新米地図師の足跡

一枝 唯

二度目の冒険

 どこに行きたい?


 ぼくは赤毛の猫に訊いた。


「どこでも。お前の好きなところでいいよ」


 シュトラウスは後ろ脚で耳をかきながら適当なことを言う。


「じゃ、まだ行ったことのないとこ……最北の洞窟にドラゴン退治ってのは?」


 すばらしいアイディアを口に出すと、シュトラウスはぶっと吹き出した。


「アホか。どこでもってのは、身の丈に合う範囲でどこでもってことだ。オレたちのレベルでドラゴンに挑んでみろ、骨も残らないぞ」


「つまんないこと言うなあ。これは冒険じゃなかったの?」


 呆れたのはぼくの方だ。ぼくはシュトラウスの狭い額を指ではじいた。


「できそうもないことに挑むから、面白いんだろ?」


「冒険にも身の丈があるの」


 やれやれ、とシュトラウスは首を振った。


「いいか、キーナ坊ちゃん。死んだら冒険なんて言ってられないの。自分の地図を埋めたいなら、ゆっくりな」


 手元の地図は、空白だらけ。シュトラウスのそれはぼくの倍くらい埋まってるけど、それでも世界の半分にも全然満たない。焦ってるつもりはないけど……。


「じゃ東の森は?」


「うーん、行ってないっちゃ行ってないが」


 シュトラウスは否定するようだった。ぼくはむっとする。


「好きにしていいとか言って、文句ばっかり」


「だから、東の『はじまりの森』はだな」


「『はじまりの森』!」


 ぼくは叫んだ。猫は耳をふせる。


「何のはじまり? 冒険のはじまり!?」


「世界で最初に木が生まれた場所って伝承がある。そこから妖精も生まれたとか」


「ふーん。メルヘンだけどつまんないや。ぼくに関係ないから」


「何でお前の冒険のはじまりが名付けられてると思うんだよ」


 シュトラウスはフンと笑った。


「そういうのは、自分で自分の地図に書き入れてくもんだろうが」


「……そうか。そうだね。シュトラウス、いいこと言うじゃん!」


「やめろ。そんな全力で褒めんな。ちょっとクサいこと言ったなと思ってんだから」


 背中の赤毛が逆立った。照れなくてもいいのに。


「とにかく、森にはそこそこ危険なモンスターが出るんだ。そんな顔すんな、事実を述べてんだろーが」


「だったらどこでもいいとか言わないでよ」


「まあ、そうだな。オレが悪かった」


 猫はヒゲをぴくっとさせながら仕方なさそうに謝った。


「んじゃ提案だ。西の小川を超えるのは? 前回は橋が修繕中だったろ。もう直ってるかもしれない」


「あ、いいね!」


 ぼくは前回の冒険を思い出した。橋の向こうに気になる館? 屋敷? があったのに、行けなかったんだっけ。


「たしか赤い屋根で、風見鶏がついてたよね」


「よく覚えてたな。……ああ、絵を描いてあるのか」


 シュトラウスはぼくの地図をのぞきこんだ。そしてまた笑う。


「お前、地図屋に向いてるよ」


「地図『師』! 地図師だから!」


 地図は距離やら方角やら正確に記すタイプのものと、イメージで描かれるタイプのものがあって、ぼくのは後者。初めての旅には不親切な地図になるけど、リピーターにはかわいいとか言って受けるやつだ。


