第8話 クソ眼鏡野郎

 ムバル訓練所の1日は、朝7時に起床して30分の身支度と食事の後、兵士としての心構えと戦術を学ぶ為の座学、昼食後に後に5キロ走り、筋トレを1時間、素手での格闘やスパーリングや剣術実戦訓練を行い、その後は自由時間となっている。


 魔道士の訓練を行う場合は座学と魔法力を高める訓練が中心なのだが、魔法が使えなくなった場合の護身術として、日本でいう合気道のようなものを学び、体力作りとしてランニングが5キロ、筋トレを1時間ほど行う。


 勝は予科練では基礎トレーニングをしてきて体力には自信があったのだが、筋トレは現代でいうバーベルやダンベルを使ったトレーニングやスクワット、体幹トレーニングなどの予科練では無かったメニューがあり、戦地でのやや栄養不足気味の身体は悲鳴をあげていた。


 だが、戦術での腕前は、予科練時代に空手と柔道、剣道を学んでいたために格闘技の基礎はできており、メキメキと腕前を上げていった。


 勝達が訓練所に入り、ひと月が過ぎたある日の事、次の日が休みということがあり、休みを貰いアレンと共に、酒場に出向いた時の事だ――


「俺ここ辞めるわ」


 勝達の席の隣で、ある一人の分厚い眼鏡をかけた、同じ年端の男が、一緒にいる女に愚痴り始めているのを耳にする。


「辞めるだと!? 国家の一大事に……! 誰だそんな不謹慎な事を言っているのは!?」


 勝はムバル国の一軍人としての心構えが出来たのか、退役をする仲間をあまり快くは思っていない。


「おいあれ、見習い魔道士のマーラとヤックルじゃねぇか?」


 ドレスという、麦を発酵させた、日本でいうビールのような味の酒をちびりと飲み、体力をつけるのにも関わらず煙草と変わらない成分のオモコをすぱすぱと吸っているアレンは、ニヤニヤとその凸凹の組み合わせを見ている。


「アレン、知っているのか?」


「知ってるも何も、ヤックルっていうあのクソ眼鏡はな、訓練所での落ちこぼれだ、元々は学者志望で学校に行ってたが、このご時世で徴兵されたんだよ」


「徴兵? でもここは志願制じゃないのか?」


「それがな……」


 アレンは、クククと笑いを堪いながら、勝の肩を叩く。


「あいつの親はそれなりにできる魔道士なのだがな、あいつは火弾が1、2発ぐらいしか使えない落ちこぼれなんだよ。まぁちったぁ、訓練で良くはなっているのだろうが、ここの場所では落ちこぼれなんだよな……」


「はぁ!? アレンさん、それだけで人を判断するのは良くないぞ! 話を聞こうじゃないか!」


 勝は、日本の焼酎よりもアルコール度数が高い酒が気に入っており、次の日が休みということがあり5杯もあけてベロベロに酔っ払っており、アランはやれやれと言った具合でズカズカと彼らの席に向かう勝について行く。


 この酒場は訓練所のすぐそばにあり、彼ら訓練生にとっては憩いの場所である。


 日本でいうサイダー瓶のような瓶がカウンターに置かれ、歌手が歌う舞台があり、それを取り囲むようにテーブル席があり、日本の演歌や軍歌とは違う、ソプラノ歌手が歌うオペラのような音楽が流れる異質な空間に勝は初め慣れなかったが、もうすでに慣れてしまっている具合である。


『イマタウ』という名前の安い酒場に、勝は見事にハマっていた。


「おい貴様、この国を守れないだと!? この非国民!」


 ヤックルは町のチンピラに絡まれたかのような、この世界では髪を染料で染めない限りは目にかかれない黒髪の目の座った勝を恐怖に怯えた顔で見ている。


 隣にいる、この熱気で暑いのか、タンクトップ姿でやや露出度の高い、Eカップ寄りの胸の谷間を見せている魔導師訓練生の、勝とそんなに年が変わらない女は、この人薬やっていてヤバいんじゃないのかと言いたげな目で勝を見やる。


「おいこのクソ眼鏡、魔法が使えないぐらいでビビるな! 俺は全く使えないが、こうして、元の世界に変えるために訓練を積んでるんだぞ! 貴様は火弾一、二発ぐらいしか使えないだろうがな、五体満足だろうが! たしかに目は相当悪そうだが、俺は結核や指がないだけで兵役に落ちた人間は見てるんだよ!」


