第2話

 翌日の礼拝の朝、教会の入り口横の掲示板に、お報せが貼り出してあった。

「おはよう、クラウス」

 それを読んでいたら、後ろからエルナとエルナのお母さんに声を掛けられた。

「おはよう、エルナ。カッシーラさんも、おはようございます。昨日は、父の診察をありがとうございました」

 僕が言って頭を下げれば、エルナのお母さんはエルナと同じ紫紺の目を優しく細めた。

 淡い亜麻色の髪や、整った顔立ちはエルナそっくりで、エルナも大きくなったらこんな美人になるんだろうと思う。

「いえ、いいのよ。バルツァーさん、順調に回復されているようで良かったわ」

「本当に、カッシーラさんのおかげです」

「いえ、それが私の仕事ですもの。それにエルナもクラウスにお世話になっているから」

 カッシーラさんがエルナを見て言えば、エルナは少しだけふくれっ面になる。

「お世話になってるだけじゃなくて、お世話もしてるわ」

「はい。昨日も、荷物が多くて大変だろうって、道具箱を持ってくれました」

 弁護しろというような視線が来たので、苦笑して昨日の話をする。エルナはお母さんへの憧れが強いみたいで、良いところを見せたいのだ。

「あら本当? クラウスの迷惑になっていないならよかったんだけど」

「迷惑だなんて、とんでもないです! 昨日だって、獲れた兎の毛皮を売るのは次の次の行商まで待った方が良いって教えてくれて、金銭的にも助かりそうなので」

 僕が言えば、カッシーラさんはエルナを見て微笑んだ。

「そう。エルナも誰かの為に役立とうとしているのね」

 それを聞いたエルナは少しもじもじしていて、ちょっと可愛い。

「そいえば、クラウスは何を見てたの?」

 エルナは話題を変えるように訊いてきた。

「お報せを読んでたんだ。次の行商の人と一緒に、国都の偉い神父様が来てありがたい法話をしてくれるんだって」

 何気なく言えば、エルナはサッと青ざめた。

「どうしたの?」

「ううん、なんでもない」

 不思議に思って尋ねれば、エルナは慌てて首を振る。

「うちの子、国都に居た頃、偉い神父様の法話の途中に貧血で倒れて大騒ぎになったことがあって。それできっと身構えちゃったんだと思うわ」

 エルナのお母さんは笑いながらエルナの肩を抱き寄せて、なだめるようにその肩を撫でながら答えた。

「ああ、そうだったんですか。エルナ、大変だったんだね。今度は無理しないようにね」

「え、ええ。ありがとう」

 エルナのお母さんは身体があまり丈夫でないと聞いたから、もしかしたらエルナも実は、あまり丈夫でないのかもしれない。

「さあ、そろそろ礼拝が始まるわ。中に入りましょう」

「はい」

 優しく促されて、僕も中に入った。



 その日も、薬の材料を取りに行くエルナの付き添い兼狩りで森に入った。ただ、いつもと違って、エルナの表情が暗い。

「エルナ、もしかして具合が悪いの? だったら、無理しない方がいいよ」

 今朝聞いた貧血の話もある。もし本当に身体が弱いなら、無理は禁物だ。

「えっ、大丈夫よ。気にしないで」

 エルナは笑って答えるけど、その笑顔にもどこか無理が見える。

「でも」

「ああ、年下に心配をかけるなんてダメね。ごめんなさい、クラウス」

 力なく笑うエルナの手を、僕はぎゅっと握った。

「ねえ、エルナ。何か困っていることがあるなら話して。僕の家族はエルナとエルナのお母さんにとても助けられたから、何か出来ることがあれば、今度は僕がエルナの力になりたいんだ」

 エルナの紫紺の瞳を真っ直ぐ見て言えば、エルナがどこか意を決したような表情をする。

「クラウス、今から私が話すことは、絶対に誰にも言わないって、大女神様エルピスに誓える?」

 そっと僕の手を解いて、エルナは言った。神の名に誓うなんて、最も重い誓約だ。僕は身構えて頷く。

 僕が首を縦に振るのを見たエルナは辺りを見回し、一つ深呼吸してから僕の目を見て聞いた。

「『御遣い信仰』って、知ってる?」

「知ってるよ。大女神様エルピスより御遣いの方を偉いって考えてる人達の、御遣いを崇める信仰のことだよね」

 大きすぎる力のために直接は仔らに手助け出来ない大女神様エルピスより、地上に下りてまで仔らを助けてくださる御遣いの方が尊く、そちらを大女神様エルピスより上位のものとして信仰すべきという思想を持つ人達もいるというのを、礼拝の時に聞いたことがあった。

 国都や故都のような都会の方では、その御遣い信仰の取り締まり――『御遣い信仰狩り』が厳しいらしい。懸賞金なんかもかかっていて、見つかった御遣い信仰者は斬首か火あぶりになるんだそうだ。

 礼拝の時に神父様にその話を聞いても、僕は変わった考えの人達もいるんだなあ、くらいの感想しか持てなくて、どうしてそんなに厳しく取り締まられるのかよく分からなかったことを覚えている。とにかく、最も尊い大女神様エルピスを、御遣いより尊くないとするのはとても悪いことらしい。

「御遣いを大女神様エルピスより偉いとしているなんて話、教会側がついた大嘘よ」

 そう言ったエルナは、ギリリと音がしそうなほど強く奥歯を噛んだ。

「嘘?」

「ええ。『御遣い信仰』の目的はね、『御遣いのような万能の知識と技術を身に着けて、弱き立場の者を助けること』なの。大女神様エルピスや御遣いへ救いを求める前に、隣人同士で助け合い、よりよい世界にしていくこと。それが本来の教義よ」

