振り返るとそこにいる5分前、最後はかならず私の想いが通じて勝つ

くらやみから愛と勝利の呼び声が響いて……いる!

 ぜったいに、今日やらないといけない。

 このままだと、私の想いが伝わらなくなってしまう。


 彼の後をつけていた同級生の女を、チキチキチキ……とカッターの刃を出す音をたてて、誠心誠意説得して追い返してやったあと、爪をかじって計画を考えなおす。


 マズいわ……さんざん脅しつけてやったけれど、あの女が私のしたことを言いふらしたりなんかしたら、彼に警戒されてしまうかもしれない。

 あんな低俗なバカ女の言うことなんて誰も信じたりしないだろうけど、彼が振り返りながら帰るようになったりしたら最悪だ。


 もう……時間がない。早くやらないと……でないと、間に合わない。


 夕暮れに赤く染まる空の向こうから、石でイモを焼いたと切々と訴える声が薄っすらと聞こえてくる。

 遠くに通りかかったパトカーのサイレン音がさらに重なって、異様な反響音が路地の上に響いてくる。

 異界のように燃え上がる茜色の世界の中、わずかに月影が見える天の下で、長く影法師を伸ばしながら歩く彼の姿が離れていく。


 逢魔が時の中かえりみちを進む彼に見つからないように、こっそりと後をつけながら、考えをめぐらせていく。

 さきほど、お取引願った追いはらった女の他にも彼をストーキングする変質者がいたりしないか、周囲を注意深く確認する。

 人通りはなかったけれど、寂れた路地の掲示板に、誰かがチョークで書いた拙い魔方陣があるのを発見してしまった。これはきっと、あの噂に関係するものだろう。


 ――見つかってはいけない。見つからないように、夕暮れの路地で背後から近づいて、そのまま告白すればいい。そうすれば、ふたりは永遠の愛で結ばれる……。


 放課後、思いがけず耳にはいってしまった噂話が頭に浮かんでくる。

 意味深な噂話から喋り続けて、頬を紅潮させている同級生の女の背中を押していたヤツのセリフが、記憶の中から蘇ってきた。


「あいつさー、その噂の路地を通って帰るらしいんだよ。だからさ。ちょうどいいからさ、あんたが告白しちゃいなよ」


 話を聞いて、こくっと頷き駆け出していった女を、私は衝動的に追いかけた。


 ……私もたまたま近くで話を聞いていてよかった。そんなおまじないをされて、邪魔をされては困る。私と彼の仲を引き裂かれては困るのだ。おまじないを実行して彼と結ばれるべきなのは、この私なのだから!


 思わず彼の後を追いかける女を二重尾行して、所持していた道具で早めに説得することができて本当によかった。じゅうぶんにお話したのだけれど、……口封じが完璧にできたとは思えない。


 あの女が黙っていたとしても、けしかけていた友人が話を聞き出して騒ぎだすかもしれない。後日だと色々と面倒なことになりそうだから、やっぱり今日勝負をかけるしかない。このシチュエーションは、私にとっても都合が良いのだから。


 大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。

 落ち着いて、短時間で決着をつけなければならない。

 状況は完璧だ。何も困ったことなんてない。今こそ最高の舞台だ。


 ただ自分に強く言い聞かせて、心を平静に保つ。

 あとは私が勇気を出していくだけだ。

 あの愚かな計画を話していた悪魔たちもきっと、私の後押しをしてくれたのだ。

 そう思わないといけない。ピンチはチャンスだ。もう後戻りはできない。


 がんばれ私!


 覚悟を決めて、手に持っていた鞄を小わきに抱えこむ。わきをしっかりと締めて、衣服がたてる音などを最小限に抑える。この日のために慣らしておいた、消音性の高い靴を履いた足に力を込めて、彼に見つからないよう注意しながら私は駆け出した。


 彼はまだ気づかない。暮れなずむ夕日を眺めるようにしながら、ゆっくりと歩いている。そんな彼に、私はどんどん近づいていく。呼吸の音で気づかれてもマズい。接近する前に、思い切り息を吸い込む。次に息を吐くのは、彼に言葉を告げる時だ。


 研ぎ澄まされた感覚が、時間をスローに感じさせる。私の中のどこかにあった、一撃で決めなければならないという焦りが、心臓をめちゃくちゃにかき回す。物音ひとつ立てずに彼に迫る。私の体の奥から激しい鼓動と、理性の叫びがきこえてくる。


 本当に、おまじないなんかに頼るの?