 太平洋戦争中に徴兵制度はあったのだが、五体不満足な人間はことごとく丙種となり、戦機揚々で血気盛んなのにも拘らず戦地に行けなかったのである。


「でも、僕は魔法がそんな得意じゃないし、それに、第一志望が竜騎士だったが、視力が悪くて落ちたんだ! ……もう、辞めようかなと……」


 勝は、ヤックルが言い終える前に、喝を入れるのか、ヤックルの頬をパチンと叩いた。


「馬鹿野郎! お前、親がいるだろう! 自分を産んでくれた親を護るのが子供の役目だろうが!」


「……」


 ヤックルの目から涙がポタポタと零れ落ちて、厚さ1センチ程の乱視と近視が入ったヴェリントンタイプの眼鏡に零れ落ちる。


「その話は、私がなんとかしよう……」


 彼らの喧騒を、カウンターの奥で聞いていたハンチングを被り花柄のローブを着たキザな男がゆらゆらと勝達の元へと近寄ってくる。


 その男は、肌ツヤは30代前半なのだが、黒のハンチングから覗かせる髪は白髪混じりで、老けて見える。


「何者だ貴様は!?」


「俺の名前はゴルザだ……ゴルザ・シルファリオ。それ以上名乗るつもりはない」


 がしゃん、という音が聞こえて、勝たち客は音の鳴る方に一斉に向く。


「おい! さっきからてめえら五月蝿えんだよ! 酒がまずくなるだろうが!」


「何だとこの野郎! 親からもらった体に刺青を入れていて!」


 勝がいうそいつは、よほど体に自信があるのか、上半身裸で筋骨隆々の体に所々に、ドラゴンの絵を彫っており、そいつを見たアレン達は恐怖に怯える。


「お、おい、勝……逃げようぜ……! あいつ、人殺しのマルクスだ、ここ入る前に3人人殺していて死刑になる所を兵士になる事で免除になったんだよ……!」


 アランは勝に小声で呟き、そそくさと逃げる身支度をしている。


「おぃ、てめぇ、パシリのヤックルじゃねぇか! 生意気に兵士になるんか、テメェじゃあ無理だ!」


「……」


 ヤックルの顔が青ざめてゆくのを、勝達は見逃さなかった。


 勝は今にも殴りかかろうとする勢いでいる。


「おい、この刺青野郎! ヤックルさんと何があったか知らないが、勝負だ! ヤックルさんとだ! 期日は一週間後だ!」


「え……?」


「上等だ、おいテメェ、学生の頃のように金もってこいよ! 毎月なあ!」


 マルクスはガハハと笑いながら、酒を口に運ぼうとするのだが、腕が止まり、酒の入った小瓶を床に落とす。


「な!? 身体が動かねー!」


「詳しい事情は知らんが、逃げるぞ……」


 ゴルザは勝達にボソリと呟き、彼らはお金を釣りはいらねぇよと店員に渡して、逃げるようにして立ち去っていった。


 🐉🐉🐉🐉


 深夜0時過ぎ、誰もいない夜の噴水のある広場に、彼らはいる。


 赤色の月夜が彼らを照らし始めているのだが、ヤックルは下を向いたまま、噴水の脇で俯いている。


「なぁ、ヤックルさん、あの無礼な男と何があったんだ……?」


 勝は酔いが覚めたのか、いつものように冷静な顔つきで悲壮な顔をするヤックルに尋ねる。


「いじめ、られた……」


「え?」


「いじめられたんだ、3年間ずっと……。お尻に火をつけられたり、オモコの火を押し付けられたり、家の金を持って来いと言われて持ってきたこともあった。……もう、この国から出るよ、逃げれば……」


「いや、そいつぁいけねぇな……!」


 ゴルザはヤックルにそう言って、手を空にかざす。


 数秒経った後に、バスケットボール20個分の火球の塊が上空に浮かび上がる。


「な!! あれは、火炎系呪文最上位の煉獄! 何であんたが……」


 ヤックルがそう言った後、その火は消えていく。


「俺は単なる風来坊さ……君にこの呪文を使えるようにする。できるか?」


「え!? 俺にこんなの無理っすよ……!」


「できなかったら君は一生あいつに付きまとわれるぞ……」


 ヤックルの脳裏には、学生時代にいじめられた過去が蘇ってきて、顔が恐怖に怯えるのだが、自分のなかにある、ほんのちっぽけな勇気と闘争心に火がついたのか、目の色が変わった。


「や、やります!」


「よし、訓練が終わったら毎日この広場に来い、秘密訓練だ」


「は、はい!」


 彼等はヤックルの勇気をみて、ニヤリと笑った。


「なぁ、アンタ名前なんて言うんだ?」


 アレンは、胸がでかくで美人の女魔導師を見て、ナンパをするつもりなのかニヤニヤと下品な顔つきを浮かべている。


「マーラ・ベンジャミンよ。こいつと同じ魔導師部隊の訓練生。でもこいつほど落ちこぼれじゃないわよ、火弾も3発使えるし」


「同じじゃねぇか!」


 アレンの一言に、周囲はドッと笑いに包まれる。


 彼らの行く末を、紅の月が照らしていた。


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