 やけに詳しいエルナの苦々しそうな言い方に、まさか、とエルナの目を見る。

「もしかして、エルナは」

 声をひそめて問えば、エルナも周囲をうかがってから、声をひそめて頷いた。

「そう、私もお母さんも、御遣い信仰者なの」

 息を飲む。信仰していることがバレたら火あぶりか斬首になる、そんなものを二人とも拠り所としていたなんて。でも、礼拝で聞かされた話と、エルナの話は全然違って混乱した。

「この世界には、恵まれない人や報われない人が沢山いるわ。国都でさえ、貧民街で腐敗した残飯を食べ、明日の命も知れずに仕方なく罪を犯す人だっている。生まれつき障害をかかえ、虐げられて軟禁される一生を送る人も居る。家族からの暴力で苦しんでいても、そこから逃れられない人がいる。そういう苦しい思いをしている人達を助けるために、御遣い信仰は生まれたの」

 エルナは国都からここに来たと言った。国都は貴族も住むけど、貧富の差も大きいと聞く。エルナはそこで色々な辛い思いの人達を見てきたのかもしれない。

「御遣い信仰は衣食の施しを与えるだけではなくて、知識や技術を授けるの。辛い立場の人が幸せに生きていけるようにするために。知識や技術があれば、仕事に就いて稼ぎを得て、貧困や苦境から抜け出せることが多いから。御遣い信仰の根源は『教え育てること』なの。だから、御遣い信仰者は、あらゆる知識と技術を学んで身に着けるわ。あらゆる人に、適切な知識と技術を授けられるように」

「それって、とても良いことじゃないか。沢山の人が救われるんでしょう? なんでそんな良いことをしている人達が罰されないといけないの?」

 僕はわけが分からなくなった。エルナの話を聞けば聞く程、御遣い信仰の人達がしていることはとても良いことに思える。そんな良いことをしている人達が殺されるなんて、そんな不条理なことがあるだろうか。

「問題なのは『万能の知識と技術』よ。そもそも、御遣い信仰は弱い立場の人達への活動を通して厚い信仰を得ているの。それこそ、教会や貴族なんかよりもね。そういう社会に反感を覚えている層の人達にその万能の知識と技術が渡ったら? 知恵と力をつけた貧民が王政への反乱を起こしたら? それを、貴族や教会は何よりも恐れていて、だから処罰するの」

「そんな……!」

 僕は言葉を失った。だって、彼らの行いはとても良いことなのに。弱い立場の人を救う、それこそ御遣いみたいな人達なのに。

「もちろん、御遣い信仰は教義の一つとして、人を傷つけるためにその知識や技術を用いることを固く禁じているわ。でも、それがあったって、使わないという保証はないと彼等は思っている。私達は、ただ、皆が幸せに暮らせるようにしたいだけなのに」

 はあ、とエルナの唇からか細い溜め息がこぼれて、僕は胸が締め付けられるようだった。

「私達がここに引っ越してきたのもね、御遣い信仰狩りが国都で厳しくなってきたからなの。私のお父さんは、医者であると同時に、御遣い信仰の伝道師だったわ。でも、それがばれて殺されたの。どうにか私とお母さんだけを逃がして、死んでいった」

 エルナの目に涙が滲む。エルナの家族にそんな惨いことが起こっていたなんて知らなかった。

「きっと7日後の国都から来る偉い神父様っていうのも、御遣い信仰狩りが本当の目的よ。私とお母さんも、その前にはここを発たないといけない」

 エルナは寂しそうに笑って言った。

「そんな……! エルナもエルナのお母さんも村の皆を沢山助けてくれたのに、どうして逃げなきゃいけないの? 皆に話せばきっと分かってくれるよ、村の全員で口裏を合わせれば、匿えるかもしれない」

 こんなに良い人達が辛い思いをしないといけないなんて、間違ってる。僕が必死になって言えば、エルナは首を横に振った。

「御遣い信仰者を匿えば、匿った人達にも重い罰が課されるわ。私達はそれを望まない」

 涙で濡れたままの紫紺の瞳には強い意志が灯っていて、僕は胸が詰まる。

「エルナ、どうしてそんな大事な話を僕にしてくれたの?」

「クラウスは、きっとこの話を聞いても、私達のことを信じてくれると思ったから」

 エルナの華奢な手が、僕の頭を撫でる。その手の優しさに、何も出来ないことが悲しくて泣きそうになった。

「ほら、そんな顔しないで。あまりにも思った通りの反応で可笑しくなっちゃうわ」

 ちっとも可笑しそうな顔じゃないのに、おどけた調子でエルナが言った。

「エルナ、話してくれてありがとう。僕、絶対に誰にも言ったりしないから。約束する」

 エルナの目を見て誓う。

「そうだ、これ、僕が彫った髪飾りなんだ。お別れになるなら、もらって。僕には何もできないけど、せめてもの、お礼の気持ちに」

 昨日の夕飯のあとに彫り上げて道具箱に入れたままだった、百合の花束をモチーフにした髪飾りをエルナに差し出した。

「わあ、綺麗! ありがとう、クラウス。大事にするわ!」

 エルナはそれを大事そうに受け取って、胸の前でぎゅっと握ると、キラキラした目で言う。

 この笑顔ともうすぐお別れなのだと思うと、堪らなく寂しかった。

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