14
マリアが眠りから目を覚ますと、すでに列車は港町にたどり着いていた。エスが積荷を下ろし、肩に担ぐ。列車を降りると、潮の匂いが漂っていることに気がついた。サン・ジェルマンよりいくらか冷えるようで、風が冷たかった。
駅を出ると、立て看板に人魚の街への方向が示してあったらしく、エスがこちらだと手招きした。マリアは素直に後をついていく。すぐに海辺に到着する。
そこは真珠のような形の丸い砂が辺り一面敷き詰められた、広い砂浜だった。海鳥が空を旋回している。
保養地ではないのだろう、海の家の類は一軒もたっていない。
ただ、桟橋が一本、海へつなげられていた。
一緒に列車から降りた人間たちが、その先端から順番に水に飛び込んで行っている。マリアは気のせいかと思おうとして、目を瞬いてみたが、それは現実だということを再確認することにしかならなかった。
「…ねえ、エス。ここからどうすればいいのかしら」
広い砂浜に仁王立ちして、困った風にマリアは尋ねた。
目は死体が上がってくるのではないかと皿にして、水面を見つめている。あいにく、まだ一つも見つかっていなかった。
最近、マリアは困ったことがあれば、なんとなくエスを頼ればいいような気になってしまう。でもそれじゃあ、だめだわ、とそのたびに頬をつねる。ところが頼れる友のエスはマリアのそんな態度を易々と許してしまうのだから困ったものだ。
案の定、
「シャボン屋を知ってますか?」
とどこかで聞いたことのある名前だ、と思い、それが街で見かけた商店の一つであることにマリアは気がついた。なにを売っているのかは知らなかったので首を横にふる。
「そこで売っているシャボン玉を買うと、普通の人間でも水の中で呼吸ができるようになるんです。準備しておきました」
と、荷物の中から用意周到に容器を取り出して見せる。
「どのくらい持つの?」
「だいたい半日程度でしょうか」
と首を傾げる。
それからまるで子供のようにシャボン玉を作ると、それをマリアに吹きかけ、それから自分にも同じようにする。泡はすぐに割れて、なにも残らなかったが、
「これで海の中に入れますよ」
と言われマリアは迷うことなく、荷物を掴み、桟橋の上から海へダイブする。一瞬のことにあっけに取られたエスが慌てて後を追った。
マリアは海の中で無意識に口元に手を当てていた。
どんどん、沈んでいく。終わりなんてないのではないか、と思った瞬間、海底に足がついた。
周囲の気泡が消えた時、いよいよ息が続かなくなって、そっと手を離す。それから恐る恐る息を吸い込む。
「息ができるわ…」
水に反響して声が耳に届くのが、不思議だった。
喜びを共有したくて後ろを振り向くと、エスもマリアをじっと見ていた。マリアは嬉しくなってエスに飛びついた。
「うわ」
思わず仰け反るエスの口から気泡が漏れる。
子犬のように飛びついたマリアは我に帰り、エスから離れると、今度は海の中を観察した。そして、すぐに思っていたのと違うことに気がつく。
「人魚、いないのね」
思っていたような街も、人魚もそこにはいなかった。
ただ、あちこちを陸の上の生き物が散策している。
「人魚は慎しみ深いと言われていますから…」
エスが苦笑しながら返事をする。
二人は他の人間と同じように、しばらく海底を散策する。海の底は太陽光がほとんど入らず薄暗い。その代わり、一箇所、強く発光している方向がある。あたりにいる人間はみんなそっちに向かっている。
小さな魚や、タコとすれ違いながら、二人も同じ方向に進んだ。
マリアは薄暗い水の中で、ハデスとペルセポネの神話を思い出していた。マリアの好みで言うなら、どちらかというと筋肉質で力強いポセイドンの方が好みで、それに海の神なのに、とマリアは内心首を傾げる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます