第3話:小林の覚悟

 どこから怪しまれたのだろうと僕は最初からの流れを一生懸命思い出すものの、やはり決定的なミスの心当たりはない。小林は昔から慎重な男だったから、念のためにカマをかけたら引っ掛かったというところだろう。そんな石橋を叩いて渡る男が安易に引き金を引くことはないと思いたいが、やはり怖いは怖い。


小林コバ、僕はお前を捕まえたりなんかしない。頼むから銃を下ろしてくれよ。僕だって、服部を生きた状態で捕まえなきゃいけないんだし。仲間だろ」

「敵じゃないか!」

 小林は鋭く叫ぶ。小林を誤魔化すことはできなかったらしい。僕は心の中で舌打ちをした。


 小林は服部の身柄を持ってくるよう命じられている。僕も上司から同様に命じられている。しかし服部の身柄は一つだ。どちらかは上司からの命令を達成できない。つまり、僕と彼は、服部の身柄を争うライバル同士ということだ。


「じゃあ、服部の身柄は僕が小林に譲るよ。僕は別に、命をかけて服部を追いかけているわけじゃないから」

 僕は両手を上げたまま微笑んだ。僕は情報さえ集まればそれでいい。最悪、小林に服部の身柄を渡す前にいろいろ聞き出せば、僕の立場は何とかなる。……服部は死ぬけど。


「小林、銃を下ろしてくれ」

 僕はもう一度、小林の目を見て語りかける。


「嘘じゃないよね?」

「小林が僕を撃たないのなら」

「わかった。信じるよ」

 意外にも小林は素直に銃を下ろした。その人の好く姿は昔とちっとも変わらず、僕の経験と照らし合わせても、とても裏社会の人間のようには見えなかった。


「小林、なんでお前は拳銃密輸なんかに手を出したんだ?」

「手なんか出すつもりはなかったよ」

 部屋の隅に拳銃を置いた小林は、むすくれて答える。

「俺は普通に商社で営業やってたんだ」

 そういえば、以前の同窓会でそのようなことを言っていた気がする。


「すっごくブラック企業だったんだよね、前の企業は」

 そういえば、同窓会で会社の愚痴を言っていた気がする。そうだ、その時、僕は彼に転職を勧めたのだった。考えるよ、と小林は言っていた。本当に転職するとは思いもしなかった。


「いや、山村のせいじゃないよ。同窓会の後、服部はきっと自由に生きているんだと思うと、どうしても我慢できなくなったんだ」

 じゃあ服部のせいか?

「で、転職活動してたら、前の会社とは比べ物にならないホワイトなベンチャーを見つけてね」

 

 小林はこれ幸いとその企業の面接を受け、見事に転職に成功した。いや、失敗だったと言うべきか。

「……勤務時間はホワイトだけど、副業前提だから給料は少なくてさ。承知の上ではあったけど。俺はもう一つ、バイトか何か探さなきゃいけなくなったんだ」

 その先は言わなくてもわかる。ヤバいバイトに引っかかった、そういうことだ。


「世間知らずの俺には、少し見ただけじゃわからなかったんだよ。副業先が、暴力団のフロント企業だなんてね」

 暴力団のフロント企業とは、見かけは一般企業でありながら、暴力団の利益にくみする企業である。暴力団の資金源であることも少なくない。


 もちろん、そんな企業が何も知らない一般人を雇い入れるのは考えにくい。しかし、単なる下っ端のアルバイトとしてなら一般人を雇うのはごく普通のことである。


「俺が有能すぎたのか知らないけど、なんか出世しちゃってさ」

 出世したんかい。いや、小林ならあり得るけども。転職前の企業も有名企業だったし。暴力団のフロント企業であれば、人数の少ない中小企業なのは確実だから、小林の能力があれば容易に出世できるに違いない。


「金くれるっていうから安易に仕事を引き受けたら、危ない仕事を回されるようになっちゃった。ただ、そういう仕事を回されてから後悔したところで、秘密を知った人間を逃がしてくれる企業じゃないからね。あれよあれよという間にこれだよ」

 かわいそうに。フロント企業に紛れ込んでしまう人間というのも、なかなか珍しいはずだ。転職を勧めた僕にも原因があるような気がして、僕はこっそり肩をすくめていた。


「今回の拳銃密輸を成功させれば、俺は辞めさせてもらえることになってたんだよ。服部が失敗して会社は大損害を被ったから、その話は無くなったけどね。無くなったどころか、俺が命をもって責任を取らされることになっちゃったけどね」

 しかし、なにもミスをしていない小林にとっては理不尽極まりない。なんとか辞めるチャンスをくれと上に頼み込んだ小林に示された条件は「服部を殺せ」。逡巡した小林だったが、最終的には頷いた。


