春嵐

@miso_shiru8

第1話

 春嵐

 

  長男 柳永由の証言

 えぇ、えぇ、そりゃぁもうはっきりと覚えていますよ、なんせまだ半年前の出来事ですからね、本当に参ったもんですあれからお袋のやつすっかり元気をなくしてしまいして、親父が亡くなっただけでもショックだったのにまさか"遺骨を赤の他人に奪われる"なんてねぇ


1章

 

 4月も中頃になり満開の桜がそろそろ散り始めたころに柳家の当主 柳 国俊はこの世を去った、齢56といささか早い逝去ではあったものの長年連れ添った妻と二人の子供、長男の嫁とその娘と愛した家族に囲まれての幸せな終わりだった。

 彼の人は勤勉で人懐こく面倒見のいい性格であり職場の上司や同僚、部下からも慕われており交友関係も広く、この訃報はなんとも多くの人間に嘆かれたものだった。

 亡くなった翌日に行われた通夜は何事もなく終わり、本日4月25日の告別式にて故人との最後の別れを迎える。

 自宅にて執り行われた式には彼の職場の同僚を含む複数の友人達が訪れ思い出話に花を咲かせては涙を浮かべて別れを悲しんだ。妻である柳千陽は彼らの話を聞いては謝礼を述べ共に涙を流すなどした、がその中になんとも奇妙な男が一人。男は部屋の窓際に座り煙草を咥えながらぷかぷかと浮かぶ紫煙をどこか楽しげに眺めていた。千陽は、はてこんな男があの人の知り合いにいたかしら、と首を傾げる。夫は確かに顔が広く大勢の友人を持つが、一人も漏れることなく妻である千陽に紹介、会わずとも写真やメールのやり取りなどを見せてはどの様な人物かを逐一説明をしていた、だがあの男のことは千陽は結婚生活の中で一度も見たことも聞いた事もなかった。

 千陽は男に近づくと「もし、夫の知り合いでございましょうか」と声をかけた。その男は千陽のその言葉に一瞬目を丸くするが、すぐにスッと目を細め傍にあった灰皿に煙草を押し付ける「エェ、エェ、奥様、私は彼の古い友人でしてね、貴女様と結婚をする前からの仲でございます。」とにこりと笑みを浮かべ話し始めた。「まあ、そうでしたの夫からは貴方のことを聞いた覚えが無かったものですので」千陽は背の高い無骨な印象を受ける男を見上げた、男は「そうでしょうとも、結婚をされてからは全くやり取りをしていませんでしたからなぁ、今回も訃報を聞いて慌ててここまで駆けつけた次第です。」と、やれやれと溜息をつきながら話す「それはなんとも、夫のためにありがとうございます。して失礼ではございますが、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか」千陽は夫の古くからの友人を名乗る男を訝しげながらも他の者へと同様に謝礼を述べる。

「ああ、これは失礼しました。私は」千陽と夫は大学生の時分からの知り合いである、名前を聞けば男の言葉が真実かどうかの判別がつくと思っていた

「山岡六也

 と申します。」

 『山岡六也』千陽はその名前を聞くやいなや、ツキンと頭の中を針で刺される様な痛みが走った。頭をおさえる千陽を見ると山岡と名乗った男は「おや、どうされましたか奥様」と千陽の顔を覗き込む。千陽はその自分を覗き込む瞳になんとも言えぬ恐怖を感じ、急いで立ち上がると「偏頭痛ですわ、最近多いんですの」とそそくさのその視線から逃げる様に立ち去る。

 あの瞳、あの視線、ああ、ああ、ああ! 知っている私はあの瞳を知っている!あのこちらを刺殺さんとする様な強い瞳を、纏わり付く蛇の様な視線知っている!なのに何故あの男を思い出せないのかあの男、山岡と確かに会ったことがあるはずなのに何故思い出せないのか、しかして思い出そうするとと頭の痛みが激しくなり胃の中のものを全てぶちまけてしまいそうな吐き気に襲われるのであった。

 千陽はあれきり山岡には近づかずに時折そっと様子を見ることにした。見かけると山岡は親族とも友人とも親しげに言葉を交わしては先程と同じように、にこやかな笑みを浮かべていた。

