02-012.京姫のこれからに向けて…カウンセリングです?

2156年4月13日 火曜日

 まだまだ陽が昇る気配もない早朝4:00過ぎ。玄関から門までのアプローチへ等間隔に配置された間接照明と、屋敷に据えられた夜間用照明が広い庭を薄暗く照らしている。

 それでも闇と影との区別がつかない空間で、うごめくものが認識出来る程には光が届いている様だ。

 ゆっくりと動く影は輪郭が闇に溶け込みそうではあるが、確かにそこへ存在していることが判る。音もなく、ゆっくりと決められた動作を繰り返す。


 花花ファファである。

 もったいぶった出だしではあるが、彼女は朝4時に日課の鍛錬を開始している。既に彼女の生活の一部であり、顔を洗う、歯を磨くと等しい。季節寒暖関係なく、雨と雪が積もっている日以外は屋外で2、3時間程、鍛錬する。


 今は、套路とうろと呼ばれる型稽古、洪砲捶百八拳、五套捶、陳式長拳、十五洪、十五砲の5つをゆっくりとした動作で行っている(慢練と呼ばれる鍛錬法)。

 一通りの型稽古が済んだ後は、震脚や跳躍を含めた動の鍛錬に移る。彼女が修める流派は、豪快な震脚と纏絲勁てんしけいによるけいの発動を得意としている。


 けいとは、動作の遅速や体格、つまり筋力に発動速度や威力が一致するものではない。身体の中で練ったけいを対象に触れることで威力を伝え相手を破壊する。

 花花ファファの強力な螺旋を帯びた纏絲てんしは、震脚の鍛錬により生まれている。脚から発生した纏絲てんしを全身に巡らせ蓄え、弓を引き絞り矢を放つが如くけいを放つ。


 ダン、ダンと、豪快な震脚をすることで生まれる音が薄暗くなってきた庭に響く。

 そこへ、もう一つ影が現れた。


「おはよう。相変わらず朝が早いな、花花ファファ。」

「おはようヨ。京姫ジンヂェンも鍛錬するヨ?」

「ああ、今日から小母おば様に稽古をつけて貰うからな。身体をほぐしておこうと思ってな。」


 現在時刻は、朝6:00を過ぎたところである。あと半時間もすれば日が昇る。


しっ!」


 ヒュッと、素振りをする京姫みやこの木刀から風を斬る音が聞こえる。花花ファファも武器の鍛錬に入ったようで、模造の中国単剣を振るっていた。


「おはようございます。二人とも朝早くからご精勤ですね。」


 7:00を過ぎたところでティナがフラリと現れる。普段着の姿から見るに、早朝鍛錬で訪れた訳ではなさそうだ。


「もう30分ほどで、朝食の時間です。二人ともそろそろ切り上げて身だしなみを整えてください。」

「もうそんな時間か。」

「自分でご飯作らナイと時間長くつかえるヨ。」


 花花ファファ達、中国組は自分で食事を作ることが多い。朝晩のみならず、昼の弁当を持参することもある。なにせ、寄宿舎の横に勝手に厨房を建てたりするくらいだ。昼などは、ティナや京姫みやこもご相伴に与ることもある。


 二人はシャワーを浴びてサッパリしてから食卓へ入って来た。既に配膳が開始されており、ギリギリ間に合ったところと言えるだろう。まぁ、ゲストとして訪れている訳なので、あまり早く食卓へ向かうと暗に催促していることにななってしまう。この辺りは難しいところで、通常なら呼ばれるまでは自室で待ってる方が良いとされるだろう。彼女達の場合は家族との親密度が高いため、細かいことを気にする段ではなくなっているのだが。


「おやようヨ!」

「おはようございます、皆さん。」

「ふぁーふぁ、みゃーみゃ、おはよう!」


 ハルは朝から元気いっぱいで二人へ交互に抱き着く。京姫みやこ花花ファファが、ハルの頬や頭を撫でてやると嬉しそうに笑うところが可愛く思う。


「ああ、おはよう。よく眠れたかい?」


 家長のヴィルは何気なく聞いてはいるが、環境の変化で睡眠が浅くなる場合があるため、ゲストの回答とその様子を見て改善すべき点があるか確認している。


「あら、おはよう。あなた達、朝から早いわね。さあ、二人とも席について。」


 母ルーンは、朝っぱら二人が鍛錬しているところを窓から見ていた。この家で鍛錬と言えば、日中、もしくは夜に行うため、早朝の鍛錬を見るのは珍しいのだ。


 ドイツやエスターライヒの食事は、朝晩は冷たい食事、昼がメインとなる温かい食事を摂る習慣がある。そして、間食として10:00くらいに簡単な食事を摂る。学園生達も授業間の休息時間にサンドイッチやフルーツなどを摂っているところが日常風景のひとつである。

