後輩の髪を洗う先輩『百合ぽい』
赤木入伽
後輩の髪を洗う先輩
「あんたってシャンプーのあとは何もしないの?」
「え? 体を洗うっすけど?」
「そうじゃなくて――、それに体洗うって、石鹸で?」
「それ以外何で洗うんすか?」
「……何もないわね。この風呂場」
「そっすよ。あ、もしかして、変なものあるっすか? 今の私は先輩に髪洗ってもらって目をつぶっているっすから、何も見えないっす」
「……何もないわよ。石鹸とシャンプーだけ」
「え!? 湯船とか鏡はなくなっちゃったっすか!?」
「あるわよ。お湯は暖かそうだし、鏡には間抜け面のあんたが写っているわ」
「ふぅ。なんだ脅かさないでくださいっす。心配したじゃないっすか。あ、ちなみに私の裸はどうっすか? けっこう引き締まったスレンダーボディだと思うんすけど」
「……私、あんたのことが心配だわ」
「え? 先輩、私のこと心配してくれるんすか!? 髪洗ってくれるだけじゃなくて、心配してくれるなんて、私は超感激っす!」
「……本当に心配だわ。……まあ、そこらへんはひとまず置いといて、まずはシャンプーのあとの話よ。あんたシャンプーのあとにコンディショナーとかしないの?」
「こんでぃしょなー? あぁ、なんか聞いたことある物体っすね」
「物体って――。まあ、あんたの髪質っていつもゴワゴワのくせっ毛だから、ろくなケアはしてないだろうなとは思ってたけど――。そして当然のように洗顔料もなければカミソリもない」
「顔を洗うなら石鹸があるっすよ。あとカミソリって、まさか先輩はカミソリで髪の毛切るんすか? 匠の業っすね」
「あんたに対する心配度が上がったわ」
「えへへ。先輩ったら私のこと心配しまくりっすね。もう照れるっすよ」
「…………。あんた、髪の洗い方とか友達と話したことある?」
「髪の洗い方? そんな会話で盛り上がるっすか?」
「盛り上がらなくても普通は一度や二度くらいするものよ。それに、さっきスレンダーボディを自慢してたじゃない。だったら髪のケアくらいしなさいよ」
「えー。でもボディのケアの場合は、健康的な食事して、運動すればオーケーっすけど、髪の毛のケアってなんか面倒じゃないっすか」
「普通は運動こそ面倒と思うものだけどね。それに髪のケアって言ったって、シャンプーの後にコンディショナーするだけでいいから。それだけでかなり変わるわよ」
「でも面倒なものは面倒なんすよ。――あ、そうだ、それじゃ先輩が私の髪洗い職人になってくださいよ。それなら万事解決です」
「……いいこと思いついたって言いぶりだけど、髪洗い職人って何よ」
「私の髪を洗ってくれる職人っす」
「却下よ。それ実働五分、日給十円くらいの仕事でしょ」
「いやいや日給三百円あげるっす」
「どっちにしろ幼児のお家アルバイトと変わらないじゃない」
「え!? 五分で三百円っすよ!? 時給換算二六〇〇円っすよ!?」
「三六〇〇円ね。もしそれで八時間やらせてくれるならいいけどね」
「え? 先輩、八時間も私の頭を洗っていたいんすか? 裸のままで? なかなかの変態さんっすね」
「もしそれやったら、あんたの髪も全部抜けるほど痛むでしょうね」
「いやいや、それ以前にトイレどうするんだって話っすよ」
「ツッコミポイントはそこでいいの?」
「ん? あ、お昼休憩とか欲しいっすか?」
「早番なの? 夜じゃなくて?」
「だって先輩って門限があるじゃないっすか」
「そこだけ常識的な話されても」
「あ、私の家に泊まり込みっすか? それも大歓迎っす。先輩と一緒に毎日暮らせるなんて最高っすよ」
「私は疲れそうだわ」
「そりゃあ労働なんすから、疲れてもらわないと」
「微妙にブラック企業みたいなこと言わないでほしいわ」
「でも時給換算だと二三〇〇円っすよ」
「三六〇〇円でしょ。さっきより減ってるじゃない」
「どっちにしろ高給取りじゃないっすか。あー、でも、それじゃ私が一方的に損するばっかな気がしそうっすね」
「私的にはどっこいどっこいなんだけどね」
「えー? 先輩ったらわがままっすね。私の髪洗うの好きなくせに」
「いや、ちょっと待ちなさい。いつ私があんたの髪洗うの好きになったのよ」
「え? だって今、私の髪洗ってくれてるじゃないっすか」
「……本当に、あんたのこと心配だわ」
「えへへ。そーんなに私が心配なんすか? 嬉しいっすねぇ」
「……」
「でも、それじゃどうしたら先輩は私の髪を毎日洗ってくれるんすか?」
