第37話

 1呼吸、2呼吸置いてから、意を決して目の前のドアをノックした。

「どうぞ。」

 久しぶりに聞く少女特有の高い声だった。ゆっくりとドアを開いて部屋に入った。

「失礼するね。」

 いつも通りを心がけてそう言うと、向こうは目を見開いて驚いていた。その表情が可愛らしくて思わず笑ってしまった。

「驚いた?」

「はい。とても驚きました。どうぞ、座ってください。」

「ありがとう。これ、お見舞い。」

 ここに来る途中に買ったゼリーの詰め合わせを渡すと、嬉しそうに目尻を下げた。

「ありがとうございます。食事にちょうどよさそうです。」

「また、ゼリーを食事にするの?まさか、ここで出る食事に手を付けないなんてことはないだろうね。」

「食欲がわかないので。でも、お味噌汁は飲んでいますし、ご飯も少しは食べてますよ。」

「無理して食べる必要はないけど、メインも食べるようにしてね。」

「はい。」

 そうして、彼女が無表情ではなく楽しそうに笑ったので、驚きつつも不思議に思った。

「どうしたの?楽しそうだね。」

「まるで、先生の診察室のようなので。先生が着用しているのが白衣からスーツに変わっても中身は変わらないと感じました。」

「そうだね。人間そう簡単には変われないかもしれない。」

 診察を受けに来た彼女とはいつも食事のことでこうして会話をすることが日課になっていた。それが懐かしいと感じるのはすでに自分の中では遠い記憶だからだろうかと、窓から見える曇り空を見た。

「先生はどうしてこちらにいらっしゃったんですか?」

「僕はここの精神科の教授に用事があったんだよ。」

「昨日、初めて会った方ですね。院長先生より少し年を召していました。」

「そうだよ。僕の上司が懇意にしている先生なんだよ。」

「そうですか。」

 凜はそう相槌は打っていても納得していないように、じっとこちらを見つめていた。それは疑いの眼差し以外の何物でもなく、それを気付かない振りは到底できるものではなかった。

「どうしたの?僕の顔に何か付いてる?」

「先生がここに来た本当の理由は何ですか?」

「確信があるみたいだね。」

「はい。昨日の夜来てくださった、先ほど言っていた方があなたがとは言われませんでしたが、私を訪ねてくることとその理由を名前などは省いて教えてくれました。」

「そうだったんだ。」

 これはきっと英知教授の言うお膳立てではなく、かの教授の善意による行動だったと察した。今まで大人に振り回され、これ以上彼女の意志を確認せずに今も樹がやろうとしていたことはそれと何ら変わらないのだと、かの教授に言われているようだった。

「柊さん、今からする話を聞いて。」

「はい。」

「僕はここに君を説得しに来たんだ。」

「説得ですか?」

「今、君の担当編集者、いや君の父親である成宮氏の下に警察と検察がいる。」

「理由は何でしょうか?」

「警察は虐待、検察は横領のようだね。」

「そうですか。」

 意外にも彼女は父親が知られていることにも、その彼に容疑がかかっていることにも驚きは見せず淡々と受け入れているようだった。それが異様に感じられて彼女に対して恐怖を抱いた。

「そんなに淡々と受け入れているんですか?」

「現実は受け入れなければなりませんから。」

 何でもないように彼女は言った。その言葉で彼女は現状を把握しているに過ぎないことも分かった。第三者の立場になって物を考えるのは大人なら時には必要だろうが、このようにすぐにそうして考えられる人などごく一部であり、まだ14歳の少女が到底できるとは思えなかった。

「それで、内山先生は私に何を説得に来たのですか?証言でしょうか?」

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