工学部の博士②
「納期日が迫ってるけど、まともに話の出来る奴がいないことが問題でさ。」
私はコーヒーを飲んでお茶菓子を食べて、帰ろうとした。
「就職先になるかもしれないんだぞ。聞いていくくらい損はないだろう?」
どんな就職先を提示されようが、命の方が大事である。
「誰もやりたがらないんだよ。」
私もやりたくない。
「だけど元同僚だったら、不破との付き合いも長いだろうから、うまく話ができるだろう。」
付き合いは長いが、逃げたい。
私は缶のクッキーをすべて食べつくして、本題に入った。
「俺は学部が違うぞ。」
「不破だって違う。」
「不破と一緒にするな。転科してうまくやれる奴なんてどれだけいるんだ。しかも俺は31だ。不破と同じ頭を持ってると思われたら困るぞ。」
「給料はこんなもんで。」
「聞いてくれる?もう物理学教室で助教なんだよ。辞めるわけないだろ?」
「給料見てみろ。」
「見る必要ない。」
「金額だけでも。絶対今より高いぞ。うちは産学連携の全面バックアップがついてるから、就職先だってある。」
私はあえて金額が見えないように紙をひっくり返した。
「物理学しかやったことのない31の男が、転科してうまくやれると思うのか?就職先っていうけど、それ若い優秀な奴だけの話だろ?遅くに転科したんじゃここで出世の見込みもないし。
連携企業だって不破の話し相手しかやってない門外漢の人間に就職先用意してくれるはずないだろう。」
「じゃあアルバイトでもいい。時給3千円出す。1時間ずつ週2回でどうだ?あと臨時で呼び出した時。」
すごく魅力的だが、私は塾講師で時給2500円とれる。そして命の値段には安すぎる。
「悪いが断る。そもそもその給料は本当に用意できるのか?予算組んでないだろ?」
瀬波戸氏は腕をぐっと斜めに伸ばして天井を見上げた。
「…予算はある。」
「なんであるんだ。」
「不破の話し相手になってた担当が辞めた。」
「えっと…なんで辞めたんだ?」
「一身上の都合…。まあとにかく予算があるのは本当だ。不破は一人で5人分は仕事をしているしな。よく働くし。予算はあるんだ。」
「全部話せ。前任者はなんで辞めたんだ?俺は不破と1年半同僚だったんだぞ。たいていのことでは驚かない。」
「不破って物理学教室ではどんな奴だったんだ?」
「話を逸らすな。…いいか、就職先をオファーしてくれるんなら、全部正直に話してくれ。」
安定した職を離れてここで働くつもりはなかったのだが、不破がうまくやっているかを私は知りたかった。
瀬波戸氏は視線をさまよわせて、踏ん切りをつけた…かに見えたが、結局ごまかし方を変えただけだった。
「よし。分かった。なぜ不破の研究が重要か話そう。不破が作っているのは犬だが、あれをヒト型ヒューマノイドに応用するのが我々の本当の目的なんだ。なめらかで素早い動きは、すでにヒューマノイドに搭載してすごく好感触で、でも一番肝心な顔の動きで不破がどんな機能を新しくつけているのか知りたい…えっ?ちょっと待て。帰るの?おい、お茶菓子まだあるぞ。おい、クッキー新しい缶持ってきてくれ!」
私は正直に話してくれない責任者を放置して帰った。
クッキーがそんなに好きなわけではない。ただお腹が空いていたのと、なくなったら帰りやすいかと思ったから全部食べただけである。
あんなに話を逸らしたがるなんて、危ないにおいしかしないではないか。
「絶対就職なんかしないぞ:(」とその時は考えていた。
翌日いきなり牛飼教授に首を宣言されるまでは。
「理由を教えてください。」
牛飼教授に未練なんぞは1×10⁻³gくらいしか持ち合わせていないが、私には仕事していた自負がある。
「理由ってそんなの、研究成果が出てないからに決まってる。」
牛飼教授は明後日の方をむいて書類を整理していた。
「毎年論文出してますよね!予算だってとってますよね!」
「ふん。あんなの焼き直しもいいとこだ。お前の論文にはね、革新性がないよ!」
私の論文に革新性がないのは認める。しかしそれは牛飼教授も同じだ。不破と比べたらみんな小人の砂遊びのようなものだ。それなのに、今まで不破の論文におんぶにだっこしてはるか高みにまで登りつめていた牛飼教授の評判が、ここにきて足を引っ張っているだけだ。
今は乗っかる論文がないため、牛飼教授の評判はだだ下がりである。
いや、乗っかる論文はある。私や学生の論文に乗っかり、あるいは報告を利用してのっとって中身のほぼ同じ論文を先に応募する、というコバンザメ法を、今も彼は続けている。その論文の質が、不破のいたころより落ちてしまった。その八つ当たりをしているにすぎない。
「これはもう決定だから。T大から新しい院生をもう譲り受けること決まってるから。」
その学生に私の仕事がやれるとは到底思えなかった。
その学生さんは、もしかしたら私より頭がよくて、もしかしたら私よりちょっとくらいはいい論文を書くかもしれない。しかし、教授の秘書的なメールとスケジュール管理を行い、出張代も自腹の学会のお供をこなし、急なスケジュールで教授のプレゼン資料を作り、ポスターを作り、論文を乗っ取られ、さらに学生の愚痴も聞いてやって就職の相談にも乗る。今の私の仕事ができる奴がいるとは思えない。早晩反乱を起こすだろう。私だからくすぶる不満で済んでいるのだ。
それを牛飼教授はまるで分っていない。
たぶん助教を入れ替えることで、今までの不手際をすべて私に押し付けるつもりだ。
