第7話  番外編 テル・トールマンの手記(1)

☆この作品は、『〈森の民〉の物語』の、お遊び番外編です。

☆『語り部キャラクター「テル」を共有して、自分の持ちネタ小説にゲスト・キャラクターとして登場させ、作品紹介を兼ねた番外編を書いて遊ぼう』という趣旨の競作企画『テルの物語』(企画終了済)の参加作品です。


        ****



 髭を引っ張られて目が覚めた。

 ぼんやりと薄目を開けると、目の前にでかでかと、ぬいぐるみの顔があった。顔面部分に毛がなく、バラ色の頬の人間の幼児の顔をした、擬人化されたタイプのぬいぐるみである。しかし、なんとまあ精巧な造形だ、柔らかそうな肌やキラキラと輝くつぶらな瞳など、まるで生きているようだ……と、思った瞬間、その『ぬいぐるみ』が、ぱちくりと瞬きをし、言葉を発した――幼児らしく舌足らずではあるが、明らかに人語を。

「おっきチたヨ」

 私は困惑して目を瞬いた。

 と、『ぬいぐるみ』を押しのけるように何人もの愛らしい子供の顔が四方八方から私の視界に割り込んできて、押し合いへし合いしながら、いっせいにさざめきはじめた。

「おきた?」

「おきたね」

「おじさん、だぁれ?」


 それが、私の、この世界での最初の記憶だ。


 私は素っ裸で、森の中の空き地に大の字になって、ぐうすか寝ていたらしい。自分がどういう状況でその場所にいたのか私自身は全く覚えていないのだが、私を見つけた子供たちは、そう言っていた。

 気付いた時には、そこは清々しい森の中で、私は地べたに仰向けにひっくりかえっており、可愛らしい子供たちの集団に取り囲まれて、顔を上から覗きこまれていたのだ。

 肘をついて半身を起こす私を物珍しげに見守る子供たちは、みな、天使のように美しく愛らしい顔立ちで、年齢的にはよちよち歩きの幼児から十歳ばかりまでと見えたが、そのわりに、全体的に妙に背丈が小さいような気がした。

 その中で、年長と思える子供たちは、素朴な風合いの風変わりな衣服を着ていたが、幼いほうの数人は、頭の先から足の先まで一体となってすっぽり覆う、動物の着ぐるみ風のフード付きカバーオールのようなものを着ていて――と、その時はそう思った――、それが、私が最初に目にした子供を寝ぼけ眼にぬいぐるみと見間違えた原因だった。

 カバーオールのようなものは、どう見ても本物の毛皮で出来ており、ころころとした幼児が全身を毛皮に包まれたその姿はそれこそ動くぬいぐるみさながら、つぶらな瞳を更にまんまるにして小首を傾げ、指を咥えながらきょとんと私を見上げる仕草など大層微笑ましく、思わず抱きあげたくなるような愛らしさであるが、よく見れば、あまりにも自然に全身をすっぽりと覆うそれはとても衣服とは思えず、カバーオールを着た子供というよりもむしろ絵本に出てくる擬人化された動物のようで、私はまたもや困惑した。

 中には尻尾のある子もいて、(これはきっと、ものすごく出来の良い毛皮製の着ぐるみで、今日はこのへんで子供の仮装大会でもあるのだろう、年長勢の風変わりな衣装から見て、森の小人さんと動物たちにでも扮しているのだろう)と無理やり自分を納得させようとした私の努力は、その尻尾が、ぴこぴこと元気よく動いていることで無駄になった。


 私の困惑などおかまいなしに、子供たち――毛皮のあるのも含めて――は、私の周囲で口々に騒ぎ立てる。


「おじさん、なんでこんなとこで寝てるの?」

「なんで裸んぼうなの?」

「おじさん、外の人?」

「あたりまえだろ、こんなに背が高いんだから。『外の大きい人』に決まってるよ!」

「外の大きい人!」

「ショトのオッチイしと!」

「はじめて見た!」

「外の人は大きいね!」

「オッチイね!」

「おじさん、なんでお顔に毛が生えてるの?」

「外の人だからだよね! ぼく知ってるよ! 外の人は男の人だけお顔に毛が生えるんだよね!」

「へんなの!」

「へーんなの!」


 その時、私の腹が盛大に鳴った。


「……おじさん、お腹空いてるの?」


 確かに、そういえば腹が空いていた。気がつくと、目が回るほど空いていた。

 情けない気持ちで頷くと、子供たちは俄然勢いこんで、我勝ちに声を張り上げた。


「だったら、うちのセレタにおいでよ!」

「そうだよ、一緒においでよ!」

「おいしいお粥があるよ」

「お菓子もあるよ」

「木の実もあるよ」

「ほら、立って!」

「ね、こっちだよ」

「さあ、行こう!」


 こうして私は、訳もわからぬまま、愛らしくも奇妙な子供たちに寄ってたかって腕を引かれ尻を押されて――立ち上がってみると、子供たちは、せいぜい私の腰のあたりまでしか背がなかったのだ――、彼らの居住地〈セレタ〉に連れてこられたのである。


