ベストパートナー

増田朋美

ベストパートナー

その日も涼しくて、一寸肌寒いくらいだった。ちょっと、風が吹いていて、もうエアコンはいらないなんて、多くの人が口にしているかもしれない、そんな日だった。とにかく今年は、大雨がさんざん降った後に、そのあとで、強烈な猛暑が続いてしまい、そしてまたこの肌寒さという天変地異が横行する年でもあり、みんなどこかで体調を崩したり、体の調子がおかしいと言って、民間療法に頼る人が増加していたのである。

そんな中。

「へえ、また個展を開催するんですか。いいですね、精力的に絵を描いていらして。」

と、蘭は、にこやかに二人の顔を見た。その顔は確かににこやかな顔であったけれど、一寸うらやましいなという表情でもあった。

「ええ、そうなんですけどね。うちの福島県では、風評被害が多くて、なかなか個展を開催できないということもあるんだけど。」

と、前田恵子さんは、にこやかに笑った。隣にいた、前田秀明、旧姓小濱英明が、一寸照れくさそうに蘭の方を見た。

「僕のうちは、施術の予約はあっても、手直しとか、そういうものばかりですよ。」

「まあ蘭ちゃんも、今年は我慢の年じゃないの。今は天変地異もあるし、発疹熱の流行もあるし、それが終わったら、また大掛かりな龍を入れることだってできるようになるわよ。」

恵子さんは、そういうのんきなことを言っている。

「それにしても、僕に用があるって一体何があったんですか?」

蘭が聞くと、

「ええ、あのね、蘭ちゃんの顔で、どこか個展をやれるような場所を紹介してもらえないかしらね。」

と恵子さんは言った。蘭はそれを聞いて力が抜けてしまう。なんだ、個展を開くにも場所が決めてないのか。と、なんだか準備不足であきれてしまったのだ。

「ええ、そんなこと僕は知りません。富士市のコミュニティセンターとか、そういうところに聞いてもらってください。」

「ええ、そうなんですけどね。」

と秀明が、蘭に続けていった。

「そうなんですが、そこには当の昔に聞きました。でも、人が集まるようなイベントはやめてくれって、断られてしまって。それは福島のコミュニティセンターでも、富士のそれでも同じなんです。」

「だから、蘭ちゃんの顔で、どこか紹介してほしいの。小濱君の絵を、広めてくれるような、展示場がないかって。あ、もし、良ければレストランとか、そういうところでもいいわ。とにかく広い場所があって、絵を置くところがあればいいの。リーフレットとか、そういうことは、こっちでいくらでも作るから。」

「そうなんだけど、、、。」

「そうなんだけどじゃないわよ。蘭ちゃんの家は富士でも名のしれている家庭なんでしょう?それなら、あなたが、小濱君の展示会の後援になってもらってもいいわ。それで、ぜひ小濱君の展示会を成功させてやってよ。」

強引に持っていく恵子さんに、蘭は困ってしまった。まったく、そんな風に自分たちの事ばっかり考えて、常識がない人たちだなあ、と思う。

「それとか、医療機関とかそういうところでもいいわ。小濱君、このように隻腕でも

あるから、それを利用すれば医療機関でも、展示会ができるかもしれないわ。」

「そうですね。今時、人が集まるのは、医療機関しかないですからね。」

恵子さんがそういうと、秀明がそう口をはさんだ。

「でも、腕が一つしかないことで、同情票をもらうのは、ちょっと僕は好きではないですよ。」

確かにそれはそうだ。それはベートーベンだって同じことを言っていた。障害者が障害を売り物にしようとすると、大体成功しないことが多い。それは、大体のひとは

単なる同情票しかもっていないか、それとも、自分の心の中で、ああいう障碍者より自分はましだという気持ちがあるからだと思われる。

「そうだねえ。その気持ちがわからないわけでもないですよ。僕も、刺青の原画展などをやっていたときに、そういうことを言ってきた人がいなかったわけでもないですからね。」

と、蘭は秀明に言った。

「まあ、そんなこと言って。そういうこと言うから、小濱君が画家として全国的に広まらないんじゃない。そんなこと、ただのやっかみとして、解決させればそれでいいのよ。」

恵子さんが強気でそういうことを言うが、秀明はちょっと自信がなさそうな顔をしていた。

「とにかく、会場を貸してくれる場所を教えてよ。このままじゃ、毎年恒例の、個展ができなくなっちゃうわよ。あたしたちは、結婚した時の約束なのよ。年に一度は、個展を開いて、お互いをほめあっていこうねって。それで、福島のいろんなところをあたってみたけど、どこの会場も人が集まるところはダメだの一点張りなのよ。だからこっちまで来させてもらったというわけなのよ。」