 本日も定番のメニューで、ライ麦や穀物で創られた丸い黒パンであるブレートヒェン、ハムやサラミ、ソーセージなどを薄く切った物、卵立てに置かれた茹で卵、チーズとバターやジャム、そしてコーヒーとなる。

 ベリーやオレンジなどのフルーツ、ヨーグルトやシリアルなどが一緒に出ることもある。

 この丸い黒パンの正式な食べ方は、ナイフで真ん中から2つに分けてバターなどを断面に塗り、ハムやチーズを挟みサンドイッチにしたり、パンに具材を乗せてオープンサンドにする。一口ずつ千切って食べるとビックリされ、正しい食べ方として先に記載した方法を教えられる。これは、食べ方の強要ではなく、作法として在るのだ。例えば外国人が、ざる蕎麦をナイフとフォークで切り分け、蕎麦つゆをスプーンで飲むような食べ方をされたら注意するだろう。こう食べるんだと。内気な日本人客なら見てるだけかも知れないが、少なくとも店側が対応する。


 食事の風習に関しては、ゲストである花花ファファ京姫みやこもドイツで2年近く暮らしていることから慣れたものである。サクサクとパンをナイフで切り分け、花花ファファは具材てんこ盛りのサンドイッチ、京姫みやこはオープンサンドで頂いている。彼女達の飲み物は、グレープフルーツジュースだ。筋肉を柔らかくする効果がある。


 この家で食事時の主役は幼いハルである。子供用の座面が高い椅子に座り、お行儀よくパンを食べているハルが目に留まるが、やはりポロポロとパン屑が落ちていくことに見ている者の笑みを誘う。ティナが甲斐甲斐しく世話をしており頬に付いたパン屑などを取ってやると、ニコリと笑みを返してくる仕草に皆が癒されるのであった。



 朝食を摂って一くつろぎした後の現在。

 母ルーンを筆頭に、ティナ、花花ファファ京姫みやこは道場に来ている。ハルも興味があるのかチョロチョロと着いてきた。


 母と京姫みやこの鍛錬初日は、打ち合いをする訳ではないので二人とも道着姿である。道着と言っても流派の違いからルーンは綿で出来た身体に密着する上下。京姫は合気道などの袴姿。

 そして、組手を行うティナと花花ファファは、騎士シュヴァリエ装備から鎧を外した姿であり、拳に練習用のオープングローブを嵌めている。

 ちなみに、ヨーロッパの剣術道場であるため、床は石畳となり靴を履くのが前提。京姫みやこ騎士シュヴァリエ装備の草鞋わらじを履いている。

 ハルは、壁際にあるベンチに座り、脚をプラプラさせて皆の挙動をキョロキョロと楽し気に見ている。


「さて、京姫みやこ。準備は良いかしら?」

「はい。よろしくお願いします。」


ルーンは目を瞑り頬に指を当て、少し考えこんでいる。ややあと目を開けて京姫の顔を見ると言葉を紡ぎだす。


「春季学内大会の予選ベスト8までの試合と、本選の2戦目にヘリヤと当たるところまで一通り見させてもらったわ。」

「それを見た上で私の主観で話すから、京姫みやこは内容に補填してちょうだい。」

「解かりました、小母おば様。」

「簡単に流すわよ。予選の1、2、3試合目まで、あなた迷ってたでしょ。どお?」

「……はい。おっしゃる通りです。」

「どんな風に迷ってたのか聞かせて?」

「はい。あの時は私はこのまま高みに辿り着けるんだろうか迷っていました。ティナは目標のために淀みなく先を目指していましたし、花花ファファは自分を成すもののために精進していました。」

「少なくとも、私が見上げなければ見えない高みに居ることは感じていました。」

「ふーん、なるほどね。それでどうしたの? あのおせっかい焼きのたちは何か言ったでしょ?」

「ええ、花花ファファが、やれることはやる、やれないことはやれない。だからやれることをやれるように積み重ねるのが大事だと。」

「あー、あの、ちょっと達観してるところあるわね。実体験だろうから重みが違うのよね。それから?」


 ルーンは「私の主観で話す」とは言ったが、京姫みやこ自身に話をさせるための取り掛かりとした言葉であった。補填させるのは最初だけで、後はそれが自然であるかの様に話の続きを促す。これから話の核心が出てくるだろう。


「予選ベスト8戦の前、控室にヘリヤとエイルが入って来まして。ヘリヤは花花ファファの意見に同調していました。自分は基礎しか出来ないからと。」

「その時エイルは、ヘリヤがずっと基礎を磨いてここに在るとおっしゃってました。そしてヘリヤはアズ先生、失礼【永世女王】からの評価が未だに騎士シュヴァリエとしては凡庸と伺いました。」

