第3話 情報共有

 できるだけ人とは会いたくない。だからと言って、屋外の暑さじゃまともに頭も働かない。


 羽柴とあれこれ悩みながら結局来たのは、某ファミレスだった。

 それでも一人だったら絶対来なかったと思う。羽柴も同じだとわかった途端、気が大きくなったのは否定しない。

 でも、周りを見る限りは一見問題はなさそうだ。


 案内の店員に少し警戒したが、至って普通の対応だった。周りを見れば、時間が時間のせいか人が多い。少し失敗したかと思いつつ、あえて喫煙席を選べば、案内された先は割と余裕があった。隣のテーブルは空だ。都合がいい。


 鏡文字のメニューからとりあえず飲み物を選んで注文する。家で摘んだ朝食は普通だったから、飲めない物が出てくることは無いだろう。


 飲み物だけなのですぐに来たコーラを啜り、喉を潤す。炭酸が染みる。

 ふう、と一息をついてからある可能性に思い至った。ポケットに手を突っ込んで若干焦りながら財布を開くと、中身の金は全て反転している。良かった。いや、正直良くはないけど、つーかめちゃくちゃ複雑だけど、無銭飲食にはならない。ちゃんと払える。


「で、羽柴は何をどのくらい知ってんの?」


 コーラを啜りながら、頬杖を着く。

 話す時は小声。万一聞かれても男子高校生の馬鹿話と思ってくれそうだけど、念のため。


「俺は起きたの十時頃で寝惚けてたし、家にはもう誰も居なかったから、あんま情報ねぇの。世界が全部反転してることぐらいしか分かんねぇ。……あ、あとニュースで異能がどうこうって言ってたな」

「異能……?」

「それは知らねぇのか? とりあえずひとつずつな。羽柴は起きた時どういう状況だった? つーか三上の家で起きたわけじゃねぇんだよな?」


 俺が起きたのは自分の家だった。羽柴は分からないが、スマホで三上に連絡を取っていたのだから、同じように自宅で目覚めたのかもしれない。

 思いながらそのように補足して聞くと、羽柴は頷いた。


「ああ、俺も自宅で目が覚めた。七時半くらいだな。スマホのアラームが鳴って起きたんだ」


 アラームを設定した記憶はないんだが、と付け加えられて目を瞬く。羽柴も羽柴で変な体験してんな。


「続けてどうぞ」

「リビングには父と母がいた。見る限りは普通だった。話にも態度にも何らおかしな所はないんだが、気づけば父も母も、左利きで。飯を食う俺を見て不思議そうな顔をするんだ。啓介、お前なんで右で食っているんだ、と」


 左利き。それを聞いて、再開した時の顔を思い出す。

 羽柴が俺に利き腕を聞いてきたのは、そういう事か。


「一度気づけば他も色々と左右が逆になっていることに気がついた。だが、それを指摘しても話が噛み合わないんだ。何を言っても、まだ寝惚けてるのか、とまるで取り合って貰えない。そのうちおかしな空気になって、逃げてきた」

「おかしな空気って?」


 思わず話しに割り込む。学校で見た風景を思い出して、鳥肌が立つ。

 襲われでもしたのか。声を潜めて眉根を寄せると、それに気づいた羽柴は、ああいや、とやんわり否定した。


「別に突然豹変するとかではなくてな。ただ、何を言っているんだ、頭がおかしいのか、とでも言うような空気だった。まるでそれこそが普通とでも言うような」

「……そ、か。なんにせよ無事なら良かった」


 息を吐く。いや、本当に。こんな訳の分からない世界で危険な目にあってたらと思うとゾッとする。まだ何一つわかってないんだ。助けも呼べない。何が信用できるのかも分からない。何が安全なのかどうかも、何も。


