9

 辿り着いた砂漠地帯。


 辺り一面、砂だらけだ。近くにあるのは、枯れた井戸が一つだけ。遠くの方には地べたに這いつくばるようにして生えている低木が散見される。

 吹き付けてくる乾燥した風は、体温を下げるどころか、肌を苛む地獄の送り風のようだ。


 砂漠にパラソルを突き立て、二人はその陰で涼もうとしていた。


「あ、あついわ…」


 北国育ちのマリアは着いて早々、気が遠くなっている。


「だいじょうぶですか?」


 心配そうな面持ちで、顔全体に巻きつけたスカーフの合間から、エスが尋ねる。マリアも目だけで頷いた。


「近くに住んでいる人たちは、夜になればトカゲネコが出てくるって言っていたけれど、…ほんとうかしら」


 見渡す限り、生き物なんて見当たらない。こんな灼熱地獄で生きていけるのかしら、とマリアは唇を尖らせた。スカーフの合間から髪の毛に手を伸ばすと、隙間から入ってきた砂が絡みついていた。ため息をつく。


「雪とどっちがいいのかしらね」


 マリアはエスが背中の荷物から例の拳大の茶色い石を取り出し、なにかをしているのが見えた。エスの手元を覗き込む。


「それ、なあに?」


 突然近づいたマリアに、エスは体を強張らせながら、手の中にあるそれを見せる。


「呪いまじなを込めていたんです」

「呪い?」

「この石は冷却石と言って、魔力を込めると触っている人間の体温を低める効果があるんです」


 それから呪文と口の中で唱えると、薄い水色の煙がその石から流れ出て、やってきた風にさらわれ空中に消えてしまった。エスがマリアに石を手渡す。


「すごい!」


 ひんやりとした気持ちよさに、マリアは幸せになる。


「あなたは使わないの?」


 マリアはエスが他の石を使わないでいるのを見てとって、伺った。


「いえ、おれは…」


 今までの経験からエスが遠慮しているのだと理解すると、マリアは片方の手でエスの手を取って、もう片方の手の中にある石の上にかぶせた。まるで石を介して手を繋いでいるような形になる。


「これで一緒に使えるわね」


 マリアが癖で髪をかきあげようとして、スカーフを触り、微笑んだ。

 こわばっていたエスの手の力が抜けるくらいの時間が経ったころ、ようやく陽が暮れはじめ、辺り一面、砂はオレンジに染まった。このころになると気温も下がり始め、だんだんと過ごしやすくなってくる。砂漠の美しさに見とれたマリアは、パラソルから抜け出すと素足で歩き回って遊んだ。


 日も後数分で完全にくれようかという時、旅人が一人通りかかった。

 ラクダに乗って、白装束にターバンを巻いた、浅黒い肌の商人風の男だ。腰にサーベルを指している。


「おや、お嬢さん。こんなところでなにをしているんだい?」


 ベルベットのような声が、ラクダの上からマリアを見下ろす。

 彼女を守ろうと背の後ろにかばい、懐に手を伸ばしたエスの脇から、マリアが顔を出した。


「冒険よ、商人さん」


 マリアの言葉に商人は笑みをこぼす。


「さて、商人だと名乗ったかな」

「あら、ちがうのかしら」

「相違ない。…この辺りは夜、とても冷える。気をつけるといい」


 なんだか水にたゆたうような不思議な気持ち、マリアは思う。彼の声の持つ不思議な雰囲気に呑み込まれて、マリアは気がついたら零していた。


「ねえ、商人さん。この世界にわたくしの家族はいるのかしら」

「それを、ここでそれを知ってしまっていいのかな?」


 彼の夜空のような瞳が、マリアの青い瞳を試すように見つめる。


「ええ、知りたいの」

「君の、名前は?」

「…マリアと言うのよ、商人さん」


 商人はふっと息を吐いた。


「なるほど、君はここの世界に住民ではないのだね。この世界にいる稀人は現在、君だけだ」

「そう、じゃあ、家族に会うには、元の世界に帰らなければならないのね」

「そうなるね。それから、君はあまり良くないものに取り憑かれているようだから、気をつけるんだよ」

「それは、なんだ?」


 低い声でエスが尋ねた。

 商人は静かな声で応える。


「それはわたしにも分からない。この世界のものではないから」


 マリアは素直に礼を告げた。


「そうなのね、ありがとう。商人さん。気をつけるわ」

「わたしの名前はラダ…いや、かの、という。もし次に会うときに君が覚えているかは分からないけれど、告げておこう」

「かの、ね。きっと覚えておくわ」

「それじゃあ、わたしは行くことにしよう。ここは寒いけれど、星空が綺麗だ。楽しむといいよ」


 のっぽの足をラクダが動かし、商人は去っていった。そして、まるで蜃気楼のように消えてしまった。


「なんだったのかしら…」


 呆然とマリアがつぶやく。


「もしかしたら、砂の精霊だったのかもしれません」


 どうにも釈然としない様子でエスが応えた。

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