最終話:サル山のボス

 全員の自首が成立した。小林も真田も、そして服部も。

 友人に手錠を掛けるなんて嫌だ、という僕の当初の願いはむごいまでに打ち砕かれた。まさか、仲の良かった旧友全員をこの手で捕まえることになるなんて。


 それでも、自首が最善策だったのだろうと思う。厳密には、指名手配を受けている服部は自首ではなく出頭だが。もし自首せずにいたら、友人三人を文字通り失う羽目になったかもしれない。それよりはよほどいいし、僕もその惨禍に巻き込まれる可能性があることを思えばなおさらだ。いや、もし自首していなかったら、僕は事件に巻き込まれてほぼ確実に死んでいた。


 ……だからといって割り切れるものでもないんだよなぁ。


 複雑な気持ちに一日中さいなまれながら、僕は警察の寮のベッドに寝転んでぼうっと天井を眺めていた。

 あの日以来、僕は家に帰っていない。証拠保全、そして僕の身の安全の確保のためだ。思い出すだけで気が滅入りそうなので僕にはその方がいいのだが、警察の寮にいるからといって彼らのことを忘れた瞬間などただの一度もなかった。


 自由な時間はずっと嫌な記憶が反復されるので嫌々ながらベッドに入って、横になりながら眠たくもない目を閉じて、高校時代の夢を見て飛び起きて、じっとりとした嫌な汗をシャワーで流して、気を紛らわせようと出勤して、結局気は紛れずに仕事は上の空だった。


 僕に銃を突きつけた小林のこと、僕らを何度も裏切った真田のこと、その二人への負の感情よりも、僕自身に対する自己嫌悪が一番僕を苦しめた。

 僕が命のやりとりに巻き込まれるくらいなら、服部が死んでもいいと本気で思った。人が死ぬ選択を、死ぬ人間の頭数で決めようとした。


 極限状況だからしょうがなかった、と開き直れたら苦労しない。

 僕ら四人全員が自分のために動いてたから、と思ってもすっきりしない。

 僕の本性が滲み出た結果なのだと、僕自身が言っていた。


 忘れたいことだった。でも忘れられなかった。僕の生き方を形作る記憶になるのには違いなかった。


 僕はまだ、彼らを友人と呼べるのだろうか。彼らはまだ、僕を友人と呼んでくれるのだろうか。僕は、友人と呼びたい。でもその友人たちは、僕の存在をむしばんでいく。彼らを恨みたい。でも彼らを恨んでいる自分を一番恨みたい。


 最後、バナナを食べながら交わした会話が僕の心に深く刺さっている。あの瞬間、僕らは、確かに十年前と同じ、気の置けない仲間のままだった。

 あの夜、互いに裏切りに裏切りを重ねたが、やはりそれは自分や仲間を守るためのものだった。誰一人、仲間を失いたがっている者はいなかった。


 だからこそ。だからこそ、僕の抱える矛盾はあまりにも大きくなりすぎて、僕一人ではどうにもできなくなっていた。でも、それを何とか出来るのも僕だけだった。

 

 この感情に決着は未だついていないし、この先長く付き合うべきことになるだろう。それでも、いったんは状況が落ち着いたと言ってよかった。まだまだ先は長いし、やるべきことはたくさんあるのだが。

 疲れた。一生分、疲れたような気がする。


 だが、疲れ切った僕にも一つ、やりたいことがあった。それを叶えるべく、僕は上司の許可を取って北海道に飛んだ。


「服部」

 北海道警の取調室の入り口で、僕は服部が取り調べられる声を聞いていた。取調室は、旧友と会うような場所ではない。

 あらかじめ覚悟はしていたものの、やはり辛いものがこみ上げてきた。何度も取調室の扉の前で逡巡して、涙をこらえて、意を決して中に入って、服部の顔を見た。


「お、山村だ」

 服部は僕が入って来たのを見て顔を輝かせた。一方の僕は何とも言えない、複雑な表情をしていたはずだ。


 なあ服部、お前はどうしてそんなに明るいんだ?

