第4話 ドラゴン

 戦時下なのにも関わらず、藍色と朱色の混じった着物を着、薄紅色の口紅をつけた美女が勝の隣におり、勝の体に白魚のような手を添えている。


 遊女……それは、人様から羨望と侮蔑、卑猥な目を投げかけられる、淫靡な存在。


 金を支払えば一晩の性交渉をしてくれる、いわば現代の性風俗店の元祖なのだが、勝は出征前に先輩の航空兵から誘われて、戦地に出向く前に筆下ろしをしろと言われて、そこにいる。


「ねぇ、そろそろ、やりましょうよ……」


 その遊女は、淫靡な視線を勝に送り、勝の股間に手を当てる。


「あらっ……」


 勝は、禿げている人が被っている帽子を取られたかのような、知られてはいけない秘密を知られてしまった、バツの悪い顔をして俯いている。


「あなた、不能なのね……」


 その遊女は、侮蔑の視線を勝に送り、ぶっと吹き出した。


🐉🐉🐉🐉


「はっ」


 勝は、朝日が顔にあたり、眩しくて瞼を開け、股間に違和感を感じて見やると、勝の股間は、褌がはち切れんばかりに、見事にそそり立っている。


(あの時の夢を見たのか……)


 勝はエレガーの瞬間移動魔法を使う寸前で気を失った事を思い出し、面目ない気持ちに襲われる。


 出征前に立ち寄った遊郭で、遊女と一夜を共にしたのだが、女性に免疫がない勝は極度の緊張で立たずに、添い寝をしてもらって一晩を過ごした。


 その事を先輩に話したら、爆笑されてしまい部隊で瞬く間に噂になってしまった。


「あいつは、20歳になるのにまだ筆下ろしをした事がない童貞野郎」――


 噂の発信源である先輩の航空兵は、勝と同じ中国戦線で99式艦上戦闘機に乗り、最新鋭のP41カーチススカイウォークになすすべも無く撃ち落とされた。


 新型の零戦が届いた後に、勝は敵討ちとばかりに敵を20機撃ち落としたが、どんなに勝が修羅場をかいくぐり敵を撃ち落としても、先輩は帰っては来ない。


「撃ち落とした敵兵にも、家族がいるのではないか? だとしたら俺は、この戦争が終わったら単なる人殺しになるのではないのか?」――


 勝の同期の兵士は、敵を何機撃ち落としたとかの話で盛り上がっているのだが、人を殺したという非人道的な行為が戦争という人殺しが合法化される行為でうやむやになっている事実を理解できない心境のまま、勝はラバウルへと出向き、死ぬか生きるかの戦闘で心は擦り切れて大切な疑問は無くなり、いつしか鬼神と呼ばれるようになった。


 だが――ほんの一瞬なのだが――自分は人殺しだという気持ちが勝の心の片隅で芽生えては、消えていく。


 ドアがノックされる音が聞こえて、ジャギーが入ってくる。


「勝さん、目が覚めた? 魔法なんかで気絶しちゃってさあ! 長老の元へといく時間よ……って、きゃっ!」


 勝の今の格好は、褌一丁で愚息がそそり立っているという変態的な体たらくである。


🐉🐉🐉🐉


 魔法研究所所長で、この国の中で最強と言われている魔法使いのジールは、高齢のために一線を退き、一番弟子でジールの次に魔力が高いトトスに魔法使い部隊隊長を任せ、得意としている結界魔法でこの国を守っている。


 そして、ムバル国の長老として若い時に培った知識を使ってカヤックの相談役になっている。


「チッ、この変態が……」


 ジャギーは口が悪ガキのように悪く、舌打ちをしながら勝を汚物を見るような目で見やる。


「失礼だろ、ジャギー! あれは、男性の生理現象だからな……!」


「じゃあ、エレガーさんも朝あんな感じなの!? 嫌らしいったらありゃしないわ、朝っぱらから!」


 ジャギーはため息をつき、勝の今着ている戦闘服を見やる。


「勝さん、やはりその服は目立つので、この国の服を着てくれないか? やはりその服はちょっと……」


「なにぃ!? これは、天皇陛下が下さった服だ、脱ぐわけにはいかん!」


 勝は自分が大日本帝国の軍人であるというプライドがまだ完全に抜けていないのか、戦地で着替えがなくろくに洗ってなく異臭が漂い、落下の衝撃でボロボロに擦り切れたカーキ色の戦闘服を大事に着ているのだが、何も知らない人間からしてみれば単なる食い潰した浮浪者にしか見えない。


「でもダサいわよ、モテないわよそんなんじゃあ……臭いったらありゃしないわね」


「何だと!? 貴様、天皇陛下から戴いた服を馬鹿にするのか!? ……無礼な奴だ!」


「勝さん、そんなこと言ったら、ここでは目をつけられますよ。あなたは異世界の人間ですから、目立った格好をしないのが無難ですよ、ジャギー、君は相変わらず口が悪すぎるぞ。またふられたんだろ?」


「ぐっ、分かったよ、着ればいいんだろう。変な格好だったら承知しないからな!」


「なんで私がふられたの知ってるわけ!?」


「一度にいろんなことを言わない、勝さん、ちょっとそこにいてください、服持ってきますから。ジャギー、そりゃ君がな、露出度の高い格好で迫ったら淫売だと誤解されるだろう? お洒落もほどほどにな……」


 エレガーは、詠唱をし始める。


「何だ、貴様こそダメではないか! 売春婦ではあるまいし、女なのであれば、貞操というものを持たねばダメだろうが!」


「パンツ一丁で立っていたあんたに比べたらマシよ! その変な服に魔法で火をつけるからね!」


「変な服だと!? 陛下からもらった服をそこまで小馬鹿にするとは許さぬ!」


 勝は胸のポケットから拳銃を取り出そうとするのだが、入っているはずの拳銃は無い。


「な、拳銃がないぞ!」


「あぁ、それならねぇ、やばそうだったから軍に渡したわよ、見たことがなかったから! ちょっとねぇ、小娘にムキになっちゃっていいわけなの!? ねぇ、あんた今まで付き合ったことないでしょう!?」


 エレガーの腕には、白のシャツと黒のチノパン、ローファーが何もない空間から現れて、勝はジャギーを平手打ちしようとするのを慌てて止めた。


「な、凄いぞ、なんて便利なんだ! くそっ、俺が使えればいいのだが!」


「とりあえず着てください、着終えたらドラゴンで送ります、魔法は苦手でしょう?」


「別の部屋で着替えてよ!」


 勝は魔法の素晴らしさに感動を隠せぬまま、隣の部屋へと足を進める。


 🐉🐉🐉🐉


  草原の中心に石畳の円形の場所があり、そこには、異質ともいえる存在がある。


 全身に生えた緑色の鱗、空に向かってそそり立つ尖った角、蝙蝠のような翼、大砲のような咆哮、全てを切り裂かんばかりの鋭い鉤爪――全長10メートルは優にあろうかというドラゴンを、勝は恐怖と驚きが入り混じった表情を浮かべてみている。


「エレガーさん、これは一体なんだ?」


「ああ、これはドラゴンという生き物ですが、見たのは初めてですか?」


 勝はエレガーの返答に、首を縦に振り頷いた。


「いや、日本、いや、世界にこんな化け物はいないのだが……」


「貴方って本当に異世界から来た人なのねえ、早く乗りましょうよ」


「何!? これに乗るのだと!?」


「それとも、瞬間移動魔法で送りましょうか?」


 エレガーは、ドラゴンを見て立ちすくむ勝を見て憐れみのような表情を浮かべてそう言う。


「いえ、あれは気分が悪くなるからいい!これで送ってくれ!」


「分かりました」


 勝はエレガーに誘われるがまま、ドラゴンのいる方へと足を進める。


「グルルルル……」


 そのドラゴンは口元から火が漏れ出して、異質な存在の勝を警戒心を持った目で見つめている。


「いや、この人は俺達の仲間だ、乗らせてもらうよ」


 エレガーはそのドラゴンの頭を撫でると、ドラゴンは背中を彼等に向ける。


「では、乗りましょう」


「あ、ああ……」


 エレガーとジャギーは慣れたもので、背中に乗るのだが、勝は零戦とは勝手が違うのか、背中に乗るのには苦労している。


「手を貸しなさいよ」


 ジャギーはたどたどしい勝にしびれを切らしたのか、勝の手を握り、無理やり勝を乗せる。


(なんて暖かいんだ、あの人の手の様だ……)


 勝の脳裏には、出征前に出会った遊女と手を繋いだ思い出が蘇る。


「何にやにやしちゃっているのよ、行くわよ」


「行くぞ!」


 エレガーはドラゴンの首に下げされているひもを引く。


「グルグル…‥」


 ドラゴンは、大きな翼をはためかせて、飛び立つ姿勢に入る。


 ドラゴンの上昇は当然の事ながら飛行機とは違い、エンジンが無く、翼による飛翔となる。


 翼から来る風は勝達の体に当たり、勝は軽い寒気を感じる。


「うおおおお……」


 零戦とは明らかに違う、生物が行う飛行に、勝は驚きを隠せないでいる。


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