「じゃあ、次な。お前、学校には入ったのか? 八時半からあそこに居たって言ってたけど、その時間じゃまだ授業始まってねぇだろ」


 俺は補習組じゃないから、正確な時間割は分からない。だけど前ちらっと聞いた時は、一番早いもので八時五十分が開始時刻だったような気がする。

 俺みたいにあの変な光景を見た訳でもないのに、その前から真面目な羽柴があんな場所に隠れていたのは、少し不自然だ。

 や、家の一件で警戒してたって言われればそれまでなんだけど。


「……早く来すぎたからな。しばらく中で時間を潰そうと思ったんだ」


 だけど羽柴はそう言った。暗い顔をしながら、少し言いにくそうに。


「校舎内も全て左右が反転していた。初めは教室にいたんだ。まだ誰も来ていなくて、俺一人で。誰かクラスメイトが来たらそれとなく探ろうと思っていたんだが……」

「……どした?」


 歯切れ悪く、語尾を濁す様子に首を傾げる。


「あ、いや……初めに来たのは木戸だったんだがな、何故だか俺を見るなり、なんで羽柴がいるんだ、と顔を歪めて」

「木戸が?」

「ああ。早口で罵倒したかと思えば、殴りかかってきた」

「……は!? 木戸が!?」


 驚きすぎて大声を出してしまい、慌てて口を抑える。一瞬周りの視線が俺に向いたが、少しすると外れた。いや、仕方ない。これは仕方ない。不可抗力だ。

 だって、俺の知る木戸はのんびりとした口調の、大人しい生徒だ。よく本を読んでいるがぼっちという訳でもなく、時々のほほんと話しているのをみかける。どちらかというとマイペース。

 羽柴が言う光景はまるで想像できない。


 やっぱ、おかしいんだ。周囲の環境とかだけじゃなくて、人までも。全てが。


「まあ、それで外に出て、三上が来ないかとあそこで見張っていたら、市ヶ谷が来たわけだ」

「……なんというか、大変だったな」

「本当にな」


 二人してため息をつく。なんでこんなことになってんだろ、マジで。


「それで、市ヶ谷が先程言った異能というのは、なんだ」

「や、俺もそれ以上よく知らねぇんだけど。どうもそういうのがあるらしいぞ。全員持ってるのか、一部の人間だけなのかは知らねぇけど」


 本当に何も知らないから、あまりにも曖昧な言い方になってしまった。


「……今後調べるしか無さそうだな」


 苦々しく呟く羽柴に頷く。結局現時点じゃ大したことは分からない。ただ、迂闊に行動できないという警戒心が増しただけだ。いや、考える材料が増えただけいいんだけど。

 頭の中であれこれと思考を組み立てていると、ふと気づく。

 そういえば、まだ一番気になっていたことを聞いてない。


「そういや羽柴、合わせ鏡した時のこと覚えてるか。俺、ほとんどなんも思い出せねぇんだけど」


 それを聞いた羽柴は、あからさまに驚いた。


「覚えてないのか……?」

「……羽柴は覚えてんだ」

「覚えては、いるが」

「何が起きたんだ?」


 羽柴は一度口を開きかけるも、迷うように視線を彷徨わせ、結局閉じた。その反応を訝しく思う。

 何か言いにくいことなのだろうか。


「……市ヶ谷も俺も合わせ鏡をした、それは確かだ。最中の詳しいことは三上を確認してから、後で話す。俺はいつの間にか意識を失い、気づいたら自室で目が覚めた。最後に鏡を見たのは覚えている」


