御遣いは少年を救いたるか?
佐倉島こみかん
第1話
針葉樹ばかりのこの黒い森の中でも、この辺り一帯には落葉樹が生えている。
秋になって、この一帯だけ木々が赤や黄色、オレンジや茶色に色を変え、地面までその落葉でその暖かい色に染め上げられる様は、それだけで一枚の絵のようだった。日が傾いてきてはいるけど、少なくなった葉の隙間から蜜色の光がこぼれて、まだ手元は明るい。
「クラウス、必要なものは採れたから、そろそろ帰りましょう」
そんな絵のような世界の中で無心に髪飾りを彫っていたら、鈴を転がすような澄んだ声で後ろから呼び掛けられた。
「ああ、エルナ。いっぱい採れたね」
彫っていた手を止めて振り向けば、臙脂のワンピースに薄茶の
エルナは僕より2つ年上の13歳。緩く波打った胸まである淡い亜麻色の髪は服と同じ臙脂色のリボンで1つに結われ、理知的な紫紺の瞳の収まる目は切れ長で、睫毛が長い。すっと通った鼻筋に、ぷっくりした小さな唇、山歩きをするわりに色も白く体つきも華奢で、その美しさからエルナは『黒い森の白百合』なんてあだ名で呼ばれている。
「ええ、今年は夏が暑くて比較的雨も降ったから豊作だわ」
エルナの手に持たれた大きめのバスケットには茸や木の実や薬草が沢山入っていた。エルナの家は薬師をしていて、今日は調薬に必要な物の採集に来たのだった。
僕はエルナを待っている間に彫っていた木製の髪飾りと彫刻刀を道具入れに仕舞い、傍らに置いていた弓と矢筒を肩にかけて立ち上がった。
「ちょっと待ってて、すぐ支度するから」
近くの低木に吊るして血抜きした兎2匹を、木から降ろして麻袋に入れようとすれば、エルナは目を丸くする。
「まあ、大きな兎!」
僕の身体だと1匹でも両手で抱えないと持ち切れず、重さも6リブレはありそうな兎を見て、エルナは感嘆の声をあげた。
「待ってる間に捕まえたんだ。エルナの言う豊作の影響なのか、兎も肥えてるみたい。毛皮も結構取れそうだから、いい値で売れるといいんだけど。今年は父さんが怪我して、木工だけの稼ぎだけだと、ちょっと冬が厳しいからね」
僕が肩をすくめて言えば、エルナは苦笑した。
この村は主に林業で生計を立てていて、僕の父も
ところが、うちは夏の終わりに父が滑落事故で足の骨を折り、樵としての稼ぎがしばらく入らなかった関係で大幅に収入が減っていた。
ようやく父の怪我も治って歩けるようにはなってきたけど、まだ木の伐り出しや運搬などの力仕事が出来る状況ではない。僕もまだ11歳で、ギルドの見習いとして樵の仕事ができるのは来年の夏からのため、今年のうちは家族総出で木工の仕事をするしかなかった。
それでも、このままだと冬を乗り切るのが厳しいので、弓が得意な僕が、こうして狩りにも出ているというわけだ。
この2匹の兎も、1匹は食べるとして、1匹は塩漬けにして保存食にしないといけない。
「クラウスは本当にしっかりしてるわねぇ。高く売りたいなら、次の次の行商が来る時まで待ってからの方がいいわ。今年の冬は去年以上に雪が降って冷えるから、毛皮は高く売れるわよ」
まだ雪の時期は半月以上も先だというのに、エルナは見てきたようなことを言う。
「えっ、なんで分かるの?」
驚いて聞けば、エルナは細い指ですぐ近くの木を指さした。
「ほら、
「へえ、そうなんだ。エルナはやっぱり物知りだね」
「私なんかまだまだよ。お母さんはもっと詳しいもの」
薬師だからなのか、エルナはとても博識だ。
3年前に国都から遠縁の伝手を頼ってこの村にやって来たエルナとエルナのお母さんは、薬師ということで、医者に診てもらう為には馬でも片道丸1日はかかる町まで行かなければならなかったこの山奥の小さな村で、とても感謝されていた。
