第5話:服部の身柄

「服部は確かにヘマをした。小林の上司を怒らせ、小林に追われた。俺は服部を逃がしてやった。服部は才能ある人間だ。みすみす殺させるわけにはいかない」

 だが服部を追いかけてきたのは小林だけではなかった。相手が小林だけだったら真田の力で服部を守ることができる。しかし真田の力の届かない相手がいた。


「もう一つ、服部を追いかけている組織があった。ロシアンマフィアさ。服部が拳銃を輸入した大元のロシアンマフィアだよ」


 取引に絶対にミスは許されなかった。でも服部はミスをした。サル山のボス 真田 の腹心の部下がするようなミスではなかった。誰かに嵌められたのは確実だと真田は確信していた。だが、それが誰なのかはわからない。

 慌てて真田は服部を逃がした。だが間に合わなかった。マフィアに二人とも捕まった。服部を差し出せば真田の命は勘弁してやると言われ、真田は服部を撃ち殺し、その身柄をロシアンマフィアに差し出した。


「驚いたよ。小林が山村の頭に銃を突き付けている様子が、俺が服部にやった光景に完全に重なって見えた。いや、重なるわけないんだけど、俺には重なるように感じたんだ。……心臓の動悸が止まらなかった」


 真田、いや殺人者の独白を聞いて、僕は思わず目を逸らした。

 僕だって警察官だ。今までに殺人を犯した者を目の前にしたことはある。殺人犯というものは大抵、身近な人間を殺して捕まえられてくる。体験せねば分からないはずの殺人の後味は、独白をしている最中の表情を見ると僕の中に染み入ってきてしまうような気がして、僕は真田の顔もまた見ることができなかった。


「真田……」

 小林が口をあんぐりと開ける。

「本当に殺したの? どうせ、嘘でしょ?」

「本当だ、証拠だってある」

 真田の嘘に裏切られ続け、人間不信になりかけている僕ではあったが、証拠という言葉に負け、真田を信じることに決めた。


「……その証拠ってのは?」

 真田は黙って尻ポケットから自身のスマートフォンを取り出して床に置く。

「見てみろ」

 スマートフォンに伸びる震えた僕の手を、真田は強引に掴んでスマートフォンの元へやる。ロックを開けた真田は僕にスマートフォンを握らせた。

「電話帳」

 僕は言われるがままに真田の電話帳を開く。は行のページを開き、その一番上にあった名前に僕の心がどきんと跳ねた。


 服部はっとりあきら。服部のフルネームだ。


「かけてみろ」

 僕は服部の名前を押す。発信中の画面が出て、呼び出し中の表示に切り替わる。それと同時に、真田の鞄から呼び出し音が鳴った。真田は黙って立ち上がって鞄を開けた。そして、うるさく音が鳴るもう一つのスマートフォンをフローリングに捨てるように投げた。僕は電話を切る。その瞬間、もう一つのスマートフォンは、フローリングにぶつかる音と共に静かになった。


「服部のスマホだ」

 それに手を伸ばしたのは小林である。ホームボタンを押す。ロック画面が表示される。パスコードは分からないが、ロック画面には、服部と彼の女であろう人間のツーショットがおさまっていた。外国人らしき容貌だから、ロシアで出会った女性なのだろう。物静かそうな、服部にはもったいない優しげな美人だ。

「……隣の女、サルじゃないんだね」

 小林は半笑いで画面の中の服部の顔を親指で撫でた。


「ねえ、本当に死んだの? 服部は」

「死んだ。今頃、コンクリの中か、海の底か……」

 真田が小林の言葉に几帳面に答えていく。必要もないのにそれだけ喋るということは、やはり真田は服部を殺し、その罪悪感を喋って紛らわせようとしているのだと僕は捉えた。


 スマートフォンのロック画面の中にいる十年後の服部の笑顔は、昔と大して変わらなかった。見るからに明るそうで、自信に溢れていて、そして少しサルに似ている。


 写真とはいえ、せっかく出会えた服部は、もうこの世にはいない。僕はその事実を飲み込むことができなかった。この夜、様々なことが起きて、互いに裏切って裏切られて、それでいっぱいいっぱいだった。服部の死のことは僕の頭が自然に拒絶していた。


「……服部が本当に死んだなら、俺はもうダメだよ」

 小林がへなへなと崩れ落ちるように膝をつく。

「服部の身柄がなければ、俺は絶対に殺される。俺の命はもう終わりだ……。真田、本当に余計なことを……」

 うずくまって床をガンガンと殴り、ボロボロと涙を流す小林に今までのクールな面影などなかった。


「真田が服部を殺したせいで、小林、そして偶然話を聞いちゃった山村は俺の組織に殺される。真田だって、服部を殺したとバレたらただじゃ済まない。組織のトップが出てくるような大ごとになるからね。全く、何やってるんだよ本当に。真田だって、どうせ殺されちゃうのにな。あはは、どちらにせよ、俺は最初から詰んでたんだね!」


 一息で畳みかけた小林は床に倒れ込んだ。僕は慌てて小林を起こす。

 だが、本当に倒れたいのは僕の方だ。知らず知らずのうちに事件に巻き込まれて死ぬ運命が確定してたって、そんなことある? ねぇ?