「それでもヘリヤが出来ることを出来る様に積み重ねた結果、その遥か先まで辿り着いたことを知ったんです。」


 ここで言葉が一度途切れる。ルーンは内容を纏める。トリガーは花花ファファの一言。その言葉を裏付ける様に体現し、更なる向こう側頂点の先へ行ったヘリヤ。


「(成る程、そこがターニングポイントよね。意識の持ち方が明確に変化したんでしょう。)」

「そう。予選ベスト8を戦う時は、どんな気持ちだったの?」


 どの様に心を置いていたのか知ること。そして喋らせることにより、再認識させること。それがこの問答の真意である。


「エイルとヘリヤの話を聞いて、少し気が晴れたというか…。そして試合の時、不意に花花ファファの言葉を思い出していました。やれるコトをやる、やれないコトはやれないと。」

「そして、テレージアは強敵でした。想定外の立ち回りに翻弄されて。でも楽しかったんです。」


 ルーンはその言葉に笑みをたたえて頷く。それで良いのだと言う様に。


「気が付くと自然と技が出ていました。身体が先に動いてから思考が追い付く感覚でした。」

「テレージアには色々と教えられました。武術というものの奥深さを。」


 その時のことを思い出したのだろう。京姫みやこの目元は細くなり、口元に笑みが浮かぶ。

 心持ちの変化が訪れてから、最初の相手に恵まれたと言える。テレージアは、Zweihänderツヴァイヘンダーを片手に自身の目指すものを明確に定め、愚直な程に邁進する騎士シュヴァリエである。熟達者が見れば、彼女の技は西洋剣術のそれなれど、戦いそのものが独自性に溢れており、解釈により武術が持つ可能性はまだ果てがないことを思わせる。


 次の本選第一試合。小乃花このかとの戦いでは、覚えた技を只使うことだけを考え、余分な思考を除いた。

 そしてヘリヤとの一戦。今の自分がどれだけ出来るのか、全てを見せるつもりで刀をふるった。不思議と心が穏やかに澄み渡り、自分自身と世界が溶けて混ざった瞬間。思考も剣も境目がなく、当たり前の様に技が放たれた。


「ありがとう、良く判ったわ。あなたは良い対戦者と出会えたのね。だからこそ、のね。」


 ふぅ、と一息吐き、ルーンは今後の方針を決める。


京姫みやこ、あなたは普段の心の置き方を頭に覚え込ませましょう。」

「心の置き方ですか?」

「そう。焦らず、捕らわれず、常にリラックスした状態を保つこと。普段からいつでも切り替えられる様に覚え込ませるの。」


 これは、ゾーンに入る前のフローと言われる状態を作り出すことだ。ソーンに入るために精神を鍛練したところで効果はない。普段からフロー状態にあることが最も大切なことだ。

 例えば勝負事などで負けそうになると焦りが出たり、相手の強さから苦手としたりするのは、全て脳が判断しているからである。こうなった場合、ゾーンには決して入れない。

 ならば、その思考に陥らない様、普段から精神状態を安定して置くことで、どの様な状況でも自身の全力を出せる様に導く。

 ゾーンとは極度の精神集中による産物で、自身でその状態を自由に引き出せるものではない。京姫みやこの場合は、自分の全てを出し切ることのみを是としたことで、ゾーンの状態に入り、そこから三昧サマディに片脚を踏み込んだ。


 だから、彼女の精神状態がトリガーであると言って良い。ティナと違い本来在るべく姿である。

 ルーンは、最終的に京姫みやこが常時フロー状態でいられる様に導くつもりだ。いつでもゾーン状態に入り易い態勢を整える。何せ、京姫みやこの望む世界はその先にあるからだ。


「ちょうどいい雑音があるから、この状態で始めましょうか。少し待っててね。」


 そう言ってルーンは、燭台と蝋燭を持ってきた。そしておもむろに蝋燭へ火をともす。京姫みやこにとっては何が始まるのか全く分からない。


「楽な姿勢で、蝋燭が尽きるまで火を見ていなさい。但し、何も考えずに、よ。」


 これには京姫みやこも面食らう。が、事前に心の修養と言われており、これは必要なことなのだろうと受け入れる。

 燭台の前に正座し、火を見つめる。小さく揺らめく火を見ていると、先日までの戦いが頭をよぎる。


京姫みやこ、何も考えずに、よ。」


 そう言われて京姫みやこは、いつの間にか思考の渦に嵌まっていたことに気付く。今度こそ何も考えずに見ようと思うが、その思考自体も邪魔となるのだ。その次は、外から聞こえてくる音が敵となる。組手をしているティナと花花ファファが想像以上に喧しい。意識をしっかり持たないとすぐ気を散らしそうだと、また余分な思考が生まれる。何も考えないこととは中々に難しい。

 更に10:00になると、間食の時間が取られて集中が乱されたりする。外部からの刺激に平静となれる様、わざとルーンが組み込んだことなのだが。


 何度か同じ注意を受けて、ようやく少しずつではあるが余分な考えが減っていった。初日にしては優秀である。



 こうして京姫みやこは、ルーンと共に修行風景とは見えない時間を粛々と午前中一杯こなすのであった。


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