二十九話・三十話・三十一話

 二十九


 北側くんはいつも明るく友達を惹きつける力を自然に持ち合わせています。小学生時代の「あゆみ」には、いつもこの様な決まり文句が書かれていた。

 それは中学に入っても同じで、素行の悪さを度外視すれば、だいたいは似たような事が書かれていた。私自身、大勢の友達や人に囲まれて過ごすのは、楽しくて、とても普通の事なのだと感じていた。ふと、孤独が欲しくなった時は、家で親とも喋らずに本を読んでやり過ごせば大抵はそれで何とかなし得た。だがその頻度が日に日に増えていくに連れて、こじれた人間関係を見る機会は増えた。大抵は自分が間に入って全てを解決してやれば、誰も大きく傷つくことなく、それで事が済んだ。私はその度に仲間とは、仲良くしなくてはという説をしつこく唱えた。

 だが人は、成長すればするほど御し難くなっていく。次第にそれすらも面倒になった。その頃には、気づけば二十年も歳を重ねていた。

 私は誰とも関わりたくなかった。そうすれば誰も傷つかないし、一番に私が傷つかなくて済むと思ったからだ。そんな簡単なことに気付くのに二十年も費やしていたのかと、自分の馬鹿さ加減に辟易した。両親はそんな私を寂しそうに見ていた。

 私は全てから解放された気分だった。解放されすぎて何処を行っても暗闇のような気がした。だからそれが怖くて考えることが増えた。何の為に人は、人類は生きるのかについて毎日考えるようになった。考えれば考えるほど、知れば知るほど、私の二十年は否定された。

 私は生きている間にとんでもないことを忘れ続けていた。自分が今生きていることが当たり前すぎて。弟のタカシが生まれてたったの二年で死んだことも。生まれつきか生きている間にそうなったのかは分からないが、腕が、足が無い者、全身が動かない者。声が出せない者。目が見えない者。耳が聞こえない者たちが、この世に存在していることも。

 本当の調和が何処を探しても見つからないことを。

 おばあちゃんが死んだ時のことを久々に思い出して、余計、虚しくなった。大なり小なり皆、同じように死んでいく。とにかく心臓が止まればどんな形であれ、死ぬのだ。たったそれだけのことなのに、私は今まで、死は何か特別なことなのだと勘違いしていた。人は早々に死ぬものではない。何か特別なことがない限り当然のように生き続けるものだと。だから有名人が死んだり、殺人、事故死、自殺などはニュースにもなるんだと思っていた。

 でも違った。確かに違っていた。そこには色々な価値の重みや利益とかそういう善人が最も嫌いそうな打算的な要素が少なくとも隠されていて、世の中の大半はそういう汚いものを中心に、しっかりと機能していて、しかもそれが歴史のたった短い時間の些細な出来事に過ぎなくて、ふと、肩の力が厭に抜ける。

 そこで気付く。

 ああ、俺はいつからか誰にも期待していない。

 自身すらも殆ど期待もされていないし、またされたくもなかったんだな。


 三十


 私は所謂、婚前妊娠結婚から生まれた双生児であった。

 19XX年7月8日22時18分に天王寺にある産婦人科で私が生まれ、その数時間後の7月9日の3時42分に生まれた人が私の弟になった。

 両親は婚前に性行為に励んだ結果、私たちが生誕したのだ。何故に婚前に性行為に励んだのか。その理由は。動機は。根拠は。場所は。環境は。雰囲気は。何回目か。体位は。交際の有無は。そもそも出会いは。今更、問い詰める気は一切ない。

 きっと私はおぎゃあおぎゃあとでも喚いて、看護師さん辺りが、北側さん。よく頑張りましたね。ほら、元気なお子さんですよ。なんて言っていたのではないだろうか。

 さて、ここからはじまる私の人生には、どんな希望で満ち溢れているのかしらん。


 三十一


 二十歳になった。

 未成年から、成年への旅たち。

 波。波が静かに、波を作り、波を壊す。潮騒の音。

 夕陽。焼けて、落ちて。沈むほど横に広がって、滲んで、水平線の奥から一本の細道を創る。

 雲。霞んだ空。ぶ厚い雲が何条にもうねりあい、独立した模様がそれぞれ勝手に浮いている。

 十二月の半ばになって、ふと起きて、思い立ったように私は北谷にある宮城海岸に足を運んでいた。小さなテトラポットに腰を下ろし、先の見えない海を眺めて。遠い、遠い、淡路島も何もない先が見えない海。

 大蔵海岸のような強い潮の匂いは、漂ってこない。

 紙に巻かれた葉だけが、いつものように燃えている。吸って、吐いた。その白い煙が風に吹かれて見えなくなってもまだ、空を見続けている。

 そうか。あの赤いお星さまはもう、いない。だが時期に別の星が見えてくるはずだ。代わりはいくらでもいる。

 その前に生涯最後の煙草を吸いきってしまおう。この一本の煙草は、きっと人間の身体だ。燃えて、燃えて、いずれ灰になって、煙と共に消えていく。

 波の音は、いい。耳に残り、消えていくから。

 沈む夕陽は、いい。目に残り、消えていくから。

 厚い雲は、いい。生涯を優しく包んでくれて、消えていくから。

 人という人間は、どうだろう。消えて、消えたはずが、また増えて、しつこいくらいに残り続ける。物事を善と悪でしか判断出来ない生物。それは環境か。本質か。遺伝か。全てに統一性はなく、また答えを出せない曖昧な生物たち。

 私は、私が怖いよ。切実に。

 生きる。死ぬ。息をするのと、しないのと、何が違う。

 愛という優しさ。憎しみという怒り。何が違う。

 希望と絶望。平和と戦争。何が違う。

 子供と大人。男と女。何が違う。

 知っている者と知っていない者。見える者と見えない者。何が違う。

 失った望みも、あったかもしれない。だけど忘れた。

 きっと華にも美しい瞬間があって、散った後の永い、醜さもある。

 夜が帰って朝が来る。朝が帰って夜が来る。

 太陽の雨。曇った雪。濡れた風。

 若くて、瑞々しい、命。老いて、儚き、命。

 価値はおいくら?

 違う。違う。本当は何も、要らない。


「冬の匂い……」


 一つ。水が跳ねる。

 どこまでも寂しい音がした。



〈了〉

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