第6話:最後の晩餐

「しかし、本当に二人とも、俺の嘘を全然見抜けないんだな」

 ずっと放っておかれてぬるくなっているはずの缶ビールを真田は開ける。

「お人好しだな。そんなんじゃサル山のボスになれないぞ」

「ならないよ」

 小林の怒りは押し殺せていなかった。

「あーあ、スマホを見せられて、信じた俺が悪かったよ。なあ山村」

「本当だよ。あの状況で信じないわけないだろうがよ」

 小林の怒りに煽られるように、僕も怒りが込み上げてきた。


「何かおかしいと思ったんだよ、一ヶ月も前に殺した男のスマホの電池が生きてるわけないってな!」

 僕はローテーブルをドンと殴る。その拍子に、机上のビールの空き缶がカランカランと崩れ落ち、服部のものだった・・・スマホがぴょんと跳ねる。


「一体なんなんだよ真田ァ!! なんだ、このスマホはァ!!」

 僕は怒りに任せて警察仕込みの怒鳴り声をあげ、スマートフォンをフローリングに叩きつけた。スマートフォンの画面が割れ、端が欠けて飛び散った。床もへこんだ。

 ええい、今の僕には、服部のスマートフォンなんてどうでもいい。敷金なんてもっとどうでもいい。


「これ? 服部の前のスマホだよ。こいつをネットに繋ぎっぱなしだと、ふとした時に服部の居場所がわかっちまうかもしれねぇから二台目を契約させたんだ。捨てても良かったけど、向こうの情報が手に入るかもしれねぇし」

 真田は床に転がったスマートフォンの残骸を拾い上げて興味深げに眺めている。あまりの壊れ具合が面白いのか、余裕全開でにやにやと笑っていた。

 

「本当だよな?」

「うん。自首した後にじっくり調べてくれ」

 僕は渋々頷く。真田の言うことはもはや一ミリも信用していないが、警察に調べられてもいいというのなら大丈夫なのだろう。僕が信用しているのは真田ではなく、警察の捜査能力だ。


「待てよ? 服部って、生きてるんだよな?」

「じゃあ自首しなくても、命は狙われないよね……?」

「服部が生きてたとしても、今度はロシアンマフィアに狙われてるんだってば」

 希望的観測は、一瞬で完全に真田に打ち砕かれた。まあ、服部が生きていたからって自首しなかったら、小林が服部を上司に差し出すことになるから服部は死ぬんだけどな。

「え、ロシアンマフィアの件、まだ解決してなかったっけ?」

 真田は頷く。


「俺が服部を逃したのは本当。ロシアンマフィアがブチギレて関係者を皆殺しにしようとしてるのも本当。でも、俺が服部を殺したのは嘘だし、死体をロシアンマフィアに差し出したのも嘘。当然、ロシアンマフィアが服部の死体で納得して引き揚げたってのは嘘。ていうか、ロシアンマフィアが服部の死体ごときで満足するってのは大嘘。で、ロシアンマフィアがまだ俺たちのことを血眼で探してるのは本当」


 ……何が嘘で何が本当か分からなくなってきた。


「は? 最悪じゃん」

 僕より一足先に状況を理解した小林が、机上にまだ残っていた空き缶と、まだ開いていない缶を全部薙ぎ払って目を剥く。

「つまり、俺たちは全員生きてるけど、全員命を狙われてるってことだよね?」

「……嘘だろ?」

「残念だがな、これだけは本当だぜ」

 僕の直感が告げていた。これは真実だ。


「真田ァ─────!! お前もう二度と信用しねぇ────ッ!!」

 真田の得意顔に無性に腹の立った僕は、腹の底から出る大声で叫んだ。

「俺の上司に狙われる方がまだマシだったよ……。ロシアンマフィアとか、凶悪でしかないじゃん……。なんでそんなのを敵に回しちゃうかなぁ……」

 小林は怒りを飛び越えて嘆きはじめた。


「服部がやらかした時点で、全員狙われるのは確定してたからな。服部をみすみす小林の上司に渡したところで全くの無意味だぞ。だから俺は嘘をついたってのも理由の一つだな。服部を無駄死にさせるなら、ロシアンマフィアに突撃させる方がまだマシだからな!」