「はあ、そうですか。でも、流行っているのは、福島でも静岡でも同じだと思うんだけどねえ。」

と、蘭が言うと、

「いいえ、静岡の感染者数は、福島の半分もいないわ。静岡のひとは意識が高いわね。」

と恵子さんに一蹴されてしまう。これでは蘭は、必ず何か会場を提示しないと、ダメだという立場に立たされてしまったようだ。杉ちゃんなら、自分の意志を押し通してしまうこともできるだろうが、蘭はそういう男ではなかった。なので蘭は、何か会場になりそうなものを、言わなければいけないと思った。

「それでは、先ほど医療機関でもいいわと言いましたね。」

と蘭は、恵子さんにそう聞き返す。

「ええ、かまわないわ。福島の病院のギャラリーに出品させてもらったことあるけど、その時も好意的にやってくれたから。」

恵子さんがそう答えると、蘭は、こういうところでもいいかなと思って、

「じゃあ、この医療機関ならどうでしょう。ちょっと、つらい人たちがいるようなところですけど、秀明さんの絵は、いわゆるパステルアートと言われるものもありますから、良いのではないかと思います。」

と言って、ここに電話してくれるように促した。蘭が書いたメモ用紙には、影浦医院と書いてあった。

「ちょっと心のつらい人たちが通ってくる病院ですが、それでよければここは広い場所もありますし、パステルアートの展示会ならできるんじゃないかな。」

蘭が、影浦医院の電話番号を書いたメモ帳を恵子さんに渡すと、ありがとうございますと恵子さんは言って、ありがたく受け取った。

「過去に、患者さんの絵を展示していたこともあるそうです。よろしかったら試しに電話してみてください。」

と、蘭はこれ以上関わりたくないという顔で言った。それは、恵子さんたちも理解してくれたらしい。

「どうもありがとうね。蘭ちゃん。これであたしたちも、今年も展示会ができてうれしいわ。」

と、恵子さんはそういうことを言っている。まだ決まったわけではないのにと蘭は思うけど、恵子さんたちは、すぐに電話して、個展を開く支度をしましょうとかそういうことを言っていた。蘭は、彼女たち二人の話が、うらやましいというか、恨めしく見えた。

「じゃあ、そこに行ってみてください。きっとうまくいくと思います。」

蘭はしかめっ面をして、恵子さんたちにそういった。恵子さんたちは、じゃあすぐに行ってみようかと言って、影浦医院場所を地図アプリで調べ始めた。今はなんでもこういう風に、アプリでなんでも調べられるから、人なんて使わなくてもいいじゃないかと思うのであるが、大事な時にはやっぱりそういうわけにはいかないのだと、蘭は無理やり思うことにした。

恵子さんたちは、影浦医院の場所を調べると、すぐにお願いに行くからと言って、そそくさと蘭の家を出ていった。蘭は、やれやれという顔で、恵子さんたちが帰っていくのを見送った。


其れから、数日後の事であった。蘭はいつも通りわずかばかりやってくる客の背中や

腕などに入れられた刺青を手直しすることを、仕事としてこなした。本当に、やる気が出なくて、なんだかこういう仕事をしていても、つまらないよなあと思うほど、毎日はつまらなかった。イベントは、いろんなことでキャンセルになるし、公共交通機関も、入場制限で乗れなかったり、そしてテレビではそういう事ばかり相次いで報道されていて、見ているだけでいやな気持になってしまう。何か思いっきり笑えるようなそういう面白い番組をやってくれればいいのだけど、そういう番組を作る事すら今はできないので、まさしく、つまらない中を耐えているしかないという状況であった。

蘭が、手直しをしたお客さんを玄関先へ送り出し、今日も暇だなあとぼんやりと過ごしていたその日の午後の事であった。

「伊能さん、回覧板をお願いします。」

と、近所のおじさんが、回覧板をもって蘭の家にやってきた。蘭はどうせイベントの中止のお知らせとかそういうことを書いてあるんだろうなとしか思わなかったので、いやそうな顔をして、回覧板を受け取った。しかし、近所のおじさんは、にこやかに笑っていて、楽しそうな顔をしている。

