【閑話】ヘリヤ、日本で忍者と手裏剣を投げる。 ~ヘリヤその3~

2156年10月20日 水曜日

 この時期、日本と言えば秋であり、朝晩が涼しく感じられる季節である。だが、それは都内などの盆地の気温であり、信州など山が多く、標高も高いとすると冬一歩手前の季節に移り変わっているところが出始めている。

 ティナが夏の間日本に滞在する際の足としてドイツから輸送された要人警護用転輪型装甲戦闘車Nachfolgerナーハフォルガー号は、追加任務がアサインされたため、まだドイツに戻ってないのだ。その一見すると白い外国産の大型バスは滑らかな動きを披露しつつ、高速ハイラインを東京都練馬方面の幹線から群馬の高崎ICインタチェンジを経由して、上信越自動車道更埴JCTジャンクションから一般道のハイラインへ降りる。その下を通る街中の1階部分に当たる路面であるミドルライン。そこを使用するのは山岳道路に入ってからとなる。


「いやー、早い早い。リニア並みの速度が出る大型車なんて、あたしは乗ったことないよ。」


 高速道路の区間を抜けたと聞いた時のヘリヤが漏らした感想だ。ヘリヤと番組スタッフはここまで「人をダメにするソファー」に魂を奪われており、カレンベルクから派遣された護衛であるイルムに声を掛けられ覚醒する。イルムから目的地近くまで移動していたことを告げられ、皆が驚きを露にしていた。

 要人警護用転輪型装甲戦闘車Nachfolgerナーハフォルガー号は、現世界最強の騎士シュヴァリエであるヘリヤが日本で安全に移動するための足として役目を与えられていたのだ。

 この地方ではまず見ることのない外国産の白い大型車は、黒姫山と飯縄山の山間を走る山岳道路を抜け、と言うよりは山中にある小さな町に辿り着いた。


「もう直に到着しますよ、ヘリヤさん。」

「あはははは。東京を出た辺りから記憶がないですよ、イルムさん。このソファー、座り心地が良すぎて。」


 同席しているスタッフ達も思いは同じなのだろう。うんうんと頷いている。


「ええ。このソファー、私達護衛は極力座らない様にしてるくらいです。仕事になりませんから。」


 副操縦コパイロット席から居住区画の隔壁越しに後ろを振り返り受け答えをするイルム。もう一人の護衛であるユディが武器管制兼ナビゲート席に座しているのは銃器のエキスパートであるからだ。

 そして、今回はもう一人、護衛が就いている。エスターライヒ大使館とカレンベルクの連絡員であるソフィヤ・カチャノヴァがNachfolgerナーハフォルガー号の操縦兼訪問先の繋ぎ役として同行しているのである。


 これから向かう先は、戸隠流忍法の本拠地。先々代の当主が戸隠流忍法の総本山とすべく建立した。訪問相手は戸隠流忍法四十代宗家、磁雷矢じらいや 将馬しょうま。その繋ぎ役のソフィヤは奇異な縁で知己ちきとなった。

 その縁とは、夏に渡日したティナが強行した突発イベントの参加メンバーとして小乃花このかが巻き込んで連れて来た御仁であったため、ティナの護衛として付き添っていたソフィヤが顔を合わす機会は当然の如く多かった。


 そもそも事の始まりは。

 突発イベントで磁雷矢じらいやの持つ熟練した技に舌を巻いたティナが、ヘリヤに紹介したら面白かろうと連絡を入れたことである。

 ヘリヤが大いに興味を持ち、その結果とんとん拍子で話が進み、世界選手権大会開出場前に確保してあった調整期間の日程を削ってまで磁雷矢じらいやにアポイメントを取ったのだった。


 小乃花このか以外の現代に生きる本物の忍者、しかもティナを唸らせるレベルの相手と会えることにウキウキのヘリヤである。


「楽しみだなー。どんな忍術があるんだろう。」


 窓の外は木々がうっすらと赤や黄に色付き始めてコントラストが出来始めている、一種独特の景色を見やりながらヘリヤは呟いた。



 ここは、長野県長野市戸隠。数十年前にあった第三期区画整備の際、街並みも積層構造の道路に改修され、少し背の高い建物や洒落た店なども多くなってきてはいるが、未だに古風な造りの家や旅館がそのまま残り、少し歩くだけで必ず何処かの蕎麦屋に辿り着く土地柄だ。少し道を外れれば緑の多い山空間となり、山を少し入れば子供向けの忍者村なる遊具施設が営業していたり、自然の中にポツリポツリと名所となる施設などが点在するのである。