 真田、元気に言うのやめて。せめて反省して。


「こんなんだったら、最初から嘘も何もつかずに、ロシアンマフィアから逃げたほうが良かったんじゃないの?」

「逃げ切れるわけねぇだろ。ほとぼりが冷めるまで、何年逃げ続けなきゃいけねぇと思ってんだよ」

 真田が鋭くツッコミを入れる。暴力団から逃げたことのない僕にはよくわからないが、真田が真顔で言うのだからそうなのだろう。


「ま、みんなで自首したら丸く収まるんだ。大人しく自首しようぜ」

 真田は呑気にスマートフォンなど触っている。その姿が小林を怒らせないうちに、僕は小林に静まれというアイコンタクトを送った。

「自首か」

 小林は僕のアイコンタクトを受け取ることはなかったものの、真田に怒るということもなく、ほうっと息を一つついて頭の後ろで手を組んだ。

「考えたこともなかったよ。最初からそうすればよかったな」

「そうかなぁ」

 スマートフォンの画面を眺めている真田が茶々を入れる。


「全員の命が助かるんだ。むしろ最良の結果だろ」

 真田は小林の肩をぽんぽんと優しく叩いた。小林はその手をさりげなく払いのけていた。

「タイミングがズレたら、誰か死んでたかもしれねぇし」

「それは……まあ……」

 真田の言葉に、僕も小林も頷いた。たとえこいつの言葉の内容は全く信用できないといっても、言葉そのもののは僕に深く刺さったし、一度刺さってしまった時点で、それが信用できるできないということは既に遠くに行ってしまっていた。


「俺も、自首なんて考えはなかったな。やっぱ、人間は捕まるって考えたら迷っちまうもんだし。山村がいてよかった。山村がいたから、俺たちは自首する決意がついたんだよ」

 うーん、その言葉信じたいけど、真田が言ってることだしなぁ……。なんなら、今から自首するって言葉を覆しそうな気さえする。


「結局、山村が一番得したってことなのかなぁ」

 小林が真田の残したビールの缶を取り、最後まで一気に飲み干す。僕としては、損こそしてないが得もしていないような気もするが。

「正義は勝つってことだな」

 偶然だよ、と僕は苦笑する。


「俺たちが報いを受けるのは当然のことだしね。元々は無関係だった山村に迷惑かけなくてよかったよ」

 僕の頭に拳銃を突きつけた人間の言葉とは思えない。小林の成長に、僕は感涙した。


「俺たちはどこで道を間違ったんだろうな」

「服部が進路希望調査で『サル山のボス』って書いたところからじゃない?」

 あくまで自分たちの非を認めない二人である。

「でも、服部は、あの時に『サル山のボス』って書くからこそ服部なんだよ。俺たちは、この事件を避けようがなかった。本当は違うんだろうけどね。でも、そう思わなかったら、俺はやっていけないや」


 小林がそう言って笑った時、僕の部屋のインターホンが鳴った。時計を見る。徹夜したとはいえ、朝の六時だ。人が訪問してくるような時間ではない。

「……苦情かな」

「……さっきまでうるさくしちゃったもんね」

 僕と小林は顔を見合わせる。立ち上がった僕は、部屋を出て廊下をくだり、恐る恐るドアを開ける。


「よお、久しぶり」

 ドアの向こうには、少し背の低い、笑顔の眩しい男が一人立っていた。 



 服部だった。 


 コンビニの袋をぶら下げた服部が、僕の目の前で笑っていた。

「十年ぶりか? 小林も山村も、変わってないな」


「服部、どうしてここが……」

「さっき真田にメールもらったんだ。最近のコンビニって、バナナも売ってるんだな。なあ、久しぶりにみんなでバナナ食べようぜ」

 服部は屈託なく笑っていた。僕らの気持ちなんか露知らず、にこにこと笑っている。十年前と同じ、そしてスマートフォンの写真と同じ顔だ。


「みんなで自首するんだろ。最後の晩餐、山村ん家で食わせてくれよ」


 参加者は四人、場所は僕の家。僕らは、今までにあったことはすべて忘れてバナナを食べていた。

 軽口と笑いが飛び交う光景は、高校の昼休みの雰囲気そのままだった。 

 誰もがゆっくりバナナの皮をむいて、少しずつ少しずつ丁寧に齧っていた。バナナ早食いが自慢だった服部が、テーブルに残っていた酒を開けながらバナナをちびちびやっている様子は、もはや滑稽ですらあった。


 僕のバナナはあと半分くらいになっていた。これを食べきったら、全てが終わる。一口齧るごとに、安堵と寂しさが僕の心の中に湧きあがるのだった。

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