第26話

 入院患者の部屋は個室と6人部屋があり、重症の秀則は個室に入っていた。

「秀則入るぞ。」

 先頭を歩いていた伊藤教授が声をかけて扉を開けた。中にぞろぞろと続いて入ると、明かりのついた広い部屋に一台のベッド、そして、その上でちょうど夕飯を食べている最中の頭や手に包帯を巻いている彼がこちらを見た。樹を見た瞬間、彼は気まずげな様子ですぐに視線を外して食事の方に落とした。

「ご飯食べてたのか。体調はどうだ?」

 伊藤教授がベッドの脇に立ち、話しかけた。両親はベッド傍の椅子に並んで座り、樹はその隣に母親の勧めで予備の丸椅子に座った。

「まだ、痛いけど。もう大丈夫。」

 ぶっきらぼうに秀則は答えた。

「そうか。まあ、痛いのは仕方ない。生きている証だから我慢だな。ただ、我慢できなかったら、迷わず看護師呼べよ。痛み止めを飲めば少しは楽になるから。」

「そこまでじゃないから大丈夫。熱も下がった。」

「それは良かった。」

 尚も緊張しているのか下を向いて答える彼を見て伊藤教授は苦笑し乱暴に頭を撫でた。そして、両親は安堵し微笑ましそうに見ていた。温かい家族の光景を見て樹も安堵した。

「秀則、順調に回復しているようで良かったよ。」

「本当に。心配したわ。」

 それから口口に両親が安堵交じりの声で息子に声をかけていた。

それで、と一通り家族の会話を終わった頃を見計らって切り出したのは父親だった。先ほどまでとは打って変わって緊張した面持ちになった。

「俺たちは今回のことをお前から直接聞きたいと思う。まだ、全快していないし、お前にとっては辛いことだと思うが。」

 声はぴんと糸が張り詰めたように硬く、それでいて気遣うように慎重に言葉を選んでいることは窺えた。

「分かっている。その先生が来た時から父さんや母さんが何を訊きたいのか分かっていたよ。」

 と、彼は一呼吸入れて笑みを浮かべて言った。それに、驚いた顔をしたのは樹だけではなかった。子供の成長というのはこれほどに早いのかと、成長した様を見せられた気がした。

「それで、何を訊きたい?」

 彼はまっすぐこちらを見た。その顔を見た瞬間、重くのしかかっていた樹の心の重しが取れた気がした。

「では、まず端的に訊きたいのですが、君が庇った男性は君が柊さんのことを話した相手で間違いないですか?」

「ああ。成宮さん?本名は違うみたいだけど、名刺はそんな名前だった。」

 その答えで先ほどの憶測が正しいことが8割がた確定した。

「本名が違うと知っていたのですか?」

「まあ。そりゃ、成宮博なんて同姓同名がそう多くいる訳ないし。実は、その成宮さんの顔を知っていたんだ。だから、代理なのかなと思っていた。成宮さんって、柊先輩の担当編集者で一番長いみたいだから。担当している作家の体調を気にするのは当たり前だと思ったんだ。」

 語尾は悔しさが滲み、声が小さくなり、言い終わると秀則は唇を噛んだ。

「分かりました。では、次に今回男性が襲われた時に庇ったと聞きましたが、遭遇は偶然ですか?」

「いや、偶然じゃない。成宮さんから連絡があって待ち合わせの場所に向かったらそういう状況だった。」

「その成宮さんは襲われていた男性の声でしたか?」

「ああ。何回か聞いた声だったから。俺が着いた時に気付いたあの人がしまったっていう顔をして逃げろって言ったんだけど、放っておけなくて庇ったらこうなった。大人5人ほどに蹴られたり、鉄パイプで背中から殴られたり、最後に腹を靴で思いっきり踏まれた時はだめだと思った。だから、あんなに早く救急車が来ると思ってなかったんだ。人通りがないから。」

「確かに、タイミングが良すぎますね。では、最後に、これは質問ではありません。彼女、柊さんからあなたへの伝言をお預かりしたので伝えようと思います。” あなたは悪くないです。私のことを心配してくださってありがとうございました。色々お世話をおかけし、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。“だそうです。彼女はあなたを恨んではいないようでした。彼女は表舞台に立つことを決めたようです。」

「そんな。そんなことを言われたら俺はどうすればいいんだ。」

「どうもしなくていいんじゃないでしょうか。君の中にある罪悪感は一生消えない傷になったけど、今後、彼女がもし君に助けを求めてきたら、その時に君が迷わず手を貸してあげる。ただ、それだけで彼女にとっては十分なんだと思います。」

 自分のことを棚に上げるように言う自分に対して苦笑を漏らした。そう言いながら、自分は我慢できずにおそらく彼女が他人に知られたくないことまで首を突っ込もうとしており、逆にこれ以上首を突っ込むなと、目の前の思春期の男子に言っている自分が牽制しているように思えた。

「そっか。消えないか。」

「はい。それが、君の言葉が君に残した罰です。それを忘れないでください。ただ、気負う必要はないと思いますから、少しずつ向き合っていってください。もし、自分だけで抱えられない時はこんなに立派な大人が3人もいるんですから、彼らを頼ればいいんですよ。ここの精神科には桐山先生もおられますから。」

 ニコっと微笑むと、秀則もどこか吹っ切ったような顔をした。その顔にあどけなさは残るもののもうすでに大人の階段を上りだした男の顔になっていた。それを見た時に、樹の心は焦燥に駆られている気分になったが、何にそこまで感じているのか自分では気づかなかった。

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