 何も地図を売って生計を立てようとまでは思ってないんだけど、好んで買ってくれる人がいたらいいなとは思う。ぼくのささやかな夢の一つだ。


「んじゃ西に向かうで決定。準備は?」


「食料オーケー。水もバッチリ。もちろん地図にインク、お気に入りの羽ペンも装備完了!」


 ぼくは緑色の羽がついた長めのペンをくるくると回して見せた。


「よし、これ以上日が昇らないうちに出発だ」


 ぼくたちは橋までのんびり進んだ。おしゃべりしたり歌ったり、野生のリスを追いかけたりして遊んだ。


 危険なモンスターには遭わなかった。運がいい。


「でもな、戦わないとレベル上がんないぞ?」


 猫が指摘する。


「いつかはドラゴン退治したいんだろ? ならこの辺のザコくらい、片手で処理できるようにならないと」


「片手!?」


「例えだ。本当に片手で戦えって意味じゃない」


「よかった」


 ぼくは魔法を少し使えるけど、炎を出すには左手で杖をかまえて右手で決まった動作をする必要がある。つまり片手は絶対無理。


「ま、オレなら片手で戦えるけどな」


「シュトラウスは牙も使うし、そもそも全身使うじゃん」


 引っかくのは片手だけってカウントはずるい、とぼくは抗議した。


 なんて雑談をしている内に、橋の姿も見えてくる。以前に立ち入り禁止とあった札もなくなっていて、普通に通れるみたいだ。


「よーし、渡ろうぜ」


「待って! 描く!」


 ぼくはシュトラウスを制して羽ペンを取り出した。


「あー」


 シュトラウスは不服そうに尻尾を振った。


「お前、館が近くなったらそれも描きたいんだろ? 日が傾く前に着きたいんだけど?」


「イヤミはいいよ」


「別にイヤミじゃねーよ」


「じゃ、水が怖くて早く離れたい? 前に池に落っこちてたよね」


 すぐに上がってきたけどずぶ濡れで、ブルブルと身を震わせたシュトラウスからぼくにまで水滴が飛んできたことを思い出した。


「怖かねーよ! 橋の向こうには危険なモンスターが」


「それ、もう聞き飽きた。っていうか、戦ってレベル上げたいんじゃなかったの?」


「川は境界ってことも多いんだ。生態系が変わる、つまり敵が強くなるのも珍しくない。夜になればなおさらだ」


「むー」


 シュトラウスが真面目に解説する時は本当に危険なんだ、とぼくも分かってきた。


「じゃ、橋は諦めて館だけにしとく。これでどう?」


「それなら時間も大丈夫だろう」


 譲歩ってヤツだ。ぼくも。シュトラウスも。


 館までは程なくたどり着く。ぼろぼろの柵。割れた窓。赤い屋根はずいぶんくすんで見える。風見鶏は落ちちゃったみたい。こういうのを雰囲気よく描くのはちょっと難しい。


「あんまり上手に描けなかったな」


 ぼくは羽ペンをくるくると回してからしまい込んだ。


「そんな日もあるさ」


 シュトラウスはろくにぼくの絵を見ないで言った。


「それにしても、キーナ。住人がいたら怪しまれてるぞ。誰か近づいてきたと思ったら座り込んで、じっと家を見てる」


「誰も住んでないよ。ぼろぼろじゃん!」


「お前な。そんな大声で」


 どうやらシュトラウスは住人がいると思っているみたい。でもこんなボロボロの館にどんな人が住むって? ぼくはずかずか入り口に近づくと、ドアを開けた。


「お邪魔しまーす」


 ギイイと不吉な感じの音が聞こえる。


「お前、誰もいないっつったのに、おじゃましまーすだってよ」


「これは礼儀だよ、礼儀」


 笑われたぼくは、無意識に出てしまった言葉をごまかして、マナーだと言い張った。


 中は薄暗い。外から日の光は入ってるけど、何だか肌寒い感じもした。


「……あ」


 小さくシュトラウスの声。


「何」


「今、何か聞こえた」


「え?」


「あ、動いた。何か、影みたいなもんが」


「またまた。ぼくをおどかそうと、そんなことを」


「いやマジ。マジで」


 シュトラウスの声音は本気のように聞こえた。猫の耳はぼくよりずっといいし、動くものを捉える視力も段違い。となると、本当に。


「どっち!?」


「奥の部屋から、左へ行った」


「……よし」


 ぼくは思わず、腕まくりをした。


「行く気か?」


「だって。探検にきたんじゃないか」


「声が震えてっぞ」


「ふるえてない!」


 全くびびらなかったかと言えば嘘になるけど。でも、冒険にはハラハラがつきものじゃないか。


「レベリングは大事か」


 シュトラウスも腹をくくったようだった。


「オレが先に見てくる。戦闘になったら援護頼むぞ。最初に、防御魔法な」


「う、うん、分かった」


 こくりとぼくは真剣にうなずいた。


 戦闘経験は「あるかないかと言えばある」というところで、正直なところは……出発の町付近で一番弱い相手と二度ばかり。


 ドラゴンはさすがに無謀だと分かってる。夢は地図師だし。でもドラゴンも描いてみたいよね。


「キーナ! 右!」


「え」


 左の方ばっかり見ていたぼくは、慌てて振り向いた。影のような何かが、空を飛ぶ小鳥のような速さでぼくに向かってくる!


