は総合格闘技の試合が組まれてます」


 ルーとベルが武徠ぶらいを「丸いヒト」と認識するようになっていた。花花ファファの被害が拡大したパターンだ。

 チラリと、発信元の花花ファファを横目で見るティナ。視線を向けられた本人は、目が合っても「どうしたヨ?」程度の表情を返し、「丸いヒト」発言は彼女の中では終了しているようだ。まるで察することなく完全スルー状態である。


「来週は投げ技ありの試合なのか……。いくらなんでも試合のペースが早くないか?」

「ふふふ、このくらいは鼻歌交じりでこなしてもらわないと」


 笑みをたたえたティナの言葉は、遠い先を見ているようだった。


 目的の試合は見終わった。ティナは皆に視線を巡らせたが、既に試合がチラ見程度となっていたので、バッサリとチャンネルを切る。彼女にしても、武徠ぶらいの試合以外は特に見る必要がなかったからだ。


「あら、放送はもういいの?」

「ええ、見るとこ見ましたし、肝心の試合もアレで十分でしょう。しっかり予想は超えてくれましたから」

「ほえ? テレビは終わりです? もう見ないです?」

「私、おばさまがメスナイフピューンするところが見たいです!」


 ベルは以前、ティナの誕生日に見せてもらった、第十回世界選手権大会決勝戦【永世女王】対【剣舞の姫】の試合をリクエストする。九月の初旬から始まった、ヘリヤが世界中の達人を訪問する番組の第一回目二時間枠スペシャル。ここで、インドの達人である導師グルアヤンと食事中の会話で【剣舞の姫】について少しだけ触れたのだ。その番組に触発されて、再び試合を見たいと言ったのだろう。

 当のルーンはと言えば、何とも言えない渋い顔をしている。この辺りの表情変化は、姫騎士さんと母娘であることが良く判る。

 番組のお陰で久方ぶりに表へ出て来た【剣舞の姫】の二つ名。ちょっと世間を賑わせたコメントだったのだが、「修羅」と評された当人は複雑な思いを孕んでいるのが表情から垣間見える。家名も変わり、表舞台からは姿を消しているので、少し調べた程度では今のルーンに辿り着くことがないのは救いだろう。夫であるヴィルフリートは、そんな妻の心情を解してか苦笑い。


「奥さまのえいびょうは精度がオカシイのです。一流の戦闘士でも狙ったトコに蹴り込むなんて出来ねえのです」

「あの短刀を蹴る技はえいびょうと言うのか。ティナも要塞攻略イベントで使ってたな」

「私は細かい狙いは出来ないですよ。元々が牽制の技ですし」

「それが攻撃になるのはChevalerieシュヴァルリ競技ならでは。お陰で手裏剣が戦力になった」


 気配無く無表情でお茶を啜りながらポツリと呟いた竊盗しのびの言葉。牽制の技が必殺の一撃となる恩恵を一番受けたのは彼女だろう。


「ルー。実戦と競技の違いってのは、こう言うことだ。今まで牽制程度で習った技でも使い方次第で強力な武器になる。奥様や小乃花このか嬢ちゃんは、それを理解して使った訳だ」

「エレ姉。ルーは溢れるほどカシコイので既に浅葱あさぎ色の脳細胞に記憶したのです。メスナイフは手放したらえいびょうよりも相手の腕を極める方が早いのです」


 無い胸を反らせ、フンスと得意げなルー。ハルが「はやいのです」と言葉尻を拾って真似している姿が微笑ましい。

 しかし、響くはエレの怒声。半ば呆れが入っているのは仕方がないだろう。


「わかってねーじゃねーか! 思いっきり反則だろうが! 記憶が溢れてこぼれ落ちてるじゃねーか!」


 ナニをバカな、と驚きを含んだ顔になるルー。すかさずエレに睨まれ、スヒュースヒューと吹けない口笛をしながら明後日の方を向く。ハルがごっこ遊びと勘違いしてスヒュースヒューと口笛を真似ているが、思わずピューと音が出て本人びっくりの上、キョロキョロ辺りを見渡している。皆から「よくできたね」と褒められ、キャッキャと嬉しそうに笑う姿が、辺りをなごやかな空気に染める。その隙を突いてコソコソと逃げ出そうとしている小さなメイド。すぐさま襟首を捕まえられているが。


「ふげっ! エレ姉、首しまる! 首がしーまーるー!」

「逃げ出そうとすっからだろ」

「ちーがーいーまーすー! 戦略的撤退なのです! ルーは危険察知にすぐれるのです!」

「ルーちゃん、ネコちゃんみたいにプラーンとしてます」

「るーるー、ぷらんぷらんしてる! ハルも! ハルも!」


 首根っこを持ち上げられ、ジタバタ小暴れしているルーは捕まったニャンコ状態である。ハルもプラーンと持ち上げて貰いたいらしく、ピョンピョンと飛び跳ねてエレに催促している。


「ナンか、ここんところルーは厄ばっか付いてまわりやがるです……」


 光のない目でボソリと呟くルーは、まだプラーンと吊り下げられており、諦めの境地に入った小動物のようである。その直後、ポイッと放られて、ヒドイです!取扱注意です!、などと小騒ぎしているが。


