第4話:服部の消息

「嘘でしょ……」

 小林は口を開けて呆然としていた。心底驚いているようだから、真田が事件に関わっていることを、おそらく全く知らなかったのに違いない。もちろん、僕だって知らなかった。

「まあ知らないのも無理ないな。俺は表舞台には出てないし」

 真田はにやりと笑う。高校の頃の純粋無垢な顔のまま、中身だけが変わっていった、そんな印象があった。


 服部のタレコミにこの情報は含まれていなかった。なぜなら、協力者の詳細を警察に教えたら、服部自身が捕まりかねないからだ。服部は馬鹿ではあったが、妙なところで頭の切れる男である。


「しかし、服部と真田と小林が同じ事件に関わるなんてことがあるんだな」

「偶然なんかじゃねぇよ。拳銃密輸の計画を立てたのも、服部を仲間に誘ったのも、小林がいると知って小林の会社に密輸の話を持ちかけたのも、全部俺だ」

「……なんで俺を巻き込んだんだよ!」

 小林が立ち上がって真田の胸倉をつかんだ。僕は慌てて止めに入るが、心の底では小林にとても同情している。


「驚いたよ、小林が俺の世界裏社会に手を出してるなんてな。本意じゃないだろうとは思ってたから、辞めさせてやれよって俺は小林の上司に声かけたんだぜ」

 真田、高校を出て十年のうちに、本当に大物になっていたんだな。成人式でも、同窓会でも、真田は普通のサラリーマンだとしか僕は聞いてなかったけど。

 いや、サラリー給料を貰うマン人間と言うのは正しいか。嘘はついていないのか?


「向こうはあまりにも渋るから、じゃあ俺の拳銃密輸でお前らの会社にはたくさん稼がせてやるから、それで最後にしてやれって言ったんだ。最終的には請け負ってくれたぜ」

 真田の立てた完璧な拳銃密輸計画だ、失敗するはずがなかった。小林はほぼノーリスクで足抜け出来るはずだった。

 しかし、実際は失敗したのだが。


「良かったな小林。お前、手放すのを渋られるくらいに有能だってことだぞ」

 真田は笑顔で小林の肩を叩く。小林の方は浮かない表情だ。

「俺は表社会で輝きたいんだけどなぁ」

「俺もそう思って、いい提案しただろ」


「真田が絡んでるんだったら、密輸が失敗したところで、小林の命で償わなくても何とでもなるんじゃないの?」

 真田と小林の絆に、僕は頬杖をついて柿ピーに手を伸ばしながら割り込んだ。自分が開けた柿ピーに手をつけられて真田は一瞬しょぼんとしたが、わざとである。

「真田が一言言えば、小林の命は助かるんじゃないかって、僕は思うんだけど」


「あー、それはダメ。そうなると小林の上司が、更に上の上司に手を下されるから。そんな甘い条件は飲んでくれねぇな。俺は、絶対に失敗しない仕事だから、それでもいいと思ったんだがな」

 真田はヒラヒラと手を振った。むむ、裏社会とは何とも強情なものである。


「知らなかった……」

 小林にとって真田は、足抜けのきっかけを与えた恩人であり、一方で自分を事件に巻き込んだ黒幕でもある。複雑そうな表情をしながら呟く小林の姿が僕にはとても印象的だった。


「小林が事件に関わった理由は分かったけど、服部は? 服部もお前が巻き込んだってさっき言ってたけど」

 僕は柿の種を口に放り込みながら尋ねる。もう半分以上は僕が食べている。どうでもいいことだが、真田は柿の種よりピーナッツが好きで、僕が手を付けた頃にはほとんどなくなっていたので、僕が食べているのは柿ピーというより柿の種だ。


「ああ。俺が服部の能力に惚れ込んで、奴を仲間に引き入れた」

 服部にそんな能力なんてあったっけ?

「サルを従える能力じゃないの」

 小林はぶすくれて皮肉を飛ばす。サルを従える能力はありそうだよな、と僕は同調しかけたが、滑りそうなので辞めた。

 真田の方は、小林の嫌味など全く意に介さずに話を続ける。


「高校を出てからの十年間で、服部は変わったんだよ」

 真田は僕から柿の種を取り返して、ハイボールで流し込んだ。そういえば、僕も小林も、服部が高校を出てからの動向は全く知らない。真田が語り始め、僕ら二人は真剣に耳を傾ける。


「高校の時、服部が言ってたサル山は、まさに動物園のサル山だ。服部は本当にサル山のボスになりたかったんだよ。あいつ、全国の動物園を受けまくって全部落ちたらしいぜ。サル山のボスになりたくて、って志望動機を素直に言ったら、そりゃ落ちるわな」

「飼育員の方だよな?」

 僕は念の為に確認する。

「ああ」

 服部はバカなのか? あ、いや、サルなのか。


「服部ってそんなに動物好きだっけ?」

「いや、アイツは単純にサル山のボスになりたいだけだ。経験も技術も知識もねぇよ」

 やっぱり思考がサルである。ただし、いざサル山の担当になったとしたら、服部はあっさりボスになるだろうという予感が僕にはあった。


「服部は、その後、北海道からロシアに渡った。ロシアでサル山のボスになろうとしたらしいんだが、サル山はニホンザル特有の文化だから、実はロシアにサル山はねぇんだな」

「……もしかして、それを知らないで服部はロシアに行ったの?」

 小林は僕と同じ疑問を呈する。答えを待たずとも、恐らくそうだろうという確信が僕にはあったし、実際そう返ってきた。うーん、やっぱり服部は服部だな。


 動物園、いやサル山に就職できず落ち込んでいた服部だったが、奴はかなりのポジティブ思考だ。おそらく、すぐに気を取り直してロシア生活を楽しんでいたに違いない。

 しかも、元々未知の文化に強い服部、なんと数年でロシア語を身につけてみせたのだという。まあ人外相手にやっていく気満々だった服部だ、同じ人間の文化ならなんの苦労もないだろう。


