永い一年
@doriankun
第1話
街頭よりも明るい満月が街全体を照らしている。そんな夜を独り占めする女性がいた。腰まで届く長髪には月が映り、黄金色に輝いていた。首に巻いている長いショールは深海にすむクラゲのようにゆらゆらと夜の中を舞っている。
こんな真夜中に女一人で歩くとはなんと不用心なことかと、遠くの道端で女性を眺める人たちは思った。しかし、皆女性との距離が近くなり、姿がはっきりするにつれ、次第に体を動かすことを忘れていった。皆、女性の浮世離れした美しさを前に思考を停止させたのだ。なるほど、これでは女性を襲うことはできない、だからこそ彼女にとって夜道はさほど危険ではないのだ。
少し街を歩いた後、女性は路地裏へと消えていった。表通りには彼女の薫りだけが残った。
月明かりも届かないくらい路地裏を奥へと進むと、地下へと続く階段が見えた。さびつきざらざらとした手触りの手すりを頼りに階段を降りると、木の扉が見えた。扉の隙間からは優しい光がこぼれており、真っ暗な路地裏を暖かく包んでいる。扉に近づくと「星の降る場所」と書かれた看板が見えた。どうやらここは喫茶店のようだ。
年季が入り、建付けの悪くなった扉を開けると、薄暗く落ち着く、まるで隠れ家的な店だった。店には客も店員もおらず、代わりにテーブルと、その上に小さな呼び鈴がおかれていた。呼び鈴を鳴らすと店の奥から店主と思われる人が出てきた。
「いらっしゃいませ、今夜は素敵な夜ですね。」
この喫茶店独特のあいさつなのか、あるいは世間話感覚で言ったのか、どちらにしろ、中々聞かないあいさつで出迎えられ、今度私も使ってみようかしらと女性は思った。
「今イスとテーブルをお持ちいたしますので。こちら、メニューはこちらになります。」
「お気遣いありがとう店員さん、それよりも私聞きたいことがあるのだけれど。」
突然、女性は店主に質問を投げかけた。あまりに急なことに店主はたじろいだが、とりあえず店主は何も聞かず、話を聞くことにした。
「聞きたいことですか?」
「このお店では珍しいものを扱っていると聞いたのだけれど、それは本当なのかしら?」
「珍しいもの・・・ああ、星のことですね、少々お待ちください。」
何かを理解した店主は、そう返事をすると店主は再び店の奥へと消えた。
珍しいものとは星のことである。星、とは隠喩でもなんでもなく、夜空を彩るあの星のことである。この店では星の光を様々なものに閉じ込めて、それを商品として扱っている。星の光はどんなものにでも閉じ込めることができ、店の棚には見本として星の光を閉じ込めた宝石やペンダントなどが飾られていて、店の照明にも星の光が使われている。
一通り棚を見終えると、店主が何やら丸い形をした奇妙なものを両手に持ち、それを呼び鈴のあったテーブルの上に置いた。
「お待たせしました、投影機の準備をしますのでもう少々お待ちください。その間に当店のサービスについて説明させていただきます。ご存じの通りかと思いますが、当店ではお客様に星をお貸しするというサービスを行っております。具体的にはアクセサリーや指輪などの形に変換してお出ししています。ただし、星を店外へ持ち出すことはできません。何か質問はありますか?」
「いいえ、大丈夫よ。」
店主は持ってきた丸い機械、投影機といったか、その奇妙な機械をいじりながら一連の説明をした。女性は機械のことは全くわからないが、特にすることがないので機械を操作する店主をじっと見つめていた。
「ちなみに本日はどちらの星をお探しで?もし、決まっていないのであれば、私がお客様にぴったりの星をお探しますが。」
「いいえ、星はもう決まっているわ。ただ名前も、どこにあるかわからなくて。」
「大丈夫です、お探しの星について教えていただければ大体の星は探せますよ。」
そういうと同時に店主は機械をいじる手を止めてこちらに向き直った。どうやら準備ができたらしい。
「ではこれから星を探していきます。星探しには時間がかかりますので何か飲み物でもいかがですか?サービスしますよ。」
そういうと店主はメニューを差し出した。メニューを見ると「コーヒー」というものがあった。女性は聞いたことのない、コーヒーという名の飲み物に興味を示した。店主に聞くと苦い飲み物だということが分かった。女性は、なぜ苦いものをわざわざ飲もうとするのか疑問だったが、あまりこういうところに来る機会がないので記念に飲んでみようと思った。
「じゃあ、このコーヒーというものをもらおうかしら。」
「かしこまりました。ではこちらにかけてお待ちください。」
女性は椅子に座り、一息つく。すると店主が「本日はどのような経緯で来られたのですか?」と聞いてきた。女性は少し考えた後目を伏せて、あまり答えたくないと答えた。このような特殊な店をしていると訳ありな人がよく来る。店主はそれ以上は聞かないようにした。
香りが部屋全体に行き渡ったと同時にコーヒーが出来上がった。店主が女性のほうを見ると、女性は眠っていた。まるで椅子の上にそっと牡丹を一輪置いような光景に、美人とはただ寝ているだけで絵になるのかと店主は思った。
店主がコーヒーを持っていくと、その香りにつられて女性が起きた。