 通夜と同様に告別式も問題なく閉式となり出棺を迎える。故人の友人らの多くはここで帰宅し火葬場までは親族と彼と長年の付き合いのある友人数人と少ない人数で向かうことになった。その中にあの山岡もいた。千陽は正直言って一刻も早く山岡には退場して貰いたかったが千陽以外の者は山岡に好意的な印象を抱いており、何よりも今月頭に小学生になったばかりの孫娘の睦花が山岡にとても懐いてしまい、そばを離れようものならぐずりだすもので、こちらとしても山岡にはいてもらった方が助かるのであり、なんとも帰ってくれとは言い出せぬものであった。

 火葬場に着き、炉の前で遺体との別れとしての納めの儀の最中であった、それまでにこにこと笑みを浮かべ悲壮感など一切纏わなかった山岡が夫の遺体を見つめ大粒の涙を流し始めたのであった。これには千陽もぎょっとし思わず山岡を凝視してしまうほどであった。納めの儀が終わると遺体は炉に入れられ火葬が始まった。その頃には山岡は片手で顔を覆い身体を震わせ鼻を啜るまでになっていた。睦花は山岡のもう一方の手を握ると「おじちゃん、じーじとお別れやなの?」と見上げる。「そんなことはないさ、それにお別れじゃぁないからね、君のじーじとはいつも一緒だ」と山岡は睦花の目線に合わせしゃがみ込み頭を撫でる。睦花はくすぐったそうに身をよじると照れたように頬を薄く染めてパタパタと母親の方へ駆けていく。

 さて、火葬が終わるまで通常1時間から2時間程度の時間を有する。控室に案内された一行はここで食事をとることとなった、酒も用意されており故人の妻である千陽は客人達の酌にまわる事となった。それはもちろんあの山岡にもすることとなり、千陽は痛み続ける頭を知らぬふりをし山岡の隣に座る。「どうぞ、よろしければ」と微笑みながらビールの瓶を胸元に掲げると山岡は「すいません、車に乗って来てるもので、お気遣いありがとうございます」と苦笑しつつ軽く頭を下げ断ったた。千陽はこれ幸いと「そうだったんですか、まあこれは失礼を」とその場を離れようとするが「それにしても良い式ですねエ、奥様」山岡が言葉を続けたため浮かせた腰を再び沈める事となった「はあ、そうでしょうか」と千陽は気の抜けた返事をするが山岡は「こんなに沢山のご友人に仲のいい奥様とお子様方その上可愛い孫娘に囲まれているのだからこんなに良い式はありませんよ、貴女」と嬉しそうに笑うのだった。千陽は居心地が悪くなり「それは、どうもありがとうございます」とだけ返すと娘に呼びかけられたことを理由に席を離れるのだった。

 火葬場の職員が火葬の終わりを告げ収骨の案内をするため控室に訪れると一行は職員に従い再び炉の前に集められた。職員に箸を渡され2人1組で骨壺に遺骨を収めて行く、山岡は立ち合いのみでこの収骨を断ったが他の者に勧められると箸を持ち故人の前に立ち骨をひとかけら摘むと骨壺へそっと入れた。

 全ての骨が骨壺に納められ職員によりカバーに包まれる。それを千陽が受け取ろうと手を出すと「すいません、それは俺が受け取るものなので」と山岡が横から腕を伸ばし遺骨を取って行ったのである。山岡は遺骨を両腕に抱えると呆然とした周囲に構うことなく「では、皆様方さようなら」と嬉しそうにてのひらを振りながら告げその場から去ろうとするのであった。千陽は何が起こったかわからずにその山岡の姿を眺めることしか出来なかったがその時、山岡が遺骨の収まった入れ物を撫でながら見つめる顔をみた。それはそれはまるで愛しくて仕方がないと言うような幸せに満ちた、まさに蕩ける様なと表すような顔であった。その顔を見た瞬間に山岡の名前を聞いた時から始まった頭痛がより一層強くなったかと思うとパツン!と弾け飛ぶ様に治った。瞬間溢れんばかりの記憶がだくだくと頭の中を流れ込む。山岡六也。ああ、何故だ、何故この男を忘れることができたのだろうがこの男この山岡六也こそ、愛する夫である柳国俊いや松山国俊を手に入れる一番の障害であったというのに!!

              1章 完


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

春嵐 @miso_shiru8

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