第2話︎︎︎︎ 再会
予想外の情景に、頭を殴られたような衝撃を受けた。
校門に手を触れながら、呆然とその中を見る。校庭の中心がすり鉢状に抉れている。その周りで、何人もの生徒が喧嘩をしている。端の方でやられたと思しき人が寝転がり、肩で息をしているのが見えた。転がっている人は一人二人じゃない。何十人も、だ。立ってる人より遥かに多い。
この学校はいつから不良校ばりの治安の悪さになったのだろうか。普通の、あえて言うなら普通よりちょい上の偏差値の、公立高校だった筈なんだけど。
学校、間違えたか。許容量を超えた光景に思う。道がことごとく逆で来るのに苦労したから、どこかしら間違えてしまっていてもおかしくない。
寄っていた校門から離れて、傍らに打ち付けられたプレートを読む。左右が反転した鏡文字は、しかし確かに俺の高校を指していた。
こんなとこでも鏡文字か。認識して少しやさぐれる。
「それまで!」
突然鋭い声が聞こえ肩が跳ねる。なんか聞き覚えがあるような。ああ、そうだこれうちの担任の声だ。
校門に身を隠すようにして再び中を覗き込むと、遠くから担任が向かってくるのが見えた。
喧嘩を止めに来たのだろうか。良かった、バラけるのを見計らって中に入ろう。
「何してるんだ! 校庭での組手は禁止になってるだろ! やるなら体育館か中庭でやれ!」
「いやでも中原先生が、スペースないからここで自主練やってろって」
「中原先生……お前ら補習組か。道理で体力ねえやつ多いと思った。悪い、俺の勘違いだったらしい。ちゃんと許可あるならいい。それで肝心の中原先生は?」
「中庭とここを、順番に見て回るらしいっす。体育館は部活の試合で使えないってぼやいてました」
想像の斜め上の会話に、思考が飛んだ。その後も交わされる会話を見届けず、俺は頭を引っこめる。
は、何。何言ってんだ、あいつら。てかなんだ、あの会話。当たり前のような態度で。
補習組ってなんだよ。あんな補習があってたまるか。
血の気が引いて、思わずその場に蹲る。息が荒い。それを聞かれるかのような強迫観念に駆られて、震える手で口を塞ぐ。
やっぱりここ、なんかおかしい。何かが、決定的に間違ってる。
もう、すぐにでも逃げ帰りたい。だけど、この先には羽柴と三上が。
萎縮する心を奮い立たせようとして、いや、と否定する。
本当に、この中に羽柴や三上は居るのか。普通あれ見た途端帰らねぇ? でも、三上はともかく羽柴はあれで真面目だから、補習サボるとは思えないんだよな。いや、でもこれは流石に入るのは無理では。
「ッ、市ヶ谷」
不意に、名前を呼ばれた気がした。目を見開いて振り返る。居ない。誰も。
心臓が早鐘を打っている。背筋が凍るのを感じた。なんだ、気のせい? 気のせいで、いいのか?