 戸隠神社中社と小鳥ヶ池をを結ぶ中間辺りに、信濃信州新線から林道を100m程入ったところに目的地が見えた。

 自然の中に現れる、瓦の屋根をかけた土塀が敷地を囲っている。その長さから内部は中々に広いと想像出来る程だ。林道の突き当りが入り口となっており、上り二段の階段と、その奥に幅三間はある大きな数寄屋門が土塀を一段奥まったところに伺える。数寄屋門は縦桟を長く取る格子の引き戸となっており、敷地の庭園部分と母屋が目に入る構造である。その母屋は瓦を葺いて縁側などがある古式の日本家屋の様式を採用しているが、近代の技術がふんだんに組み込まれているのは門の格子越しからでも見て取れる。

 数寄屋門から少し離れた箇所で土塀に切り欠きが造られ、車両の入り口は此方こちらからとなる。大型車両でも余裕を持って通れる間口が取られており、そこから直ぐに駐車場となっていた。この建物の住人や通いの者が乗り入れたのだろう、数台の乗用車が止めてあるが、スペースはまだまだ余っている。見学客用だろうか、2台程の大型バスが停車出来るスペースも取られている。

 そのスペースにNachfolgerナーハフォルガー号が静かに停車し、圧縮空気エンジンと超電導モーターから発せられているヒュンヒュンとした音がだんだんと消えていく。


 プシュー、とエアコックの解放音がし、Nachfolgerナーハフォルガー号の搭乗口が開く。真っ先に飛び出したのはヘリヤだった。


「うわー、これまた面白い建物だなー。屋根瓦taksteinが波打ってる。」

「ヘリヤさん、護衛より先に出ないでください。万が一がありますから。」

「ありゃイルムさん、ごめんごめん。もう待ちきれなくって。」


 頭を掻きながら謝るヘリヤだが、感情の高ぶりで行動を起こすところは子供の様だ。反省すれどもまた繰り返すことだろう。もっとも、たとえ危険に見舞われたとしても彼女をどうにか出来る者がいるのか怪しいところである。


 荷物や機材を下したスタッフを引き連れ、母屋に向かう。他には道場と見える建物が二棟、宿舎と思われる建物が一棟、白い斜め格子が入った海鼠なまこ壁の土蔵が目に入る。土塀や土蔵など、実際の建材はコンクリート製であり、近代に造られたものだ。

 護衛に挟まれ、意気揚々と歩くヘリヤ。今にもスキップしそうなくらいである。


「たのもーう!」


 玄関前で声を大に呼びかけるヘリヤの姿は、既に定番となっている。態々わざわざ「たのもう」の言葉を現地語で練習して来るのだ。

 この時代、外国人との会話は基本、英語を用いられる。ほぼ万国共通で会話可能なレベルで教えられているため、海外でも言葉が通じないことは殆どない。だが、敢て「たのもう」の一言を現地語で覚えてくるヘリヤの意気込みがどれ程であるか伺える一幕である。


 玄関の引き戸がカラカラと開かれる。一人を除いて皆、自動で扉が開いたと思ったが、そこには磁雷矢じらいやが出迎えに来ていた。

 ヘリヤは、まるで気配を感じられなかったことに驚いた。ソフィヤだけが磁雷矢じらいやの隠形を知っていたため「宗主自らのお出迎えですか」と内心は皆とは違うことを思っていたくらいだ。

 磁雷矢じらいやは30代半ばと見える容貌で、短髪に切り上げて清潔感があり、人懐こい笑顔を浮かべている。足首を紐で締める長袖の黒い作務衣上下を着こみ、和のテイストである。


