第15話
「まあまあ、そのくらいにしなさい。秀明君。ここだと邪魔になるから場所移そうか。」
そこへさらに桐山先生がやってきて2回ほど手を打って言った。彼女を見ると秀明は明らかに嫌そうな顔をして、さっきまで剣幕はどこへやら飛んで行った。そんなことも気にせずに桐山先生は秀明の背を押して行ってしまった。置き去りにされた樹は呆然としていたが、伊藤教授が呆れたような表情をして樹を振り返った。
「悪いな。あれは孫の秀明で察しているだろうが、柊さんの後輩に当たるんだ。後のことを考えず突っ走る性格なんだ。顔は冷やした方がいい。あいつは頭に血が上ると止められないんだが、昔から桐山に苦手意識があるのか、彼女だけはあいつを止められるんだ。」
彼は罰が悪そうな顔をして、樹に附いてくるように言った。それで、2人は彼女たちの後を追った。
休憩室で樹は秀明と向かい合っていた。桐山先生がいるからか睨まれることはないが、彼女からは冷気が感じられるほどで、彼はそれに脅えているようだった。
「それで、秀明君は何であんな騒動を公衆の面前で起こしたのか、説明できるわよね?」
疑問形だが、すでに命令のように感じたのは、誰もが同じだった。
「柊先輩がここに通って半年ほどになるのに、全く効果がないから文句を言いに来ただけだ。」
「そうなの。彼女がこの先生は良くないって言ったの?私はそんな話を全く聞いてなかったけど。」
「柊先輩はそう言う不満とか言えない性格なんだよ。物静かで優しくて、勉強もできるし運動もできるし、仕事もしていて。」
秀明はそれから凜の自慢話を語った。それを静かに3人は微笑ましく見ていた。
「それで終わりでいいかしら。でも、それはあなたの意見であって、彼女のではないわよね?彼女は今も通院していることは事実だし、それはきっと彼女にとってここでの治療は価値あるものだと判断したからよ。本人から相談も受けたわけじゃなく、ただ彼女の様子が変わらないからと言って、ここに乗り込んで医師に怪我をさせるのはお門違いというものだと思うけど。」
「それは、そうだけど。」
桐山先生が正論で責めたことで、秀明は俯いてどもってしまった。
「じゃあ、彼女が仕事を辞めるって言ったのは、ここでの治療が原因なんじゃねえの。」
顔を上げた彼から飛び出した言葉に3人は首を傾げた。
「秀明、それって本当なのか?本人がそう言ったのか?」
あまりの動揺で声を震わせながら伊藤教授が尋ねた。すると、秀明が首を縦に振った。
「そうだよ。祖父さん。柊先輩が電話で、多分相手は編集者だと思うけど、『今後は絵本一本にしたいです。』って言ってたんだ。だから、俺、こいつに何か言われて執筆辞めるんだと思ったんだ。先輩が最近で変わったことと言えば、定期的にここに通っていることしかないからな。」
秀明は言いながら樹を睨んだ。そこまで聞いて彼が樹に対して険悪な雰囲気な理由がやっと分かった。
「そうだったんですか。でも、私は仕事に関して何らアドバイスはしていません。確かに、私の職業柄、患者さんの仕事に対する助言をすることは多いですが、彼女はそういったことは必要ありませんから。」
「じゃあ、何で先輩が執筆を辞めようとしてんだよ。」
「それは、私にも分かりません。彼女の中で何か思うことがあったのか、執筆というものに意味を見出せなくなったのか。」
「意味?」
樹の言葉に疑問を抱いた秀明が問いかけた。しかし、樹も確信があるわけではなかった。
「これ以上は患者のプライベートです。秀明君、君の方が彼女と近しい立場にあるのですから話をしてみてはいかがでしょうか。」
「それができれば苦労はしないっての。」
そう言って机を殴った秀明はそのまま乱暴に扉を開けて出て行った。
「怒っちゃった。人の孫をあまりいじめないでよ。」
「申し訳ありません。伊藤教授。しかし、私にも医者として患者のプライベートを守る義務がありますから。」
「そっか。それにしても、本当に柊さんは辞めるのかな。」
「それは本人次第だと思います。」
伊藤教授はそれを聞いて肩を竦めて温くなったコーヒーを飲み干して部屋から出て行った。桐山先生は心配気に樹の方を見ていた。
「大丈夫?内山先生。」
「大丈夫です。公私混同はしませんから。」
そう言ってまだ温かいコーヒーを口に含むと、少し切った傷口が痛み顔を歪めた。その痛みは心まで広がっているようで、喉を通ったそれでは潤せなかった。
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