第13話

 数日後、O大法医学教室から一通の封筒が英知教授の元に届けられた。それに伴い、いつもの3人は診察時間が終了する夕方にいつもの会議室に集まった。重々しい雰囲気の中、英知教授が開封した後の封筒を机の上に置いて樹らを見渡した。表情は疲れたようで良い知らせでないことは一目瞭然だった。

「単刀直入に言うけど、今回の死因は手術ミスであることが分かった。」

「ミスというのはどのような?」

「これを見て。」

 樹の問いかけに英知教授は封筒からカメラで撮られた写真、あとは5枚ほどの書類を出して、写真を見せた。それを見て樹は驚いた。それは、他の2人も同様だった。

「おい、優斗、これって。」

 あまりの驚愕に伊藤教授はそれ以上言葉が出なかった。それに、英知教授は頷いた。

「そう。少年は気管支に疾患があった。それで、麻酔のチューブ挿入時に呼吸困難になったが、麻酔が常より倍速で入られていたようで、彼はそれを訴えることもできなかったようだ。麻酔に関しては血液検査からすでに結果が出ており、気管支疾患は彼の病歴を確認した。」

 その写真には口から気管支までの内部写真で一直線に傷つけられた跡があった。それと報告書を合わせて見ながら一通り、彼は説明すると、彼も含めた全員が肩を落とした。英知教授が最初から疲れた表情をしていた理由が樹にも分かった。

「落ち込んでいても始まらないわ。小児外科としては今後どうするの?」

 一番立ち直りが早かったのは桐山教授だった。

「事実は明るみに出すよ。マスコミにも好評しようと思う。確かに、彼らどちらかのミスとも言い切れないし、どちらかと言うと麻酔科の領分な気もするから、彼らとも話し合う必要があるけど。」

「そうだな。後は、誰がどのようにして関わっていたかだな。いつもならカメラが作動しているはずなんだけど、それも故障で止まっていたようだったから証拠がない。」

「故障で止まっていた?」

 伊藤教授の言葉を樹はオウム返しをした。伊藤教授はそれに気づいて樹に頷いて見せた。それを見た樹は視点定まらず、頭を抱えた。

「3年前のあの日と同じ状態。」

 樹が呟くと、3人は驚いた顔をした。

「確かに、そうだったな。あの日もカメラが故障していて実質的な証拠もなく、内山先生と同じ手術室にいた後藤先生の証言のみだった。」

「そうだね。それをうのみにした他の教授たちが事実として発表したね。」

「じゃあ、このままいけば、後藤先生が切られて大分助手が残る方向になりかねないな。」

「そうだけど、一応今回は証拠があるから。さすがに、これは見過ごせないんじゃないかな。」

「確かに。」

 英知教授と伊藤教授が話を進めていた。

「大丈夫?内山先生。」

 心配気に桐山教授が樹に声をかけた。それに、樹は口角を上げた。

「はい。大丈夫です。すみません。」

「良いのよ。嫌な記憶を思い出すのは心にも重い負荷がかかるから。後はあの2人が何とかすると思うから、内山先生は席を外す?私も同行するわよ。」

「いいえ、そんな先生のお手を煩わせるわけにはいきません。」

「全く、甘え下手ね。」

「昔から甘えることをしない環境で育ってきましたから。」

「全く。ああ言えばこう言うなんだから。でも、強がりも程々にしなさい。」

「はい。でも、あの日のことを乗り越えるために、今回の結末は自分の目で見ておきたいんです。」

「そう。」

 樹は顔を起こして言うと、桐山教授は息を吐いて頷き、樹の背にそっと手を置いた。その背中に感じる手の存在感の大きさに彼は安堵した。それから、伊藤教授と英知教授の話し合いが終わるとともにその場は解散となり、桐山先生と共に樹は部屋に戻った。