「初めまして、ヘリヤさん。ようこそ忍者の里へ。私は戸隠流忍法四十代宗家、将馬しょうま磁雷矢じらいやと申します。ぜひとも磁雷矢じらいやとお呼びください。」

「ご丁寧にありがとうございます。磁雷矢じらいや殿。あたしは二つ名【壊滅の戦乙女】ヘリヤ・ロズブロークです。今日は楽しみにしてきました。」

「それはそれは。有難い話です。おや、ソフィヤさんもお久しぶりですね。」

『お久しぶりです磁雷矢じらいやさん。お元気そうで何よりです。』


 続いて護衛やスタッフ英語で挨拶する中、ソフィヤだけが挨拶を流暢な日本語で行っていた。




 客間に案内され、黒檀のテーブルを挟んで一寛ぎする一行。磁雷矢じらいやから今日の予定を簡単に伺う。


「今日は平日ですから日中帯は訓練生と門派の徒弟が鍛錬に来てるくらいなので、皆さんをゆっくり持て成せそうですよ。」


 出された緑茶と茶菓子を摘まみながらスケジュールの打ち合わせをする。予定としては2日間の滞在とし、1日目は忍術や体術、特殊武器などの体験、2日目は戸隠流忍法四十代宗家とのDuel決闘による対戦を予定している。1泊すると言うことで、敷地内の宿泊施設を貸し出された。

 この道場、スタントマンや自衛隊隊員などが定期的に鍛錬に訪れるため、十人、二十人程度は問題なく滞在可能な施設となっている。


 準備を終えたスタッフは、動きやすい恰好をしているが、護衛達は何時もの如く黒スーツ姿だ。足元も革靴に見えるが、実は靴底には滑り止めなどのパターンが彫り込まれており、戦闘に影響が出ない造りとなっている。

 そしてヘリヤは、鎧下に着ている黒い騎士服姿である。縁を彩る金糸が中々に目立つ。


 作務衣姿の磁雷矢じらいやが先頭に立ち、道場へ案内する。


「この時間は骨法の練習時間となっていますから、武道館へご案内します。どうぞ、皆さんこちらへ。」

「骨法ですか? それはどんな武術なんですか?」


 ヘリヤが初めて聞く「骨法」と言う単語に食いついた。


「ははは、余り聞かない名前ですからね。古い体術ですよ。ちょっと特徴があるんで見て面白いと思いますよ。」


 案内された武道館は、隣の競技館と渡り廊下で繋がっている構造だ。通常の練習は武道館で行い、武器などを用いた実戦形式の鍛錬はChevalerieシュヴァルリの競技システムである「Système de compétition Chevalerie」が設置された競技館で行う棲み分けとなっている。


 武道館では骨法の師範が2名と6名の練習生が組手を行っていた。夕方や週末などは通いの練習生が多くいるが、平日昼間に鍛錬する者は、纏めて休みを取って訪れたり、月に何度か訪れて宿泊施設に泊まり込んで励む者が主体となる。今回は定期的にやってくるスタントマンを生業なりわいにしている練習生と、アクション俳優の練習生、海外道場からの練習生が手技脚技でコロリと転がされている練習風景だ。


「練習やめ!」


 師範の一人が磁雷矢じらいや達を迎え入れるため、練習に静止をかけ、練習生共々横一列に並ぶ。彼等の姿は良く知られる剣道や柔道などの道場などとは趣が異なる道着を着ている。黒の作務衣に似た着物上下だが、足元は黒のマジックテープで止めるタイプのすねを覆う長足袋、上着の下には長袖のシャツであろうか、手首まで黒い袖に覆われている。道着としては頑丈ではあると見えるが、柔道着や袴などとは明らかに異なる。むしろ普段着に近い造りだろう。その中に目立つ者が二人。全身を武者鎧で身を固め、模造であろうが一人は太刀を佩き、もう一人は打ち刀と脇差を挿している。もちろん両人とも、懐剣を懐に仕込んでいる完全武装である。


「皆に紹介しよう。遠い所から武術を見に来てくれたお嬢さんだ。名前は皆知っていると思うが、騎士シュヴァリエである【壊滅の戦乙女】ヘリヤ・ロズブローク嬢だ。それと、護衛にスタッフの皆さんだ。今日は我々の武術を体験取材のためにお越し頂いている。気の抜けた技を出さない様に気を引き締め給え。」


 磁雷矢じらいやの紹介に「はい!」と元気よく答えが返ってくるが、若干の緊張が伺える。前もって来客が誰であるか練習生も聞いてはいたが、実際に対面すればヘリヤは慮外の相手であると察し、更には護衛の武が高きことを感じたからだ。彼等も長らく練習生として鍛錬しているため、相手の実力を見抜く力が付いている様だ。