「何かあったんですか?」

と、思わず蘭は聞いてみた。

「いえ、何か楽しそうなことでもあったような顔してらっしゃるから。」

「ああ、すぐ顔に出ちゃうとは、俺も年だねえ。」

とおじさんは、禿げ頭をかじりながら、そういうことを言った。

「まあいいや。実はね、今日あまりにも憂鬱だったので、かみさんにせかされて、影浦先生のところに行ってきたんだよ。そうしたら、そこにきれいな絵が飾られていてね。思わず涙が出ちゃった。俺、あんなきれいな絵は、久しぶりに見た。いやあ、感動したよ。」

「へえ、何の絵が飾られていたのでしょうか。」

蘭が聞くとおじさんは、

「ああ、白い馬の絵だよ。点描で、薄い絵の具を使って、すごくきれいに描いてあったよ。其れしか言いようがないかなあ。俺、文学のセンスがあるわけじゃないからさ。」

というのであった。

「あの、モリンホールという楽器が成立した時のお話をモチーフに馬の絵を描いたんだって。もらってきたリーフレットに書いてあった。なんでも、手が不自由で、口で筆をくわえて描いたそうだ。」

「そうですか、口で描いただけがちょっと余計ですが、彼の絵は僕も素晴らしいと思います。いいですね、思いがけない偶然じゃないですか。病院で素敵な絵に巡り合えたんて。」

蘭がそういうとおじさんはにこやかに、こういうことを言った。

「そうだねえ。ちょっと、影浦医院は行くのに抵抗がある病院だけどさ、でも、あそこに行けば、素晴らしい絵があるから、それで行きたくなっちゃうなあ。」

確かにそうである。精神科というところは、一寸おかしな人というか、不適切な言動をする人が行くところでもあるので、そのイメージが強いと、診察を受けるのに抵抗がある人もいるかもしれない。そういうところに、きれいな点描の絵が置かれていたら、確かに、病院も気軽に行けるところに変わっていく。

「そうだねえ、いずれにしても、また来週行くのが楽しみだな。じゃあ回覧板をできるだけ早く回してね。」

とおじさんはにこやかに笑って、蘭に回覧板を渡し、一礼して蘭の家を出ていった。確かに回覧板はイベントの中止を求める署名などが載っていたが、蘭はそんなものを見ても仕方ないので、テーブルの上に置いて、中身を読んで、中身を斜め読みし、妻のアリスに見せるために、テーブルの上に置いた。

数分後、また家のインターフォンがピンポーンと音を立ててなる。今度は回覧板ではなくて何だろうと思ったら、今度はちょっと初老という感じの茶色いコートを着た、男性が立っていた。

「あの、わたくし、岳南朝日新聞の高尾と申しますが。」

と、彼はそういうことを言う。

「なんですか?訪問販売ならお断りですがね。」

と蘭が言うと、

「いえ、そんなことはありません。私は、岳南朝日新聞に記事を載せたくて、こちらに伺わせていただきました。」

と、その人は丁寧な口調でそういうことを言った。

「一体何の事で、僕のことを記事にするんですか?」

と蘭が聞くと、

「ええ、今影浦医院で大人気になっている、パステルアート展の事でお話をお伺いに来たんですけどね。」

と、高尾さんはそういうことを言った。

「ぜひ、記事として取り上げて、より多くの人に、彼の展示会に足を運んでいただきたいと思いましてね。あの天馬の絵は、とても素晴らしい絵で、なんでもあなたの親友という方が書いたということでしたね。それではその人物について知っていることを教えて下さい。」

高尾さんがそういうことを言うので、蘭はとりあえず、彼に家の中に入ってくださいと言った。蘭は、外でこれ以上話をさせるわけにはいかないと思ったのである。高尾さんは、お邪魔しますと丁寧に言って、蘭の家の中に入った。とりあえず、居間に入らせて、お茶を出してやる。高尾さんは、かなり高齢ではありそうであるが、ちゃんとジャーナリストらしく、メモを取るためのノートや、位置を確かめるためのタブレットを取り出して、蘭の前に広げた。

「それでは、いくつかインタビューさせて下さい。まず、あの、パステルアートの原作者である、前田秀明さんのことについて教えてください。」

高尾さんはボールペンをとった。

「ええ、彼の名まえは、前田秀明君です。旧姓は小濱秀明君ですが、結婚して前田に代わりました。」

蘭がまずそう説明すると、

「そうですか、今時、男性が、女性の名字に変更するのは珍しいことですね。何か跡取りが必要な企業に婿養子になられたのでしょうか?」

と、高尾さんは聞いた。

「いえ、違います。彼の意志で、改姓したんです。確かに奥さんの恵子さんは、リンゴ農家をやっていて、後継ぎになる人物を求めていたことは確かですが、改姓するほどではないですよね。」

