第36話

 クリスマスパーティー当日、休日ではなく普通の診察日なのだが、パーティーがあることに浮かれている看護師を部屋に着くまでによく見かけ、彼女たちはソワソワしていた。しかし、違う意味であるが自分もどこか体がうずいて仕方がなかった。英知教授の作戦だともうすぐ情報が流れ始めるころだったからだ。

「おはようございます。桐山先生。」

「おはようございます。内山先生。」

 いつものように挨拶をしていても、桐山教授も同じように落ち着きはなかった。何度も腕時計を確認していた。

「気になりますよね。」

「そうね。そうだわ。出勤してもらって悪いんだけど、本日、内山先生はこれから他の病院に行ってもらうことになっているのよ。K大の精神科にいらっしゃる先生にデータを送ろうと思ったんだけど、この先生が結構な年で未だに紙なのよ。それで、この書類を届けてくれないかしら。」

 声からは普通の会話に聞こえるが、都内のK大附属病院は凜が搬送された病院だった。その仕事はおそらく彼女にとってのお膳立てだと分かった。

「分かりました。行ってきます。」

「ええ。診察の方はこちらで調整するから、あなたはゆっくりとそこで学んできなさい。」

「はい。ありがとうございます。」

 餞別をくれた彼女にお礼を言ってから、コートを着て病院を出た。

 実家に帰らないので都内に出てきたのは久しぶりで、K大にはオープンキャンパス以来だった。その近くにある大学病院に着いたのは10時を少し回った頃だった。ちょうど、目当ての教授が在室だったので、用事を終わらせるべく伝えられたその教授の部屋に向かった。

「おはようございます。私S大から参りました。内山と言います。」

「ああ、おはよう。桐山先生から聞いているよ。優秀な教え子だとね。」

 桐山教授の言うように随分と高年齢のようだったが、溌剌としており年齢を感じさせないようだった。しかし、彼女を纏う空気がとても普通の人が出せるものではなかった。

「確かに受け取った。すまないね。パソコンはやはりメールでは使うのだが、長い文章を書く時は絶対に手書きの方が早くて正確なんでね。」

「いいえ、お気になさらず。」

「そうそう。今入院している患者の中で精神科の医師が必要な患者がいてね。これから診察があるから、一緒に行かないか?」

「ぜひ、お願いします。桐山先生に学んで来いと言われておりますから。」

「そうかい。彼女も相変わらずだね。じゃあ、行こうか。」

「はい。」

 どうやって凜のことを切り出そうかと考えていたが、すでに彼らの方で示し合わせていたようだった。筋書きはここまでできていたのかと彼らに抱く尊敬の念は強くなっていた。ここまでお膳立てしてもらって凜に会わないという選択肢はなかったので、前を早歩きで歩く教授の後ろに食らいついて行った。

 凜の病室は個室ではあったが特別室ではなかったことは意外だった。あの成宮のことだから彼女に余計な何かを聞かれないように特別室に押し込めていると思っていた。それが顔に出ていたのか後ろを振り返った教授に苦笑された。

「特別室にはすでに別の患者がいてね。最初は付き添いの男性に強く言われたんだけど、そちらの方が大事な人だし、その人の名前を出せば、さすがにその男性も何も言わなかったよ。」

「そうですか。」

 成宮でも口を噤むほどの大物がいたことに正直驚いたが、彼はまだ一介の社員だったことを思い出した。つまり、彼より大物など掃いて捨てるほどいるということだろう。

「1つ忠告だけど、彼女、結構精神的に弱っているから細心の注意を心がけて。私は仕事が忙しいから、君にここを任せるよ。」

 と言って、彼女はドアの前まで送るとあっさりと去って行った。あまりに自然に退場するものだからお礼も言えずにいたことを後悔した。

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