【閑話】男子高校生の他愛もない日常 ~武徠~
2156年10月25日 月曜日
東京都墨田区。朝晩が少し肌寒く感じ始め、木々の葉が色付いて来ている。この地区のシンボルである東京スカイツリーを見上げれば、抜ける様な空の高さに映える姿が季節は秋だと告げている。
食欲の秋。
芸術の秋。
読書の秋。
秋を象徴する様々な単語はあるが、ここ東京都立吾妻橋高等学校では
「なんだかなぁ。チラチラ見に来るわ、指差されるわで落ち着かねぇな。」
「いやはや、校内は君の話題で一色となっているね、キング。」
「ほんとだよ。毎試合燃料投下するから至るところの格闘スレが炎上してコメの流れが早い早い。」
「スワン…。掲示板じゃなく試合見てやれよ、試合を…。」
「いやだな、ミッチー。ちゃんと見たよ。でもキングの試合、秒で終わったもの。プロ相手に瞬殺ってどう思う、アキ。」
「私に話を振るのは
「ま、それもそっか。んで、キング。土曜日の試合についてナニかコメントちょーだい。出来ればスレを炎上させるくらいの爆弾発言を希望。」
「あん? 試合よかチラチラヒソヒソが鬱陶しいんだが。」
登校してホームルームが始まる前の時間。本来ならば、また一週間の始まりを告げる憂鬱な月曜日の朝であるが、今日に限っては生徒達は活気、と言うより騒々しさで溢れている。
その原因を作ったのは、2年B組に在籍する
一昨日に国内で行われた打撃系格闘イベントに期待の新人としてスーパーヘビー級で出場し、優勝経験があり常に上位へランクインしているクロアチア国籍の有名なプロ格闘家を秒殺すると言う誰しも予想しなかった勝利で凱旋したのだ。まだ学生で、しかもこの試合が公式4戦目と言うキャリアから格闘ファンやメディアで大騒ぎとなるのは当然であろう。更にメインイベントでは無かったが、近年の格闘ブーム再来でゴールデンタイムのTV放送で流れたことが拍車をかけた。
だからこそ、一躍有名人となり休み明けの今朝は登校中から視線を集め、今この時も他のクラスや学年からチラチラと見に来る生徒がいるのだ。
「名言いただきました! 試合の相手は眼中無し! 今の台詞、スレに投下してきていい? 脚色して。」
「ヤメロ。脚色すな。鼻の穴にケシゴム詰め込んでガムテ貼るぞコラ。」
「まったく。掲示板で煽っているのはスワンと言うオチではなかろうかね。」
「おいおい、アキ。さすがにスワンもそれは……。つーか正直に吐け、スワン。」
「ひどいな、アキもミッチーも。ボクがそんなことする訳ない訳ないだろう?」
「…おい。」
「君、どうやら実行犯の様だね。」
「テヘッ!」
「まぁ、オレは別段どーでもいいけどな。」
「いいんだ!? キング!?」
「言質いただきー! あざーっす!」
「キング。随分と懐が深い様だが良いのかね。スワンが絡むとロクな事になりかねないぞ?」
「そんときゃそんときだ。」
彼等4人は小学校時代からの腐れ縁である。
その友人達が顔を合わせて、校内で噂の元となった一昨日の格闘イベントについて話が出るのは必然であろう。なにせ噂の当人がいるのだから。
アキと呼ばれているのは、古くから続く茶道の家元に産まれ、幼少時から古風な老人たちの間で育ったことが言葉使いに影響が出ている
ミッチー。
スワンと呼ばれる彼、
そして。稀代の大横綱と呼ばれる
元々、
ブルガリア人とのハーフであり、顔つきはどちらかと言えば精悍で整った方だ。鼻の形が鋭い雰囲気を和らげ、むしろ愛嬌がある面立ちにバランスが傾いている。
そして、女性に対しては紳士的に接する様、母親から魂の奥底に刷り込むくらい躾けられているので、筋肉で膨れ上がった大男なれど、意外と女性受けは良い。
「おらー、席に着け席に。HRはじめっぞー。」
ガラリと教室の扉を開け入ってきたのは、20代後半程でメガネに白衣を羽織った女性。科学の教鞭をとり、この教室の担任である
「ああ、
「ん? いや、全部勝てるぞ? それが最低限のスタートラインだからな。ショーコちゃんこそ格闘に全く興味ないだろう。」
「そんでも、生徒が世間様では無謀な挑戦をしてるとか噂が流れれば心配くらいするさ。」
「じゃあ、心配無用だってこと証明して来てやるよ。」
プロのリングで勝利する。その一言は教室を騒めかせる台詞であろう。クラスの内でも何人かはリップサービスだと思っている。しかし、