と蘭はこう答える。それは蘭の思うべきところでもある。わざわざ男性が、女性の姓に改正するというケースは、日本では本当に珍しい。高尾さんが言う通り、跡取りが必要な家庭でなければそういうことはしない。

「はい、わかりました。では、彼はどこの美術学校を出られたのか、ご存じありませんか?」

と、記者さんらしく、高尾さんはそういうことを聞いてくる。

「武蔵野美術ですか?それとも、多摩美術大学とかそういうところですか?あ、もしかしたら、一寸難しいかもしれないけど、東京芸術大学とか?」

「いや、それはありません。彼はすべて独学です。」

蘭は高尾さんにそういうと、高尾さんはさらに驚いたような感じだった。

「ええ?そんなことありませんよね。音楽でも美術でも書道でも、今の時代、有名な画家や演奏家に師事しなければ、才能は開花しないでしょう。」

「そうですね。でも、彼はもともと、片腕がありませんから、独学で絵を学んだと聞いています。」

蘭は、正直に答えた。高尾さんはちょっと驚いたような顔をしていたけれど、しっかりと、秀明のことを独学で絵を学んだとノートに書き込んだ。

「では、彼の今までの実績を教えてください。例えば、絵のコンクールとかで、入賞したとか。」

「いや、それもありません。隻腕でありますから、誰かが手伝ったんじゃないかと疑いをもたれるのが嫌なので、そのようなことはしなかったということです。」

また質問してくる高尾さんに蘭は、正直に答えた。

「そうですか。わかりました。そういうひとであっても今は個展を開けるのだから、すごい時代になったものですね。今、病院の患者さんの間で大評判なんですよ。ちょうど、私の親戚が、影浦医院に通っていましてね。それで、素晴らしい絵があると聞いたものですから、ぜひ、絵のことを記事にさせていただきたいんです。」

そういう高尾さんは、別に秀明について妬みがあるわけでもなさそうだが、

「あなたが、影浦医院を秀明さんに紹介したと聞いたものですから。あなたなら、秀明さんの事について話してくれるかと思いまして。リーフレットを見ると、絵についての記述はたくさんあるんですけど、絵を描いた人物が、隻腕であるということ以外、何も掲載されていないんですよ。」

という。其れについて、蘭は、一寸秀明がかわいそうになった。そういう好奇心で来られてしまっては、一寸、彼が傷ついてしまいそうな気がする。

「そうですね。できれば、彼について、記事にすることは、控えていただけないでしょうか。彼は、隻腕でありながら、絵を描いているという、同情票はもらいたくないと言っています。」

と蘭は、高尾さんにそういうことを言った。

「でも、絵を広めるためですから。」

と高尾さんが言うと、

「いえ、だって、今は人がなるべく集まらないようにするのが、一番の善策でしょう。それを破るような記事は、書いていただきたくないんです。」

と蘭はそういって、高尾さんから逃げる。

「まあ、確かにそうですな。でも、私はね、これでもジャーナリストの端くれですが、そういうひとも、普通のひとも関係なく、良い絵を描いてくれる人を紹介していると思いたいだけなんですけれどね。」

高尾さんは蘭のしっぽをつかもうとするが、

「いえ、そうなんですけどね。今は、おかしな気候だったり、伝染病が流行ったりしているじゃありませんか。もし、彼のことを記事にするのだったら、わざわざ危険ななところに行かせるようにしなくても、人を癒してやれるような記事にしてやってくれませんか。」

と、またしっぽを消した。高尾さんはしばらく考えて、

「そうですね。そういうこともいえますね。確かに、そのようなことも大事ではありますね。今は、人のことを広めるよりも、できるだけ、人から遠ざけようとすることが大切ですものね。」

と、蘭のしっぽをとるのをやめてくれた。

「今日は大変失礼いたしました。私はこれで帰りますが、少なくとも、あの前田さんというパステルアート画家は、素晴らしいものがあると思っていますよ。」

蘭は、高尾さんが帰り支度を始めてくれたので、ああよかったと思いながら、ほっと溜息をついた。こういう悪質な記者からは、どんどん追い出してしまった方が良いのだ。そして、前田秀明君の絵が、これからも広まってほしいなとも思ってしまうのだった。


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