「〇〇君があまりに研究をさぼっていて、もうめぼしい成果も出ないから、かばうのも限界でね。留学先もあっせんできないからやめてもらったよ。」とかなんとか言って、減らされた予算を取り返そうとする教授の姿が目に浮かぶ。この人は、人の悪口を言って心の隙間に入り込むのが、病的なほど得意なのだ。いっそスパイに転身すべきだと思う。学究の徒に就くのは間違いもいいところである。
私の就職先も、不破同様押さえられているだろう。研究機関も、民間企業も。
抜かりはないはずだ。もし自分のテリトリーに再就職して、私が犬養教授の悪口を言いふらしたりしたら困るから。
私はふらりと立ち上がると、外に出て工学部の不破のいる研究室の電話番号をプッシュした。
そうせざるを得ない。生活のためには。
命の危険はある。確かに。しかし徴兵されて否応なしに戦地に駆り出される人もいるではないか。今の私がそれだ。
私が約束の時間に尋ねると、工学部知能情報学科の教授と助教授が並んでにこにこ座っていた。少し世間話をして前歴を聞かれただけで、教授は席を立った。
「この人でいいよ。」
「わかりました。履歴書も後でお届けします。」
私はこれが面接であって、今採用になったことを知った。
「すみません。履歴書今日中に書いて持ってきますから。っていうか、今書きますから。ちょっと生協に寄ってきていいですか?」
「いい。そんなの後からで。それより、不破について何してほしいか言うから。」
学生がコーヒーを運んできて、瀬波戸は未開封のクッキーの缶を3個取り出して、テーブルに積んだ。「食べ終わってさよなら」をさせない気である。
「本採用ってことでいいよね。じゃ、雇用契約にサインしてくれるかな。」
勢いのある教室は、(たぶん企業でも)なんでもスピーディーだと聞いているが、これは早すぎではないだろうか。仕事内容を説明される前に契約…。私は2時間前に首になって、今来たところである。まだ衝撃を消化しきれていない。
正直に言うと、ひどい精神的ショックを受けている人につけこんで高額契約を結ばせる詐欺にどこか似ていなくもない。
「そんなに不破のアシストは危ないんですか?何があったか教えていただけませんか?」
「サインしてくれたら教える。それに、これは試用期間1か月あるから。その間に辞めるのは自由だ。こちらも君の働き次第で、辞めてもらうかもしれないし。」
私は契約書を読んで、確かに試用期間について書かれているのを確認すると、すぐにサインした。
疑う姿勢を見せるのは得策でない。だって雇用主は、やり方次第でいくらでも私の給料を減らし、福利厚生を削ることができる。牛飼教授はそうだった。だから相手の善意を信じるしかないし、私は不破が評価され、その評価がお金で還元されている組織を信じてみようと思ってここに来たのだ。
「よろしくお願いします。では、不破が何をして僕の前任者が辞めたのか教えていただけますか?知っておけば、避けられるかもしれないですから。」
「うん。そうだな。まず言いたいのは、芝君の仕事は、不破のサポートだ。もっと言うなら、進捗状況を把握して報告し、手が足りなかったら貸してやってほしい。で、納期までに「頭」を完成させて、二号機も完成できるようにしてほしい。不破は一号機を触られるのをすごく嫌がるんだけど、もし納期までに二号機が完成しないのであれば、一号機を担当者に見せるほかないので、その説得とか。」
私はメモを取った。難しそうな仕事だが、私は牛飼教授の下で足掛け6年働いていたのだ。問題は不破のサポートがどれだけ命の危険があるかである。
「それで前任者はどうして辞めたんです?」
「どうして辞めたかは分からないんだが…。これを話しても本当に辞めたりしないね?」
「よほどのことでない限り。給料がかかってますし。」
「…不破のいたころ、教室内で行方不明者とかあったのかな?」
「…不破くらいですかね。急にいなくなって連絡が取れなくなったのは。結局は学内の別のキャンパスにいたわけですけど。」
「はあ。」
瀬波戸助教授は飲まずにコーヒーのカップを手で温めていたが、私が口を挟まずに待っているとやがて話を始めた。
「実は不破のアシスタントにつけたのは、うちの学生だったんだが、不破のことをすごく尊敬してた女子学生だったんだ。それもすごくかわいい。物理学もそうだろうが、工学部も女子学生少ないし、彼女は人気があったんだよ。ほんとにいつもかわいくてね。短いスカートはいて、きれいにお化粧もして、髪もふわふわしていた。
不破が頭がいいのが気に入ったみたいだったし、かなり熱心にアピールしてたから、不破につけたんだ。その…犬から興味が人間に移ったらヒューマノイド作ってくれるかもしれないと、ちょっと思っていた。手料理作ってきたりしてたな。いつもべたべた話しかけてたし。
でもうまくいかなかったらしくて、女の子はどんどん不機嫌になるし、不破はますます報告しなくなるし、自分の殻に閉じこもって、今までかろうじて残っていたコミュニケーションも拒否して、その…ますます犬に傾倒するようになって、ほっておくわけにいかず、俺も何度か注意した。女子学生の方をね。
そしたらなんかひん曲がっちゃってね。『あの犬がいなければ人間に興味向くようになるんじゃないですかね。そういうショック受けた時って、優しくされると好きになっちゃいますし。』と言っていた日の翌日に行方不明になった。」
「ええっと…『行方不明』とは?」