「おおっと。話はここまでだ。出席取るぞー。相川ー。」
「へーい」
「相沢ー」「はい」
「江藤ー」「うぃーす」
「榎――」「――」
「――…」
… …
昼休み。授業中もチラチラ視線を受け、休み時間毎に取り囲まれて色々聞いてくる連中に嫌気がさしてきた
学食でいつも席を確保するミッチー。彼も実家の道場で鍛えられ中学時代に剣道個人戦で優勝するくらいには身体能力が高く、持ち前の機動力を生かしてスルリスルリと人混みを掻き分け良い席を取るのが彼の得意技だ。
「おーい、こっちこっち!」
「おーさすがミッチー。角っこでナイショ話も出来そうなベストチョイスだねぇ。ほいミッチーの分。B定食で良かったよね。」
「良い位置であるな。この場ならば不敬な衆目は避けられるであろうな。」
「オイオイ、随分時代かかった言い回しだなアキ。」
食堂の定食を並べる幼馴染と比べ、
「うおっ! キングの弁当スゲェな! …っておかずだけしかねぇじゃん?」
「今、身体絞ってるからな。炭水化物は控えてんだ。不要な筋肉も削ぎ落してるしな。」
「そう言えば、先月末の初試合から痩せてた来たよね。腹回りがどんどん細くなってるじゃん。腹に巻いて痩せる器具でも通販したかと思ったよ。むしろ使ってたら良いニュースになるのに。」
「スワンは相変わらずであるな。しかし、身体を絞る、であるか。」
「まぁな。何事も用途に合った筋肉があるんだよ。俺が速度を上げるには筋肉が余分に付き過ぎてる。」
「ふーん、そんなもんなのか? 剣道だと体重制限ないからイマイチわかんねー。」
姫騎士との模擬戦。
それは
「じゃさ、キングはどんくらいダイエットしたの?」
「せめて減量って言えよ、スワン。今122kgだな。」
「ひゃー、随分減ったね。でもまだ0.12トンもあるんだ。」
「大きな単位で表すと随分と重量がある様に聞こえるのが不思議であるな。」
「いやいや、分母がデカイから判り辛いけど1割半も体重一気に減らして大丈夫なんか?」
「むしろ動きにもキレが出てきたから、この前後位がベストっぽいな。」
ティナと会ってから2カ月――この期間で有に23kgの体重を落とした
10月2日から土日の2日間で開催される
1週間スパンでスケジュールを組まれているのはタイトではあるが、格闘がメジャーになった黎明期には1日3試合を平気で
――勝って見せよと。
そして、迎えた10月2日。有名処の若手選手達に比べ、全く無名の
1ラウンド38秒KO勝ち。
それが
「こんなもんか。」そんな呟きが漏れた後、マットに沈んで完全KOされたのは相手選手だった。斜めに踏み込んで相手の攻撃が当たらない位置から
スーパーヘビー級が増えたと言えど、国内では
次の週、10月10日。打撃系格闘とは全くルールが違う、投げ、関節、寝技ありの総合格闘技に出場する。対戦相手にはコネで出場した旨をマイクパフォーマンスで罵られるが、それがどうした全て勝てばよかろうと、返す言葉は堂に入っており、どちらが挑戦者であるか判らなくなる始末だった。
試合開始後、受け身を取らせない投げからのマウント。そして頭部へ2発の拳で相手を失神させる。1ラウンド47秒KO勝ち。それが
その翌週、10月23日の土曜日。打撃系格闘運営側も
が、試合当日。一瞬で踏み込み、相手のガードを弾き飛ばしながらのストレート1発。レフリーストップによる失神KO。1ラウンド8秒。
「キングの試合、まさに秒殺だったよねー。相手は四天王とか言われてたヒトじゃん。」
「格闘ファンがラッキーパンチとか言ってるみたいだけど見る目ないよな。」
「確かに。素人の私が見てもキングが格上に見えたくらいであるからな。これぞ横綱相撲と言えるだろう。」
「まぁ、最初の牽制技術はさすがプロの技だったけどな。んでもなぁ。相手に怖さを感じなかったからな。」
「あ、何かわかる。剣道やってたころ試合開始前に向き合うだけでコイツヤベー
極稀に、全く
「なるほど。武道ではその様なことが起こるのであるか。」
「おもしろいね。じゃさ、キングは逆に怖いってヒトはいるの?」
「いるぞ。格闘家じゃないけどな。戦ったら一方的にボコられた。ハッキリ言って実戦だったら最初の一撃でオレは死んでたな。」
「え!? マジか? キングを相手に誰が!? だってオマエ、横綱と互角に戦うじゃん!」