「俺は四年前に服部と会って、ロシア語を使える人材としてうちにスカウトしたってわけだ。あいつがいなかったら、拳銃密輸なんて計画は立てられねぇからな。まさか土壇場でやらかすとは思わなかったが」

「ロシアか……」

 そりゃ連絡がつかず、日本で失踪扱いになるわけだ。


「服部は一体何をやらかしたんだ?」

 僕はふと生じた疑問を空中に投げかける。

「言ってもわかんねぇだろ」

「言ってもしょうがないでしょ」

 何気ない疑問を、二人に同時に斬られて僕は悲しい気持ちになった。なんだよ。僕だって警察官なんだぞ。説明されたらわかるわい。多分だけど。


「端的に言えば、拳銃の数が合わなかった。これは多分、警察にも流れてる情報だろ? 実際は、事態はもっと複雑だ。ロシアのマフィアから輸入するはずだった拳銃が消えた。全部丸ごとな」

 ロシアからの船便に乗っていた荷物の中に、拳銃は一つもなかった。それを管理していたのは服部だ。


「絶対に消えるはずはなかった。大金が動くし、何人もの人間が確認しているし、それこそ何人もの命がかかってると言うにふさわしい取引だからな。そもそも、あんな大口の取引をパーにするようなミスなんか、狙ったって起こせるもんじゃない」

 僕はさすがに犯罪の手口には詳しくないものの、真田が言うのならそうなのだろう。小林もうんうんと頷いているので、信憑性しんぴょうせいも十分だ。


「でも消えた。俺も服部も、当然小林も、ロシア側の人間だって度肝を抜かれたよ。何が起こったのか、未だにわからないままだ。ただ、何が起こったのかはわからなくても、それが可能なのは服部だけ、そういうことになった」

 真田は服部のことを未だに信じているのだろう。嘘つきの真田が言葉には表さないからこそ、真田の本音が漏れて聞こえるような気がする。


「ロシア側も小林の上司も大損だ。もちろん俺だって大損だ。補填は俺がするとはいえ、向こうも計画がうまく進む前提で動いてたから、顔に泥を塗ったことには変わりない。向こうは向こうで、別の誰かに頭下げてるはずだぜ。土下座だってしてるかもしれない。俺は服部の仲間だから服部を許すけど、向こうは服部を許しはしなかった」


「そゆこと。服部はとんでもないミスをやらかしたんだ。あるいは、誰かにミスを被せられたか、嵌められたか。いずれにせよ、服部は自分の無罪証明ができなかったし、俺は上司の命令で服部を追わなきゃいけない。俺は服部の連絡先が必要なんだ」

 そこで、話は最初に戻る。


「いつになったら真田は服部の連絡先を教えてくれるわけ」

 小林はドライに言って真田に手を差し出した。

「俺は服部を殺さなきゃいけないんだよ。真田が巻き込んでくれたせいでね」

「ダメだ」

「なんで? 足抜けのチャンスをくれたのはありがたいけど、結果は裏目に出たんだ。俺だって好きで服部を殺すわけじゃないんだ」

「……服部に電話は繋がらない」


「は? また?」

 一瞬で激昂する小林を僕は慌てて止める。犬をしつけているような気分だ。

「電話じゃなくてもいい、メール、住所、何でもいいんだけど」

「服部は絶対に出てこない」

 真田は首を振る。

「そんなはずないよ。真田は服部を匿ってたんでしょ? この期に及んで、服部をかばいたいわけ?」


「違う。俺は嘘をついてた」

 もはや真田は堂々と嘘に嘘を重ねていることを認めた。

「嘘って何? 本当に服部の連絡先知らないの?」

「知ってるけど、今教えたところで服部には絶対に繋がらない。隠しててごめん」

 真田は真摯な態度で頭を低く下げる。僕らはその姿に何も言うことができなかった。

「どういうこと……?」

 要領を得ない答えに、小林は首をひねり続けている。だが、僕には何故真田が直接的表現を避けているのかがうっすら分かった。嫌な予感がする。


「服部はもういない」

 僕の方をまっすぐみて、真田が答える。

「服部は死んだんだ」

「嘘だろ……」

 小林が膝から崩れ落ちる。嘘だと思いたいのは僕も同じだった。

「い、いつ……?」

 小林よ、聞くべきことはそうじゃないだろ、と僕は思ったがあえて言わなかった。動揺すると人間は順序というものを忘れがちである。

「一ヶ月くらい前かな」

「そんなに……」

 驚くべきところはそこじゃないだろ。


「……俺が服部を殺したんだ」

「は?」

「こめかみをぶち抜いた。拳銃でな」


 真田はこめかみに指を当てて、バンと呟いて指を弾いた。コミカルなその姿と対照的に、部屋はしんと静まり返った。小さく踏切の遮断機の警報が聞こえて、すぐに始発が僕の部屋の側を通り過ぎる音がした。

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