「音信不通で、マンションにもいないし、親御さんにも連絡してみたが知らないらしいし、警察に行ったら、成人した女性が失踪するのはそんなに珍しくないと言われるし。その…ちょっと交友関係派手な子だったしね。
不破に聞いたら、『記憶にない』と言うんだ。」
「『記憶にない』…それは…!」
「そうなんだ。絶対に何か関わっている。しかしそのことはロボットの頭が完成するまで絶対に不破に聞くな。納期前に奴が警察に連れていかれるようなことがあれば困る。」
瀬波戸氏の中で、女の子の命は、ロボットの完成より軽いらしかった。
私の中でも見知らぬ女性の命は、私の安定した仕事と給料より軽い。
おそらく不破の中でも、人の命は愛犬の命よりよほど軽いのだ。
結論として、「もし私が行方不明になっても真剣に探してもらえる見込みはなく、それも自業自得だ」ということになる。
もろもろの手続きを済ませると、もう辺りは暗くなっていた。
私はそうなるまでに、私物の引っ越しをし、教室内のみんなに挨拶をし、新しい上司や同僚のメルアドをゲットし、一緒に食事し、学務へ行って保険や駐車場の手続きを行い、履歴書が必要だと言われてその場で書き、備品の場所を聞いて、ついでに(再就職先の物色を含めて)協賛企業の名前に探りを入れた。不破からできるだけ離れたところで作業している不破の助手たちの作業を眺めて、情報を得るためお昼を食べる約束をした。
そしてもう初日にやることはなくなったと言ってよかった。
もう現実逃避はできない。不破と話さなければならない。
私は不破の机を見て、4年前とほとんど変わらない、懐かしいとさえ思える、生命の危機をビンビンと感じた。
しかし避けて通れない。他でどれだけ役に立とうが、不破と話してコミュニケーションを図り、サポートしなければ瀬波戸氏は試用期間で私を首にするだろう。私ならそうする。わざわざ門外漢を雇う意味なんてここにしかないからだ。
逆に言えば、これが誰にでも感じ取れる危機感であるからこそ、私に仕事が回ってきたと言える。
私は思い切って不破の机に近づき、パソコンをたたき続ける不破の後ろにそっと佇んだ。
「不破。芝だ。今日からお前のサポートについたから、やらないといけないことがあったら言ってくれ。」
「…。」
返事はなかった。しかし私の目はマウスを握った不破の人差し指が、くいっと上がるのを見た!当面はこれで十分だ。
私は会話を避け、しばらくパソコンの画面を眺めて(何かのプログラムを作っているようだが、私には分からなかった)、分からないということを分かった。
その足で図書館に行き、初学者向けの情報学の本を限度冊数借り出して(物理学教室の助教だった時の学内図書館貸し出しカードがまだ使えた)、不破の助手たちの残業する隣で、その本を読んだ。助手たちが帰っても不破が帰る時間になるまで、私は勉強していて、彼が犬に会いに帰る時間に共に退室した。
瀬波戸氏にメールで報告書を送った。
こうして私は何とか新しい職場の船出をスタートさせた。
『納期に間に合うのかどうかだけでも知らせてくれと瀬波戸さんに言われてるんだが。』
『骨格ができてない。』
『毛皮を使った犬の骨格はあるんじゃないのか?』
『リボンと顔が違う。』
『犬の頭の中身はできているのか?具体的には、表情筋とかの配線と言うことらしいけど。発注もしないといけないから今予定表を出せと言われたぞ。』
『基本はあるものを切って使うことになる。神経回路は余分に長めのものを用意してある。』
『それで納期には間に合うのか?』
『分からない。』
『不破に分からなかったら俺にも分からないぞ。とにかく、回せる作業は全部回してくれ。組み立て作業を開始しないと。形だけでも。何もしてないように思われるぞ。』
『とにかく急いではいる。どうしても間に合わなければ、ぬいぐるみの頭でもくっつけて首とまぶただけ動かせるようにしたらいいだろう。』
『それではぬいぐるみの頭を用意しておく必要があるか?』
『毛皮の剥ぎ取りをやった剥製屋が頭の部分も再現してくれている。最悪これを使うつもりだ。』
『その頭はどこにあるんだ。』
『棚のどこかだ。』
『先に用意しておく。後からその棚に行くから。見つからなければ大体の場所を聞くから。邪魔するかもしれない。』
『OK.』
私は通信を切った。
現在私がいるのは作業場と呼ばれる不破から離れた隅。不破は3メートル離れた場所で、イヤホンをつけてパソコンをたたいている。出かける予定らしく、ロボット犬を膝から降ろして「house」を命じ(ロボット犬は充電マットの上で丸くなった)、プリントアウトした紙をカバンに入れて、研究室を出た。
今だとばかりに、私は不破の棚に走って、剥製にされた犬の頭を探した。が、それらしいものは見つからない。
「進行どうだ。納期間に合いそうか?」
ヒューマノイドと並行して犬ロボットの進行も管理している瀬波戸氏が入ってきた。彼はなぜか不破がいるときはあまりこの部屋に来ない。
「不破は、『だめなら頭部のまぶたと首だけ動かせるようにしたらよい』と言ってます。」
私は通信アプリの履歴を見せた。
「…同じ部屋にいるのにアプリで会話してるのか?なんで?」
「はあ。これなら不破の作業の邪魔をしないで済みますしね…。」
怖いからである。本能に抗うより、文明の利器を頼ろうという結論に、私は2日目で達したのだ。
「ここに、毛皮を取るのに使った犬の頭があるらしいんですが…。」
