第5話

 雨の音がする。

 私は目が覚めると、店の自分の部屋に寝ていた。真夜中だった。雑用の女子達が「お染さん!」泣きながら私に寄ってきて、「女将さんを呼んて!」と騒いでいた。

 暫くすると、姉さんが部屋に来て「ふたりきりにさせておくれ」と、女子達に告げた。

 どの位、沈黙が続いただろうか。口を先に開いたのは姉さんだった。

「お染が眠っている間に出すか悩んだけれども……お染、アンタの子供だ。自分の手で出すか、誰かに出してもらうか選びな。」

「……出す?」

「アンタが眠っている間に、お腹の子を流す薬を飲ませてある。ただ、最後の別れは、母親であるアンタに選ばせるのが筋だし、それがこの店の掟だ。」

「……掟?」

 そう、吉原では子供を身籠れば流すのが常識だ。それは身籠っている間はその女郎は客がとれなくなる。なによりももし産まれたところで店の商品となるか、雑用となるかの二択の人生しかない。

 だいたいの女郎が、身籠っては泣き叫んでも薬を無理矢理飲まされ、もちろん腹の子供は自然と出ていくわけはない。

 押さえつけられ腹を押されて無理矢理腹から子供を出させられていた。

 いくら小さなものでも出す時は痛みをかなりの伴う。その痛みから気を失う女子が大半で、中にはそのまま痛みで命を落としてしまう者や、生きていても心に傷を負い、自害したり、心が病んでしまう者が大半だった。

 掟とはわかっていたとはいえ、私は泣き叫んだ。

「……酷い!酷すぎる!この子は生きていたのです!この店なら一人くらい面倒見られたはず!」

「……アンタの子供一人を許したら店すべての女子の子供を許さなければならなくなる。それがどういう事がわかるかい?他の吉原の店にも迷惑がかかっちまうんだよ!それだけじゃない。今まで身籠って流れた子供や女郎達の気持ちにも反する事になる。」

「……迷惑?!反する?!こんな酷い事がありますか?外国のピストルなんざ鉛玉で人の命を簡単に奪えるのに!命を何だと思っているのですか?!」

「命だからだよ!子供は親を選べない!」

「……。」

「アンタは耐えられるかい?自分の子供が好きでもない男に商品として売られるか、それとも雑用として男を知ることも無く人生を終わらせるか。……私達は貧しい親のもとに生まれたから売り飛ばされてこの吉原での人生を歩む事となった。町に出て思わないかい?

 普通に男と恋をして、普通に結婚して、普通に子供を授かれる……そんな幸せな人生が溢れている。それが……吉原では叶わない。駈落ちなんざしてみろ。だいたい捕まって男も女子も折檻や拷問されるだけ。逃げ切れた所で行く宛も金もない。より貧しい生活。そして……きっとその子供は売られる事になるか育てる事は難しいだろう。」

 私は泣き叫んだ。お腹の中に……子供が確かにいる。でも命はもうない。誰よりも愛していた男性とのせめてもの大切な命。

「……お腹の中の子はもう死んでんだ。早く選びな。」

「……いっそ!いっそ私ごと殺してください!」

「それは出来ない。アンタが死んだら店が回らない。他の女子達はどうなる?」

「私の……私の気持ちとこの子の命を何だと思っているのですか?!」

「アンタと……私達の命だからだよ。」

「……え?」

「昔、アンタに隠蔽させて金はここにある。」

 姉さんはそう言うと、懐から風呂敷に包まれた大金を出してきた。そして手紙を渡してきた。その手紙は、池田の旦那様の遺書だった。

 そこには、半田屋の旦那様がもう一度やろうとしていた商談は、外国とのアヘンの流通への資金だったと言う事。

 アヘンが流通すれば人は依存する。吉原でも名立たる店の一つのこの店から、店内でお香の様に焚くだけではなく、アヘンを売りさばいたり、ましてや政府などにもいずれ商談を通して、戦争などの政治活動にまで手をかけようとしていた、というものだったのだ。

「私は、この事を本当に知らなかった。ただただ、私は純粋にまた一旗上げる旦那様を見たかっただけだった。

 それでアンタに隠蔽させた。そしてその金を旦那様に持って行って無理矢理渡したんだ。そしたら旦那様はご自害された。何事も無かった事になる様に、何も起こらない様に……私達と吉原を守る為に、ご自害なさられた。」

 姉さんも泣いていた。

「すぐにこの金と遺書を出さなかったのは、また半田屋の旦那様が戻ってくると悟ったから。でも……まさかアンタに。

 ……アンタには申し訳ないけれども半田屋はうちのお得意さんだ。だから、縁は切れない。これからも半田屋の旦那様と息子様はここへ来る。でも、これまでの商談とそれ以上の商談以上のものは一切私が通さない。……約束する。」

「……姉さん。」

「あとね、私はアンタに謝らなければならない事と感謝しなければならない事がある。」

「……え?」

「私はアンタを愛して独占してきた。でもそれは、最初にアンタに染みを付けちまったからなだけじゃない。

 日に日に美しくなるアンタに嫉妬していた。染みがあってもアンタは本当に誰よりも美しい。私は、自分の女としての座を失いたくなかった。だからアンタを勘定方にして、男に触れさせぬ様に私に夢中にさせた。

 でも、アンタは真っ直ぐに私を愛してくれた。正直、旦那様がご自害された時、私も後を追おうとした。

 でも、自害しようとした時にアンタの顔を思い出したんだ。

 私がここで死んだら店はどうなる?

 店の女子達は?

 私達はこの吉原から抜け出せない。

 ならせめて、女子が女子として男に媚びる事なく、舞や三味線で客を喜ばせたり、商談出来る店。

 売り飛ばされてきたって、自分で女としてじゃない。“ひとりの人間”として生きていける……そんな夢の様な店にしたい。いや、そんな店にする、と決めたんだ。」

「……姉さん。」

「たしかに世の中は変えられない。でも吉原でも名だたる私達の店が変われれば少しずつ周りの店も変わっていける。」

 ふと、手を見た時に朝日が登り始めている事に気が付いた。

 少しずつ明るくなっていく。

 朝日が私の手の染みを照らしてくれていた。


ーー-終ーーー


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染めゆく夜明けに あやえる @ayael

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