第3話

▼熱山の湯 塔之屋


【前のお話とこれもまたちょうど頃合いを同じくして、今度は豪州熱山の湯でのことでございます。ここにも気心知れた仲の三人連れが、湯につかりながら何やら。もとから人気のある温泉地熱山で、ここ塔之屋も大きな賑わいを見せております。また眺望絶佳の誉れ高く、爽やかな一陣の風が木々の梢を揺らすさまも目に麗しく、人々が温まる湯殿からは突き抜けるような空の青と常緑樹の翠が目の前に広がります】


湯治客・A  「いやぁ、極楽極楽。お湯につかって、疲れも憂いも吹き飛ぶとはこのことですナ」

湯治客・B  「おやおや、憂いとは、大きく出ましたナ。いやなに、極楽にいる心地とは同感同感」

湯治客・C  「Phew.」

湯治客・A  「はは、言葉にならないように見えル。くつろいだ吐息をまた盛大二」

湯治客・B  「はは、私も真似しテ。Phew. これは良イ」

湯治客・C  「いい湯にはどんな美辞麗句も不要。名湯につかリ、ただ天を仰ぎ見ル」

湯治客・A  「美辞麗句、名湯、天を仰ぎ見るとは、矛盾した言葉のあやもまた面白イ」

湯治客・B  「Phew.」

湯治客・C  「山の端はおしなべて新緑の装イ。耳には野を駆ける獣たちの遠音。鼻には陸風が運ぶ赤土の鉄混じりのにおイ。しゃべりだすと褒める言葉が止まりませヌ」

湯治客・A  「言葉の岩には驚いてしまいますナ」

湯治客・B  「もう何も言わずに湯につかって時を過ごしましょうゾ」

湯治客・C  「Phew.」

湯治客・A  「Phew.」


【この三人、どこからどこへ来た湯治客でしょうか。三人仲良く豪州熱山の湯を楽しんでおります。日差しがいっそう強まってきた一日。もとより熱いお湯につかる身にとっては、外気の温度もちょうどよく。どこかの天下泰平をその郷の浮世絵作者が描いたかのようでございます。そこへ、バードバスに浮かぶ薔薇を小鳥のつつく音が小庭から小さく聞こえてきたその時、あたかもその音を合図にしたかのように、一人が小さくつぶやきます】


湯治客・C  「ま、ここ熱山の湯も良いですがネ。あたしはネ、まぁこれに勝るとも劣らないのは豆州熱海の湯かと思いますネ」

湯治客・B  「へぇ、熱海?」

湯治客・A  「行ったことがあるのですかイ?」

湯治客・C  「ええ、三年前ですかナ。季節は今と違って秋の頃でしたカ。ちょいと鰐の皮の商いデ」

湯治客・B  「鰐ってあノ?鰐?」

湯治客・A  「剣の柄にでも使うのだろうカ」

湯治客・C  「鰐は鰐で、あの川にも沼にもいる厄介で恐ろしい鰐でス。ただ何やら向こうでは白兎、白兎、ともてはやされて重宝されましタ」

湯治客・B  「珍しいこともあるものダ。いやぁ、見識が広くていらっしゃル」

湯治客・A  「でもネ、よく温泉番付なんてものを見ますけどネ、熱山が張出横綱、熱海が何でしたっケ?」

湯治客・C  「別格、別格」

湯治客・B  「へぇ。Phew.」

湯治客・A  「効能やら何やらも違うんでしょうネ」

湯治客・C  「熱海は海の潮が溶けていて、昔から血のめぐりに良いと言われてますナ」

湯治客・B  「へぇ、じゃあ、こちらハ?」

湯治客・A  「赤土の鉄はもちろんのこと、熱された砂が混じっテ」

湯治客・C  「ははは、見た目には分からぬかもしれませんヨ。江戸じゃ熱海のほうが、なんて言われておりますけどネ」

湯治客・B  「Edo?」

湯治客・A  「Edwardが何テ?」

湯治客・C  「Phew.」


【三人がとりとめもなく、そのくつろぎきった心地でだらだら話していると、湯船の湯気の向こうから何やら威勢のいい声と酒の臭いが届きます】


湯治客・D  「やいやい、さっきから何を知ったようなことを言いやがル。ここ豪州熱山より熱海のほうが上かのような口ぶりじゃねぇカ」

湯治客・C  「Ph,Phew.」

湯治客・B  「・・・・」

湯治客・A  「ちょっとちょっと、お二方、お待ちヲ」

湯治客・D  「黙って聞いてりゃ好き放題二」

湯治客・A  「いや、その、そんな、上とは言っていませんし、どちらも素晴らしいト」

湯治客・D  「おう?まだ褒めるカ。それだけで喧嘩を売ってるネ」

湯治客・A  「まぁまぁ、落ち着いテ」

湯治客・D  「俺は生まれ育ちは寺町チャーチランドの岩の麓。なりわいはハンターバレーの猟師ダ。ここ熱山の湯には、生まれてこのかた、ずっとつかってんダ。それを馬鹿にするならいつでも相手になってやル」

湯治客・A  「いいや、滅相もなイ。とんだ勘違いデ。あの二人もまったく同ジ。誤解でも招いてしまったなら、この通リ、本当に申し訳ありませン」

湯治客・D  「こちとら腹の虫はおさまらねぇが、そう謝るならもういい、やめダ。文句があるならさっさと上がりナ」


【一人がこうして平身低頭、謝っているなか、他の二人は湯船から首を出したまま、そおっとそおっと出口のほうへ。そうして、男の一喝と同時にすぐさま、がばっと湯から出て、しぶきも拭かず浴衣も取りあえず一目散。最後の一人もすぐ後に続きます。三人にとってはとんだ湯浴みになってしまったようで。え?これじゃあ、また前のお話とそっくりですって?いいえ、違います。今回は、最後の一人が逃げ帰りざま、ふと思って言うことには】


湯治客・A  「あれ、待てヨ待てヨ。今ここ豪州熱山とナ?いったいここは、どこの国の何の湯だったっケ?」


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【落語台本】熱山(あたやま) 紀瀬川 沙 @Kisegawa

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