私は機械の部品が入っているクリアケースを漁ってみると、掘り出した機械の塊の中に、犬の骨がちらりと見えた気がした。よく見るとその機械の塊の形は犬の頭に見えなくもなく、さらに掘り起こすとジプロックに入れられたいびつな犬の毛皮が出てきた。不破の助手たちに見せると、電気をつなぎ、動くことを確認した。
「ああ、これ動きますね。ちゃんとパソコンから指示入れてやればたぶん、大体の操作できるんじゃないですか?」
助手の一人が請け負った。すでに筋肉に近い配線はできていて、基盤も入っていて、基本動作はおそらくすべて可能だそうである。ほかの者がいびつな縫い合わされた毛皮を伸ばしてかぶせてみると、まんま犬の頭に見えなくもない。目は瞳の代わりにカメラが入っているのが気になるが、鼻も耳もある。犬ロボットは完成した。
「ってことはもうできてるじゃないか!なんでこれ使わないんだ?」
瀬波戸氏は怒っている。彼の頭はもう納期に間に合うかでいっぱいである。体の方が半年前にほぼ完成したので、納期を設定したら、不破が頭で足踏みしているので、彼は今や夢にまで見るそうである。納期に間に合わず、提携企業に土下座して謝る自分の姿を。
学生・研究者の超優良な就職先なので、絶対に失敗は許されないそうだ。
「骨がそのまま使ってあるのがダメなんじゃないか?これ、強化プラスチックか、軽量金属にしないと弱くなって折れることがあるぞ。まんま骨折して。」
「不破さんは完璧主義だから、まだ未完成な部分があるのかもしれない。」
「胴体と同じくラバーか何か入れて柔らかくしないとだめだが、頭は薄いから入れにくいんじゃないか?それとも素材にこだわってるとか。」
助手たちが次々に足りないものを推測しているが、私は答えらしきものを知っていた。
「愛犬と骨の形が違うから、できあがりの犬の顔が違ってくるらしいですよ。だからです。」
「ア・イ・ツ・ハ・バ・カ・カ…。」
怒りのあまり瀬波戸氏の口調は外国人調に平坦になっている。
「これ分解して全く同じものを作れ。最優先で。足りない部品は速攻で発注入れろ。余分に入れて、不破が変更したところにすぐ対応するんだ。あっ、ちゃんと元に戻せよ。」
助手たちはすぐに手分けしてとりかかった。私は不破に「頭が見つかったので一度分解する」旨連絡した。責任者の命令なので、事後承諾である。そして、分からないながら、手伝えることがあるかと側に突っ立っていた。
「それで芝、ちょっと相談があるんだが…。」
私は瀬波戸氏に連れ出された。
「これのめどがついたら、ぜひ不破をヒューマノイドのチームに入れたいんだ。」
「はあ。」
「で、お前、合コンを組むの得意なんだって?不破に人間の女の子紹介して、ヒューマノイド作りたくなるようにしてやってくれないか?」
私は瀬波戸氏の正気を疑った。
この人は不破が作業中に犬の名前を唱え続けているところを見たことがないのだろうか?あれを一度でも見たことがあったら、そんなセリフは出てくるまい。あれは狂信者である。いくら科学の進歩のためでも、人を犠牲にはできない。
(あ、一緒に作業したことないのか。ここでも不破は距離を置かれているもんな。人間、学部が違っても考えることは同じだな。)
「いやあ。ちょっと…。その女の子が行方不明になったりしたら、俺、一生引きずると思いますし…。」
「まあ、考えておいてくれ。今のままだと、小型犬サイズのヒューマノイドしかできない。…出来上がりの時間どれくらいだ?めどが立ったら俺が何しててもすぐに報告してくれよ。」
「はい!」「はい!!」「…!」
私は、とりあえず作業の様子を見守ることにした。貴重な一からの分解と組み立て、見て覚えることが先だ。助手の一人が分解、一人が計測、一人が設計図への書き起こしを引き受けているので、何もできない私は撮影係を引き受けた。分解したのを再度組み立てるときに、必要になるかもしれない。
そこに不破から連絡が入った。
『設計図がないのでそれに触るな。』
分解担当の丸地は渋っていたが、承知せざるを得なかった。瀬波戸さんに報告すると彼も渋っていたがやれとは言わない。
丸地は工業高校からスカウトされてはいった部類で、分解と組み立てに関しては、追随を許さないほど得意である。壊したりはしないだろう。スケジュールに関しても、分解して複製を作っておくことは、不破のためにも必要だと思われた。
「責任者は瀬波戸さんなんだから、不破が戻る前に組み立てておいたらどうだ?瀬波戸さんの命令なんだし。」
「不破さんは企業からの出向で、上司は瀬波戸さんじゃないんだ。」
丸地は分解しかけた犬ロボットをまた元通りに直すと、作りかけのヒューマノイドに向き合った。不破の小型犬ロボットをもとにしたヒューマノイドで、瀬波戸氏が「このままでは小型犬サイズのヒューマノイドしかできない」と言っていたそのままの代物である。不破の作ったロボットは完成されているため、単純に縮尺を変えただけでは動かなくなってしまう。そのため、犬ロボットの手足の向きを変えて長さを調節しただけらしいが、小人のようでこれはこれでかわいいのではないかと私は思う。
GPS機能で不破の居場所を確かめると、奴は病院にいた。
『付き添うか?』
『いらない』
『帰ってくるのか?』
『直帰する』
何やっているのだろう?病気だろうか?聞きたいが、会話を膨らませたくない。
各々思い思いの作業に戻ったので、私も図書館で新しい本を借りてこようかと思っていると、丸地からにらまれていた。
