第11話

 英知教授から一報が入ったのは翌日、出勤した樹に娘のお産に立ち会い泊まった桐山教授から無事出産を終えた報告を終えた時だった。司法解剖を担当した人はT大出身者だと判明し、以前の会議の時に集まった教授の1人の同期だったという内容だった。そのうえ、彼が大分助手を推薦した教授だったようだということも判明した。そのため再度樹らの診察終わりに集まった会議室で話された。

「これは困った事態だね。」

「そう言ってあまり困ったように聞こえないのがお前の凄い所だな。」

「それは褒めてます?」

「ああ。褒めてる。」

 伊藤教授の言葉に照れくさそうに頭に手を置いた英知教授だったが、彼の頭をすぐに彼女が叩いた。

「そんなことより、これどうするつもり?おそらく、遺体はすでに解剖した後よ。」

「確かに、今更再度検死をお願いしようにも難癖をつけてすでに処分されている可能性が高いし、これだけの情報では彼らがグルだったとは決して証明できない。」

「誰か彼らと仲が良い人でもいれば話は違うんだけどね。」

 彼女の言葉に全員が黙った。その時、樹の持つ病院の呼び出し用携帯が鳴った。3年前から全くならなかったので、樹は不思議に思いながらも3人に一言謝り携帯を見た。

「後藤?」

 樹の呟きに3人が視線を寄こした。英知教授が目で出るように促したので樹は頭を下げてコールボタンを押した。

「精神科の内山です。」

「知ってるさ。お前、今どこだ?」

 ぞんざいな彼の言葉に樹は呆れた。

「どうして?」

「話がある。3年前の話だ。」

 後藤の言葉に樹は心臓が一度だけ大きく振動した。

「分かった。今は診察終わった所で教授と明日の打ち合わせしてるけど、場所と時間を指定してくれたら行くよ。」

 すると、向こうは考えているようで2呼吸分くらい置いた。

「分かった。それでいい。30分後に当直用の仮眠室で会おう。」

「分かった。」

 そう言って、樹は電話を切った。3人が目で訴えかけてくるので、樹は説明をした。

「30分後に仮眠室で後藤と会うことになりました。3年前の話があるそうです。」

「それって大丈夫?完全に今回の件に巻き込まれているわよ。」

「君をこの件に巻き込んだ形にしたのは僕だけど、そこまで危険を起こさなくてもいいんだ。」

「いいえ、きっと彼とは一度話さないといけないと思いますから。」

 桐山教授と英知教授に心配げに声をかけられても樹の決心は揺るがなかった。

「そうだな。何かあれば、俺に電話して欲しい。柊さんの治療もしてもらわないといけないから、お前にはこれからも頑張ってもらわないと。」

「はい。ありがとうございます。」

 樹は伊藤教授に頷き部屋を後にして、指定された場所に向かって歩いた。その足取りにはリズムが違ってはいるが、しっかりとその場所に踏み出していた。


 仮眠室は救急から少し離れた場所にあり、人の通らない場所にあった。部屋にノックをしても返事がないので、ドアを開けて入室し閉めた途端、口を背後から塞がれた。

「静かにしろよ。騒ぐな。」

 後藤の声だと分かり、力んだ体から力が抜けた。

「全く。お前、ここに来るまで誰にも後を付けられなかっただろうな。」

 呆れたように言う後藤は手を放してしかめっ面をした。

「そこまで気を遣っていないけど。そんなに警戒してるの?」

「お気楽だな。あんな競争率のない温い場所にいるからだな。」

 後藤は馬鹿にしたように言った。その言葉に樹は苛立った。

「用件はさっさと言えばいいだろう。言っておくけど、僕は君が3年前のことを話してくれると言ったから来たんだ。それ以外は聞く気はないから。」

「ああ、知ってるさ。でも、あの件は意外と単純さ。」

「単純?」

 命が1つこの世を去ったというのに、それを単純で片付け笑みを浮かべる目の前の仮にも医師免許を持つ白衣の男に樹は侮蔑の表情をした。それを面白がるように笑みを深くした後藤が話し始めた。

 3年前、樹に対してコンペレックスがあったのと共にこの病院に残れない可能性が明確になりつつあった後藤は焦りと恐怖が頂点に達していた。そして、彼が留学していた大学病院の小児外科医として右に出るものはいないとされた医師が彼に会いに病院を訪問することが決まって、後藤の精神的状態はさらに悪化した。その当時、樹はほとんど病院の教授や先輩たちの付き合いには参加せず、仕事一辺倒だったが、一方で、後藤は彼らと度重なる付き合いのおかげで太いパイプがあった。彼らが後藤の親類に多いT大出身で彼と同じく自尊心が強いこともあり、気があったことも大きかった。そうしてある日の夜、その中の1人の教授と見知らない人物とバーに誘われた時に、彼らは後藤にある提案をした。

「当直で君と内山先生だけにするよ。もし、その時に運ばれてきた患者に手術が必要な場合、執刀を内山先生にするんだ。後は、君が同じ室内に入ってその中で室内のスイッチをオフにして彼の指示に従って手術しなさい。その患者が死亡した後も司法解剖をすることになるだろうが、後は気にしなくていい。君はただ、執刀医をしていたのは彼だったと、彼が無理に言いだしたことだと証言さえしてくれればいいから。」

「まあ、割合的には少ないからそんな患者が運ばれてくるかどうかは運しだいだけど。」

 2人の囁きはこの時の後藤にとっては神からの啓示のように聞こえ、その細い糸を離さないように手を握った。

 そうして、数日後、彼らの言う通り、後藤は樹だけの当直の日がやってきて、そこへ運ばれてきた虫垂炎破裂の子供がいた。これは自分に運が回ってきたと彼はほくそ笑んだ。そうして、手術室の除菌の役割を果たす空調関連のスイッチを全てオフにして室外と同様の環境で通常通りの手術が行われた。その時、樹の腕を間近で見て後藤はステージの差に足が震えたが、彼は動揺を隠して見事やり切った。それから、彼は主治医となり彼の健康状態を確認して、彼の体が弱っていくのを見ていた。そうして、1週間の入院を終えて感染した彼の体はすでにいつ倒れるか分からない状態だった。そのまま受付ロビーに行く途中で、彼の体はそれ以上の生命維持が困難になり心臓が止まった。それから、かの教授の働きかけにより後藤の言葉は全てが真となったことで、樹に全ての責任を押し付けることができた。そうして、後藤は残ることができ、彼はやっと体が軽くなった気がした。


 3年前のことを話し終えて後藤に樹は怒りがふつふつと湧き上がっていた。

「そんなことのために、あの子供の命を奪ったというのか?」

「そんなこと?俺もあの時はやばかったんだよ。ストレスで生活は乱れるし、自殺も考えるほどだった。」

 後藤は馬鹿にするように笑って言った言葉に樹は拳を握りしめた。

「でも、まさかあの時の教授と一緒にいたのが大分助手だったとは驚いたけどな。そのおかげで俺はあいつに全ての秘密を知られているから、俺はもう逃げられないんだ。」

 彼は力なくベッドの上に腰を下ろし、自嘲的な笑みを浮かべた。

「今回の件はどうして手術中だったのかは知らないけど。解剖の件は、教授が手を回したと思う。助手は教授も脅していると思うしな。」

「何でそんなに大分助手が主導権を握っている?彼をここに紹介したのは教授だろう?」

「何だ、そこは知ってるんだな。」

 後藤の意外そうだと言わんばかりの言葉に樹は一瞬動揺したが、何とか表には出なかったようだ。

「大分助手は元々T大の附属病院にいたんだ。あの人は俺なんかより向上心が高いというか、権力に貪欲な人だ。以前いたその病院でも教授たちからの信頼は大きかったらしいからな。メディアの影響もあるし、病院としても顔となる逸材だったから。それでも今回、こっちに来たのは教授に手っ取り早くなりやすいからだ。」

「じゃあ、どうして今回の件が起こった?そんな人ならなおさら今回のような大きなスキャンダルは望まない展開じゃないのか?」

「理由は分からないし、今回の手術時の本当の死因は分からない。本当に俺のミスかもしれないしな。それに、あの人はマネジメントがうまく頭の回転がそういったことに関しては早いが、手術の腕は良くないらしい。」

 樹の疑問に後藤は疲れたように言った。その声にはほとんど覇気がなく、精神的にロウの状態になっていた。

「分かった。3年前のことも話してくれてありがとう。じゃあ。」

 樹はこれ以上の対話の必要性を感じず、扉の方を向いた。

「何だ。もう行くのか?」

「聞きたいことは聞けたからな。」

「そうかよ。お前のそういう所は変わらないな。」

 樹はもう答えずにドアに手をかけた。

「お前が診ている有名な小説家いるだろう?」

 その時に突拍子のない内容が後藤の口から出て、それに樹はそのまま止まった。

「大分助手はその子との接触を図っているらしい。」

「なぜ?」

「彼女の人脈が欲しいんじゃないか?今回の件を俺に全てをなすりつければ、あの人は晴れて解放されその人脈から紹介してもらった患者を治療して自身の名を挙げたいって所だと思うけど。実際、彼女の治療にはこの大学の理事長や理事に名を連ねているお歴々が注目しているようだしな。」

「分かった。情報ありがとう。」

 樹は言葉を飲みこんでお礼を言った。目の前にいる後藤も彼の言葉から垣間見える大分助手にもそうしなければ歯止めが効かずに言葉だけでなく殴りかかりそうだったからだった。

 その後は少しだけこちらをやじった後藤の鼻で笑ったような声が聞こえただけだったので、樹はそのままドアを開けて出て行った。そうして、早歩きで歩いて休憩室に入り椅子に座って顔を覆った。手で目元は隠せても雫は零れてテーブルに落ちていくので全く隠せていなかった。

「ごめん。ごめん。」

 樹はもう謝る相手がいないことを知りながらも、ただその言葉だけしか出て来なかった。


 どれだけ涙を零していたのか分からないが、時計を見れば19時を回っており、優に1時間ほどはそうしていたことが窺えた。

「こんな顔では病院歩けないな。」

 苦笑した樹は流し台で顔を洗ってとりあえず涙だけを洗い流した。その時、1度あることは2度目も起こるもので、またも緊急用携帯が鳴った。画面を見れば桐山教授だった。

「内山です。」

 樹の声に向こうからホッとしたような息遣いが聞こえた。

「良かった。桐山です。こんな遅くに心配したのよ。まだ帰った様子がなかったから。話長引いたのね。」

「いいえ、話はそんなに長くなかったんですけど、疲れて休憩室で寝てしまいました。」

「そっか。お疲れ様です。私は今日も泊まる予定だから、一度荷物取りに来るでしょ?」

「はい、今から行きます。」

「分かったわ。待っています。」

 そうして、電話を切った樹は休憩室を出て精神科病棟に向かった。

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