森の中は涼しく、吹く風は冷たい。さらさらと葉のこすれる音の中、ミオルアは捕らえた獣人を担いで歩いていた。昨日の雨のせいか足場は悪く、ぬかるんでいるが、彼は全く意に介さず進んでいく。

 森に入って20分、開けた土地に出る。そこには朝ミオルアが出てきた洋館があった。かなりの年月そこにあるらしい。蔦が外壁を覆っていた。

「…ただいま」

 重い扉を開け、広い玄関に気絶した獣人を下ろす。ちょうど、そこに通りかかる人影があった。

「おつかれ。おお?なんだ、罪人か?」

 透き通るような肌、さらさらとした髪の毛。ひとたび口説き文句を言えば、たいていの女性は彼について行きそうな、整った顔立ち。

「そう。もめて相手を殺したっぽいね」

「そうかそうか、よくやった」

 そう言って男は笑う。そして、ぐるりと獣人を見て、満足そうにうなずいた。揺れた髪の間から尖った耳がちらついている。

「うん、拘束魔法もよくできてるな」

「…まあね」

 褒められたことは満更でもないらしい。ミオルアの口元は少し緩んでいた。

 しかしうかうかしていられない。相手は罪人で、獣人だ。人間よりも魔力耐性が強い種族であるため、拘束魔法を破ってくる可能性はある。ミオルアは警戒を解かないまま、向き直った。

「ジン、こいつどうする?」

 ジンと呼ばれた男は、玄関の床に横たわる獣人を見て、ひとこと魔法を唱えた。

拘束Ivy to bind

 すると、黒い蔦が獣人の体をぐるぐると巻いた――いや、覆ってしまったと言った方が的確かもしれない。空気穴を残し、それ以外は隙間なく縛られている。そのさわやかな顔立ちとは反して容赦がない。

 さっき褒めたくせにとミオルアは思ったが、気にしないことにした。

(どうせ未熟だって言うんだろ)

 魔力の扱いに長ける森精からすれば、人間は格下。そこに甘えるつもりはないが、それを考慮しないつもりもミオルアにはなかった。

「これくらいやっておかないとな。あっち運ぶぞ」

「了解」

 ジンの指示に従って、ミオルアは今度は蔦をもって引き摺り始めた。


 洋館の地下は暗く冷たい雰囲気が充満していた。ひたひたと水の滴る音が響き渡る中に、いびつな金属音が鳴り響く。ガラガラと音をたてて開いた鉄格子の中に、全身を蔦で巻かれた獣人が放り込まれる。

 転がった獣人は、わずかにもぞりと動いた。

「人間ごときが騎士ごっこかよ」

 意識が戻っていた獣人は、ぎりぎりと歯を食いしばって、蔦の隙間からミオルアを睨んだ。その眼には殺意、敵意、差別、批判、そして――何かに対する怒り。

「おまえはそのに負けたんだろ」

 怒りの矛先が気にはなったが、無視した。そしてミオルアは鉄格子を閉じる。森精であるジンの魔法だ、おそらく拘束は解けない。手錠は掛けなくても問題ないだろう。第一、蔦をほどく方が手間がかかる。

 ミオルアは預かっていた鍵で鍵をかける。暗く湿った地下に乾いたカチャリという音と同時に、舌打ちの音が響いた。

「…チッ」

 獣人は未だ睨んでいる。ミオルアは、ふんと鼻で笑って地下を後にした。


 地上に出ると、広い空間の奥のカウンターにジンがいた。奥でアレイも作業している。ミオルアに気が付いたジンは、にっと口角を釣り上げて言った。

「入れてきたか」

「そのまま入れてきた。大丈夫だろ、明日引き渡せるから」

「そうだな、問題ない」

 ジンは隣の椅子を叩いて、ミオルアに座るように促す。そして、グラスを置いて言った。

「おまえさ、新人の面倒見れるか?」

 それはあまりにも突然な問いだった。

「は?」

 意表を突かれたミオルアは、自分で思っていたよりも突飛な声を出してしまったことに驚く。そもそも、新人が来ること自体初耳だったために、開いた口が塞がらなかったというのが実際だろう。

「いや、どういう…ことだよ?」

 それ以上に言葉が出てこなかったため、ミオルアは詰まりながら首を傾げた。その反応にジンは悪い悪いと手を振る。

「言葉足らずだったな」

「…ああ、ものすごく」

 ジンは苦笑いして言った。手に持ったグラスの氷が、カランと回る。

「戦力を増強しろって、上から言われてな。この間おまえら第一分隊に仕事押しつけたとき、俺とアレイでめぼしいやつをスカウトして来たんだ」

「部下に仕事を押し付けたかと思えばそれか」

「まあそう言うなって」

 はははと笑って、ジンは話を続けた。その面持ちはどこか神妙だ。それを見かねたアレイが、にこにこと笑って言った。

「上も焦っているのさ。この超大陸が安定して1200年たってもなお、あの日の厄災の正体がわからないんだからね」

「それはわかるけど…」

 なんで俺が面倒を見なきゃならないんだ?とミオルアは首を傾げた。急いでいるとはいえ、それは面倒を見る根拠にはなり得ない。それとこれとは話が別だろう。疑問はもっともだとアレイは頷いた。

「不思議な話だけど、まあ、仕方ないんだよ。ね、ジン」

 ジンは一口グラスの飲み物を含んで、頷いた。

「ああ。あいつらの中に、おまえと同じ保存されし人Preserved personがいるからだ」

 その言葉に、ミオルアは口をつぐむ。

 保存されし人Preserved person

 それは――

「…俺のほかに、まだ、2000年前から来た人間が――?」

 そのミオルアの誰に問うたわけでもない問いに、ジンは深くうなずいて、アレイは優しく微笑んだ。

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