「あんた、なんで不破さんに敬語使わないんだ?」
「あいつ会話は簡潔な方が好きだからな。」
ちなみに不破との会話が短くなるので私も簡潔な方がよい。私はにっと丸地に笑いかけた。彼は不破のことを尊敬しているらしい。(ただし距離を縮める気はないらしい。)
「敬語使った方がいいか?」
「不破さんは上司だろう?」
「不破が企業の出向なら上司じゃないな。俺は大学に雇われてる。俺の上司は教授と瀬波戸さんだ。」
ここが肝心なところである。瀬波戸氏は明らかに不破の機嫌を損ねた時に全責任をおっかぶせて切るつもりで、私を急いで雇ったに違いない。それで雇われたのだから私も文句は言えないのだ。
それから私たちはしばらく話をした。丸地はロボットに関しては口がよく回って私の役に立つ話を聞かせてくれる。彼は不破(の作るロボット)に心酔していた。
「モーターで動かしているからどうしても動作が遅れるんだ。俺が作る時はごまかすために動きを入れておいて音楽に合わせて踊らせたり、もっと小さくしてみたりしてたんだけど、不破さんのロボットはモーターの位置も、やり方もまるで違う。少しの動きで大きく動くように作ってあるんだ。だからこんなに素早い動きが可能なんだ。」
それは物理学の分野だろう。根元を動かすと大きく動くのは物理学者なら簡単に思いつく。滑車を使ったりして、速度を上げることも、得意分野である。不破は物理学を捨てたのかと思っていたが(実際捨ててると思うが)、活用はしているようだ。
「しかもそれをこの丸みのあるフォルムに入れてあることがすごいんだ。この形見てくれよ。丸く薄く削ってあるだろ?これ、全部胴体の中に納まるようにするためなんだ。そのために考え抜いて形を変えてるんだよ。
しかも、それが重心移動をするようにするため、全体をがっちり組み合わせて、ここに重心機構まで備えてあるんだ。ふつうここまで考えないよ。考えてもやらないよ。」
執念とも言えると私は思った。不破は愛犬が死んでからも愛犬と思える対象が欲しいだけなのだ。そのための細部へのこだわりである。
ひとしきり話が弾んだ後、不破と通信アプリでつないで、直接連携を取らせようとしたのだが、固辞された。
「静ちゃんが、一日に1000枚犬の写真送られてくるって言ってたから、ちょっとIDは要らない…。」
「静ちゃん」は行方不明になった女子学生だ。すごいな静ちゃん、君はそんな目に合ってるのにアピールを辞めなかったのか。そして、丸地、瀬波戸さんだけでなくお前もか。不破を避けるのは正しいとは思うが、犬の話をしなければ大丈夫だぞ。私は一度も不破に犬の話を持ち掛けたことはない。狂信者に宗教の話題を持ち出すのを避けてる感覚による。
やがて定時になって助手たちは帰ったので、私は何となく居残って自学自習をしたり、空いた器具で簡単な分解と組み立てを実践したりしていた。物理学教室にいたころ、昼間は教授の用事や講師の仕事で忙しく、定時後に研究する癖がついていたので、その習慣が残っていた。そして、違う分野に入るのだから、多少の無理を私は覚悟していた。
と、不破が帰ってきた。傍らには犬の頭蓋骨を持っている。本物ではない。プラスチック製だ。
私は警備室に確認したが、「不破さんは特例で24時間出入り自由です。」と言われたのでしばらく何しているのかを若干遠くから眺めていた。
犬の頭蓋骨を肉付けし始めたようだったので、私は手伝いを申し出て、予備の頭蓋骨を実物に近くなるように削るお仕事をもらった。
不破が病院に行っていたのは、愛犬のCTを撮って、頭蓋骨の立体画像を撮るためだったそうである。そして、3Dプリンターでそれを再現してきたが、細部が細かくないらしい。
私は3Dプリンターのありかを聞いて、一晩中その使い方を覚え、立体画像の作り方をどうにかして覚えないといけないと思いながら、不破の徹夜に付き合ってプラスチックの要らないところを削った。
翌朝には、新しい犬の頭はロボット部分だけ完成した。設計図代わりの古い犬ロボットを丸地に預けて、私が作った予備頭に、同じように肉付けしてもらうらしい。不破は「設計図を書き起こす」という根本的な伝える努力をする気がないので、それは助手たちの仕事と言うことである。CADの使い方を教えてもらったが、それなら私もできそうだったので、手伝いを申し出た。
その間、不破は新しい犬ロボットの肉付け用のラバーを、発泡スチロールの型から作っていた。
作業が大詰めを迎えたと報告したので、先程から瀬波戸氏が出たり入ったりして、進捗状況を確かめに来る。再現担当の丸地は真剣そのもので、誰も口を利かない。
研究室にはかつてない緊張と高揚感がみなぎっていた。
その中で黙々と一人愛犬の顔に近づけようと肉付けをする不破。
つくづく彼は、一人きりで、工作しているのだと思う。小学生が理想のプラモデルに寝食忘れて没頭するように、彼も愛犬とそっくり同じロボットを作りたいだけなのだ。瀬波戸氏や丸地他3人の助手たちや、私や、そもそもこの研究室でさえ、彼にとったら背景に過ぎないのだろうと、その姿を見ると私は感じた。
夕方近くなって、いつの間にか不破のロボットは完成していた。
頭の付いた犬ロボットは私たちの前にかわいい顔を見せに来た。取り巻く私たちの前にきちんとお座りし、黒いつやつや光る目をひたっと瀬波戸氏に向けた。
『おなかすいたよ。ごはんちょうだい。』
(しゃべった!)
私たちは驚きのあまり何も言えなかった。
そんな機能がつけられるとは知らなかったからだ。しかしそう考えると、ここ1週間ほど、不破はイヤホンをつけてパソコンをたたいていた。たぶん音声機能を作っていたのだろう。
私たちが固まっている間に不破は帰っていた。昨日徹夜していたから、今日は愛犬の待つ家へ早めに帰るらしい。
不破がぱたんと音を立てて研究室のドアを閉めると、瀬波戸氏は言った。
「しゃべる機能をつけるなんて聞いてないぞ。…まあ、とにかく、これでやっと完成だな。」
『まだしっぽが残っている。』
不破に確認するとこういう返信があった。
しっぽはすぐにつけられた。ふさふさのしっぽは、エサ(電源ケーブル)をもらえそうな時やなでてやった時にふわふわと揺れる。(もちろん触れるのは不破だけで、私たちは2号機の完成を待っている。)犬の語彙は、確認した限りでは、『おなかすいた』のほかには、『ありがとう』と『遊んで』の3つである。不破は納得いっていないらしく、しゃべる犬ロボットの動きをにらみつけて何時間も過ごしている。
問題はその間に発生した。
私は出勤してすぐ私用のパソコンを開いた。
私の立場はあいまいである。工学部の基本的な知識を備えているわけでもない。不破とその他研究者との調整役を求められてはいるが、やっていることはアプリを介した伝言役に過ぎない。だから机もなければパソコンもない。しかし、最近、CADと3D再現という、私にもできそうな分野が現れたため、私はその2つを使いこなそうと、熱意を注ぎ込んでいた。資格を取ることも検討中である。
ふと顔を上げて気が付いたのだが、今日は研究員の人数が少ない。
助手たちが3号機作成中だが、丸地がいない。
理由は瀬波戸氏に呼び出されてすぐに分かった。
「不破に紹介できそうな女性は見つかったか?」
断ったはずだぞ、と思いながら、私は見つかっていないし、たぶん見つかりそうもない旨を上司に伝えた。一日に千枚の犬の写真を送られても耐えられる包容力のある女性がいたら、不破に紹介する前に私が付き合いたい。
瀬波戸氏は思いっきり顔をしかめた。
上司の不機嫌面を見慣れている私には、それが「牛飼だったらクビをほのめかして人格否定してくるレベルの不機嫌」と思われた。
丸地もそこにいて、小型犬サイズのヒューマノイドをテーブルに置いてパソコンを抱えていた。
例の犬ロボットの手足だけ長くした小人ロボットである。ワンピースを着せられ、人形の頭がかぶせられているが、中身の元が犬なので、鼻のところが不自然に突き出して顔が歪んでいた。
「丸地。」
丸地はうなずいて小型サイズヒューマノイドをパソコンから起動させた。
人形は立ち上がろうとして、倒れた。
「重心がうまく移動しないらしい。犬用だから。それに人の動きもたぶん学習が足りてないんだ。」
「犬の動きの再現だったら動くんですよねぇ。」
そう言いながら丸地が別の命令を打ち込むと、人形は手足をぐっと伸ばして、四つ足でテーブルを歩いた。ただし犬の動きの再現だけあって、普通の4つ足ではなかった。
手足を跳ね上げるように、トットっと進む。私は何となく「オオカミの子として育てられた女の子」を思い出した。
要するに、オカルトの領域に片足突っ込んでいる動きである。ゆがんで無表情の人形の頭も相乗効果を上げている。
「不破はヒューマノイドの開発を頼んだら承知してくれそうか。」
「…。」
私は考えるように無言になったが、実は1秒も考えるまでもなく無理だと思った。奴はロボット開発の研究室にいるから犬ロボットを作っているわけではない。犬ロボットを作りたいから、ここにいるにすぎない。すべては永遠に生きる愛犬が欲しいから、徹夜もするし残業もするのであって、ヒューマノイドのために出勤してくるかも怪しい。
今彼は「電子音が耳障りだ」という理由から、自然音に近い音声の発話を検討中であるらしい。つまり、犬ロボットの改善はしても、ヒューマノイドに鞍替えしてくれるか、怪しい。