 絵本の中から抜けだしてきたかのようなこの子供たちは、私がいま世話になっている〈森の民〉の子供たちで、毛皮のある子も含めて別に仮装をしていたわけではなく、〈森の民〉は、幼いうちは毛皮があって尻尾が生えている、そういう種族なのである。幼児期を脱する頃には被毛が抜け落ちて普通の『人間』の姿になるので、私の前に現れた子供たちの集団には、毛皮のあるものとないものが混ざっていたのだ。


 私には、彼らの言葉が理解できた。

 自分でも彼らの言葉を話すことができた。

 だが、私の本来の言語は、彼らのものとは違うらしい。

 彼らと会話を交わす時、私は特に意識せずとも当たり前のように彼らの言語を話しているが、文字を書く時には、今度はごく自然に自分の本来の言語を操って頭の中に文章を組み立ている。不思議なことだ。

 今、書いているこの手記も、私の本来の――と思われる――言語で書いている。なぜなら、〈森の民〉の言葉は、文字で書き表すことができないからだ。彼らは、高度な文化を持った種族であるが、文字は持っていないのだ。だから、文字を書こうとする時、私は自然と、脳内で操る言語を自分の本来の言語に切り替えることになるらしい。


 今、こうして手記を書いている手元を、周囲に集まった〈森の民〉の子供や女たちが、興味津々で覗きこんでいる。彼らは、私が何か目新しい手仕事を始めたと思っているらしい。

 私が今使っているペンは、拾った鳥の羽を削って作ったもので、インクは彼らが染色に使う花の汁、それで、薄く剥がした樹皮の裏に字を書いている。彼らが繊維を取るために剥がした樹皮の裏側が白くて滑らかそうだったので、試しに譲り受けてみたところ、目論見通り、書き物にそこそこ適していたのだ。

 文字を持たない彼らの目には、私の文字は、見慣れぬ装飾紋様のように映っているのだろう。どうして一色しか使わないのか、そこで色を変えればもっと綺麗なのに、そこに花模様を描き加えてはどうかなどと、横から賑やかに口を出してくる。

 いくら滑らかとはいえ樹皮のことで、紙のようにはペンが走るわけもなく、小刻みに線を描き足してゆく作業は、たしかに、文字を書くというより工芸品の絵付けに近いかもしれない。

 手作りの粗末なペンはすぐに痛み、そのたびに先を削り直したり新しいものに取りかえたりしていて、筆記は遅々として進まないが、なに、急ぐ必要は何もない。日々、少しずつ書き進めてゆこう。



 私の名は、テル・トールマン。

 といっても、覚えていたのは『テル』という名前だけだった。

 『トールマン』というのは、この手記を記すにあたって、署名が『テル』だけでは座りが悪いような気がして自分で付けた仮の姓だ。彼らが私を指して言う『背高せいたかさん』という通称を、自分の本来の言語――と思われるもの――に置き換えてみた。

 私には、ここに来る前――森の中でふいに目を覚ましてぬいぐるみのような子供たちを目にする前の記憶がない。

 だが私は、こことは違う一つの世界の文化について、つぶさに知っている。『ぬいぐるみ』や『絵本』、『ペン』といった、ここにはない事物を知っている。ここにいる〈森の民〉たちとは違う、生まれた時から赤裸で尻尾のない種族を、その社会を知っている。私はおそらく、その種族に属しているのだろう。

 が、ひとつの世界について間違いなく知っているにもかかわらず、私には、自分がその中で暮らしていたという記憶がない。その世界の『人間』というものがどんな姿で、どんな服を着て、どんな宗教を持ち、どんな道具を使い、何を食べていたかなどは間違いなく知っているが、自分がどういうものだったか、その世界の中でどのように存在して何をしていたかという記憶が、全くないのだ。

 ただ、『テル』という名前だけを覚えていた。

 そうして、自分が数多の世界を旅する『旅人』であることだけを知っていた。

 語るべき物語を求めて世界を渡る、旅人であることを。


 何一つ持たず、記憶さえ持たない丸裸で倒れていた見知らぬ男を、子供たちは何疑うこともなく自分たちの里に導き、大人たちは驚きながらも当然の事のように受け入れて、衣服を与え、食物を与え、世話を焼き、私は里|セレタの客人となった。そうして今、この、素朴で温和な人々と、美しい森の中で、穏やかな、けれど私にとっては驚きに満ちた日々を送っている。

 私は、この体験を、誰かに語らなければならないのだと思う。目の前にいる〈森の民〉ではない、物語の『外』にいる誰かに。それが、私の使命、私の存在意義なのだ。

 私は自分が、自分を主人公とした物語の語り手であることを、なぜだか知っている。

 だから私は、この世界のことを、この里での生活を、こうして手記に残す。

 この物語が、伝えるべき『誰か』に伝わることを信じて。

 何しろ粗雑な手作りのペンで樹皮に書き付けたもののことで、曲線などまともに引けないため、ひどい金釘流の乱筆だが、ご寛恕願いたい。

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