 それから、1週間が経ち麻酔科や看護師たち、そして後藤らの証言から当日の手術の全容が明らかにになり、伊藤教授と英知教授、そして、桐山先生は教授会に臨んでいた。

「内山先生、今日は心ここにあらずですね。」

 目の前に座る制服を着た凜が樹に言った。それに、ハッとさせられた樹は苦笑をして彼女の方を見た。

「ごめん。柊さん。」

「いいえ。そのような状態では診察もままならないと思いますので、私はもう帰りますよ。」

 と言って、彼女は立ちあがったので、それを樹は彼女の手首を掴んだ。

「待って。いや、私の方が悪いんだけど。本当にごめん。」

「いえ。でも、何か別に気になることがあるのでしょう?」

「それはそうだけど。でも、患者の君の方も大事だから。」

 それから、数秒彼女と見つめ合った。実際には、前髪で彼女の目は隠れているので見つめ合っているわけではなかった。

「分かりました。では、いつもより10分早く帰ります。」

「いや、別にいつも通りでもいいよ。」

「いえ、内山先生が知りたい結果はそれくらいの時間に出ると思いますから。」

 凜の言葉に樹は少し固まった。医療関係者でない外部の人間、しかも未成年の彼女が知っていることに冷や汗が出た。それを見た彼女は声を漏らして小さく笑ったようだった。

「そんなに緊張しないでください。私はただ伊藤先生に頼まれただけです。少しだけ聞いただけです。今日の会議で出る結果を気にしているから、早めに帰って欲しいって。」

「それを言う伊藤教授は医師としてどうなんだろう。」

 思わず樹は首を傾げてしまった。

「医師も人ですから、いいじゃないですか。それに、先生も伊藤先生も医師の中でも医師らしいと思いますよ。」

「そうだといいんだけど。」

 樹は苦笑した。3年前に起こしてはいけないことを起こした命を救うことを全うできなかった自分にそんな風に言われる資格があるのかと、彼はまだ疑問があった。

「何度も言いますけど、たとえ1つの命を失くしてしまっても、今、あなたは心を救う医師になり、多くの人があなたを必要とし、救われている。それなら、医師としての資格はあると思います。10の命を救えなくても1つの命を救えたなら、それも資格があると思います。重要なのは救えなかった命をその失敗を忘れずにいて、目の前の命と向き合い救うことに知恵を絞って懸命になり、救おうとする心だと思います。」

 と、樹を励ますように彼女は言った。その言葉で樹の心臓は強く一回脈打った。

「そっか。」

 樹は微笑んだ。

「そういえば、柊さん、また食事抜いている?」

 そう言うと、彼女は肩をビクッと震わせた。

「今日は朝と昼何食べたのかな?」

 樹の続く質問に今まで堂々としていた彼女は弱々しくなった。それから、彼女と食事のことや睡眠のこと、学業や仕事のことを話した。相変わらず、彼女の睡眠時間は全く伸びず、食事もおろそかなままだった。学業と仕事が忙しいことを理由にして1日食事を摂らない日々が続いたらしく、こんにゃくゼリーでその場を凌いでいたことを白状した。

「いいかな。きちんと食事を摂らないと眠気も来ないからね。」

「はい。」

 最後に樹は強調して言い、それに凜は頷いた。そうして、10分前に彼女を見送って診察室に戻った。


中には桐山教授が入っていたので、樹は驚いて入り口で止まった。

「お疲れ様です。内山先生。」

「お疲れ様です。桐山先生。気付かなくてすみません。」

「いいのよ、私が入ってきたんだから。今日は悪かったわね。会議が長引いて内山先生に負担をかけてしまったわね。」

「いえ、そんな風に言わないでください。先生が大変な時にこそフォローするのが私の役目だと思っていますし、私が休みの時は先生が診てくださるじゃないですか。いつも助けていただいてばかりですから、こういう時こそ役立たないと。」

「それでも、ありがとう。助かっているのよ。本当に。」

 そんな会話をした後に、桐山教授に連れられて例の会議室に行くと、いつもの2人がそこに座っていた。

「お疲れ様です。内山先生。」

「お疲れ様。内山先生。柊さんの診察終わったのか?」

「はい、終わりました。伊藤教授が彼女に助言をしてくださったおかげです。」

「棘があるな。そう言うなよ。でも、して置いて良かっただろう?」

「いいえ、大きなお世話ですと内心思っています。」

「それは口に出しているから内心ではないような気がするんだけど。」

 伊藤教授の最後の言葉に笑みになった樹は勧められた彼の隣の席に腰を下ろした。

「教授会の結果、大分助手と後藤先生2人で責任を取ることになったが、主に責任をとるのは大分助手になったよ。」

「それはどうしてでしょうか?証拠があったんですか?」

「ああ、それね。」

 樹の疑問に英知教授が苦笑して続けた。

「実はその手術で麻酔を担当した医師が入っていなかったことが分かったんだ。大分助手は麻酔科を専門していたことがあったので、彼に言われて麻酔を担当するはずだった医師はその手術室に入らなかった。そして、それは手術室にいた看護師も証言したし、麻酔科の当直たちもそうだった。それから、彼女たちの言葉から麻酔注入して10分してから急にVFになったようだ。そんな証言と証拠から責任の重さは大分助手に傾いた。彼は今後どうなるか分からないが、警察が動くのはおそらく間違いない。遺族にも事実を伝えてあるし、明日には私と2人で会見も開くから。まあ、大分助手は結構取り乱していたから、そのまま警備員に言って自宅謹慎にしてもらったよ。明日の会見と警察の動き次第ではどうなるか分からない。」