「まず、ウチの体術は玉虎流骨指術と言いまして、武器の在りなしに関わらず、身体の急所を突きながら相手を封じる技法になります。」

「封じる技法ですか? 斃すとかではなくて?」

「ええ。基本は相手の動きを読み、人体で無数に存在する急所を押えながら戦力を削ぐことが第一です。」


 骨法は玉虎流忍法であり、白雲流忍法が本流であった。現在、甲賀流五十三家、伊賀流三十八家など、様々な忍法流派が存在するが、殆どの忍法体術の根本として派生している。

 極端に言えば、指一本で相手のたいを崩すことを可能とし、攻撃技も揃えているが、相手を無力化することに重きを置いた技法である。


「まずは基本の型をご紹介します。」


 磁雷矢じらいやから指示が飛ぶ。


「一文字之型!」


 左脚を前に、右脚は少し後ろに下げて肩幅より広く取り腰を落とす。左手を真っすぐ手刀の形で置き、肘の内側に当てた右手は軽く拳を握っている。体幹が整っているからか、全体的に重心が低く、且つ即座に動けるような姿勢となっている。


「次! 飛鳥之型!」


 練習生達は、右脚で立ち、左脚は曲げ、足の裏を右脚の膝内側に置く。左手を手刀で心持ち上を向く様に真っすぐ伸ばし、右こぶしは肘の内側少し前に置く。体幹がしっかり出来ている様で、左右にふらつくこともない。


「次! 十文字之型!」


 今度は一文字之型と同様に足を開き、腕を胸元に十字に交差させている。

 何れの型も、上半身は正面を向く様になっている。そして、鎧武者姿の練習生も淀みなくこなしている。つまり、武装を纏った前提の技術であることがここから伺える。


「この三つが構えの基本となります。技としては、骨指拳と言う拳の構えは九法あり、蹴りの構えは三法、骨指体変術と呼ばれる体術は龍変、虎変、豹変の三種がそれぞれ三法を持っています。もちろん、全ての構えは左右で二通りあります。」

「立ちの基本が三つなんですか。あたしは体術は良く判ってないですけど、それでも少なく感じますよ。」

「そうでしょう? 実際に少ないですから。でもこの三つで賄えてしまうんですよ。むしろ突き詰めた結果、三つに集約されたんだと私は思っています。」

「へー。無駄が省かれたってことですかね。」

「どうです? ちょっと型をやってみませんか?」


 磁雷矢じらいやの提案を二つ返事で受けるヘリヤ。

 教えを受けながら一文字之型を取る。身体が正面に向きながら左半身に近い構えとなる不思議な型である。


「あれ? これだと相手の利き腕が真ん前になるかな? 剣相手だと剣先に触れそうだ。」

「ははは、最初にそこを気付きましたか。相手は利き腕で武器を持つでしょう? だから最短距離で対応出来る構えなんですよ。」

「相手が武器を持ってる前提なんですか?」

「ええ。戦国の世で練られた技ですから。むろん、武器がなくとも意識しなければ人は利き腕を使ってきますから対応は変わりませんよ。」


 この構えに相対する時、武器を持つ方に身体を向けられれば、突き以外の攻撃は自身の身体を利き腕側に少し開く必要が出る。相手が徒手空拳であろうが、自分に向かって伸ばされた腕を無視出来ない。どの様な技を使われるか判らない状態だからだ。無視して斬り込んだ場合、体を捻るだけで躱され、腕を極められる。どの道、相手の攻撃を躱して極める、攻撃の出を潰すなどの目的がある構えである。相手の身体に触れさえすれば流れを一瞬で引き寄せる技が骨法である。


「おお、さすがに体幹が素晴らしいですね。初めて飛鳥之型を取って微動だにしないのは見事ですよ。」


 ヘリヤは片脚で立ち、もう一方の足を軸足の膝横に添える飛鳥之型を教わって構えている。

 飛鳥之型は、右脚一本で立つのだが、そもそもその右脚自体も曲げて重心を落としているのだ。外から見れば少し蟹股気味と言えば判りやすいだろうか。兎も角、身体運用が出来ていないと必ずふらついてしまう類の型である。


「飛鳥之型は防御と攻撃を兼ねた構えです。その左脚を前に伸ばすだけで蹴り技や相手の侵攻を抑えるつっかえになります。」

「いやー、これ面白いですね。左脚を出す時、右脚も伸ばしたら距離も稼げるんですね。」

「面白いでしょ? 虚実が入った構えなんですよ。」


 その後は十文字之型を教わり構えるヘリヤ。にこやかに行ってはいるが隙はない。意識せずとも全身にくまなく力が入った自護体となっているからである。現世界最強の名は伊達ではない。騎士シュヴァリエとして研鑽した基礎が如何程であるのか底知れぬ力量を持っていることを磁雷矢じらいやは見て取った。


