第56話 ペロハチ

 人間は自分の知識や経験則で識別し処理できる物事以上の出来事に遭遇した時、脳のキャパシティがオーバーし、フリーズする事がある。


 ヤックルも例に漏れず、知能に障害がありほんの些細な事で固まり緘黙する、この世界に当然の事ながら確固たる治療法が存在しない、心療の医療分野の研究観察対象になっている精神障害者と同じ状態になり、魔法石の声からはっと我に帰ると、200メートル程の近距離に、先程パニックを起こす原因となった細長い風船がいる。


「ヤックル、何か分かったか!? 分かり次第退避しろ!」


 トトスの声は、ヤックルにとって苦痛であり、危害を加えられる攻撃手段があるのかまだ分からない為、迂闊に近寄りたくはないのだが、風向上、風の動きで飛んで行かざるを得ない熱気球は例の風船の近くまで飛んでいる。


「……?」


 その風船は、この世界の技術力では到底困難なのだろうが、秘密兵器として秘密裏に製造をしていたのか、600メートル程の細長い風船状の物体の下部に回転式砲弾のようなものがついている。


(これは、こんな得体の知らない代物は、今まで見た事がないぞ……! いや、これと似たものを俺はどこかでみた事が……! 何だろうこれは……!?)


 ヤックルは、今まで吸収した知識をフル回転させ、目の前にある物体が何かと想像を始める。


 バン、という音が鳴り響き、ヤックルの目の前で火薬が炸裂した。


「うわあっ」


 風船の下部付いている大砲らしき細長い一つの物体からは弾丸のようなものが発射され、ヤックルの乗る熱気球の前で炸裂している。


「ヤックル! どうした! 応答せよ!」


 トトスは攻撃を受けているヤックルを心配そうにして見つめており、魔法石で安否を問いただす。


 ヤックルの、やや理系寄りの頭の中の一ページが何かの拍子にめくれ、その中に書いてある、ゴードンから見せて貰った分厚い本のイラストを思い出す。


「……思い出した!」


「何だ、何を思い出したんだ!? エロ本の隠し場所か!?」


「いやトトス司令、そりゃセクハラです! これは飛空船で……うわあっ!?」


 熱気球が破裂し、ヤックルは空に放り出された。


 🐉🐉🐉🐉


 ヤックルが命の危機に陥っている時、勝は零戦を追尾していた。


(零戦はこんなに早いものだったのか……? せいぜいドラゴンの飛翔速度は体感で500キロ程度だが、これは600キロ以上出てるぞ……! まるで、ペロハチのようだ……!)


 零戦は勝が知る零戦とは違い、高速でジグザグに飛行しており、ゼロの息が上がっている。


「しっかりせんか、ゼロ!」


「グギャア!」


 ゼロは勝の叱咤激励に気を取り直し、零戦を追尾しているのだが、いかんせん速度が違い過ぎており、零戦は雲の谷間を切り抜けた。


「クソッタレ!」


 勝はまだ雲の中におり、追尾が不能になった事を悔やんでいる。


「おら!」


 アレンの声が魔法石越しに聞こえ、雲の谷間を抜けると、オスカーが零戦に向かい炎を浴びせかけているのが勝の目に飛び込んできた。


 零戦は主翼から炎を噴き出しながら下降を始めており、勝は10.0となった視力で零戦を見つめている。


(……!?)


 勝は零戦の外面に異変らしきものを感じており、それはかつて自分が搭乗していた旧日本軍の戦闘機の機体とは若干異なっているのである。


「やった! 撃墜した! 俺の手柄だ!」


 アレンは強敵を撃墜した事で、勲章が貰え、賞金で女郎屋にいるNo. 1の女性従業員を口説き落とそうと、取らぬ狸の皮算用をしている。


「いや、まだ撃墜したとかはハッキリとわからん!

 しかしアラン司令は大丈夫なのか!?」


 勝は零戦の攻撃を受けて撃墜されたアランの安否が気にかかっており、辺りを見回すが雲しか広がっていない。


「いや、全然分からん! てか別に死んだもいいだろ!? あの童貞野郎は! 包茎なんだよあいつ!」


 アレンはアランが余程嫌いなのか、問題とも言える発言をしている。


「馬鹿野郎! 何言ってるんだ貴様は! それでも軍人か!?」


 勝はアレンの発言に苦言を呈すのだが、30過ぎて童貞なのは些か人間性に問題があるのだなと、25歳にもなるのにまだ童貞である我が身を棚に上げてため息をつく。


「いやお前固すぎるんだよ! 頭がカチコチだし! ちったあ緩めよ!」


「何だと! 貴様後で覚えておけ!」


「上等!」


 アレンは勝を鼻で笑い飛ばして旋回をしようとすると、オスカーの腹に何かが炸裂した。


「グギャア!」


「うわあっ!」


 オスカーは幸い致命傷では無く、出血もそこまでひどくなく鱗が二、三枚剥がれ落ちた程度で、若干下降したが直ぐに元の高度へと戻る。


「な、何だ!?」


 勝の目の前を、先程撃墜した筈の零戦が弾丸を発射しながら高速で横切っていく。


 発火した筈の火は消えており、装甲板があったのかと勝は恐怖を感じる。


「撃墜した筈じゃあなかったのか!?」


 ヤーボは太陽に向かい上昇を始める零戦を恐怖の視線で見つめる。


「いや、多分急降下して火を消したんだ! 零戦には装甲板はない筈だ!」


 勝は零戦の構造を熟知しており、空中戦を重視するあまり装甲板を取り外して、被弾するとすぐに火が出る筈なのにと思案に駆られる。


 零戦は勝達に弾丸を放ちながら急降下を始める。


 勝は零戦の栄エンジンとは少し違う、やや細長いエンジンに違和感を感じながらゼロに退避運動を取るように手綱を引く。


(落ち着け……あの速度は零戦には到底出せない筈だ……しかし、零戦のエンジンは丸く、細長くはなかった筈だ。あれは、まるでペロハチのようだ……この世界には、複雑なエンジンを容易に作れる工業力はまだ存在しない、良くても熱気球を作るのが関の山だ……! 俺がこの世界に来た時に零戦に乗ってきた、黒の死神は虹色の雲に入った……。もしかして、あいつがここにいるのか!? まてよ、もしかして……分かった!)


「分かったぞ!」


「何が分かったんだ!? クソッタレ、あの野郎、オスカーにあんな事を……!」


 アレンは竹馬の友との関係になったオスカーに回復呪文を掛けながら、零戦の攻撃を退避している。


「あいつはそんな遠い距離は飛べない! 戦闘領域から退避しよう!」


 勝は昔、P38と対峙した時の事を思い出し、退避することを皆に勧めた。

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