 英知教授は一通り説明を終えると息を吐いた。それから、重苦しい空気を飛ばすように笑みを浮かべて見せた。

「でも、君や若く有望な医師たちもいるし、多くの患者を抱えているからね。僕らが辞めることになってもここは守るよ。」

 と彼は続けた。強い教育者としての覚悟が見えた気がした。しかし、樹は先ほどの説明を聞いて腑に落ちないことがあった。

「あの、でも、どうして、大分助手は今回自分の手で道を閉ざすようなことをしたのでしょうか?」

 と、英知教授を見て尋ねた。すると、彼は困ったように笑みを浮かべ、一拍置いた。

「それは、本人にしか分からないよ。先ほど、3年前の君の時は他人、この場合は後藤先生に任せたのに、今回は自らの手で行った理由を聞いても笑顔でない彼に一蹴されてしまったからね。あれは怖かったな。」

 と、その時を思い起こし身を震わせていた。

「でも、何となく分かる気がするよ。突発的に彼がそうしてしまった理由がね。」

 と、英知教授は言った。樹には彼の言葉が分からず他2人の教授を見ても彼と同じような笑みを浮かべただけだった。その反応にモヤモヤはしていたが、それ以上の詮索はしなかった。


 翌日、会見が開かれ予定を1時間オーバーしたが無事終わり、会場を出た後すぐに大分助手と後藤は出口で待っていた警察によって連行された。任意同行だったが、2人とも大人しく彼らについて行ったようだった。会見時の余裕がなく青い顔でやつれた表情の大分助手に樹は画面越しでも初めて見る表情で驚いた。

「あれが演技っていうパターンもあるわね。」

 と、隣で見ていた桐山教授が辛口で言った。それを隣で聞いていた樹は苦笑して流した。この件が一応の決着を見せ、3年前の件も後藤により明らかにされたことで立場を悪くした教授たち、主にT大出身者たちは辞表を出した者、伊藤教授や英知教授に擦り寄る者、様々な行動を起こし、彼らのことを調べるように言った理事長の命令を受けた調査員により、彼らのことが一斉に調査され、教授は総入れ替えになった。伊藤教授や英知教授、そして、桐山先生はそのまま残ったが、後はほとんどが入れ替わった。その中には、桐山教授の弟である法医学教室の仁先生が入ってきていた。それを知った桐山先生はため息を吐いたものの嬉しそうな表情をしていた。

 そして、大分助手には医療ミスと医療過誤、後藤は大分助手が自供し、それにより彼自身は事実を知らないことが分かったためにそのまま放免され小児外科医としてS大附属病院に残った。3年前のことは証拠がないため後藤にこれからも罪を償う機会は永遠にないのだ。しかし、彼は医師としての道を歩き続けることを決めて、過去の過ちをこれから少しずつ償うことを決めたと、彼と話した英知教授が樹に報告した。樹はそれを聞いて幼い少女の凜に教えられた医師としての資格を思い出して笑みが零れた。後藤が樹と同じ医師として生きることにしたのだから。

 “過去の過ちを忘れず、目の前の1人の命を救うことに懸命になる“


 後日談ではあるけれど、

「ありがとう。一応、礼だけ言っておく。」

 休憩室から精神科病棟に続く廊下ですれ違った時に後藤がいつものような憎まれ口ではなく、どこか気恥ずかしそうに視線を背けて言った。そのお礼を表す意外な一言に樹は思わず笑うと、彼は睨みつけた。

「何だよ。」

「何でもない。」

 樹は少しだけ世間話をしてから、彼と別れた。

 精神科病棟に戻る途中、樹は窓から見えた枯れた木を見て足を止め、今までの回想が頭に浮かんだが、彼の中にあるのは見ている光景に光が差しているように目に映った。胸に痛みはあるけれどそれすらも今は大切なものだと思えるようになったから、彼はそこで立ち止まらず迷うことなく廊下を歩き続けることができた。

第一章 完

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