第35話

「準備は整ったよ。」

 部屋に入るなりいたずらが成功した子供のような笑みを浮かべた英知教授が言った。その中で疑問符を浮かべているのは自分だけのようで、後の2人は知っていたように頷いた。

「反撃開始ね。」

「美佐子さん、それ言うと物騒だよ。抵抗の方がいいんじゃないかな。」

「そうかしら。私はこの方がいいわ。やる気が上がるもの。」

「そうなんだ。」

 などと、仮夫婦で話が盛り上がっていたのだが、具体的な内容が分からないので、その話にはついて行けなかった。しかし、彼らが成宮に対して何か行動を起こそうとしていることだけは空気で分かった。

「内山先生には説明していなかったね。」

 と、今更気づいたように英知教授が言った。そこで、話を逸らすメリットもないので先を促した。

「僕と伊藤教授で成宮さん側の会社状況やリン・ヒイラギに対する扱いなどを調査していたんだ。会社に勤める社員から聞いたり、フリーカメラマンの彼、荒木君と言ったかな。彼にもお願いしてネットワークを駆使して情報を集めていたんだよ。人海戦術ではあったけど人の口に戸は立てられないね。成宮さんへ不満や不平を持っている人もいたし、柊さんの世話をしていた人も見つけたよ。彼、相当なワンマンだったみたいだね。社長の1人息子だから誰も表立って感情を口に出せない分、すごく素直に話してくれたよ。人間って怖いね。」

 と、あっけらかんと楽しげに彼は説明した。

「後、あの日、秀則君と荒木君のために救急車を呼んでくれた人物を解かった。荒木君は賢いし、周囲に慕われているね。ちゃんと、その場所に行く前に仲間の1人に連絡していたし、その連絡を受けた相手が心配になってその現場を最初から最後まで動画に撮っていた。地位の低い彼らにとってはまたとない証拠になるから、彼らは音声や映像を残す癖があるらしいよ。そして、その人物は救急車を呼んではいても、その数分前には暴行を加えていた人たちに命令していたようだね。そして、何よりその彼の役職は成宮さんの秘書だった。」

「つまり、彼自身は手を汚さず周囲にさせているんですね。凜の情報漏洩問題の時も同じようなものでした。そして、秀則君や荒木さんには不要になったけど、痛い記憶を植え付けて自分たちに不利な情報を流さないでもらおうということが目的だったんでしょうか?」

「おそらくそうだと思うよ。」

 英知教授は頷いた。それに賛同するように他の2人の教授も同調した。

「しかし、証拠には弱いのではないでしょうか?それに、その情報をどのように活用するのですか?それに、その程度の情報で柊さんを以前の生活に戻せるでしょうか?」

「問題ないと思うぞ。」

 樹の疑問に間髪入れずに答えたのは伊藤教授だった。

「どうしてそう言いきれるのですか?」

「会社にとっては印象というのは大切だ。それに、今や成宮が務めている会社はリン・ヒイラギのおかげで注目を浴びている。ここで、その彼女に対して色々な無理があったことを立証する証言がマスコミに報道されて見ろよ。一気に、印象は悪くなるはずだ。」

「確かにそうですね。しかし、文章だけでそれほどまでに目を向けてくれるでしょうか?それに向こうの方がマスメディアとのパイプは太いですよ。そんな不利益を被るかもしれないような情報を扱っていただけますか?」

「その為に今まで準備がかかったんだ。」

 伊藤教授の苦笑交じりの言葉を聞いて納得した。入室時の英知教授の言葉は情報が集まっただけでなく、全ての筋書きを描き終えたという意味だったのだ。

「どういう反撃に出るんですか?」

「君までそう言うのかい?」

「合っているだろう。それ以外にどう言えっていうんだよ。」

 肩を上下させて疲れたように見せる英知教授に伊藤教授は呆れながらも突っ込んだ。

「明日メディアを通して出版社からの告発文として情報が流れるようになっている。柊さんは搬送先の病院で匿ってもらうように手配をしたから彼女が気付くことはないと思う。彼女が父親である成宮さんを庇う発言をしては水の泡だからね。成宮さんの所には警察と地検が行くよ。地検は元々彼が横領していた証拠を集めていたようで、警察もその情報が流れれば動く。彼らにとって証言というのは大事だからね。そして、内山先生、君には大切な役目がある。これが成功できるかどうかは君がそれを果たせるかどうかだよ。僕らは彼女の主治医ではなく間接的な関係しか持っていないからお膳立てまでだ。」

「よく警察や検察からそのような情報が得られましたね。」

「色々とコネはあるんだよ。」

「今はそこじゃないだろう。内山先生も話を折るな。」

 話の内容に感心していると彼は苦笑し、伊藤教授にはため息を吐かれた。

「私の役目は何でしょうか?」

「君には病院にいる柊さんを見舞いに行き、彼女に今まで成宮さんにされたことを警察に言うように説得して欲しい。」

 予想はしていたが改めて言われると息が詰まった。しかし、それが自分の役目であり、彼女を苦しめていた症状から救う一歩となるような気がした。辛いことや悲しいこと、心に振り積もった雪で隠された色々な黒い感情はきっと吐き出すべきだろうと思った。

「分かりました。説得してみます。」

 と強く頷いた。これは自分のエゴだと分かっていても自己満足だと知っていても、そして、決して彼女が望まない結果になったとしても、そう答えを出さずにいられなかった。医者として、そして、彼女を大切に想う人としての決断だった。

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