 やっぱりダメだよ。くだらない噂なんかに踊らされて実行しちゃ。

 ぜんぶ自分の力を使って成功させないと。


 そんな不安な気持ちが形となって襲ってくるようだ。――反論なんてない。

 そのとおり! 正しい理性の言葉だ。私は、私の力でやらないといけない。低俗なおまじないなんかに頼ってはいけない。しっかりと準備をして、確実に成功させなければならない。失恋も良い想い出になるなんて、カケラも思ってなんかない!


 根拠の無い、あやふやな噂話なんて知らない。私のやることに、背中を押してくれる友人もいない。

 私は、私の想いに従って、全力でやるんだ。百パーセントの成功率なんてないだろう。けど、今日を逃せば失敗する確率は大きくなっていくはずだ。だから、今やる。失敗したら最悪の展開だ。地獄にいくよりツライんだろう。すごく絶望することになるかもしれないけれど、他に方法は思いつかない。保険なんてない。もう、この気持ちを止める事なんてできない!


 そうだ、変なライバルに取られてしまう前に、いっそ私の手で確実に彼を――!


 くだらないおまじないなんかには頼らない。刃先を研いで無駄な部分を削ぎ落した、私特製のカッターナイフを振り上げる。自分の髪の毛を軽く斬って試したこともあるけれど、斬ったことに気付かないほどの切れ味がでた。これなら問題ないだろう。とても頼れる、私だけの武器だ。いっしゅんで終わる。これで安心だ。


 そうして私は、彼の後頭部に向かって、思いっきりナイフを横に一閃した。


「ぐああっ!?」


 酸欠気味になって、妙なハイテンションになってしまっていた私の体が、彼の体にぶち当たった――体当たりになってしまったようだ。彼が叫びながら地面を転がっていった。

 カッターナイフは、ちゃんと横に振りきっていたので、彼の体に刺さったりはしなかった。狙い通りの部分を切ったけど、少し危ないところだった。しまっておこう。


「痛っ、いったあ……え、なに? だれ、だれなの?」


 地面を転がって目を白黒させていた彼が、私に気付いてしまった。

 さいわいなことに、私は目出し帽で顔を完全に隠していたので、正体についてはバレていないようだ。

 さらにバレないようにするために、事前にヘリウムガスを吸い込んでおいた息を吐き出しながら、彼に向かって、やたら高い声で言葉を告げた。


「月ノ欠ケル夜ニ気ヲ付ケロ――!」


「はぁ!? ちょ、待て、待てよ! いったい、なんなんだオマエーッ!!」


 混乱している彼を捨て置き、私はまた駆け出した。

 彼が私のことを把握できる情報は一切与えていない。

 まったく意味のない言葉を伝えたから、私の目的に繋げることもできないはず。

 服は適当なジャージに着替えて来ている。持っている鞄も頑丈な迷彩柄のモノだ。

 あの邪魔な女も、私の姿と脅しが上手く効いたようで私の正体には気付かず全力で逃げ出していった。これだけやれば、この路地でこっそりと隠れて追いかけるような行動は二度としたくなくなるし、できなくなるというものでしょう。


 ふふふ、すべて上手くいった!

 そう、これで想いが通じてこそよ!

 この路地とは一切関係のないところで、私の想いは成就する――!


 ケーケケケケケケケケ! と変な笑い声をあげながら、明日には変質者に注意とかの噂話でいっぱいになりそうな路地から逃げ出しつつ、私は一番大事な目的だった、斬り裂いた彼の髪の毛の束を落とさないようにぎゅっと握りしめて急いで帰宅した。


「ハァ……ハァ……アー疲レタ。ウワ、変ナ声。治ルノカナ……?」


 かん高い自分の声に違和感を覚えるが、それより早く作業をしなければならない。

 自室に駆け込み目出し帽を脱ぎ捨て、髪を後ろでくくりつけて後ろで縛っておく。

 ついでに髪の一部を切ってしまい、採取した毛髪の鮮度が劣化しないうちに、用意しておいた乳鉢の中にすべての材料を放り込んでいく。


 いまの刻限を逃してはならない。事前に部屋の床に描いていた緻密な魔方陣が淡く輝く上で、すりこぎ棒を使って材料をごりごりと粉末へと変えていく。

 ……秘薬生成のためには、彼の新鮮な髪の毛がどうしても必要だった。誰もいない路地で、こっそりと入手することができて本当によかった。

 これから私は、想いを通じさせる神秘の魔術を行う。

 これは、あんなチャチなおまじないなんかでは断じてない、本物のおまじないだ。


 私は本気で、おまじないを実行する。


「――ヨヤ! 我は大いなる深淵に棲む汝らを呼び醒ます者なり!