「では実際に骨指術がどのようなものであるか体験してみませんか? 相手の戦闘力を奪う術は覚えておいて損はないですよ?」

「いいんですか! 是非ともお願いします! いやぁ、楽しみだなぁ。」


 磁雷矢じらいやは意味あり気な言葉を含ませた。この戦乙女は基本技のみしか使わず、体術の造詣も浅いと聞いている。しかし、どんなことも体験すれば必ず身に刻み付けていると踏んでいる。でなければポイントすら殆ど取られずに世界選手権大会を二連覇するなど不可能である。同じことしか出来ない者は、必ずそこを付け込まれるからだ。むしろ、基本技の中に今までの経験を織り交ぜていることの方が恐ろしく思う。だから磁雷矢じらいやは、彼女の中でどの様に骨指術が消化されるのか期待を持っているのだ。


 技を体験できると言うことで、ヘリヤは随分とご機嫌になっている。最初に練習生の技を見た時、力など使わずにコロコロと転がされているところを見ている。それに、骨法が極端な話、指一本で相手を崩すことが出来ると聞いて、どの様な武術なのか想像がつかなく、初めて見る武術にワクワクしているのだ。

 そこへゴム製の懐剣を渡された。丁度ナイフくらいのサイズである。

 そして磁雷矢じらいやはヘリヤに向けて一文字之型を取る。


「それではヘリヤさん。そのナイフで私に攻撃してみてください。おっと、本気で来られたら対応出来ませんから手加減してお願いしますよ?」

「はーい! 突きいきますよー!」


 磁雷矢じらいやは「ゆっくり動きを見るために」剣を振らせなかった。武器を使う場合は彼女の実戦上にある流れの方がより理解してくれると思ったからだ。

 手加減していてもヘリヤの剣速は正確で速い。生半可な技量の者では技を出す前に斬られたことも判らないだろう。その相手役として磁雷矢じらいやが受けるのは必然である。


 手加減を相当しているだろうが、傍から見れば実戦で撃ち合うレベルの速度でナイフの突きが放たれる。が、その剣先は虚空を打った。磁雷矢じらいやが踏み込み歩法により狙った先の身体が消えたのだ。

 そして。


「あいたたた!」


 腕に走る痛みでヘリヤの身体が思わず引き寄せられ、そのままコロンと転がされた。

 今の交差でされたことと言えば、伸びた下腕を片手で掴まれ、指で腕の急所を押さえつけられただけだ。しかし、その痛みを逃れる様に身体が崩れたところに、もう一本の腕を差し込まれて簡単にヘリヤを転がした。


「今のびっくりした! 指一本で全部崩された! いったいどうなってるんですか?」

「今回は下腕にある急所を押したんです。ただ指で押さえただけで普段感じない痛さがあったでしょう。慣れない痛さは、技云々の前にそれを回避するために身体が痛みから逃れようとするんです。」

「なんか腕全体にも奥から響く様な鈍痛がありました。だから、あたしは簡単に転がされた、と。」


 今のは下腕にある短橈側たんとうそく手根伸筋主骨伸筋と指伸筋の肘側交差する点を押さえつけたのだ。


「その通りですよ。ちょっと手の平を見せてください。」


 手を差し出すヘリヤ。親指側の手首を指で押さえられる。


「あたたたた!」

「ほら、これだけでも簡単に転がせるでしょ?」

「ひゃー、急所ってこんな簡単に崩せるんだ。」

「人体には鍛えようがない急所が以外と多くあります。それを利用し、本来であれば、相手を崩して何もさせないままどんどん腕から身体の動きを封じて無力化するんですよ。」

「すごいなぁ。見たことない技だ…。出来る限りでいいんで、その急所を押える技を色々、あたしに掛けてもらっていいですか?」

「ええ、どうぞ。色々と体験していってください。」


 そうして小一時間程、ヘリヤは転がされるのであった。だが、それは得難い体験である。身体のどこに急所があるのか身を以て知ったからだ。


 練習生の練習が再開してヘリヤは目を見張る。鎧武者などは、その装甲からヘリヤが体験した急所の攻撃は効かない。しかし、腕を取り、捻り、各関節よりも大きく逆に動かすことで、簡単にたいを崩していく。鎧武者の装甲の無い部分である首元の鎖骨内側の痛点や、脇の痛点を的確に抑え込み相手を制圧する様子は見ていて不思議な感覚である。外から見ると面白い様に攻守の流れが一瞬で換えられる技のあれこれは見ていて新鮮であった。相手の武器を奪うなどの技も人の身体の動きを基に計算された用法としか見えない。基本から派生、そして基本に帰結する技はシンプルなれど奥が深い。

