第22話

 そこに、慌ただしい足音が聞こえて、誰か検討もつかないそこに誰もが疑問符を振壁ながら見た。暗く見えにくい廊下には小さい影が見え、その影はゆっくりとこちらに向かって歩いて来た。明かりが当たる場所まで来たその人物、凜は焦燥した表情だった。顔は上げられていても前髪の長さで顔の半分は見れないが息を乱していた。

「伊藤先生。」

 伊藤教授の所まで来た彼女は彼を呼んだ。

「柊さん。どうした?こんな夜遅くにそんな姿で。」

 凜は制服姿であり、外出していたら間違いなく職質されるレベルだった。

「あの、伊藤秀則君が危険な状態だと聞いて。」

 息も途切れ途切れに彼女は言った。

「ああ。今は手術中だ。でも、優秀な医者が執刀しているから大丈夫だ。でも、どうしてそれを?」

「それは。」

 凜はそこから先は語らず口を引き結んでしまい、沈黙してしまった。それが気に障ったのか発狂したように叫び始めたのは今まで沈黙して事の成り行きを見守っていた秀則の母親だった。彼女は沈黙する凜の両肩に手を置いて彼女を前後に大きく揺らした。

「なぜ黙るの?やましい事でもあるの?あなたがあの子をあんな目に遭わせたの?あなたのせいであの子は。あの子は。あの子は。」

 涙ながらに叫ばれる言葉は悔しさと憎しみだった。涙を流して少し顔を下げたかと思えば母親は急に顔を上げた。

「この疫病神!」

 と大声で叫んだのだった。それに慌てて止めたのは父親だった。

「やめなさい。彼女が悪いわけではないんだから。あの子にも悪い点はあるんだ。だから、そんな風に一方的に責めることはしてはいけない。」

 彼は彼女の手を凜の両肩から離して、諭すように言った。それを皮切りにして、彼女はリミッターが外れたように両手で顔を覆い泣き出した。今までは現状を受け止められなかったようだった。

「大丈夫?」

 樹は呆然と立ち尽くす凜を心配して声をかけた。

「だから、関わりたくなかったのに。」

 凜は小さく呟いた。後悔の念を感じ、そっと触れた彼女の肩は震えていた。両手は強く握られていることをその時初めて気づいた。

「息子さんをあのような目に遭わせてしまったのは私の責任です。申し訳ございません。」

 凜は樹からそっと距離を取り、秀則の両親に深々と頭を下げた。綺麗な所作で誰もが見惚れた。それから、凜は何も言わずすぐに走って病院から出て行った。手術が終わったのはそれから4時間が経過したころだった。手術は成功し、容態も安定していると英知教授がいつもの柔和な笑みを浮かべて言ったことで、安堵の息を誰もが零した。


 手術が終わり、一度帰宅してから病院に戻ると、報道関係者が誰一人いなくなっていた。急な変化に驚き慌てて病院内を見ても、通常の穏やかな空気が流れていた。

「どういうこと?たった一晩で何があった?」

 呆然と立ち尽くしたが、とりあえず精神科病棟に向かった。

「おはようございます。」

 自分より早く出勤している桐山教授に驚きながらも挨拶をすると、頭を抱えていた彼女は勢いよく飛びあがって樹との距離を詰めた。

「どういうことなの?昨日何かあったの?」

「分かりません。先生の方もご存知ないんですか?僕の方が知りたいぐらいなんですが。」

「内山先生が知らないってことは、あなたが何かしたわけじゃないのね。」

「秀則君の怪我と関係があるんでしょうか?」

「え?」

 樹の言葉に彼女が固まった。その反応を見て、失敗したと顔が歪んだ。

「どういうこと?秀則って、伊藤の孫の?昨日、やっぱり何かあったの?」

 畳み掛けるように彼女に問い詰められれば、口を割らないという選択肢はこちらにはなかった。だから、昨日の夜に秀則が病院に運ばれてきて内臓破裂の危険な状態だったが、英知教授のおかげで無事容態は安定していること、彼がフリーカメラマンの男性を庇って数人の男性から暴力を受けたことを話した。そして、最後に重くなる口を動かして

「彼、伊藤秀則君が情報を流した少年だという雑誌が出ていたようです。」

 と言った。数秒の沈黙が続き、桐山教授は大きなため息を吐いて、椅子に勢いよく腰かけて頭を抱えた。

「そこまで徹底しているってことは、一ファンの仕業というわけではないわね。」

「はい。その雑誌は先日訪問してきた成宮さんが勤めているN出版から出版されたものでした。おそらくですが、彼が関わっている可能性があります。」

「そう。では、一通り終わったから報道関係者を引かせたということ?脅迫みたいね。」

「そうでしょうか?確かに、出版社としては最大手であってもテレビ局にまで力が及ぶものでしょうか?」

「もっと、彼らがそそられるネタを相手側が提供したとか?」

 そう言われれば何も反論できなかった。


 その理由が分かったのは診察開始前に電話が入った時だった。

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