 ここ暫くで、ルーが想像していた未来予想図とは掛け離れていったらしく、もの凄く面倒くさいと顔に現れていたほどだった。次期当主付き護衛見習になって鼻高々していたら、お姉さま方から全方向で鍛えられることになり、何れ部隊を率いろと聞かされたり、Duel決闘どころか集団戦にまで出なくてはならなくなったり。もっともルーが思い描いていたのは、ハルの隣でノンビリのほほんと過ごす楽観的将来設計である。次期当主の護衛がそれでは困るのだが。


「極めつけは、姫姉さまのチームと戦わなきゃいかんことです。姫姉さま、こーなると判ってグウィンの誘いに乗れといったです」


 ティナにジト目を向け、口を尖らせながらルーがブチブチと文句を垂れ流す。


「ズルイのです。ルーが勝てない相手ばっかチームにいるです。いっそDM12起爆式爆薬をしかけて一網打尽にするです?」

「なに物騒なことをいってるんですか。エレさんも言っていたでしょう。使になると」

「ほえ?」

「集団戦はDuel決闘と違って試合開始ではないですから。あなたは私のチーム参加者数人と手合わせをしてるのですから、特徴は掴めているでしょう?」

「むむむ?」

「ここは察して欲しかったのですが……。ルーはでしょう? あなたが最も得意なことをパンク不良王子に相談してごらんなさい。集団戦、しいては部隊運用について学ぶ取り掛かりにもなるでしょうから」

「おお? グウィンのヤツを使うです? なるほどです! そんでルーはルーの戦い方が出来る?です!」

「ルールをもう一度、思い出してください。心臓部分クリティカルでも有効なのですよ」


 その言葉を聞いて、目から鱗が落ちたように目を輝かすルー。不平不満を隠すことなく口にするルーではあるが、ほんのちょっとでご機嫌になったりと意外に安上がりである。

 見て判り易い性質は、残念ながら策謀を仕掛けることも、仕掛けられることにも弱い。まだまだ修行中の身なのだ。


 ルーに集団戦を経験させることで部隊の運用を肌で感じさせること、そして狭窄きょうさくに陥りがちなルーへ、視野を広く持ち考えを巡らせなければ打開できない状況があることを知って貰う。今回、ティナがルーへ用意したテーマである。

 正面から勝てないと判っている相手に、真っ向から挑む必要はない。有利に事を運べる方法を考えれば良い。相手を崩す事とは、何も身体だけに限った話ではない。そして、誰かの知恵や手を借りて事を成したとしても問題ないのだ。


「(このあたりの機微が察せるようになって欲しいのですが、まだ視野と裏の読み取りが育ってないですし……)」


 姫騎士さんはルーの育成が悩みどころなのである。これまでも詰め込み過ぎに見えるが、ルーは即戦力の能力を持ち技量が不足している訳ではない。補う必要があるのは応用と経験。だからこそ、現在の環境に慣れてしまい緩慢となる前に、色々と手を出させているのだ。


「(気付かせる方向で導くのは、何とも難しいですね。私も要精進といったところですか)」


 ティナも実際に人を育てることなど初めてである。理論や方法を知っていても、知識と現実は違う。理想通りにならないことの方が多いのだ。道筋の造り方、何処まで踏み込むべきかなどの匙加減も、経験して身に着ける他はない。ルーだけでなく、ティナ自身も一緒に成長するための模索をしている最中なのである。


「ふぁーふぁ、しゅぎょう! しゅぎょう!」


 幼い弟が、花花ファファに稽古を強請ねだる。ハルが天然の纏絲てんし使いであると発覚してからは、定期的に花花ファファが基礎を教えているのだ。身体が出来ていない幼児向けに、遊びの中へ本質の動きを練り込んでいる鍛錬法。ハルにとっては、お姉ちゃんが遊んでくれる楽しい時間だ。


「はいはいヨ~。道着着替えるヨ~」

「はーい! おきがえする!」


 あっと言う間に、二人は手を繋いで着替えに走って行った。とても忙しない様子に皆から苦笑が漏れる。


「あら、行っちゃったわね。なら、私は京姫みやこの仕上がりを見ようかしら」

小母おば様、いいのですか? 私としては有難いですが」

「なら私はベルを見よう」

「いいんですか、小乃花こにょかさん! にゃん月殺法その一で判らない動きがあるんです!」

「なんで鍛錬する流れになってやがりますか? 今はお茶でノンビリほのぼのツァイト時間だったハズです」

「まぁ、流れを断ち切るのはよろしくないな。ルー、C装備で道場に来い」

「ぎゃー! エレ姉、横暴です! プロテクター装備じゃねーですか! ルーがまたポポイッと投げられるです!」


 襟首を掴まれて引き摺られていくルー。後を追うように、それぞれが席を立つ。


「にぎやかですねー。それじゃ私も便乗しますか。おとうさま、頼んでおいたモノは?」

「ああ、納品されてるよ。道場の装備室に未開封で置いてあるから、中身の確認は頼むよ」

「了解です。装着具合も確かめましょうか。要望通りに仕上がっていて欲しいですね、あのアーメット甲冑兜


 よっこらせ、と若い娘に似つかわしくない掛け声で席を立つティナ。模造サクスナイフは何処にしまってたでしょうか、とブツブツこぼしながら道場へ向かっていった。


 Chevalerieシュヴァルリ競技では、騎馬試合以外でアーメット甲冑兜を装備するルールはない。競技者でも、自分の好みで中世の甲冑を模倣して装備作成した者くらいしかアーメット甲冑兜を被ることはない。


 花花ファファが競技のくびきを外し、実戦の技を使いだしたように。

 ティナもまた、今までの制約を外し、自由に立ち回ることを始めたようである。


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