「……遺書でも書くかな」

 一通り泣いて、ようやく落ち着いた小林が、やはりうずくまったまま呟いた。

「こんなひどい企業に引っかかったのも、こんな事件に巻き込まれたのも、服部を追いかけたのも、全部不本意だったけど、覚悟だけはしなきゃと思ってた。でも、本当に腹をくくるときが来たみたいだ」

 小林の涙声が僕の心に刺さる。なんと声を掛ければいいかわからなくて、僕は小林の肩にそっと手を置いた。


「小林、お前、本当に覚悟を決めたんだな」

「……うん、俺には本当に道がないからね。何? 山村が俺を殺してくれるの?」

「そういうわけじゃない。けど、まだ手はある」

 小林がふっと顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃになった小林の顔の前に、僕は指を一本立てる。

自首・・だよ」

 小林と真田がはっと息を飲んだ。


「小林が自首して上司のことを喋ってくれたら、警察は小林を守ることができる。当然、ロシアンマフィアからもな。ただ、自首してから小林の上司を捕まえるまでの間にタイムラグがあるから、その隙に真田も狙われるかもしれない」

 僕はそこで一旦言葉を切って、大きく息を吸った。

「みんな仲良く、全員で自首しよう」


 いくら海外のマフィアだろうが、日本のヤクザだろうが、標的を殺すために留置場ブタ箱を襲うバカはいない。だから、命だけは絶対的に保証できる。これは善意から言っていることだ。決して僕が一人勝ちするからではない。断じてない。


「真田、小林。考えてみろ。これ以上安全な手段が他にあるか?」

「…………」

 真田も小林も面白くなさそうな表情で黙っていた。僕の頬が緩んでいるのがバレてしまったのかもしれない。


「全員って……山村は?」

「お前も一緒に自首しろよ」

「僕は何も悪いことしてない! 自首する必要ないだろ!」

「不公平だ!」

「どっちが!」

 この期に及んで不毛な喧嘩である。十年前を思い出すと言えば美談だが、実際は十年間まるで成長していないがゆえの喧嘩だ。


「……やめようか。俺たちが争っても意味がない」

 小林が間合いを取って至極正論を言う。

「そうだな。俺たちは全員、命を狙われてる身だ。仲間として知恵を出し合おう」

 肩で息を切らせながら、真田が答えた。


「まあ、なんだかんだ言っても命は惜しいからね。俺は山村の案に乗るよ」

 小林は目を伏せて、ゆっくりと両手を上げた。

「俺は乗らねぇ」

「真田、気持ちはわかるけど……」

 しかし真田は頑として首を縦に振らない。


「俺が捕まると困る人間がいる。そいつを置いて、俺は自首できない」

「家族でもいるの? 結婚してたっけ?」

「家族じゃねぇし、結婚もしてねぇよ」

「じゃあ誰だよ」

服部・・だよ」

 僕は一瞬理解できなかった。

「……服部?」


「今、服部って言った? 死んだんじゃなかったの?」

 小林が鋭く叫んだ。

「生きてるぞ」

 けろっとした顔で真田は答える。


「え、さっき言ってた、小林が僕に銃を構える姿と自分が重なったって話は……?」

「あれは嘘」

 一瞬、僕の頭が理解を拒絶した。嘘? 嘘なの? 嘘って言った?


「真田ァ!! またか!! お前はまた嘘つきやがってッ!!」

 服部が生きているという喜びと安堵より先に怒りがまず湧いてきた。

 僕が怒鳴るのなんか蛙の面に水で、真田はぺろりと舌を出す。

「なんでこの期に及んで嘘つくかな? 状況を考えてよ、状況を」

「嘘に理由が必要か?」

 真田、十年前の純粋無垢だった頃に戻ってくれ。


 僕の苛立ちに気づいたのか、真田は顔をこわばらせて宥めるように微笑む。

「ま、まあ理由は当然あるぞ」

「本当だろうな? 重大な理由だろうな?」

「服部が死んだことにすれば、山村も小林も、服部のことを諦めると思ってな」

 呑気な声だ。それは十年前と同じようで、でもそれは十年前にはなかったはずの嘘からくる言葉で、でもやっぱり十年前と同じ、からっとした声であった。


「服部を仕事に誘ったのは俺だ。服部の身を守って当然だろ。それに、服部の才能を刑務所で潰すのはもったいねぇからな。ましてや、小林の上司のブチギレやロシアンマフィアごときに殺されるべき男じゃねぇし」

「俺の命は!? 俺を事件に巻き込んだのも真田だろ!?」

 小林が顔を真っ赤にして真田の襟首を掴み、全力で揺さぶりながら怒鳴る。

「どうでもよくはないが、小林は俺が手を回したところでどうにもならねぇよ」

「ふざけんな――――ッ!」

 小林は真田を何度も往復ビンタしている。僕に止める気は全くなかった。むしろ、もっとやれとすら思っている。

 この騒ぎで隣近所から警察呼ばれても、まあいいか。僕が警察だし。


「あと、服部を差し出さずに、ロシアンマフィアと小林の上司ジャパニーズヤクザをぶつけて、対消滅させられないかと思ってな」

 真田は苦笑しながら小林の手を首元から引きはがす。

 そんなんで消滅したら苦労せんわい。本気で言ってるのなら考えが浅いし、適当に言っているのなら嘘があまりにも軽すぎる。


「そうでもないぞ。国をまたぐ抗争は必ず大きくなるし、途中から真の目的なんてどうでもよくなって単なる殺し合いになる。どさくさに紛れて逃げるのは可能だ」

 ……国家間の戦争に発展しないといいけどな。


「でも、あのままじゃ、真田は殺人で立件されてたぞ。それでもよかったのかよ」

「最初は自首するつもりなんかなかったしな。第一、物的証拠はない、死体も出てこない、状況証拠すらないじゃねぇかよ。俺の自白だけで有罪にできるもんならやってみろ」

 真田は不敵に笑う。まさにその通りなので僕は大人しく引き下がった。

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