第6話 エピローグ・夏告げ鳥の頃
今朝、今年最初の夏告げ鳥が啼いた。リリ、リリ、リリ……と。
だから、リリ、今日は君に逢いに行こう。リリ、リリ、俺の美しいリリ。
朝露を踏んで君に逢いに行こう、花束を掲げて君に逢いに行こう、リリ、リリ、俺の美しいリリ。
緑の森のまんなか、夏のはじめの光の中で、君は空に向かってたおやかな枝をいっぱいに広げ、輝くような金色の花房をびっしりとつけて静かに佇んでいる。
リリ、リリ、俺の愛しいリリ。人だった時も、木になってからも、君はとても綺麗だ。
森じゅうの光を集めたみたいにかがやかに明るむ満開のマリリカの木は、人だった頃の君の笑顔のようだよ。
去年の夏告げ鳥の頃に、リリはマリリカの木になった。
そうして今年はもう人の背よりも高く育って、見上げる頭上いちめんを金色の花房で埋めて、甘い香りをふりまいている。
君が好きだった薄紅の花束を根本に置いてすんなり伸びた幹に寄り添うと、頭の上から、金色の花と一緒に、君の楽しげな笑い声が降ってくるみたいだ。
明るく華やかなマリリカの木はほんとに君らしいって、いつも輝くように笑ってた美しい君にぴったりだって、みんなが言ってたよ。
リリ、リリ、リリ……と、君の梢で夏告げ鳥が歌う。まるで、釣鐘の形をした小さな花が風に鳴っているみたいに。
俺はマリリカの木に寄り添って、じっとその歌を聴く。
リリ、リリ、リリ……と、夏告げ鳥が啼く。リリ、リリ、リリ……と、無数の金色の鐘が鳴る。リリ、リリ、リリ……と、俺の心が君を呼ぶ。
滑らかな木肌にそっと手を触れて目を閉じれば、君の声が聞こえる気がする。君の笑顔が目の裏に浮かぶ気がする。リリ、リリ、俺の美しいリリ。俺ももうすぐ、君のところへ行くよ。たましいたちの住む
俺はずっと、ある朝とつぜん寝床の中で冷たくなっている人たちはみな、何の前触れもなく、自分が次の朝になると死んでいるなんて知らないままに死んでゆくのだとばかり思っていた。俺だけじゃなく俺たちみながそう信じて暮らしてるように。
でも、自分にその時が来て、そうではないのだと知った。
もうすぐ死んで木になる人は、たぶんみんな、ちゃんとそのことを自分で知っているんだ。ただ、それを誰にも言わないだけ。言ったってしかたのないことだから。
俺も、自分が木になる日がもう近いことを、誰にも話していない。俺がそのことを知っていると、誰も知らない。俺はそれを最後まで誰にも話さないまま、もうすぐ死んで、木になる。
みんな、そうしてきたんだね。どんなにおしゃべりな人だって、どんなに愛する人にでも、みんな、それを言わずに死んでいったんだ。リリ、君も、きっと。
でも、もう木になっている君には、そのことを言ってもいいよね。
だから俺は、今日、君に逢いに来たんだよ。人の姿で君に逢えるのは、たぶんこれが最後だから。
初めての恋の季節を君と共にしたあと、俺はまた幾度かの恋の季節を経たけれど、君と過ごした初めての恋の季節の思い出は、俺の心の中で今も特別に光り輝いている。今まで結ばれたどの恋人たちのことも心から愛しているけれど、初めての恋の季節を、そして二回もの恋の季節を分かち合った君は、俺にとって、やっぱり特別な恋人だ。
君との間に生まれた子供たちは、ふたりとも元気に育っているよ。きっともうすぐ恋の季節を迎えて、子供たちの、そのまた子供が生まれるだろう。
子供たちのそのまた子供たちも、きっと、木になった君のところにときどき逢いに来てくれるよ。そして、俺のセレタの近くで木になる俺のところには、セレタの甥っ子たち、姪っ子たちやその娘たち、息子たちが来てくれるだろう。
そうやっていのちが受け継がれ、何世代もの後にはもう、木になった俺たちが生きていた頃はなんという名前のどんな人だったかは忘れられ、ただ『ご先祖様の木』として慕われるようになって、さらにまた何世代も経つ頃には、混みいってきたセレタが森が導く別の場所に移動し、元の場所に残された俺たちは、ただ名前のない一本の木として、森の一部になる。そうしてきっと、恋の季節には、セレタを離れて森に分けいった若者たちが俺たちの枝に並んで座って愛を語るだろう。俺たちはそんな恋人たちを娘のように息子のように守り慈しんで、新しいいのちの芽生えを寿ごう。すべての恋人たちが、木となり森となった俺たちの娘や息子であるのなら、この森でこれから生まれてくるすべての子供たちは俺たちの孫で、森の子供たちだ。俺たちがすべての先祖たちの孫であり、森の子供であるのと同じように。
そうしていつかはその木も倒れ、土に還るだろう。それでも俺たちは、居なくならない。土に還った木は、森のいのちの一部だ。この森があるかぎり、俺たちはその一部となって姿を変えて生き続ける。
俺たちは、一本の大きな木に咲くたくさんの花のようなもの。花はひとつひとつ別々に咲いているけれど、本当は別々のものじゃなく、同じ一本の木の一部、一本の木の中を巡る大きないのちの流れの一部なんだ。
だから俺たちは、人の姿を無くしても、いつか名前を忘れられても、いなくなんか、ならない。実を結べば花びらは散り、花としての形は失うけれど、大きな木は生き続ける。森はその、大きな木のようなもの。森という名の大きな木が生きているかぎり、その木にひととき咲いた小さな花である俺たちも、森の一部として生き続ける。俺たちのいのちは、この森がある限り、消えることがない。
うつし世のこの森と重なって存在する見えない真実の世界<影の森>では、森じゅうのすべての木々の根っこが、地面の下の<根の国>で、ひとつに繋がっているという。<影の森>は、全体がひとつの大きな木なんだ。
だから、もうすぐ俺が木になった時には、俺と君は、永遠にひとつになるんだよ。根っこでひとつに繋がるんだよ。俺も、君も、俺たちの母や父も、先に死んでいったきょうだいたちも、赤ちゃんのうちに死んでしまった俺の二人目の息子も、みんなみんな一緒に。
だけど、別々の身体を持って生きている時にも、俺たちはみんな、本当はいつもひとつに繋がっていたんだね。同じ一本の木のそれぞれの枝に咲く花として。森というひとつの大きないのちの一部として。
俺たちは一度も独りだったことがないし、永遠に独りになることはない。
だから俺たちは、こんなに互いを愛するんだね。本当はひとつのいのちだって、知っているから。
夏告げ鳥が啼いている。リリ、リリ、リリ……と。光のなかで、世界が君の名を呼んでいる。
リリ、リリ、リリ、俺の愛しいリリ。人の姿の君と愛しあうことができて、俺は幸せだったよ。
今日は人の姿での最後の別れに来たのだけれど、俺たちはこれからまた出会うんだ。時の
俺たちはそこで、ひとつの大きないのちになって、森そのもののいのちになって、俺たちの森を、森に生きる仲間たちを、いつまでも愛し、見守り続けよう。
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