「せめてAIに動きを覚えさせるノウハウだけでも聞いてくれ。」
「それなら頼めばすぐに教えてくれるでしょう。」
「それから、犬ロボの片手間でいいから、ヒューマノイドの開発に協力してくれ。」
「犬ロボに使ったノウハウだけなら、聞いたら答えてくれると思いますよ。」
瀬波戸氏はバンと机をたたいた。
「犬ロボットから外れて、ヒューマノイドに専念してくれるように言ってくれ。」
私が机を叩かれても怒鳴られても(実をいうと牛飼で慣れていたので)平静なのを見ると、瀬波戸氏は逆に罪悪感を感じたらしい。普段の冷静さを取り戻した。
「ヒューマノイドは、人類の未来だ。人が入り込みにくいところや人の嫌がる仕事でも、請け負わせることができる。何よりこれに大金を出してくれる奴はたくさんいる。人類の夢でもある。不破が今まで考案した機構だけでも、大きく前進した。しかし今見たように、まだ不破のアイディアが必要なところが多々ある。だから、ヒューマノイドに専念するように言って、ヒューマノイドのチームにも所属してくれるように頼んでみてくれ。専念じゃなくても二足の草鞋を履いてくれたらオーライだ。
それができたら、試用期間後に正規雇用を考える。」
(そういえばまだ試用期間終わってないんだったな。)
物理学教室にいたころが遠い過去のようで、私はすっかり忘れていた。
今度こそ本当に頭の中にある不破に関するデータを総ざらえして、私は妥協点を探った。
「不破がこの4年の間変わったかもしれませんが、物理学教室にいたころの基準でよければ、いくつかご提案できます。
まず、不破にヒューマノイドを研究させることは難しいです。
物理学者だったころも、教授はテーマも期間も不破に選ばせて勝手にさせていたました。自由にさせておけば、成果をいくらでも持ってきてくれます。
それに関する名誉とかはこだわらなかったですし、できあがった成果に関しては、理論でも装置でも、なんでも教えてくれてました。
だから、犬ロボットからヒューマノイドに応用する技術が難しくても、誰か不破以外がやるしかないでしょう。
それからこれは牛飼教授に提案して断られたのですが、研究室で不破が愛犬を飼うのを許すべきだと思います。それが許されたら、たぶん不破は今まで以上に研究に没頭するでしょうし、どこにも行かずに一生、いや、とにかく飼い犬が死ぬまではここで犬ロボットを作ってると思います。犬ロボットが満足いくまで完成したら、ヒューマノイドも気まぐれで手を付ける可能性が無きにしも非ずです。
不破に譲歩させたいなら、こちらも譲歩すべきです。」
ちなみにこの提案は、物理学教室では「物理学者はネコを飼うべきだ。ネコなら研究室で飼ってもよい」という、ネコ派牛飼により却下された。
「物理学者はネコを飼うべきだ」と言うのは、高名な物理学者にやたらネコに傾倒する人が多いのでできた都市伝説である。かつては論文の共著者にネコの名前を使った学者もいるし、著書の前書きで愛猫の貢献(どこにそんなものがあるのかは不明)にその本をささげた学者もいる。牛飼教授もネコ派だった。しかし不破は筋金入りのイヌ派で、「ネコがかわいい。ネコでもいい」とは、頑として言わなかったのである。彼にとってネコとは、動く背景くらいの認識で全くの無関心だった。両者の主張は平行線をたどり、0.1度も近づくことはなかった。
あそこで牛飼教授が折れていたら、たぶん不破はあっさり辞めたりしなかっただろうと思う。
(さあどうだ。)
私は返事を待ち受けた。瀬波戸氏は決していい顔をしていない。
「一人だけそんな特別扱いするわけにいかない。ただでさえ出向者に助手をつけて、一室を与えて、特例を認めている。これ以上は無理だ。
それに犬の毛が機械に入るだろう。」
「では、不破をチームリーダーにするのはどうですか?