もう少し女性の寝ている姿を見たいと思っていたが「すみません、起こしてしまいましたか?」と店主は声をかけた。
「大丈夫です。こちらこそ寝てしまって、お見苦しいところを。」
そういうと女性は目元を抑えた。店主はこの人に見苦しいところなどあるのかと思った。
「こちらをお飲みください。コーヒーには眠気を覚ます効果があるのですよ。」
催促され、女性は人生初の味を体験した。店主の言葉のとおりとても苦く、色と相まって泥水でも飲まされたのかと疑った。しかし、この苦みは眠気覚ましにはちょうど良く、女性はカップを机の上に置き、また眠たくなったら飲もうと思った。
「ではこれから星を探していきます。ちなみにお探しの星はどのような特徴がありますか?」
「特徴・・・星にはそれぞれ特徴があるの?」
女性は星について全くの素人だったので返答に困った。女性にとって星はすべて、何の規則性もなく空に浮かぶきれいな点、程度の物だった。
「はい、見た目はほとんど一緒ですが星には一つずつ特徴があります。例えば星は季節によって見えるものが違います。他にも明るさなどがありますね。今回は、お探しの星がどの季節で見えるかだけでも大丈夫です。もし、明るさがわかればそちらも尾願いします。」
「ええと、確か季節は夏で、とても明るかったわ。あと、周囲にも明るい星がもう二つほどあったかしら。・・・これだけでも大丈夫かしら。」
「いえ、それだけで十分です、むしろ十分すぎるくらいです。では、これから星を探すためにこちらの投影機を使って天井に星の地図を映します。また、星を見やすくするため、今から店内の明かりを全て消します。なので、急に立ち上がるととても危険ですので、立ち上がらないようにお願いします。それと、星を見るには目が暗さに慣れる必要があるため、少しの間目をつむっていただく必要があります。私が合図するまで目をつむっていただくようにお願いします。」
店主の指示に従って目を閉じると、コーヒーの香りがより鮮明に感じられた。気持ちが落ち着くやさしくていい香りだ。味も苦くはあったがそこまで悪くはない。女性はただ苦いだけのものではなく、深みのある味だなと感じた。
鼻がコーヒーの香りに慣れたころ、店主が「目を開けてください。」といった。女性はその言葉を合図に目を開けた。暗闇の中、丸い天井一面に星が映し出されていた。この、丸い天井は、この光景を作り出すための形なのだとわかった。
「すごい。こんなことができるなんて。」
思わずこぼれた言葉に、何も見えない暗闇の向こうで店主が得意げな顔をしている、女性はそんな気がした。
「喜んでいただけて何よりです。それではさっそく星を探しましょう。では、あちらの赤い点をご覧ください。」
すると天井に一つの赤い点が見えた。赤い点のさす方向にはひときわ明るい三つの星が三角形を作っている。
「この三つの星を合わせて夏の大三角といいます。お客様の探す星はこの三つの星の中にあると思います。ではまずあちらの星をご覧ください。」
赤い点が示す場所には明るい星を中心に十字架が形作られていた。
「あの星はデネブといってはくちょう座の星です。はくちょう座は十字架の形をしていることから北十字なんて呼ばれています。」
どうやら星座というものは、いくつかの星の点をつなぎ合わせたもののことを指すようだ。例えば、このはくちょう座という星座は8つの星を点として、それを線でつないで形作られている。そして、星座を形づくる点、つまり星の中には名前を持つものがあり、その一つがあのデネブというようだ。
「このはくちょう座は、ゼウスという神が変身した姿だといわれています。ゼウスとはギリシア神話に出てくる神で、最も位の高い神であり、ひどい浮気性だったといわれています。ちなみに、このはくちょうに変身した理由は、近づきたい女の子の周りに警備の人がいて近づけないため、動物の姿に変身したら警備の網をかいくぐれるのではないかと思ったからです。」
「なんだか私の想像していた神とは大違い。なんだか人間みたいな神ね、そのゼウスという神は。」
「そうなのです。星だけ見ればロマンチックなのですが、神話は聞いて幻滅するものがいくつかあります。それはそうと、お探しの星はこちらではないですか?」
「いえ、この星ではないです。」
「そうですか。ほかに何か星の特徴はありませんか?」
「確か・・男女の恋愛をテーマにしたお話がありました。」
「それでしたら・・」
そういうと赤い点が別の星へと移動した。
「この星はどうでしょう。この星はベガといい、こと座に属する星です。この星は亡くなった妻を生き返らすため、楽器の琴を携えてはるばるあの世までいった夫の話がモチーフとなった星座です。」
「その旦那さんは奥さんを生き返らすことはできたの?」
「残念ながらそれはかないませんでした。夫は素晴らしい琴の音色であの世の管理人を説得し、地上に帰るまで妻を見てはいけないという条件のもと妻を生き返らせる約束をしました。夫は来た道をたどり、妻とともに地上を目指しました。しかし、あの世の出口の手前で、もう少しで妻が生き返る、という喜びから夫は思わず妻を見てしまいました。そして、約束を破ってしまった夫は一人さみしく帰路につきました。」