 羽柴の話を聞いて、昨日調べた都市伝説が、再び脳裏をよぎる。


『合わせ鏡を覗いた先は、異界に通じている』


 ぞくりとするような話に、信じたくはなかった可能性に、顔を顰める。

 俺が何かを口にする前に、羽柴は顔を上げて言い切った。


「ここはおそらく、鏡の中だ」


 神妙な顔をする羽柴を見てから、ため息を漏らした。


「やっぱ、そうか」


 考えなかったわけじゃない。薄々そうじゃないかとは思っていたけど、いざはっきりと突きつけられると、結構キツイ。


「……合わせ鏡がきっかけなら、三上はトイレ籠ってたし、こっちには来てないんじゃねぇの」


 あまり考えたくなかったが、原因が合わせ鏡ならそうだろ。だとしたら、あのメッセージも。

 スマホに来た鏡文字の連絡を思い出す。あれは、俺の知ってる三上じゃないのか。何気ない文字列が得体の知れないものに思えてきて、身震いする。

 だが俺の懸念を、羽柴はいや、と否定した。


「まぁ、はっきりと見た訳ではないが……意識を失う直前に、ドア越しに三上の声が聞こえた気がしたから、来ていないとも言いきれない」

「……そこは確認しないと分からない、か」


 どっちにしろ、会いに行くのは変わらないらしい。その後どうするかは別として。


 はぁ、とため息をついて、椅子の背もたれに凭れ掛かった。あれこれ分からないことや、気にしなければいけないことが多すぎて、無性に疲れる。


「本当、羽柴が居てくれて良かったよ。一人だったら心折れてたわ」

「そこはお互い様だろう」


 仮に三上が知っているやつじゃなかったとしても、羽柴がいるなら心強い。それだけで心に少し余裕ができる。


 ふと思う。俺は一体、どっちでいて欲しいんだろう、と。

 三上がこの世界に来ていれば、心強いのは確かだ。三人寄れば文殊の知恵と言うし、やれることも増える。どうやったら帰れるのか、ヒントが見つけやすくなるとは思う。

 ただ、三上がこちらに来ているということは、三上も同じように危険の中に居るということなのだ。

 本来なら、来ていて欲しくないと思うべきなのかもしれない。だけど、……俺は、どうなんだろう。


 考えてみてもわからなくて、この後三上に会うというのが、無性に気が重く感じられた。





 *





 初めは飲み物一杯で済ますつもりだったのに、結局ずるずると長居してしまった。追加でドリンクバーを頼んだ後で、初めからこうしていればよかったと後悔した。金がもったいない。

 ひとしきりだらだらした後で時計を確認すると、ちょうど四時を少し過ぎた所だった。


 外が暑そう。冷房の効いた室内最高。疲れたからもうちょっと。色々と言い訳を重ねて居座っていたが、三上に会って確認するのが怖いというのも、少しだけある。つーか少しどころではなくある。

 だけどいつまでもこうしてるわけにもいかない。三上が一人で頑張っている可能性も、消えてはいないのだから。

 外に出た途端晒される、茹だるような熱気に辟易しながら、羽柴に切り出す。


「三上んち行くか。つっても道いつもと違うから、迷わないようにしねぇと」


 羽柴は俺と同じように暑さに顔を顰めながら、ああ、と返事をした。




 交差路に差し掛かった所で、違和感に気がついた。

 やけに静かだとは思ったが、周囲を見渡すと、まるで人通りがない。

 住宅街に近いとはいえ、飲食店やスーパーなどが密集する通りだから、全く居ないはずはないのに。


 なんだか、嫌な予感がする。根拠は無い。ただの直感だ。だけど。

 引き返した方が、良くないか。


「……なあ羽柴、なんかおかしく」


 言いながら横を向いた時だった。

 突然、風が吹いた。

 意識が追いつかなかった。


「ね、──?」


 赤が、散った。

 傍らで突如吹き上がった赤色が、雨のように降り注ぐ。

 目の前にいつの間にか、兎くらいの大きさの茶色い何かが、何匹も、何匹も、居て。

 何匹も、何匹も、何匹も、群がって、固まって。


 その中からひとつ放り出された塊が、弧を描いて足元に落ちる。

 転がった塊がころりと一回転し、俺の足に引っかかって止まる。

 呆然と見下ろしたその塊は、少し前まで俺の隣に居た、羽柴の首だった。

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