「ミッチー、落ち着いてよ。キング、…あとで追及しようと思ってたネタの関連で一つ信憑性のないネタがあったんだけど…。」
スワンこと
「いや、スワン。その突っ込み待ちの姿勢は如何かと。ほれ、ミッチーが焦れて貧乏ゆすりをしだしておるぞ。」
「はぁ。で、スワン。オレにナニ聞こうとしてたんだ? つまんねーことだったら鼻に粘土詰めるぞ。」
ニヤリと笑うスワン。フヒヒと厭らし気な笑いを零しながらテーブルに簡易VRデバイスから写真を投影する。
「これなんだけどねー。キングも隅に置けないなーなんてね。あ、これ追及ネタね。」
その写真は川縁の歩道を写した一見すると風景写真。しかし「ほら、ココ、ココ」と写真の端を拡大すると、女性と腕を組み歩いている
写真を見た全員が沈黙する。ミッチーなどは目を見開いているくらいだ。
「…オイ。スワン、いつ撮った。」
「ボクじゃないよ? 最近とある筋から入手したのさ! それよりも、この相手について聞きたいんだけどね? どこのお姫様だろうねー。」
「え? ナニ? キングいつの間に羨まけしからんことになってんだよ。オマエ、硬派通してたじゃん! 女は要らんって雰囲気醸し出してたじゃん!」
裏切りだー、と叫びながらバンバンと机を叩くミッチー。血涙を流しそうな勢い。
「ほうほう。明らかに逢引としか見えんな。この件に関して我らは何も聞いてはいないと言うことは、お相手は紹介するのも
「あー、そう言う訳じゃないんだがな。ちょっと複雑な事情があってな。」
「へー。姫騎士ちゃんと複雑な事情なんだー。この場合は情事かなー?って、チョットやめてキング! 鼻にインゲン詰めないで!」
「姫騎士? ちょっと待て。姫騎士ってあの? 超美少女じゃん! マジ? ナンデ? 普通出会いないじゃん! どこで知り合った! オレにもわけろ!」
「ミッチー落ち着きたまえ。なるほど、スワンがお姫様と表したのも頷ける。彼女は貴族の姫であらせられるからな。スキャンダルを考えれば我らにも言い辛かろうて。」
この夏、ティナはTV番組出演にイベントにと、日本で大暴れしたお陰で大分話題になっていた。姫騎士と言えば彼女に紐付くレベルで記憶に新しい。
「もー。インゲンのタネが鼻の中に残っちゃったじゃないか。ホントは姫騎士ちゃんのこと追及しようと思ってたけど、もう一つの
おちゃらけた様子から一変し、真顔になるスワン。その目は
「キング。ボクが仕入れた
想定外の台詞から言葉がなくなり、一種異様な空気が幼馴染達を包む。
ふぅ、と息を一つ吐き、
「…ったく、どっからネタ仕入れてきたんだか。その話は本当だ。オレはティナと戦ってボコボコにされた。一つも攻撃を当てられずにな。」
更に想定外の台詞が飛び出し言葉が出ないのだろう、暫く無言となった。それと対照的に食堂のガヤガヤとした賑やかさが別世界の出来事の様に耳元で聞こえる。
「…とんだ情報だね。じゃあ怖い相手ってやっぱり姫騎士ちゃんのこと?」
「おう。全く歯が立たねーし、本気にもさせられなかった。その上、オレの弱点やらダメ出し喰らうし良いとこなしだ。」
「それは予想出来なかった話ではあるな。可憐な少女がキングを翻弄するなど恐ろしいものであるが。」
「マジか…。姫騎士ちゃんを愛称呼びって、どんだけ親密なんだ!」
「ソコかよ! なんで斜め上のセリフ出してくんだよ!」
「美少女と
「聞けよっ!」
彼等は真面目な話をしていても、途中からしょうもない遣り取りに変わってしまうのは何時ものことである。
「正直、マジかいやー!って叫びたいとこだけどさ。それよりも、キングは姫騎士ちゃんとはどーいう関係なのさ?」
結局、皆が聞きたい点はそこに集約される。
「…仕方ねーな。情報拡散すんじゃねーぞ? オレだけの話じゃねーからな。」
姫騎士個人が
スポンサードの成果目標として、2年を目途にオランダの格闘競技「リアルファイト:ベアナックル」である程度の成績を収めること。
そして、彼女に見染められたこと。
「ほう。キングの生活能力を確保しつつ目的を果たす段取りであるか。中々に厳しいが面白い試みであるな。」
「うん。良く考えてあるよねー。キング自身が動かないと回らないなんて随分とキングのこと理解されてるよね、この仕組み。」
幼馴染である彼等は、
「でも積極的だね向こうの人は。いきなりプロポーズかぁ。スンゴイ良いネタなのに公開出来ないのが~。」