 正直、ヘリヤは相当楽しんだ。それは自身が体験したことで一層身体で理解したのだ。


「ヘリヤさん、どうです? 手裏剣投げて見ますか?」

「手裏剣ですか! 忍者がシュシュシュッって投げるヤツ!」

「実際の手裏剣は投擲技ですから番組の様な派手さはないですけどね。」

「やります! やります! あたしも手裏剣投げてみたいです! 小乃花このかが手裏剣投げて驚きましたから!」

「ああ、神戸の小乃このちゃんとも戦ったことがあるんですね。彼女の流派は投擲に奥義を持ってますからね。」


 非常に食いつきの良いヘリヤ。

 彼女とて、ヨーロッパ武術で投擲術は修めているが、やはり忍者の使う手裏剣に興味深々、と言ったところだろう。


 磁雷矢じらいやに引き連れられ、一行は道場裏の野外修練場に赴く。弓の鍛錬も出来る様、的がある箇所は木の壁で覆われていた。そこから仕切りを挟んだ隣に太さ30cm程の木が何本か立てられている。そこにも的が掛けられており、投擲用の鍛錬を行うのだろうと予想される。側には畳が脇の壁に立てかけられており、重心により飛翔時に回転が起こる投擲物の的として用意されている。

 更に言うと、弓、投擲エリアと反対側にはアスレチックの様に立体的な訓練施設が備わっていた。ある意味パルクールの訓練が十分可能な様々な空間構成がされている。

 物珍し気にヘリヤが覗き込んでいる。


「あちらのアスレチック施設は、迅速に判断をしつつ高速に移動する訓練設備ですよ。」

「高速に移動、ですか?」

「そうです。障害物があろうとも同じ速度を保てれば、普通よりも移動距離が長くなります。」

「へー、なるほど。追いかけっこが有利になりそうですね。」

まさにその通りですよ。追いかけられても安定して逃走できますから。」


 忍の技は兵法ではない。敵陣に忍び込んで情報収集や暗殺、破壊工作や奇襲などが主で、武士の様に正面切って戦うことは余りない。特に情報収集を行う場合は、無駄な戦闘を避け、無事に帰還することが第一となる。そのために相手を無力化したり、逃走を助ける技が数多くあるのだ。古流である玉虎流忍法などは、常に二つの玉を持ち、それを投擲などの目くらましに使うことで自在に姿を消したと言う。

 むろん、忍びの者とは言えども下級の武士であるため、戦場いくさばで戦うとすれば役どころが変わる。忍法に基づく技をって兵士として切り結ぶのである。


 手裏剣の投擲も、それ自体で敵を倒すものではない。先の目くらましや逃走のための一手として用いることが多い。


「これが戸隠流銛盤手裏剣と標準的な棒手裏剣です。」


 野外修練場の投擲エリアで磁雷矢じらいやが見せた手裏剣。銛盤手裏剣は旋盤手裏剣とも言い、長方形の辺が内側に弧を描く形状である。四方に攻撃箇所を持つ手裏剣は車剣と呼び、急回転打法を用い、投擲時に手首を捻り手裏剣に回転を掛ける。

 もう一つの棒手裏剣は、四角い径を持つ大きな釘と言った方が判りやすいだろう。投擲に直打法、半回転打法、回転打法など、投擲距離などにより軌跡を変える複数の用法があり、本来、忍者が主に使用する手裏剣は此方になる。


「こっちの四角い方は実物を初めて見ますけどNINJAがTVで使ってました! ニンニンって!」

「見栄えが良いですからね。この四角い形状は手の平に隠して相手の武器を受けたり、直接斬り付けたりも出来るんですよ。更に投げ易い。」


 車剣タイプの手裏剣は、投擲で回転させるため、縁が全て刃を付けられていることが多い。どの角や辺に当たっても威力が期待できる。対して棒手裏剣は、杭である。尖端が刺さる様に投擲する技能を必要とする。故に打法が複数あるのだ。


