第23話

「はい。精神科の内山です。」

 樹が応対すると、外線で凜からの電話があると知らされ慌てて応対した。

「もしもし。柊さん。どうしたの?」

「内山先生。すみませんが、今後診察は全てキャンセルさせてください。」

「どういうこと?」

 口調が険しくなった自覚があった。

「こんなに急で申し訳ありません。私の勝手な我が儘です。」

「柊さん?柊さん?」

「本当にありがとうございました。治療はもう問題ないですから。先生と話ができて良かったです。最後にお礼が言いたかったんです。」

「お礼なんて僕はまだ全然君を。」

「内山先生。それはもういいんです。あなたには感謝してますから。あと、伊藤秀則君に伝えてください。あなたは悪くないです。私のことを心配してくださってありがとうございましたって。色々お世話をおかけし、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんとお伝えください。」

 自分の言葉を遮りいつもよりも話し続ける彼女はまるでこれが最後だと言わんばかりだった。そんな彼女の声を聞いて受話器から伸びるコードに軽く添えた手から汗が滲んでいた。

「柊さん、落ち着いて。」

 やっと彼女の言葉が切れて声を発した時にはすでに電話が切れていた。

「どうしたの?」

 受話器を置いて呆然としていると、桐山教授が気遣うような視線を寄こした。

「柊凜さんが、今後の診察をキャンセルしますと。」

 樹は静かに伝えた。

「そう。それが代償というわけね。」

「はい。」

 そこには重い空気が漂った。桐山教授が言ったことはおそらく当たっていると思った。なぜなら、これであちら側の目標は達成されていたからだった。

 その日の朝ニュースに差し込まれたのは、今まで全く姿を現さなかったリン・ヒイラギが記者会見を行った。そんな彼女の隣には成宮が座っており、彼女を使っての売名であることは、それを昼休憩で休憩室に置いてある小さなテレビで録画映像を見た樹と桐山教授には分かった。N出版社の次期社長として凜の人気の高さを支えた敏腕編集者として彼の名前は一気に全国に広がっただろう。その会見では、凜が通院していた理由は次回作のネタ探しであり特に大きな病気はなく至って健康であると、出回っていた記事、自社が発売した雑誌掲載の内容までも否定したのだった。隣の凜は化粧をされており顔の半分隠されていた髪は眉ぐらいまで切られ、覗いた顔は小さい顔に大きな青と白が混ざるアースアイと赤い唇だった。そして、高級なスーツを着用し大人顔負けの、いや、それ以上に人が惹きつけられる姿であるが、口のきけない人形のように座っているだけで、全ての応対は彼が引き受けていた。

「さっき、慌てて電話してきたのはこれがあったからなのか。」

「どういうこと?」

 それを見ていつもと違って話し続ける彼女を思い出して納得していると、桐山教授が不思議そうに尋ねてきた。

「さきほど、電話で彼女、いつもあまり話さない方なんですけど、というか他人の話は絶対に遮らないのですが、それを破ってまで彼女は私や秀則君に伝言を言っていました。どこか焦っているって感じがしました。その理由がこの会見だったなら納得です。この会見はあの電話が切れて30分後ですから。」

「そう言うことね。秀則は昼休憩に入る前に聞いたんだけど目が覚めたそうよ。」

「どなたからですか?」

「伊藤教授からの内線でね。彼に事情を話すことになっているから。」

「そうなんですね。」

 彼女の言葉に相槌を打ち、映像に目を向けた。彼女の会見に対して意見を言うコメンテーターは凜に対して辛辣の態度で、成宮に対しては一変して褒めているようだった。“よく人前に出させた”と。誰もが凜に対して“栄誉ある賞の表彰式に代理人を立てたことは良くない””日本人の価値が下がる“と非難する中、そんな言葉を言ったのだった。それには、樹は怒りが沸きあがっていて、いつの間にか眉間に皺が寄っていたのでそこを揉んだ。

「何を他人事のようにしているのよ。」

 急に桐山教授に言われ、そちらに視線を向けると、彼女は顔を顰めた。

「内山先生が伊藤教授に話すのよ。あと、英知教授と秀則君のご両親も来るらしいから。」

「なぜ私なんでしょうか?桐山先生が話した方がいいですよ。」

「私は当事者とは言いにくいし、柊さんの担当医というわけではないの。だから、一番詳しく色々と結論を出したあなたに話して欲しい。その後、秀則の病室に行きましょう。」

「分かりました。憶測がほとんどなのですが、それで良ければ。でも、英知教授はなぜ同席されるんでしょうか?関係ないような気がしますけど。」

「彼にとっても秀則は孫みたいなものだからね。」

「そうですか。」

 伊藤教授と英知教授の仲が良いのはあの医療ミスの時に知ったので納得した。

「ご両親もいらっしゃるんですね。法律家だと伺いました。」

「ええ、もちろんよ。母親の方も最初は取り乱していたようだけど、今は落ち着いていて話せるわ。冷静な女性なのだけど、あまりのショックを受けたようで奇怪な行動を取ったのよね。」

「それは構いません。誰でも家族が危険にさらされれば取り乱してしまいますから。」

「そうね。そう言ってくれると助かるわ。二人とも企業専門の弁護士よ。まだ、若いけれど業界では引く手あまたらしいわ。」

「それはまた、すごいですね。同じ年ぐらいに見えましたけど。」

「私の娘の2つ上ね。つまり、内山先生にとっても同じ。」

「そうですか。」

 家庭を築く自分すら想像できないのに、2つ上ですでに12歳の子供がいることに驚いたが、フフッとどこか楽しむように言う彼女を見て相槌のみを返した。結婚に焦って欲しいのだろう彼女の思惑などここ1年で素通りできるまでになれた。テレビからの音声では凜の話題は、“今後の彼女の作品と行動に注目です。”と締めくくられていた。それに、思わず唾を吐きたくなったのは、樹だけでなく目の前に座る彼女も同じだったのだろう。それが終わるまで2人でその小さな画面を睨みつけていた。

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