「ナンデ、キングバッカリ…。リアジュウホロベ…ホロベ…」
「ミッチー。君のそういうところが女性からもてない原因ではないのかね。」
「グハッ! ム、ムネン…」
「おー、クリティカルだねぇ。アキはいつもミッチーに止め刺すからなー。でもさ、キング。オークと姫騎士って、まんま薄い本みたいだね。」
「本人もメジャーなカップリングだとか言ってたぞ。」
「えっ、そんなこと言っちゃう
目をキラキラと輝かせるスワン。「姫騎士ちゃん、ゼヒ友達になりたい!」などと言っているが、ネタ枠と同類項の扱いをしている様に見えてしまうのは彼の性格的なところが大きいのだろう。
この流れも、いつものことなのでスルーされるまでがセット。
「ふむ。だからキングはドイツ語を習いだしたのであるか。婿入りするのならば現地の言葉は必須。」
「そんなんじゃねぇよ。クライアントの母国語がドイツ語だから言葉を合わすのは当然だろが。」
その話には余り触れて欲しくない
「あれ? キング気付いてない?」
「ウウウ…俺でも判ってるぞ。」
「なんだよ、スワンもミッチーも。オレが何に気付いてないんだって?」
「キングは姫騎士嬢を相当、気に入っていると言うことであるな。でなければ
「そーそー。普段だったら、何でオレが合わせなきゃなんねーんだって言うもん。」
「さっきの説明ん時から姫騎士ちゃんに好意を持ってるのが判ったぞ? キングは興味無い相手の話はもっとドライだかんな。チッ、相思相愛かよ。ウラヤマシイ…」
正に寝耳に水と言った言葉を聞き、キョトンとした表情に変わった
「キング。もう少し自分に対して素直になり
「名言出たねー。キモチに蓋しちゃだめだよ、キング。素直が一番さ!」
「素直過ぎてやらかすスワンが言うと軽いな。でも、そう言うことだぜ? 心の隅っこに残しといたら何時までも引っかかったままになるかんな。」
何だかんだ言いつつも、お節介な幼馴染達は
「…そうだな。ちゃんと考えてみるか。オレはこの手の話はいまいち判ってねぇしな。」
「そうするが良かろうよ。きっと君の世界は広がる筈である。」
スワンとミッチーが笑顔で頷いている。彼等は今ここで言葉に出すのは無粋だと弁えるくらいは長い付き合いの中で判っている。
この話は、
なのでスワンが新しいネタを口にする。
「ところでキング。年末の格闘イベント、どっちに出るか決めたの?」
「ああ? あれか。まだどっちにするか決めてねーな。正直どっちに出てもいいんだけどな。」
打撃系も総合系も昨今復活した年末最大イベントである格闘トーナメントは視聴率を稼げるため、どちらの陣営も躍起になって力を入れている。突如、期待の新星として現れた
ところが、少々問題が出た。現在は海外からの招待選手と同様の扱いであったのだが、
引き抜くには放送局やスポンサーよりも影響力を持つ企業を相手取ることになり現実的ではなくなった。つまり、手元に置くことが出来ない選手となったため、結局は招待選手の枠に当て嵌めるしかない状態となる。
そのため、打撃系、総合系の両陣営は出場オファーを出すことに留まり、どちらに出場するかは
実のところ、ティナがカレンベルク名義で
「んー、リアルファイト:ベアナックルだよね? 取り敢えずキングが目指してるところは。」
「おう。来年中には何とか出場出来るまでにはなるつもりだ。」
「じゃあ、年末は打撃系のトーナメントに出るのをオススメするよ。」
「なんでだ?」
「ソッチだと、ヨーロッパで放送があるからさ。オランダだよね、来年目指すのは。放送でネームヴァリューが上がるんじゃない?」
「はー、なるほどな。放送のことなんてこれっぽっちも考えてなかったわ。」
「そういう視点は得意だよな、スワンは。俺なんかどっちがファイトマネー高いかって考えてたよ。」
「ミッチーは下世話な話題にすぐ入ってしまうのが玉に
「悪かったな! 下品で!」
「アキ、ミッチーの変わらないカマセっぽさは必要だよ。あとオーバーリアクション係。」
「俺の役どころ酷くない!?」
「はははは、いつも通りだな。」
――他愛なく、いつもと変わらぬ風景。
それは人生に於いて、ほんの短い期間でしかないのかも知れない。
だが、きっと長い時を経ても色褪せることのない日々なのだろう。
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