 僕はそう問いかけざるを得なかった。


「あの状況じゃ、自首が一番ベストな選択だからね。指名手配されてる俺が、単独で逃げるなんてできないし。真田が自首したのに俺だけ逃げたって、すぐ捕まって殺されてたよ」

 服部はちっとも反省の色を見せない。僕は苛立って、机をバンと叩く。


「彼女だっているんだろ。恋人を一般社会シャバに置いてきてるってことわかってんのか? 少しは反省──」

「いや、俺に彼女はいないけど?」

 いたじゃないか。スマートフォンのロック画面に写っていた女が。


「ああ、あの女ね。アイツだよ、俺のこと嵌めたの」

「…………」

 頭が痛い。あの夜、僕が顔を見た人間はもれなく全員犯罪者だったってことか?

 

 拳銃密輸事件の黒幕が真田なら、この女はこの騒動の黒幕だ。なにせ、僕を、服部を、小林を、真田を、命のふちに突き落とした人間である。

 脳裏に服部の横に写っていた女の顔が蘇る。色白で清楚そうで、虫も殺せない女に見えたのに。名前も素性も知らない女の顔が、ぐにゃりと歪んで見えた。


「何者なんだ、この女」

「俺のカノ。ロシアンマフィアのメンバーの家族だな」

「…………」


「さっきまでの取調べで、俺はあの女の情報を全部喋ったってわけ。あの女に裏切られなければ、俺はずっと捕まらずにいられたんだけどなぁ」

「……なんでこの女に嵌められたわけ?」

「さぁ。直接こいつに聞けよ。まあ、俺も俺であの女のこと、結構利用したからね。怒ってたのかもね」

 痴話喧嘩に巻き込まれて、僕らは生命の危機にまで陥ったということか?

 小林がこの場にいなくてよかった。もしいたら、ブチ切れて服部を刺したんじゃないだろうか。


「うーん、向こうも大人しく密輸しとくのが最良だって分かってるはずなんだけどな。なんで密輸の邪魔したんだろ。平和に密輸できたはずなのに」

 服部は明るく悩んでいる。


「おい、拳銃密輸は犯罪だからな。開き直るなよ」

 拳銃密輸の罪は銃刀法で規定されているのだが、その罪は案外重い。

 服部の場合、拳銃そのものを密輸しているので懲役三年以上。しかも彼は小林の組織に拳銃を売ったから営利目的とみなされる。つまり、懲役五年以上の有期刑、もしくは無期だ。


 分かってるのか、服部。お前がやったことは、それだけの罪なんだ。


「知ってるよ」

 服部は明るく答えた。

「俺、法律はそれなりに勉強してるもん」

 高校の時はサル並に成績悪かったのに、という疑問は野暮なので引っ込める。

「じゃあなんで、お前はそんなに明るくいられるんだよ」


 僕は服部のその飄々とした態度に、もはや恐ろしささえ感じていた。大学を卒業して新卒で警察に入って以来、僕は様々な犯罪者を見てきた。その中で、服部のような反応を取調室でするような人間は一人としていなかった。


 怯えるか、強がるか、現実逃避するか。

 服部はそのどれでもないように見えた。


 やはり、進路希望調査に「サル山のボス」と書いた男は、どこかネジが飛んでいやがるな。


「だって、ほとぼりが冷めるまで結構時間かかるよ。相手はロシアンマフィアだし、六年、いや八年は必要だな。どうせ同じ前科一犯だろ。せっかくだったら刑期長い方がコスパ良くない?」

 コスパの意味わかってんのか?

 それとも、刑期をケーキか何かと勘違いしているのか?


 やっぱりこいつ、人間社会よりは動物園のサル山の方が波長が合っているのではないだろうか。もし服部が、あのまま動物園に飼育員として・・・・・・就職できていたら、全てが解決していたはずだ。

 服部はサル山のボスとして君臨し、客を楽しませていただろう。真田は拳銃密輸事件など計画しなかっただろうし、小林はブラック企業の文句を言いながら働いていた……かもしれない。どのみち裏バイトに首を突っ込んだかもしれないけど。


「それに、刑務所でやってみたいこともあるしね。それには刑務所を出るわけに行かないから、長くいられる方がいい」

「服部、お前、まさか……」

「だって、俺、サル山のボスにはなれなかったからさぁ」

 おい、それ以上言うな。




「今度は俺、刑務所ブタ箱のボスになる」

 サルの次はブタかよ。


*完*

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俺はサル山のボスになる。 本庄 照 @honjoh

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