聞くところによると、エルナのお父さんが亡くなったために国都での生活がままならなくなり、また、エルナのお母さんの身体が丈夫ではなく静かな所で生活した方がいいと医者に言われて、この村に来たのだそうだ。
父が骨折した時にエルナやエルナのお母さんがすぐに適切な処置をしてくれたおかげで、綺麗に骨が元通りになって歩けるまで回復したので、僕の家族は二人に感謝してもしきれないくらいだ。
だからそのお礼もかねて、エルナが森の奥に出かける時は、森に慣れた僕が案内人としてついて行っている。
「エルナより詳しいなんて、エルナのお母さんもすごいねえ。まるで『
僕が何の気なしに言えば、エルナの顔に少しだけ動揺が走った。
「大げさね、『
それもほんの一瞬のことで、すぐにいつものような軽口で僕に注意した。
『
御遣いは
だからこんな小さな村にも、一応、この世界の創造主たる
「ごめんなさい、気を付けるよ。じゃあ、帰ろうか」
「ええ、そうね」
僕は軽々しく御遣いの名前を出したことを謝りながら、兎をなんとか2匹とも麻袋に入れて袋の口を縛り、それを背負う。
「クラウス、兎、重いでしょう? 何か荷物を持つのを手伝おうか?」
エルナは僕の荷物の多さを見かねたように言った。
確かに兎は重いけど、それ以外は大した重さでもないので、持ってもらわなくても問題ない。ただ、エルナは僕より背が高いし2歳もお姉さんだからと、僕の世話を焼きたがるところがあった。僕は長男で弟と妹の世話を焼くことには慣れてるけど、こうして世話を焼かれることはあまりないから、くすぐったい気持ちだ。
「ありがとう。でも、エルナだって、バスケットがいっぱいで重いだろうから、気にしなくて大丈夫だよ」
「あら、このバスケットの中身、たぶん1リブレもないから、クラウスこそ気にしないで」
ほら、と荷物を寄越すようバスケットを持つ手とは反対の手を出すエルナに、おずおずと道具箱を渡す。
「じゃあこっち、お願い出来る? 弓矢は念のため、僕が持っておきたいから」
「ええ、任せて」
エルナは得意げに胸を張って、道具箱を受け取った。蜂蜜色の日に照らされるエルナの優しい笑顔は、胸がどきどきするくらい、とても綺麗だった。
家に帰ると、ドアを開ける前から妹と弟が遊ぶ元気な声が聞こえてくる。
「ただいま」
「お兄ちゃん、おかえり!」
「おかえり! わあ、何が獲れたの?」
弓と矢筒を入り口横のフックに掛け、兎の入った袋を下ろせば、四つ下のフランツと、六つ下のフィーネが駆け寄ってきた。
「今日は兎が2匹も獲れたんだ。丸々肥えてるから、食べるところも多そうだよ」
袋から兎を出して言えば、二人は目を輝かせて、キャッキャとはしゃいだ。
「おお、これは立派な兎だな。大したもんだ」
杖をつきながら歩いてきた父さんも、僕が獲ってきた兎を見て言い、大きな手でめいっぱい僕の頭を撫でた。
「父さん、そんなに子供扱いしないでよ。足の調子の方は?」
褒められて嬉しいけど、照れくさくて言えば、父さんはがっしりした肩をすくめる。
「今日は荷物を持ったり下ろしたりする練習をしたよ。まだ少し均衡を取るのに苦労するが、順調に回復しているそうだ。カッシーラさんの診察でも、大分、筋力が戻ってきてると言われたよ」
カッシーラさんとはエルナのお母さんのことだ。今も父さんの回復の状況について様子を診てくれている。
父さんは僕の傍に来て、ゆっくり片膝をついて座ると、僕の両手で一抱えはある兎を、軽々と片手で持ちあげた。
