5
「ベッドを取られちゃったわ」
マリアはため息をついた。
悪魔はとても重かった。
マリアは悪魔を買い取った。しかし、気を失った悪魔を運ぶことができず人夫に宿まで運んでもらったのだった。
マリアの寝床となるはずだった寝台では、包帯だらけの悪魔がうつ伏せになって、眠りについている。もしかしたら気絶しているのかもしれない。傷が深かったから。
燃えるような赤い髪に、口元を覆うもじゃもじゃの赤ヒゲ。眉はいかめしく顰められていた。
「悪魔でも悪夢って見るのかしら…」
額から生えた二本のツノを見つめながら、マリアがつぶやく。
しん、と静かな室内で、マリアは少し怖くなった。
彼女は死にゆく人たちを見てきた。誰かを愛して、誰かに愛されて、必要とされていたのに、死んでしまった人たち。もっと、もっとマリアにできることはあったのかもしれないのに。
「ねえ、悪魔さん。わたくし、神に祈りませんわ。だから、貴方は貴方の力でここに戻ってくるのよ」
マリアは祈るように、悪魔に囁いた。
マリアがベッドを譲ってまる二日、悪魔は眠り続けた。
その間、彼女はかいがいしく白湯をうめき声を上げる口元に持っていったり、汗をぬぐってやったりしたのだった。時々、うすく目を開ける悪魔に「大丈夫よ」と声をかけたりもした。
悪魔が完全に目を覚ました時、マリアは枕元のスツールの上でうたた寝をしていた。
悪魔は自分が寝ているのが、上等な寝台の上だと悟り、すぐにそこから退こうとしたが、その拍子に、背中の傷口が痛んだらしく、うめき声をあげた。
微かなその音に、マリアの瞼が持ち上がる。上体を起こして寝床から降りようとする悪魔と目が合った。
「目が覚めたのね、悪魔さん」
マリアは頬にかかった髪を掻き上げながら、微笑む。
「お、おれ…。申し訳ありません」
しどろもどろに悪魔が謝罪をする。
あら、案外若いのかしら、声つきがマリアにそう思わせる。
「あら、どうして謝るの?」
「こんな上等な寝床を…」
「たしかに、あなたのせいで背中がいたいわ」
マリアが快活にからから笑う。
しかし、悪魔の方はそれを、大きな罪と認識したらしい。顔面蒼白にマリアの足元に這いつくばった。
「どうぞお許しください」
マリアは床に跪くと、悪魔の肩にそっと手を触れる。悪魔は体をブルリと震わせた。
「わたくし、怒っていないわ。それに、硬い床で寝るのは、慣れているのよ」
柔らかい声は、しかし、悪魔の緊張を解かなかった。
無言のまま、その姿から動かない。
マリアは、別の意味でこれは手強いかも、と言葉を重ねた。
「相手が許すと言っているのだもの。そのままでいることはないわ。ほら、ベッドに座ってちょうだい?」
その言葉に、悪魔はゆるゆると従い、寝台の端に浅く腰かけたのだった。拳を握りしめて膝の上でにおき、身を固くしている。
日に焼けて赤くなった白い肌。マリアは悪魔の瞳の色がまるでエメラルドのような透き通った緑に、黄色や青が入り混じっていることを初めて知った。
「まるで宝石のような綺麗な目の色ね」
ほう、と見惚れたマリアに悪魔はやはり無言だった。困惑している。
「うらやましいわ」
「…目は、取り出したら腐ります」
身を強張らせた悪魔に、手を口元に上品に当てて、マリアはまたくすくす笑う。
「そんなことしないわ」
ひとしきり笑った後、
「お腹が空いたでしょう。なにか食べるものをもらってくるわね」
と部屋を出ていった。
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