御守り
阿宮菜穂み
御守り
冷たい北風が吹き、落ち葉が舞う。近くの木々には盛大に熟した赤橙色の柿が実を付け、今にも落ちそうだ。
冬が近づいて来たのを知らせるように、最近は陽が暮れるのが早くなって来た。今も太陽は完全には落ちていなく、その全容の3割程度が地の上に出て空を茜色に照らしている。
不意に強い風が光太を襲った。大したことは無かったが、軽くかぶっていた黄色い帽子は光太の後ろ10メートルくらいまで飛んでいってしまった。風が止んだ後、黄色い帽子を取るために後ろを向くとそこに……。
――女の子がいた――
長い髪を2つ結びにして肩に靡かせている少女が、光太から20メートル離れた電柱から顔を出してこちらを見ている。
(みない顔だな)
と光太は思った。この町は人口が少ない田舎であるため、知らない人より知り合いの方が多いのだ。小学6年生の光太も子供だから知らない人も多いが、たいてい「水田」という苗字を出せば、この町の人はわかる。それは町唯一の寺が光太の家だったのもあるが、1番は父の人当たりの良さとそれに比例した顔の広さであろう。だから、その父の息子である光太ももちろん顔が多少は広く、父の知り合いが家に来ることもよくあったため、父の知り合いの多くとは会ったことがあった。
しかし、この女の子は見たことが無い。
「君、どこの子?道に迷っちゃった?」
光太は父譲りの人当たりの良さを発揮して訊いた。しかし、女の子な何も答えずただこっちを見ている。その目は何の感情も籠もっておらず、まるで人形のようであった。
「どうしたの?大丈夫?」
と問いかけを続けながら、少女に近づこうとするとまたさっきの風が吹いた。しかも今度は下から吹き上げる嫌なやつで、辺りの落ち葉を吹き上げさせた。
光太は目にゴミが入らないように、咄嗟に目を瞑った。風が止んで目を開けると、少女はいなくなっていた。どこを探してもいない。
光太は夢でもみているかのようだったが、もちろん夢などでは無く、実際に起こった事実なので困惑した。
* * *
「わあ!!」
次の日学校へ行き教室に入ると、友達の
「うわぁ!拓也、脅かさないでよ」
教室には拓也しかいないようだ。拓也はいつも1番に学校に来て2番目に来る人を脅かしていた。
「今日は俺が2番目かぁ」
「そだよ。でも珍しいなあ、光太が2番目なんて」
光太はいつも教室に人が十数人いる頃に登校して来る。そのため、拓也はそれを不思議がった。
光太は昨日あった出来事で眠れなくて、眠れたと思ったら朝だったことを正直に拓也に説明した。
「それは不思議だな~。なあ、それ親に言った?」
「母さんには言ったけど、適当に流されちゃって……。父さんは昨日遅かったから……」
「まあ、小学生のガキが言う奇妙なことを信じてくれる大人なんていないもんな」
こんなこと大人にとっては大したことではないが、小学生でしかも田舎という狭い世界に住んでいる好奇心旺盛な子供にとっては、「こんなこと」でも大事件だ。
「よーし。じゃあ今日の放課後、一緒にその子を見つけようぜ!」
拓也の提案に光太は「うん!」と大きな返事をすると同時にドアが開いて3番目のクラスメイトが登校してきた。
それに伴い、光太と拓也は声のボリュームを落とした。
なぜか、大人や他の人にバレてはいけないような気がした。だが、そんなバレてはいけないようなことをするのが子供心にちょっと楽しかった。
* * *
放課後になり、みんな帰って行く。それぞれグループになって帰ったり、はたまた1人で帰って行く子もいる。みんな人数や、進む方向は違うが寄り道をしたりしながらも最後には必ず、各々の足取りはそれぞれの家という同じものに向かう。
「そのストラップ可愛いね」
ある女の子たちのグループが話してるのが耳に入った。
「こないだ、旅行行ったときに買って貰ったの」
その子もそうだが、みんな凄い量のストラップをランドセルに付けている。
光太は自分のランドセルを見た。そこには6年間使い古した紫色の御守りが1つだけあった。
(別にああいうストラップがほしい訳ではないが……。)
少し、羨ましい。
「わりぃ、わりぃ。待った?」
先生に呼び出されて、遅れて来た拓也が言った。
「当たり前だろ」
光太はわざと機嫌の悪そうな口調で言った。それに慌てて、拓也は平謝りして来る。
「すまん、遅れて。」
光太は冗談で言ったのに、あんまり謝られて申し訳無かったのですぐに「ごめんよ。冗談なんだ」と顔を赤らめながら言うと、拓也は「なんだ、冗談か。なら良かった」と笑ったので、2人で破顔して笑った。
「今日、いろんな生徒や先生に訊いたみたけど最近転校してきた子もいないし、これからも今のところは転校なんて話はないらしいぜ」
「拓也、お前。先生にまで訊いたのか!?お前すげーな」
拓也は照れて笑っていた。拓也は居酒屋の子供なので、口が達者なのだ。
「とりあえず、手がかりがありそうなのは昨日、光太がその女の子とあった場所だけだから、そこで待ち伏せしようぜ」
* * *
「誰も来ねえな」
小1時間程待ち伏せしていたが何も起こらないため、しびれを切らした拓也が言った。
「まあ、そもそも人通りの多い道じゃないし……」
「まあな。ていうか昨日、その子を見たのはいつだった?」
何時だったっけ?と光太は頭を抱える。すると、光太の家の寺の5時を知らせる鐘が鳴り出した。
「あ!そういえば、あの子と会うちょっと前に鐘がなってた!!」
それだ!と拓也も確信を付くように行った。
途端、強い風が吹いた。2人とも帽子が飛んでいかないようにグッと押さえた。
「今の風なんか変だったな」
拓也の問いかけに「そうだね」と頷きながら、念のためさっきの風でなにも落としていないか辺りを見回す。すると――
「拓也!拓也!」
「何だよ。珍しいもんでもあった?」
「いた」
「え、まじ?」
やっと状態を理解出来た拓也が辺りを見回す。
「どこどこ?」
「しぃー!そんな騒いだら、あの子が怖がっちゃうだろ」
「そっか」
2人は声のトーンを下げた。
「あそこ。あの電柱のとこ」
「え?どこ?」
「え?あそこあそこ」
光太は女の子がいる、自分たちから10メートル程離れている電柱を指差した。
「え、だからなんもいないじゃん」
「はあ?よく見ろよ。あの電柱」
「え。だってこれだろ?」
そう言いながら、拓也は電柱のところまで駆けていって電柱に触った。
「えっ」
光太は絶句した。なぜなら、拓也が電柱を触ったらそれが女の子に触れた。しかし、その場に女の子はいないかのように拓也がすり抜けた。
拓也と女の子が重なって見える。まるで信号が点滅するかのように拓也と女の子が交互に現れる。
気持ち悪い。光太はその場に座りこんだ。
「拓也……。そいつは俺にしか見えないらしい」
「はあ?そんなことあるかよ。もしかして、ユーレイとか言うんじゃないだろうな」
「ごめんけど、多分そういう類いのやつだ。離れた方が良いかもしれない」
拓也が離れるとまたさっきの風が起こり、顔を上げるともうそこに女の子はいなかった。
「光太、お前顔色悪いぞ。まさか、さっきの話本当なのか?」
光太はなにも答えなかった。それが無言の肯定と察した拓也は、別れ際にわざとふざけて「明日、学校さぼんなよ」と言って帰って行った。
* * *
翌日、光太は教室に入るとやっぱり拓也がいた。
「おっはよー!」
拓也は素っ頓狂な挨拶をして来る。幸い、昨日のことはすでにしっかりと頭の中で整理がついていた。
光太が挨拶を返すと、拓也は光太の顔色を伺った。その目はあからさまに「昨日のこと、訊いても大丈夫?」という問いかけの目だった。だから、こっちから切り出した。
「昨日のあれ。拓也には見えて無かったんだよね」
昨日の今日なのに、立ち直っていた光太にびっくりしてか拓也は一瞬躊躇ったが、すぐに口を開いた。
「そうだよ。光太にはどう見えてた?」
光太は昨日感じたこと全てを言葉や身振り手振りで、拓也に伝えた。
「へえ、なんか大変だな」
拓也は少し他人行儀な返事をした。でもまあ無理もない。拓也には見えないのだから。
「よく信じたね。俺だったら、きっと信じないよ」
「だって、光太は嘘つかないもん」
拓也は屈託の無い笑みで言った。それがどれだけ嬉しいことか、まだ小学生の光太にはわからない。ただ、信頼されているということだけはわかっていた。
* * *
放課後、今日は拓也と一緒にただ帰るだけにした。昨日の今日で2人とも怖くなって、もう1回探そうだなんて言いだすことはなかった。
帰り道を2人で歩く。光太と拓也はお互いに気を使って、昨日のことに触れないように適当な話をしていた。もちろん、そんなことをすると話が途切れた時に変な間が空いてしまう。
そのいや~な間を埋めようと、光太は話題を探すために周りに目を向けた。すると、4年生の男の子たちが集団で話しながら帰っている。
「おお!そのキーホルダーかっけー!!」
1人が言いだす。そのキーホルダーはギラギラに光っていた。それに周りもざわめきだつ。
「わあ、マジだ。かっけえ」
光太は少し歩くスピードを緩めて、拓也のランドセルを見る。そこにはキラキラしたものなんてもちろんなかった。
(まあ。それは俺も変わらな……)
あれ?
