第38話

 さすがはミステリーも執筆する作家だと感心してはいられず、そうして無機質に問うてくる彼女に我慢がならず、彼女の両肩に手を置いた。

「その通りだよ。僕は君に成宮さんに言われたこと、されたこと全てをこれから来る警察に対して証言をして欲しいと説得に来たんだ。だけど、決して無理強いをするつもりじゃない。君が言いたくないなら言わなくていいと思っている。でも、それは君自身の気持ちを尊重した結果だ。決して、君が君自身を殺してまで出した結論じゃなくて、君が思うことを手助けしたいと思っているだけだ。」

 彼女の感情を吐き出させるつもりが、こちらの堪忍袋の方が先に敗れてしまったようだった。彼女はこれで初めて固まり困惑しているような表情をした。

「君は周囲が幸福であれば自分の幸せだと言ったね。それは、成宮さんも含まれているのだと思う。でも、君自身の幸せも感情もどこにもない。それはきっとここに積もっているはずなんだ。それを聞かせてほしい。君自身の幸せは周囲が笑っていることなのかい?君だけを犠牲にして周囲がそれで本当に笑えると思うのかい?本当は。」

 そう続けようとした時、彼女は初めての抵抗を見せた。樹の腕を払いのけて“言わないで”と言い、涙を零したのだ。

「お願いですから。言わないでください。」

 彼女は弱々しく呟いた。懇願しているようだった。

「分かっています。私が本当に望んでいることは分かっているんです。」

 彼女はシーツを強く握りしめた。

「私がどうして今の仕事を始めたか話したことがありましたか?」

 急な話題の展開に首を捻ったが、とりあえず左右に振って否を示した。

「私が書いた最初の物語は孤児院の子たちに読んであげたファンタジーでした。それを楽しそうに聞いてくれて、一緒な感情に包まれて私も他の子や院長先生までもが笑ってくれた。その時、私は温かい気持ちになって、これが幸せかと思いました。」

「ファンタジーだったんだ?でも、確か最初のデビュー作から現代ヒューマンだったような気がするけど。」

「そうです。出版社に送ったのはそれでした。近所にいた家族たちをモデルにした話でした。私はこの応募を決めた時にすでに貪欲になっていたんです。もっと、幸せを味わいたいと思って出版社に応募して選んでもらえれば、たくさんの人と感情を共有できる、時間を共有できると思いました。その代償が孤児院過ごすことだったんです。私は小説家の役目は人を繋げる物語の創作と探求心だと思います。それなのに、私はその輪の中に自分まで無理にねじ込もうとしました。貪欲になった代償、等価交換は本当に存在するのだと感じました。だから、私はこれを続けていく限りは自分のことなど考えないようにしてきました。それが、自分にとっても周囲の人にとっても正しい道だと思いました。それなのに。」

 彼女はそこで言葉を閉じてこちらを見てきた。実際には恨みがましく見ていたのだ。

「あなたはそんな私を崩そうというのですか?」

 暗に“私の今までの努力を無駄にするのか”と問いて来ていた。そんな風に思われてももう歩みは止めないと決めていたから、樹は迷うことなく“イエス”と答えた。実際、彼女の想いは彼女の過去と最後に聞いた彼女の幸福を聞いて想像していた。想像より遥かに悲しく切なかったけど、それでも予想外ではなかった。

「うん。それでも僕は君に本音を言って欲しい。貪欲になってもいいと思う。そうならないといけないんだ。それに、君が長年抱えてきた症状は君のその我慢から生まれた産物だよ。君はもっともっと思いを吐き出すべきなんだ。そうでないと、その産物がどんどん大きくなって今に原稿の前から離れられなくなるよ。病的なまでに。言うなら、君の原稿は全て君の我慢が吐き出された物だったんだ。だから、素直な気持ちで切なく悲しく、しかし、最後は幸福が残されていた、そんな物語ばかりだったんだよ。」

「私の原稿が?」

「そう。だから、人の心に響いた。君の気持ちが詰まっていたから、多くの人に感動を届けていたんだ。」

「そうだったんですか。」

 彼女は目を閉じて涙をはらはらと流していた。

「そうだよ。でも、そこに君が貪欲になって人を知りたいとか人の輪に入りたいとか口にできるように、行動に移せるようになれば、小説はもっと良くなると思うんだ。素直な気持ちをより深い所まで書き出す才能が君にはあるんだから。だから、もっともっと言って欲しいって思うよ。」

「私、言っていいんでしょうか?」

「うん、言っていいんだ。これから、一杯言って聞かせて欲しい。」

 樹は彼女の手をそっと両手で持ち上げて優しく包み込んだ。割れ物に触るように細心の心配りをして。

「君の幸せって何かな?」

「私と笑い合ったり泣いてくれたりしてくれる、感情を分かち合ってくれる繋がりが欲しい。」

「そっか。ありがとう。やっと聞けた気がするよ。君の素直な気持ち。」

 年相応に泣きだした彼女が泣き止むまで、彼女を優しく抱きしめた。涙を流し嗚咽を漏らす彼女の小さな姿が愛おしく思った。


 それから、泣き止んだ彼女は意を決したように言った。

「私は警察に言います。今までのこと。伊藤君や荒木さん。それに、迷惑をかけた人たちのことを。そうしないと、成宮さんはあのままだから。」

「そっか。大丈夫?」

「はい。実は、あの人を父親と認識は今でもできていないんです。全く似ていないので。だから、罪悪感はないんです。出会った時から担当編集者と作家という関係だったからかもしれません。ただ、彼には創作で色々とお世話になったので申し訳ないとは思っているんです。そんな恩があるから、今まで彼が何をしても許してしまったのかもしれません。私が誰とも関係を持たなければ平和でしたから。」

「そっか。」

 自分の想いを話す彼女は外を遠い目で見ていた。一面雲に覆われ曇り一色だった空はいつの間にか雲が固まりに別れて隙間ができ、そこから光が差していた。

「光が差したね。」

「はい。そうですね。」

 2人でそんな風に話して、最後に“じゃあ、また”と次がある挨拶をして別れた。

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