「どうしたらも何もないわよ。却下は却下よ。髪洗うくらい自分でしなさい。あと洗い方とかもネットにあるから勉強しなさい」
「えー? さっきはコンディショナーだけでいいって言ったじゃないっすか」
「あんたの場合、これぐらいが丁度いいという判断よ」
「ええー? あ、それじゃ私がお風呂の豆知識を教えてあげるっす。それでどっこいどっこいってのはどうっすか?」
「豆知識?」
「そうっす。えええと、例えば……、海外ではお風呂派よりシャワーが圧倒的らしいっすよ」
「ああ、知ってるわ」
「え!?」
「そんな驚くこと?」
「だって私の秘蔵の豆知識……」
「このレベルで? もう少し頑張りなさいよ。例えば……、昔の日本も湯船のお風呂はあんまり使ってなくて、江戸時代なんかはサウナみたいな蒸し風呂が主流なんじゃなかったかしら?」
「そうなんすか!?」
「薪と水を節約してたかららしいけど、明治になってそれが解決して、今風のお風呂が主流になったみたいよ。で、戦後にどっかの会社が浴室が風呂付きの家を売りまくって、より日本中に湯船が浸透したとか……だったと思うわよ。豆知識言うならこれぐらい披露しなさい」
「うわぁ、先輩、豆知識マスターっす。師範代っす。もう最強っす」
「マスターなら師範代じゃなくて師範だけどね」
「いや、すごいっす。メイジとかセンゴとかわからない用語もあったっすけど」
「……本当に本当にあんたのこと心配だわ」
「先輩、私の髪洗い職人プラスお風呂豆知識職人になってくださいっす」
「また労働が増えたわね。絶対却下よ」
「ちゃんと時給上げるっすから。えーっと、とりあえず三十円プラスっす」
「三六〇〇円から比べると随分極小ね」
「あ、それじゃ単価制にするっす。一つの豆知識につき一円っす」
「それ、一分に一つの豆知識披露しても時給六十円じゃない」
「さっきの倍っす!」
「一分に一つも豆知識出せるはずないでしょ。……まったく、そろそろこのお喋りも終わり。髪洗い流すから、口閉じてなさい」
「えー? もうちょっとゔぁゔぃゔぁゔぁゔぉゔーー」
「口閉じなさいって。泡が口に入るわよ」
「ゔぁゔぁゔぃゔゔぇゔぉーーー」
「しゃーべーらーなーいー。っと、ほら、これで終わり。本当はコンディショナーやりたいところだけど、それは今度自分でやりなさい」
「……だったら、私が今からひとっ走りしてくるっす。それで今度はコンディショナーやってくださいっす」
「もういい加減にしなさいっての。これ以上馬鹿言ったら首を締めるわよ。ほらほら、目も開けていいわよ」
「……」
「どしたのよ」
「先輩、こういうの考えたことないっすか?」
「突然なによ」
「髪洗って、目つぶっているときに、背後に誰かいるんじゃないかって」
「ああ、ホラーの定番ね。まあ、あるっちゃあるけど……」
「……」
「……はぁ……。目、開けなさい。そのまま死ぬまで目つぶっているつもり?」
「それもいいかなって、正直思うっす」
「……」
「今度は先輩がだんまりっすね」
「いいから、目を開けなさいってのよ」
「目開けたら、先輩は鏡に写っているっすか?」
「……さあ……。でも……、たぶん……」
「――――――」
「なに泣いてるのよ。まったく、あんたは普段元気なくせに、こういうときはメンタル弱いんだから。葬式で一番泣いてたのあんただったし」
「だって――先輩――」
「まあ、あんたとの最後の言葉は、『先輩のアホ』と『うっさい、クソ後輩』だったから、私も少し心残りだったのよね。だから私も自分の親をほっといて、あんたのところに来れたのかもね」
「――先輩、私の髪洗い職人になってください」
「却下。……でも」
「――」
「でも、あんたがヨボヨボのお婆ちゃんになって、天寿まっとうして天国に来たときには、私が髪でも背中でも洗ってあげるわよ。まあ、天国にお風呂があるのか知らないけど」
「……適当っすね」
「ま、どっかの心配かけてばっかの馬鹿な後輩がいるからね」
「……すみません、先輩。心配かけて」
「本当よ」
「……私、目を開けるっす」
「そう」
「私に言い残したことはないっすか? 冥土の土産に聞いてあげるっす」
「ないわ。もしあったら、また化けて出てくるから」
「ふふ……。そっすか。そしたら、また髪洗ってくださいっす。約束っすよ」
「」
「……先輩?」
「」
「……先輩」
「」
「……」
「――」
後輩の髪を洗う先輩『百合ぽい』 赤木入伽 @akagi-iruka
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