二十八話

 二十八


 中学二年になった頃の私はもう既に、野球部を辞めていた。理由はしんどいとかキツイとか色々あるが、大元の原因となったのは、去年の秋にあった練習試合の時のことである。

 三年生が総体一回戦負けをして、チームはすぐさま新体制になって、私は二年生に混じって投手のレギュラー争いをしていた。練習試合で私は第二試合の選抜に抜擢された。第一試合で二年生エース候補が阿保みたいに打たれて負けていたので、チーム全体と古谷先生の期待は、それはかとなく私に伝わってきていた。

 だが事件はすぐに起こった。三回表ノーアウトランナー一塁。ゼロ対ゼロ。私は四球の判定を受け、審判にブチ切れてマウンドでグローブを叩き付けて怒りを露にした。今思えば何にそれほど激怒していたのか自分でも分からないが、マウンドで座りこんだのである。その場は騒然となって、選手や審判が群がってきても私は動かなかった。それには古谷先生も怒って、唾を吐き飛ばして私に「出ていけぇ!」と叫んだ。顔は真っ赤になって、目も血走っていた。その形相を濁った私の目に、しかと焼きつけた。

 私は荷物を纏めてその場を去った。

 それで全てが終わった。

 私は元来、道具をとても大事にする人であり、小学生時代から毎日グローブの手入れを欠かさなかった。むろん、マウンドにグローブを叩きつけるなんて無礼極まりない行為など、この時まで生涯一度たりともない。古谷先生にもグローブを一目見て、よく手入れしてあると褒められたこともあった。

 だけど審判が下したこの四球判定が全てを変えた。ただそれだけのことであった。

 もしかしたら何でも良かったのかもしれない。ただしんどいとかキツイとか以外の決定的な辞めるきっかけが一つ欲しかったのかもしれない。

 毎日の朝練。放課後の練習。土日の練習。拘束。野球部だけの特別な梗塞。校則。

 私は練習で手を抜くことは決してなかった。部員たちの中には、上手いこと器用に練習をサボり、三年間部活を続けていた者もいる。どっちが正しいのか。

 薄々感じていたのだ。私の野球人生は小学六年生の時に一度辞めて、とっくにそこで終わっていたのだ。

 それから二年中頃まで、古谷先生は、普段の威厳さを捨ててまで私に対して下手に出て、あれやこれや工夫を凝らして部に戻ってこないかと誘い続けてくれた。頑なに拒否をしていた私だったが、夏休み終わり頃に何の気まぐれか一度だけ戻ったことがある。

 三年生たちの総体はとっくに終了していて、気付けば後輩たちもいた。でもだいたいの後輩たちが野球俱楽部の時に見知っていた顔なので、お互いの実力もある程度認知していたことから、私を程よく歓迎してくれた。同級生も今のままじゃ自分たちの代にまともなピッチャーがいない事を危惧していたのか、ほっとした様子であった。だが私は私なりに反省の色を見せる為、毎朝誰よりも先に学校にやって来て、一礼をしてグラウンド整備から初め、練習時間になるまで一人でランニングやトレーニングを続けた。久しぶりの練習はしんどいけど、やはり野球は楽しく、気持ちの良い気分にもなった。

 10月半ばになって新人戦が始まった。これが新チーム体制になって初めての公式戦である。私には背番号20が渡された。私はまだ戻って二ヶ月も経っていなかったので、20人の選抜メンバーに選ばれる事はないと思っていた。それが部員たちによる示しであると思っていた。私は勝手に古谷先生が、来年にまでは上がって来いという想いなのだと勘違いしていた。時が経って、あれは私のモチベーションを保つ優しさなんだと気付けたが、当時はまだその様な配慮に気が付かなかった。

 こうして私が背番号20を手にしたことにより、夏休み一杯、いやそれ以前から私が野球を辞めてからも毎日毎日しんどい練習を欠かさず頑張っていた同級生たち数人が選抜メンバーから蹴落とされることになった。

 一回戦。相手は西区のチームで、毎年ベスト8入りする強豪だった。

 背番号1の桐島が早くも打たれ続け、三回裏の時点で相手に三点を許していた。更に四球を連発し、ワンナウトランナー一二塁。マウンドでは明らかに動揺を露にした桐島が、追い詰められたリスのように肩を縮こまらせていた。顔は酷く青ざめていた。

 確かに、桐島は日常から精神面が非常に繊細で臆病なタイプだった。

 そして古谷先生が大きい声でタイムを取り、一度伝令を送って、次いで私にブルペンに入るよう指示を出した。私がウォーミングアップがてら投球練習をしている頃、桐島がチラチラと頻りにこっちを見ていることを知っていた。それが嫌で見ているのか、それとも早く変わって欲しいからこっちを見てきていたのか、私は桐島の表情から上手く読み取れなかった。

 その後、一人をキャッチャーフライで仕留めたが、次の打者に左中間ツーベースヒットを許し、もう一点取られツーアウトランナー二三塁で、古谷先生の本日二度目タイム! という大きな声がグラウンドに響いた。

 こうして早くもベンチスタートだった私に出番がやって来た。マウンドに向かった私は桐島と入れ替わる時に「お疲れさん」と声を掛けた。桐島は何処か申し訳なさそうに小さく頷いて私にボールを手渡した。

 結果、私はその回をゼロ点で抑え、チームに活気が戻った。小学校からの友人たちがベンチに戻って来るときに「完全にケンジが戻ってきたな!」と嬉しそうに私の背中をグローブで叩いた。そこからは猛反撃が始まり、四点差を取り返して、七対四で我々の勝利に終わった。帰りのバスも部員たちは、どこか浮ついた雰囲気だったが、選抜メンバーを外された数人たちと、桐島の表情には暗い陰りがあったのを私は見逃さなかった。

 それから二回戦が始まるまでの一週間の間、古谷先生はいつも以上に私のピッチング練習に付き合うようになった。

 二回戦当日、私は七番ピッチャーと古谷先生から言われた。桐島は下を向いていた。二回戦は三対一であっさりと負けた。

 私はそれ以降、二度とグラウンドの土を踏むことはなかった。

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