昨日まで付いていたはずの御守りが消えていた。
(ちぎれちゃったのかなあ)
まあ、いいや。
もうボロボロな御守りだったため、光太はしょうが無いと思って特に気に留めなかった。
拓也と別れるT字路に辿り着いた。
「じゃあな、拓也」
また、明日な。
拓也は寂しそうな目をしていた。その顔に表面的な笑顔をくっつけて、「じゃあね」と言う。拓也はいつも別れ際になると、こんな目をする。
拓也の家は居酒屋をやっている。そのため拓也の両親は、朝は早くから料理の準備をして、夜は遅くまで立ち働く、大変忙しい身だった。拓也は賢いため、それをしっかりと理解して両親に迷惑をかけないよう、仕事の邪魔にならないようにと最低限の気配りをしていた。だから、朝は邪魔にならないように学校へ早く行き、夜は店を閉じるまで家に帰らない。
拓也は家に居場所がなかったのだ。
しかも今度は、自分だけ見えないと来た。寂しさを感じるのは当たり前である。拓也は自分が人の役に立つ存在になりたかったのだ。
光太は静かに拓也を見送った。
夕日が光太の影を濃くする。拓也と別れたあと、光太は1人で考えていた。
(独りっていうのはどれ程辛いことなんだろう……)
「カア」と鳴いて、飛んで行く鴉の群れの声をかき消すかのように5時の鐘が鳴り響く。
(あの女の子ももしかしたら、寂しいだけなんじゃ……)
強い風が吹いた。それを自然と目を瞑って、凌ぐ。目を開けた次の瞬間、光太は驚愕した。
あの女の子が目の前にいたのだ。
光太は硬直して、動けなかった。すると
「寂しい」
確かに聞こえた。
「私はいつも独り」
――サミシイ――
しっかりと聞こえるが、これは耳から聞いているというよりは頭に直接響いているようだ。それに合わせるように、女の子は口をパクパクさせている。「寂しい」と言われて、それが拓也と重なってほっておけなくなった。
「どうしたの?」
光太は今までの恐怖も忘れて尋ねた。
「お父さんも、お母さんも死んじゃった。そして私も……。」
光太はその言葉を聞いて、いてもたってもいられなくなった。拓也の事があってか、「寂しい」という言葉に敏感になっていたのだ。
「俺で良かったら、一緒に遊ぶよ」
「ホントに?」
女の子の顔は嬉しいためか、笑顔になった。しかし、その笑顔はぎこちなく無気味だった。
「こっち来て」と女の子が光太を導く。「どこ行くの」と訊くと、夕日を見に行くという。
女の子は光太の一歩手前を行く。光太は一度彼女とぶつかりそうになったが、そうはならなかった。体がすり抜けたのだ。光太は彼女が幽霊だということを改めて実感した。
陽が傾いてあと少しで落ちそうだ。そんな中、光太と女の子は山の中を歩いている。どこまで行くのかと思っていたら、急に視界が開けた。
きれい……。
つい声が漏れた。着いた場所は下が川になっている30メートル程ある崖で、目線の先には陽に照らされた空が赤くなっていた。
夕日に感動して、しばらく2人は空白の時間を過ごした。
「最初はなんで声をかけてくれなかったの?」
最初に静寂を終わりに導いたのは光太だった。それは「最初から話しかけてくれれば良かったのに」という素朴な疑問であった。
「近づけなかったの……。御守りがあったから……」
光太は納得した。御守りは持ち主に
光太が一人で早合点していると、女の子は言葉を続けた。
「そう……。今はもう」
ジャマナモノハナイ
その瞬間風が吹き、女の子が光太の視界から消えた。それと同時に足を誰かに捕まれ、崖に引き摺り込まれる。急なことに対応できなかった光太はすぐに、崖から放り出された。
放り出されると、崖の下までしっかり見えた。光太の足を掴んでいた手は崖の下まで伸びている。その先に目の玉が無く、空洞になった目から血をダラダラと流したあの女の子が満面の笑みをしていた。
光太は凄まじい勢いで落下しているため、目を瞑った。これが夢であってほしいと思ったのだ。
耳元で風を切る音が常に聞こえる。その中に違うものが混じった。
「もう寂しくない。これでずっと一緒だね」
この言葉を聞いた刹那、鈍い音と共に光太の意識は途絶えた。
次に気が付いた時には、あの女の子と手を繋いで歩いていた。
女の子はルンルンとスキップをしている。
次は誰にしようかな
御守り 阿宮菜穂み @AmiyaNaomi0322
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