「6リブレ半はあるな。襟巻が作れそうな大さだ。毛艶もいいし、いい値になるだろう」
「エルナが、『売るのは次の次の行商が来るまで待った方が良い』って言ってたよ」
エルナの言葉を思い出して言えば、父さんは目を瞬かせた。
「次の次というと、来月の中頃か。どうしてだ?」
行商の人は十日に一度やって来る。この深い山奥の村で作ったものを買い付けに来るのと、村にない生活必需品なんかを売りに来てくれるのだ。前回の行商が2日前来たばかりだから、次の次は来月の中頃になる。
エルナから聞いた今年の雪の深さのことを説明すれば、父さんは感心したように頷いた。
「なるほど。カッシーラさんの娘なだけあって、エルナも博識なんだなあ。助言には、ありがたく従おう」
子供の戯言と笑わずに、理由を聞いてきちんと受け止めてくれる父さんを、僕は素直に尊敬している
「この兎、血抜きはしたか?」
「エルナを待ってる間にしてきたよ」
「お前は本当に気が利くなあ」
父さんが心底感心したように言うので僕は苦笑する。
「褒めすぎだって、父さん。あと、こっちも見てよ。新しく彫ってる髪飾り、まだ途中だけど、いい出来だと思わない?」
棚に置いた道具箱から、彫りかけの髪飾りを出して父さんに渡したところで、台所にいた母さんが様子を見に来た。
「あら、綺麗! 本物の百合の花束みたいね」
女の人が使うものだから、母さんから装身具を褒められるのは父さんから褒められるのとはまた違った嬉しさがある。
「えへへ、ありがとう」
「うん、良い意匠だ。器用なのも母さんに似たなあ」
「でも、この子の思いやりがあって優しいところは貴方似ですよ」
母さんは僕の焦げ茶の癖っ毛を撫でて微笑む。
「そのせいで家族に迷惑を掛けている身としては、喜んでいいのか分からんが」
母さんに言われて、父さんは苦笑いした。父さんが足を怪我したのは、一昨年ギルドに入ったばかりのブルーノが足を滑らせて落ちそうになったのを庇ったからだ。
「私は、誰かを助けるために行動した貴方を誇らしく思うわ。皆さん気にかけてくださるし、収入は減ったけど、生活していけないわけじゃないもの。それにこうして、クラウスも頑張ってくれているしね」
母さんに微笑みかけられて、僕も小さく笑う。
「そうだよ、父さん。僕も父さんの皆に優しいところ、大好きだよ」
「わたしも父さんすきー!」
「僕も大好き!」
僕が答えれば、フィーネやフランツも口々に言って父さんに抱き着いた。
「お前達、本当にありがとう! 俺は世界一の幸せ者だ!」
「うわっ、父さん、僕はいいから!」
父さんは抱き着いてきたフィーネとフランツばかりか、僕までまとめて抱きしめて、感極まったように叫んだ。ぐりぐりと髭面で頬をすり寄せられてちょっと痛い。
「ふふ、それじゃあその世界一の幸せ者には、兎の処理をお願いしましょうかね」
その様子を見て、母さんが助け舟を出してくれる。
「ああ、そうだな」
父さんがそう言って、杖を取って立ち上がる。
「僕、運ぶのを手伝うよ」
父さんが立ち上がるのを支えて申し出た。
「ありがとう、助かるよ」
父さんはまた微笑んで僕の頭を撫でる。
「ぼくも手伝う?」
「わたしもお手伝いしたい!」
僕の真似をしてフランツとフィーネも言うので、今度は僕が二人の頭を撫でた。
「お前達にはまだ早いから、母さんを手伝ってな。夕飯がそろそろできるだろう」
「はーい」
僕の言葉に、二人は素直にうなずく。やんちゃな所もあるけど、こういうところは素直で可愛かった。
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