「棒手裏剣の場合、大体2~3mくらいの距離で投擲します。銛盤手裏剣は5mくらいが射程ですね。」

「意外と距離が短いんですね。もっと離れて投げるかと思いました。」

「10m離れたところから飛んで来たらヘリヤさんはどうしますか?」

「よけます。」

「でしょう? 暗器ですから距離が開くと効果が薄くなるんですよ。」


 ヘリヤは車剣に向いた急回転打法を教わり、銛盤手裏剣を標的となる木の柱に投擲する。コーンと小気味好い音と共に、手裏剣が深々と刺さる。

 投擲するヘリヤの姿に磁雷矢じらいやは目を見張る。構えから投擲までの挙動が目で追えない速度であったからだ。その投擲から繰り出されたからだろう。手裏剣が斧で木を切る様に大きな音が出る程の威力が出ていたのだ。もはや主武器として扱っても差し障りがないレベルであった。


「お見事! とても初めて扱うとは思えないですね。とても綺麗に投げられてますよ。」

「ありがとうございます。ナイフと違って肘から先しか使わないんで的が狙い易かったです。」

「では、棒手裏剣を投げて見ましょうか。ナイフの投擲と似ていますが持ち方が全く異なります。ほら、この様に手の平と伸ばした指で挟む様に持つんです。」

「こうですか? 手の中に隠してるみたいですね。」

「ええ、暗器ですから。小乃このちゃんが手裏剣を使った時、見えてました?」

「ああ! 確かに投げられるまで判らなかった! なるほど、隠すから効果が高くなるのか。」

小乃このちゃんの流派は、投擲の挙動自体に奥義を幾つも持ってますから猶更判り辛いですよ。」


 ヘリヤは棒手裏剣の投擲打法三法と、上手で投擲する直投げ、下手から投擲する逆投げと、二つの投擲姿勢を教わる。直打法はナイフ投擲で言うところの無回転打法と同等な技法であり、彼女が修めた投擲の技にもあり馴染みが深いものであるが、回転打法は投擲物を一回転しかさせないと言う点では初めての技法となる。そして投擲の際は肘から先しか使わない点も新鮮であった。近距離、しかも暗器として使用するならば、即座に投擲が出来る合理的な運用方法なのかと彼女は納得する。


 コーンと手裏剣の打突とは思えない高い音が響く。


「うん、これはなかなか面白いな。」


 打法を変えて再び投擲する。

 コーンと再び音がする。

 投擲姿勢を変え、打法を変え、投擲を続ける。

 途中からヘリヤが仮想で誰かの相手をしていることを感じた磁雷矢じらいやは、気を利かせ、的を畳に交換した。


「これなら相手に当てやすいでしょう。」

「おー、これならイメージし易い! ありがとうございます。」


 また教わった打法を繰り返し、投擲を続けるエリア。その顔は楽しんでいる子供と何ら変わりない。

 たまに、「お?」「やるなぁ」などの見えない敵に対して言葉をかけたりもしていた。

 気付けば2時間近くを手裏剣の投擲に費やしていた。


「随分、楽しんでいただけたようですね。途中から狙う場所を変えてたでしょう?」

「いやあ、面目ないです。ついつい相手のどこに当てるのが効果的か色々試しちゃいました。」

「上手く当てられましたか?」

「ダメですね。全部回避されました。」


 嬉しそうに笑いながらヘリヤが答える。自分の投擲技ではまだまだ驚かせる程には到達していないなぁ、と呑気に構えているが、そもそも投擲とは言えヘリヤの攻撃を躱す相手など指折り数える程度だろう。


「どちらの方を相手に投擲したんですか?」


 磁雷矢の問いに明るく答えるヘリヤ。


「ティナです。あの娘も特殊な技を沢山隠してますから。せめてビックリはさせたいなぁ。」

「ああ、ティナちゃんですか。彼女も言うなれば西洋の忍者みたいですからね。上位者しか判らないフェイントを使って罠を仕掛ける度胸も大したものでした。」

「あたしなんか、剣を折られてますから。坩堝の剣が折れるなんて思いもしなかった。アレでまだ全部全武術出していないところが楽しみですよ。」


 子供の様な笑みを浮かべるヘリヤ。

 しかし、その眼差しは遥か遠くを見ている。

 まだ見ぬ武術と出会うことに思いを馳せて。


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