 汝、この場にあらわれ、古き伝承にのっとって造られたこの粉末にて姿を現せ!」


 私の声が自然な調子を取り戻し、高らかな宣言の言葉が室内に響きわたる。

 同時に、魔方陣に刻み込んでいた特殊な文字が青白い光を放ちはじめる。

 星辰がそろう今日この日、この時間に儀式を行うことが重要だった。

 今こそサバトの刻限。姿なきものが、人知を超えた四次元の闇の奥から現れる時。


 ――閉めきっているはずの室内のどこからか、生暖かい空気が流れこんでくる。

 儀式は成功した……そこに、いる。

 いま、私の後ろに人ではない名伏しがたい異形が這い寄って来ているのを感じた。

 ヒタヒタと床を濡らす音をたてながら、気味の悪い不定形の足音が近づいてくる。


 そうだ、これが私の力だ。5分で斜め読みした魔術書から手に入れた力。

 これこそが、私たち人間が歴史の裏側で連綿と伝えてきた恋のお呪いの力!

 古の謎の種族の力で、この恋を成就させてしまえば、私の人生の勝利よ!


「術は成った……! さあ! いまここで、悠久の時を超えても消えることのない、不変の愛の力を示す方法を我に教えたまえ!

 具体的には、私と彼が想いを通じ合わせるための確実な手段を教えてください!」


 振り向いて姿を確認したらマズそうな、忌まわしき形状の化け物が、こくりと頷いた雰囲気を感じた。

 ヌチャリと質量のある奇妙な粘液状の物体を滴りおとしながら、私の背中に細長い器官が接触してきている……

 興奮と歓喜、それとちょっとした恐怖に震える私の体に細長い何かが触れた瞬間。高音が脳内に流れ込み、視界にノイズが走る。キリキリと頭が痛みだした。異形が、リリリと鳴き声を上げながら、私の脳の奥へと声を直接流し込んできている。


 ――魔術書に曰く、新世界より来たりし生命体が、どんな疑問に対しても明快な真理を答えてくれるとか長々と書いてあった。

 きっと、これから彼と想いを通じさせるための手段を授けてくれるのでしょう。

 それとも、彼と魔術的に想いを繋げてくれるのかも……?

 うん、とにかくうまくいきそう。さあ、私に偉大なる知恵や力を与えたまえー!


 期待して何かからの答えを待ち望んでいると、奇妙な鳴き声が、じょじょに幼子のような声に変わりはじめて、次第に頼りがいのある男性の声へと変わっていく。

 これから何かを語り聞かせてくれるのだろう。

 胸がドキドキしてきた。背後から何かに声をかけられると恐怖を感じてしまう。


 ……もしかすると、あの告白の噂話は吊り橋効果を利用したものだったのかもしれない。彼も今頃、謎の言葉に思いを巡らせて同じような体験をしている最中なのかもしれないな。――なんて、どうでもいい事を考えながら恐怖を紛らわせる。


 これから聴くのは、そういう細かな心理作戦なんかじゃない、究極の疑問への深淵な答えの片鱗が飛び出てくるはずなのだ。

 訳の分からない言葉を彼に聞かせて、正体不明の感情に怯えさせて惑わせた私の言葉のようなものでもないはず。

 おまじないだとか、恋愛テクニックだとか、そんなチャチなものでは断じてない、本物の真理がでてくるのだ……恐怖を振り払って、心して拝聴しなければいけない。


 そして、緊張に震える私の体にあたっていた触手状の物体が、ポンポンと背中を軽く叩くように動いたあと。私を安心させる雰囲気の、妙にしっかりとした言葉を変なイントネーションで伝えてきた。


『……ええか、お嬢ちゃん。気持ちが大事やで。変な力に頼ったりせず、その気持ちをまっすぐ伝えればええんやで。正面から告白すれば、ええんとちゃうかな――?』

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