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賢者の勧めでマリアは重いドレスを脱ぎ、男の格好をして、街を歩いていた。女が乗馬でもないのにズボンなんてと尻込みしたものの、慣れれば案外過ごしやすい。
当分はいくつか持っている宝石の一つを売り払って、街の宿屋で休息をとればいい、というのも賢者の助言で、それに従ってマリアはすでに換金を終え、宿の手配も済んでいた。
街を散策するマリアは、重苦しく沈む気持ちと裏腹に自分がわくわくしていることにも気がついた。
こんなおかしなところに来たって知ったら、きっとナースチャは羨むわね、仲のいいおてんばな妹の顔を思い浮かべ、笑みをこぼす。
実際、街は奇妙な場所だった。
ネコ人間としかいいようのない人もいれば、ドラキュラまでいる。子供たちはシャボン玉の泡に乗って空中で遊び、ピエロはその歩く跡に花を咲かせていた。
店の方も、気球屋、マンボウ植物店、シャボン屋など、見たこともないようなものが、通りに軒を連ねている。
街の中心の大きな噴水までたどり着き、マリアは腰を下ろした。
広場となっているその場所では、カフェのテラス席が道に乗り出しており、人々がそこでくつろいでいる。
「これから、どうなるのかなあ…」
地面に敷き詰められたレンガを見つめる。
ぼんやりとした思考に陥っていた意識は、ヒュンというなにかが鋭く跳躍する音、それから押し殺したうめき声によって引き戻された。
音の方を見ると、ちいさな人だかりができている。
なにごとだろう、と囃し立てる人の輪から、騒ぎの中心に顔をのぞかせ、マリアはひゅっと息を飲んだ。
両手を左右別々の柱に拘束された上半身裸の大柄な男が、息も絶え絶えに、背を鞭打たれていた。
「なんなの、これ…」
絶句するマリアに、隣で囃し立てていた若い男が陽気に答える。
「悪魔の奴隷だってよ。珍しいよな!」
悪魔という言葉に反応して、マリアは鞭打たれる男を見つめた。
燃えるような赤毛。額のあたりからは、黒いツノが二本、生えている。俯いていて顔はよく見えない。ブロックの溝に、流れ出た血が伝っていた。
マリアは自分の父親を思い出して悲しくなった。やさしくて、家族思いの、だいすきなお父さま。
「彼は、なにをしたの?」
震える声でマリアは尋ねる。
「さあな、でも悪魔だってだけで罰を受ける理由になるだろ」
「今日、アイボリーの旦那は虫の居所がわるかったんだよ。その憂さ晴らしさ!」
「ああ、どうりで。なるほどな!」
それきり青年ももう一人も狂乱の輪に戻ってしまった。
マリアは悪魔に視線を戻す。
悪魔は自分の父親と同じくらいの歳に見えた。本当なら、きっと自分の父親と同じように、妻を愛し、子供に囲まれて仲睦まじく過ごす年齢なのだ。
それなのに、この人は、ただ奴隷だから鞭打たれているのか。
生まれが他とちがったから。
マリアは混乱した。
混乱して、輪を突っ切って、中心へ躍り出た。
「やめて!」
甲高い声で叫ぶ。
群衆は悲鳴にしん、と静まり返った。
「この人を傷つけないで」
マリアの懇願にだれかが誹謗する。
「おいおい、嬢ちゃんも悪魔の仲間なのかい。それとも、悪魔を咥え込んだ娼婦かい?」
下品な言葉にマリアの頬がカッと熱くなった。
怒りを抑え、声のした方に向き直る。
「あなたは自分で自分の品位を貶めていることに気づかないの? そのような恥ずべき言葉は慎むべきよ。あなたの振る舞いでは、女性の心を掴む事もできないわ」
毅然と言い放ったマリアの言葉に、途端、他の方向からヤジが飛んできた。
「まったくその通りだ、お嬢さん! なんてたって、そいつは自分の女房に逃げられてる!」
「うるさいやい」
声の応酬に群衆から笑いが湧いた。
「お嬢さん、よそ者だな?」
悪魔を鞭打っていた中年男が近寄ってきて、マリアに問う。
マリアの顔に影ができた。
「ええ、そうよ。でもそれは慈悲の心を願ってはいけない理由にはならないわ。一体、彼がなにをしたというの」
マリアは上目遣いで睨みつける。
「よそ者はこれだから、なんにも知らねえ。悪魔がどんだけ恐ろしいものか分かっちゃいねえ。こいつらは、痛めつけてやっと言うことを聞く生き物さ、じゃないと人を誘惑して、堕落させちまう」
「人はいつだって誘惑に打ち勝てるはずよ。本気でそう願っているのなら」
「それはどうかな」
男は皮肉な笑みを浮かべて、毛むくじゃらの腕を組んだ。
「こいつのせいで今日の儲けは半分飛んだ。どうしたってむしゃくしゃするってもんだ。俺の気晴らしをジャマしたが、このツケをどう払ってくれるんだい、べっぴんさん?」
マリアの目が赤毛を捉える。それから、少しの間考え込み、ニッコリ笑ってみせた。
「手っ取り早くお金で解決してしまうというのはいかがかしら」
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