「ま、まほう!」


「急げっ」


 これは危険なモンスター? 攻撃される? 不意打ち? ろくな防具も身につけてない。強い攻撃をまともに食らったら――。


 ぼくはぞっとした。


「あれ! あれつかう! 地図師の特性の……『見破る目』!」


 ぼくは叫んで、襲ってきた何かの特定を試みた。


「うーん……あれってフィールドで使うやつだけど。まあいいか。サービスね」


「あんがと」


「キーナ、見ろ、こいつ」


 シュトラウスがブンと尻尾を振った。


「え、これって……フェアリー?」


 ぼくの頬を掠めて反対側まで飛んでったのは、昏い青色の蝶みたいな四枚羽を背中に生やした、手のひらサイズくらいの人だった。


「何で? フェアリーって森にいるんじゃないの?」


「普通はな。それに普通は、こんな好戦的でもない」


「そっちが侵入してきたんじゃないかッ!」


 細く甲高い声だ。


「わあ。フェアリーの声、初めて聞いた」


 ぼくはちょっと感動した。


「羽、青いんだね。透明なのかと思ってた」


「個人差があるに決まってんだろッ!」


「なるほど」


「なるほど、じゃねえ、侵入者!」


「はい」


「はい、じゃねえ!」


「まあまあ落ち着けよ」


 シュトラウスがたぶん、ぼくとフェアリーの両方に対して言った。


「オレはシュトラウス。こっちはキーナ」


「け、こっちにも名乗れってか? ニンゲンなんかに大事な名前を渡せっかよ」


「へー、妖精族は本名を身内にしか明かさないってのはマジなんだな」


 感心したようにシュトラウスは言うが、ぼくはびっくりした。


「え! 不便じゃない? 名前呼べないと」


「普段は二つ名で呼び合うらしい」


 ちらりとシュトラウスはフェアリーの方を見た。


「例えば、『青い羽』とか」


「ダッサ!!! そのまんま!!??? センスなっ!!!!!」


 間髪入れずフェアリーが叫んだ。シュトラウスはヒゲをヒクヒクさせる。


「例えばっつってんだろ。分かりやすくしたんだよ!」


「じゃあ君の呼び名……二つ名?は何?」


 これなら教えてくれるのだろうか、とぼくはそっと尋ねた。


「『闇夜空を纏いし若枝』だ!」


 どうだ、とばかりにフェアリーは胸を反らした。


「うわっ、厨二!!」


 シュトラウスがやり返したが、フェアリーは気にしないようだった。


「ちょっと呼びづらいなあ……夜空、でもいい?」


 考えてぼくは提案した。


「仕方ない」


 不満そうではあったが、フェアリー、夜空は認めてくれた。


「勝手に入ってきたのはほんとごめん。ここは、その、君の家なの?」


「んなワケあるか。じーさんちだよ」


「じーさん?」


「妖精族の友になったニンゲンのじーさんがいてな。もういないけど。そのじーさんとの縁があって、ここの裏庭と妖精の森がつながってんだ」


「え! すごい!」


「実際すごいな。フェアリーは人間のことをイタズラ相手くらいにしか思ってないって聞くぜ」


「え! そうなの?」


「まあな、否定しないよ」


 夜空はニヤッとした。


「でも例外ってのはあるもんさ」


「つながってるって言ったよね。妖精の森って、東の森にあるんだよね?」


 ぼくはすちゃっと羽ペンを取り出した。


 聞いたことがある。東の森は広大で、その一部には妖精たちが暮らしているところがあるって。