責任者にされてしまったら、そこそこの物を作ると思います。
少なくとも、前の不破はそうでした。」
「ぐ。…まあ、考えておく。」
「不破は見守りカメラで犬のこと見ながら仕事してますから。犬を連れてきてもいいと言ったら、喜ぶと思うんです。」
「そんなの見たことないぞ。」
「定時後にしかやってませんし。」
(瀬波戸さんもたぶん、牛飼と同じで、不破の成果が欲しいんだろうな。)
牛飼よりも給与面で報いてくれるだろうが、名誉はきっと自分の物にするのだろう。
私はそれを責められない。研究者は、上の地位につくころには、自由な発想力を失ってしまっている。自力で大きな研究成果を上げられないのに、上げなければ地位を保つことができないのだ。
私も才能のある方ではないので、その挫折感と焦燥感はよくわかる。
(クビはつながったかなあ…。
この仕事は命の危険があるし、求人は常に見てるんだけど、なかなか少ないし。
やっぱりつてをたどるしかない。…ってことはつてができるまでここにおいてもらうのが一番いいんだが…。)
瀬波戸氏の、「何としても不破をヒューマノイドチームに」という熱心な演説を聞いた後、そんなことを考えながら私は研究室に戻っていた。
隣は丸地が、例の「スポンサーにトラウマを植え付けかねない未完成のヒューマノイド」を抱えて歩いている。
彼も何か考えているようだったが、ついに口を開いた。
「俺、犬の毛をロボットに入れない装置なら、すぐにでも作れるんですが。段ボールと除湿器か室内扇風機があったら。
段ボールでドーム作って、不破さんのところを囲って、空気を一か所から通して、フィルターかければすぐにでも。明日の朝までに完成させます。その後手直ししていけばいいっすよね。
不破さんだって、その方が集中できていいでしょう?」
私はいじらしくなって、思わず丸地の髪の毛をぐしゃぐしゃかきまぜた。
若い研究者の卵たちが、青臭いことで悩んでいるのが、私はとてもかわいいと思う。こちらの無理も知らない恩知らずで腹の立つことも多いし、「将来大物になって引き立ててほしい」とか「連携をとれるように活躍して俺の働きを認めてもらいたい」とか、半分くらいはそういう下心もあるのだが、私が面倒見よくなってしまうのは、半分くらいは純粋に彼らの中に昔の自分の一部を見てしまうからだ。
「お前それをあそこで言わなかったの偉いと思うぞ。言っても瀬波戸さんににらまれるだけだ。」
「なんで?」
「瀬波戸さんが言ってるのは、『これ以上不破を特別扱いしたくない』ってことだからな。
ほかのみんなが同じ待遇でできること全部やってるのに、不破だけ同じことして特別扱いってわけにいかないだろ?」
「ほぼ不破さんが作ってるのに?」
「研究室ってそういうところだ。特別扱いしていいのは、教授だけだ。」
「…けど俺、これを人間らしく改造するなんて無理ですよ。すでにできているものをコピーしたり仕様変えたりするのは、そりゃ、誰にも負けませんけど。
不破さんのロボット、完全新型の上に一台しかないから、マイナーチェンジするなんて言ってもどこをどう変えたら分かりませんし。不破さんが片手間でもいいからアイディアだしてくれたら、それに沿って徹夜でもなんでもやって間に合わせますけどね。
これをヒューマノイドにするのって、…芝さんやってくれます?」
「いやあ、俺も門外漢だし。」
「そもそもAIの使い方が、俺よくわかってないんですよ。今使ってるの、不破さんがくれたまんまコピーで、どこがどうなってるのかもわかりません。動かすのは知ってるけど、止まったらどう直していいのか。変えるってどう変えたらいいのか。
芝さん分かります?博士なんですよね?」
「いや、(博士ったって物理学の博士だし。)…ちょっと今は分からんな。勉強したら何かわかるかもだけど。」
「はあ…。AIに不破さんが何か工夫してたら、もう不破さんにしか分かりませんよ。瀬波戸さんに聞いたこともあるんですけど、どうも要領を得ないんですよね。理論ばっかりで。どこをどうすればいいのか教えてくんないんすよ。」
「わかった。俺も勉強してみるから。助手たちも、いったん作業とめて全員AIの検討に入るのはどうだ?それで、知識をフラットにする。3人寄れば文殊の知恵と言うだろ。何かわかるかもしれんよ。」
「4人いますしねえ。」
丸地はどこかほっとしたようで、研究室のドアを開けた。
そこで彼はピタッと止まってしまった。
「ポテトチップスくらいなら用意するぞ…。」
言いかけてぶつかった私も止まった。
部屋の隅から動いたことのなかった不破が、助手たちの作業台で、助手たちに見守られながら犬ロボット2号を解体していた。
助手3人と私が息をつめて見つめる中、不破は2号機を解体して手直しをしていた。
おそらく何か変更点があるのだろうと思われる。丸地も手伝わずに、珍しい不破の解体ショーを見つめている。
それにしても不破がロボットをいじるところを見るのは初めてだったので、私はしっかり観察していたが、不破は意外にも丸地に近いくらいに作業が早かった。助手たちの表情を見る限り、それだけでなく、何か学ぶところがあるらしい。
私はそっと携帯で動画を撮った。
ついでにさりげなく不破の顔も収めた。またいきなり行方不明になられたら、捜索の顔写真が必要である。前回はそれがなかったので、私は聞き込みができなかったのだ。
「直しているのは耳としっぽのところだ。全体の動きと連動しないようにしていたが、耳を寝かせるタイミングが、座る時と伏せする時では違う。しっぽの高さも、しっぽを振る速度によって違う。それを区別していなかったため、今回の改造でその点を直した。」
不破は語りだした。
不破以外誰もしゃべらない。静けさが耳を叩くほど痛い。
「舌に関してはどうしても作り出せなかった。舌を濡れさせることも、あの自由自在な動きも、再現にはもっと考察が必要だ。」
不破は泣くのをこらえているような、痛ましい顔をした。
(こいつ、表情筋あったのか!)
私の背筋に冷たいものが走った。トカゲが笑顔になったらこのくらいぎょっとすると思う。
「AIも、耳としっぽの動きを含めて最初から学習させる必要がある。耳としっぽがおかしければ、犬らしく見えない。」
「それ、頭からやってもらえるんすか?」
丸地が食いついた。
「やり方はメールする。」
「できればやるところも見たいんすけど。モーションキャプチャーをどこにつけるのか、から、わかんないすし。」
不破は首をかしげた。
それで忘れたらしい。解体組み立て作業に戻って、返事はなかった。
翌日、1号機とともに不破の姿は消えて、辞表だけが机の上に残されていた。
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