「市ヶ谷、ここだ」
さっきより少し大きめの声に、ぎこちなく首を巡らせる。道を挟んだ向かいの建物の影に、羽柴がいた。羽柴が。
認識した途端、頭が真っ白になる。安堵が一気に押し寄せて、少し涙腺が緩みかけた。羽柴。
羽柴だ。良かった。
近くに寄ると、見慣れた強面が渋面を作っていた。たったそれだけのことに気が抜けて、思わず笑みが零れる。
「お前、市ヶ谷大地だよな」
「そうだよ。当たり前だろ、今更何言って、」
「お前は、おかしくなってはいないよな?」
情けなく眉尻を下げた表情を見て、言葉を飲み込む。躊躇いがちに開いた口が、俺の名前を呼ぶ。
「市ヶ谷、利き腕はどっちだ」
「……右」
「そう、か」
吐き出された溜息に、濃い安堵が滲んでいる。
瞬間的に理解した。何も説明されてはいないのに。こんな所に隠れるように居たのも、疑うように俺の名前を確認したのも、利き腕なんて、普通なら変な質問をしたのも。全部不安だったからだ。
羽柴も、俺と同じだ。同じ不安を感じてる。同じ違和感を抱えてる。
「羽柴、おかしいのは、世界だよな。俺たちは、正常だよな」
同じであることを、まず確認しようと思った。なのにいざ口を開くと真っ先に出たのは、ずっと燻っていた恐れだった。
羽柴はそれに目を見開くと、間を置いて、力強く頷いた。
「ああ、間違っているのは世界の方だ」
何一つ、解決なんてしていないのは分かっていた。
でもその一言に途方もない安心感を覚えて、少し泣きたくなった。
一人じゃないことが、ただそれだけの事がこんなに心強いだなんて、知らなかった。
「……はは、やべ、安心したら、急に汗出てきた」
膝が抜けそうになるのを、気力で押しとどめて笑う。
そういえば今は真夏だった。アスファルトから照り返される熱気と湿気で凄いことになってる。ここは日陰だから直射日光は当たらないが、本当にそれだけで微塵も涼しくなんかない。率直に暑い。溶けそう。
「……そういえば、朦朧とするな」
遠くを見ながら零す羽柴に目を剥く。
「いや、羽柴それ駄目なやつ。お前いつからここに居るんだよ」
「八時半頃か……?」
「は、待って今何時だ」
俺が最後に時計見た時は既に十時だったんだけど。
戦々恐々としながら尋ねると、羽柴は自分のスマホを取り出し、画面を見ながら十時五十一分、と呟く。
「いやお前、馬鹿か。確かにここ日陰ではあるけど、っあーもうとりあえずどっか店入るぞ。必要なのは冷房だ冷房。それと水分!」
「だが、三上がまだ」
言われて思い出す。そういや元々補習組は羽柴と三上だけだった。だとしたら、羽柴が待ってたのは俺じゃなくて、三上の方だったのかもしれない。
「スマホあるなら連絡すればいいだろ」
「……したが、反応がない」
じゃあ直接三上んち行けばよかったじゃねぇか、と言いかけて、入れ違いになる可能性もあることに気づく。だからここに居たのか。
いやまあ、羽柴が居たから俺も助かったんだけど。
三上はサボり癖あるから、普通に考えれば既読スルーか未読スルー。単なる寝坊も有り得る。だけどこの状況じゃ、確かにそう片付けてしまうのも不安が残った。
「……あー、じゃあ一応俺からもしてみ、って俺今スマホないんだった」
ポケットに手を突っ込もうとして気づく。だからわざわざ学校来たのに。
「市ヶ谷、これお前のスマホか?」
何かに気づいたように羽柴がスクールバッグに手を入れる。取り出されたスマホをよく見れば、それは確かに俺のものだった。
「あ、そう俺の。なんだよ、羽柴が持ってたのか」
「いや、持っていったつもりは無いんだが……何故か手元にあった」
「まあ、ともあれ助かった。さんきゅ。とりあえず鬼電でもして、……あれ、既に来てる」
電源を入れた画面に、某メッセージアプリの通知が表示されている。発信者の名前は三上透。
『ごめん、今日行けなくなった』
そう綴られたメッセージは、しかし全て鏡文字だった。俺のスマホも世界に侵されているらしい。悲しい。
行けなくなったって、と口頭で伝えると、羽柴は不思議そうに首を傾げた。
「どうして俺ではなく市ヶ谷に連絡がいくんだ?」
ごもっとも。
「間違えただけじゃねぇの。……そういやあいつ、昨日腹下してたっけ。体調不良か」
「……それで済んでいればいいが」
「違うならもっと切羽詰まった文送ってくるだろ。この書き方じゃとりあえず平気。ついさっき来たメッセージみたいだし」
「そうか。そう、だな」
未だ不安は拭いされない様子だが、羽柴は頷く。心配性だな。
その気持ちも分からなくもないが、三上は自由人の上に図太いので、俺はいまいち心配しきれない。もしなんかあっても、一人で何とかしてそう。そんな根拠の無い信頼感がある。
「まぁ後で家寄ってみるか……とりあえず今は手近な店いくぞ、熱中症が怖い。情報はそこで擦り合わせよう」
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