「えー、どうやって描こう!」


 地図の上で、どんな風に表現したらいいだろう?


「記号で描けば?『※』とか」


「かっこわるい」


「実用的ではあるだろ」


 シュトラウスはぼくのロマンを解しないで言ってくる。全く気に入らないんだけど、とっさに名案も浮かばず、ぼくは渋々と館の裏と東の森に※印を書き入れた。あとで絶対に直す!


「おまえ、何描いてんだ?」


「地図だよ。この世界を歩いて全部描ききるのがぼくの夢なんだ」


「フーン」


 夜空はあんまり感銘を受けた様子じゃなかった。ま、分かってもらいにくい夢だとは思ってる。


「で、侵入者ども」


「キーナ」


「シュトラウス」


「キーシュか」


「まとめるな!」


「あっはっは」


 ぼくは大声で笑ってしまった。


「いーね、ぼくたちのコンビ名だ」


「ダサい!」


 シュトラウスは文句たらたらだったが、ぼくは悪くないと思った。


「これからはそう名乗ろう。ふたり合わせてキーシュ!」


「や・め・ろ」


 どん、とシュトラウスは――テーブルを叩いた。


 そのときだ。




「あっ」


「おっと」


「わー! あたしの地図!」


 あたしは叫んで、こぼれた麦茶からスケッチブックを守った。


「よかったあ、かかってない」


 ほっと胸をなで下ろす。それからシュトラウス、もとい、兄貴をにらんだ。


「危ないじゃん?」


「悪かったって」


 手早く机の上をタオルで拭きながら、兄貴は謝った。


「ちょうどいいや、休憩にしよう」


 兄貴の友達のカイさんがぱたんとシナリオブックを閉じた。


「柚希菜ちゃんはロールプレイ上手だよね。二度目とは思えない」


「やりすぎだよ。設定作りすぎ。地図師なんて、メインのジョブじゃないのに」


「いーでしょ、気に入ったんだもん、地図師」


「あとな、絵を描くのにターン数使うとか、オレらだからいいけど普通は嫌がられるからな」


「意地悪言うなよ、伊織」


 カイさんがフォローしてくれる。


「魁は甘いよなー、さっきの特性発動と言い」


「そうじゃないよ。絵を描いた時にダイス目がよければ分かることもあったし、そもそもシュトラウスも探索していれば何か見つかったかもだよ?」


「マジか」


「館に入るより先に裏庭行ったら、ちょっとしたイベントも用意してたんだけどなー、他に回すか」


 わざとらしくため息をついて、ゲームマスターは何やらメモをした。やれやれ、と兄貴はカラになったコップを手にする。


「入れ直してくる。お前らもいる?」


「僕は大丈夫」


「あたしは」


 少し迷ってから、中身をぐいっと飲み干した。


「ちょーだい」


「へえへえ」


 差し出したコップを兄貴が受け取ってくれる。普段なら「自分でやれ」って言われるとこだけど、たぶんさっきの詫び代わりなんだろうな。


「あ、カイさん。夜空って男の子? 女の子?」


「妖精族は、外見からは性別が分からないんだ」


「そっか。じゃあ本人にあとで訊いてみる」


 あたしはダイスをいじりながら、キーナの次の行動について考えた。


 このあとキーナとシュトラウスは夜空の案内で妖精の森へ行くことになり、「じーさん」の思いがけない話を聞くことになるんだけど――続きはまたいつか、改めて。


―了―

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