「そうなの・・・」
うつむきながら口に出したその言葉は、地面を伝い店全体に駆け巡った。
「お探しの星はこちらでしたか?」
気まずい雰囲気を何とかしようと、店主は女性に微笑みかけた。
「いいえ、また別の星のようです。」
「しかし困りました、夏の大三角で男女の恋愛はこと座だけです。失礼ですが季節は夏で間違いないですか?」
「はい、夏で間違いありません。間違えるはずありません。」
暗闇の向こう、女性の声には強い確信があった。しかし、同時にそうであってほしいという願望も含まれていた。まるで何かに執着しているような、そんな雰囲気があった。店主は星を探す前と今との振る舞いの差にどぎまぎしていた。
コーヒーのやさしい香りが消え時計の針の音が響く店の中、店主が考えを巡らしていた。どんな星も見つけられると啖呵を切った手前、見つけなければならいと少し焦っている。
すると女性が言いにくそうに「私の知っている神話に出てくる男女は一年に一度しか会えないっていう言い伝えがあったわ。」とつぶやいた。
「一年に一度・・それはもしかして七夕物語では?」
「七夕・・その言葉聞いたことあります。それが私の探している星に関係するの?」
「はい、年に一度に男女の恋愛、どちらの要素もこの七夕に含まれています。」
すると店主は先ほどの沈黙を取り返す勢いで話し始めた。
「七夕とは先ほど説明したベガと、こちらのアルタイルにまつわるお話です。このベガは別名、織り姫と呼ばれています。対するこの星は、わし座のアルタイルで別名、彦星と呼ばれています。」
「星と星の間に薄い雲みたいなものがかかっていますね。」
「薄い雲・・天の川のことですね?」
この投影機では天の川は見えないはずだが、店主は些細なことなので気にせず解説を続けた。
「織り姫はその名の通り織物が得意な女性でした。また彼女はとても美しく、その黒髪に月光が当たると金色に輝いたといわれています。また彦星は気立ての良い好青年でとても働き者でした。」
ふと、女性が首掛けたショールを懐かしむように指で撫でた。
「ある日、結婚できる年齢となった織り姫に結婚の申し出がありました。その相手が彦星です。二人はあった瞬間から恋に落ちました。恋仲になった二人はお互いに夢中になり、昼も夜もわすれ共に過ごしました。しかし、夢中になるあまり二人は仕事をすることを忘れてしまいました。そのため、罰として離れ離れになり一年に一度しか会えなくなってしまいました。いまは天の川が二人を隔てています。」
「そうなの。」
まるで、そのあらすじで合っていますよ、といいたそうな返事が返ってきて、店主はお話を知っている人に確認をとっているような気持になった。
「お探しの星は見つかりましたか?」
「はい、私が探していたのは彦星という星だったのですね。ようやく会えた。」
スムーズに、とは言えなかったが約束通り見つけることができたようだ。店主はほっと一息ついた。
「ではさっそく星をお持ちしますので少々お待ちください。」そういうと店主は店の明かりをつけた。
店主は、ようやく会えた、とう言葉に違和感を覚えたが、ここに来た経緯を聞かれたくないと答えたのを思いだし、深く掘り下げることは失礼なので聞かないことにした。店主は部屋を明るくした後再び奥へと消えた。
暖かかったコーヒーはすっかり冷めていた。
少しして店主が小さな瓶を両手で丁寧に持ち部屋の奥から出てきた。
「お待たせしました。こちらがお探しの星です。」
小瓶の中には小さい宝石のようなものが入っており、不思議な光を放っていた。誰が見てもわかる、間違いなく彦星だ。でなければ、この輝きはどう説明するのか。
女性は彦星を見た瞬間、目を見開いた。長いまつ毛に涙がたまった。涙でぼやけた歯科医を頼りに店主のもとへ行くと、まるで生まれたての赤ん坊を抱くかのように、瓶を受け取った。
「ようやく、ようやく会えた。もう会えないかと思った。」
「見つけることができて本当に良かったです。相当思い出のある星のようですね。」
「はい、たくさん思い出がありました。もう昔のことでほとんど忘れてしまいましたが。それでも一年に一度の、あの約束だけは忘れなかったのです。ずっと会えなかったですが、今夜ようやく会うことができました。」
まるで長い間合えなかった恋人と再会したかのような、そんな口ぶりだった。
「ご満足いただけましたか?」
「ええ、満足よ。本当によかった、全然会えないから私捨てられちゃったのかと思った。」
店主は二人の仲を邪魔しないように、そっと奥へと消えた。
次の日、店には飲みかけのコーヒーが残っていた。その隣には、きれいに折りたたまれたショールとメモが置いてあり、メモには「代金の代わりです」と書かれていた。
冷めたコーヒーは我慢して飲むか、流すかの二択だ。店主はもったいないと思いつつもコーヒーを捨てることにした。きっと彼女は来年も約束を果たしに来るだろう、店主は来年7月7日のところにカレンダーに丸を付けた。
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