「旧友を殺すか、俺が殺されるか。俺は前者を選んだよ。俺はとっくに手を汚してる人間だ。後戻りなんてできなかったからね。二択なら答えは決まってるだろ」

 旧友を殺すという選択肢を選んだ小林を目の前にして、僕は何も言えなかった。責めるなんてとんでもなかった。小林は服部の話をするとき、わずかではあるが必ず声が震えている。それに小林の感情がすべて詰め込まれているように思った。


「わかったでしょ、真田。俺は本気だよ。さあ、服部の連絡先、教えてよ」

 小林は部屋の隅に置いた拳銃の方にちらりと目をやる。実力行使するぞ、とこれだけで脅されているわけだ。

「……教えられるような連絡先はないよ」

「ふざけてるの? こないだ電話したんでしょ? 家にだって泊めたんでしょ?」

 苛立ちが頂点に達した小林は、僕ですらひるみそうな迫力で叫ぶ。真剣だ。命がかかっているのだから当然ではあるが。


「俺は服部の連絡先は持ってないんだよ!」

 真田が腰が抜けたように尻もちをついて、慌てて首を振っている。

「……本当に?」

「本当だよ、俺が言うんだぞ!」

 そう言われると小林が何も言えなくなることを真田は知っていた。小林は少し俯いていた。服部の身柄がなければ、小林の上司の手によって、小林は死ぬより恐ろしい目に遭わされることには違いないだろう。

 それを想像してしまった僕は、思わずごくりと唾を飲んだ。


 僕が唾を飲むのと同時に、小林も唾を飲んでいた。僕とは意味が違う。彼の方は決意だ。

 小林がもう一度拳銃の方を見て、身体をそちらの方に向ける。小林が最後の手段に出ようとしていることに気付いた僕は、慌てて小林の手首を掴んで止めた。

「大丈夫だ、小林。早まるな」

 僕は力強く、穏やかに、宥めるように小林に語りかける。

「真田は嘘をついてる。こいつは服部の連絡先をちゃんと持っているはずだ」


「え?」

 真田より先に小林が反応した。

「真田って、嘘つけなくない? 昔も、今も。もし嘘をついたとしても、さすがに俺たちにはわかると思うけど」


「……いや、こいつ、すっごく自然な嘘つけるぞ」

 僕は首を振る。そして思い出す。服部の話が始まってすぐ、真田がコンビニから帰ってきたときのことを。

「最初、僕が『服部のこと知らない?』って尋ねたとき、真田は自然に『知らない』って答えたじゃないか。あれって嘘だろ。だってお前、服部のこと知ってるもん」

 あ、と小林が間抜けな声を上げた。


「……もっと早く気づくべきだったよ」

 僕がそれに気づいたのは、さっき、僕がなぜ警察官とバレたのか、理由を探ろうと、今日の流れを一通り反芻している時だ。頭に拳銃を突きつけられてからでは遅かった。


 僕は拳をぎゅうっと握る。真田の表情は変わらないはずだ。だが、僕にはその表情にみるみる自信が満ちてゆくように見えた。

「改めて訊く。お前嘘がつけるようになったんだな?」

 真田は頷いた。その顔は十年前と似ている一方で、以前には見覚えのない表情を見せていた。ああ真田は変わったんだ、とやっと実感した。この十年の間に、ちょくちょく会っていたはずなのに、僕は真田の変化に全く気付いていなかった。


「逆になんで気付かなかったんだ、あんな猿芝居」

 真田は心底不思議そうだった。

 真田によると、元々服部のことは隠し通す予定だった。真田に、服部のことを話すメリットはないからである。しかし小林に聞きとがめられる失言をしてしまった。これは真田のミスだった。

 しかし真田は、そこから「昔と変わらず嘘をつけない性格のフリをする」という戦略に切り替えた。失言によるダメージを、できるだけ少なくするために。


「おかげで、最初の服部のことは知らないという俺の発言に矛盾が生じてしまったな。だが、過ぎたことはしょうがねぇ。俺のミスだからな」

 そして僕はその真田のミスに気付かなかった。真田のミスに僕のミスが重なった。悔しい、と僕は歯噛みする。


 真田は、演技には自信がないとも言った。

「ダメ元だったんだぜ。でも、二人ともすっげぇ騙されてくれて驚いた」

 お前だからだよ。僕は心の中で苦笑した。

 真田は、露骨な猿芝居の中に自然な芝居を挟み込んで見せた。僕らは露骨な方だけを真田の芝居だと思った。十年前の真田の姿に、僕らはまんまと騙された。


「いつの間に嘘がそんなに得意になったんだ、真田」

「俺からすれば、変わってないお前らの方が不思議だよ」

 そうだ、僕らが高校を卒業してから十年が経っている。最後に会ったのも数年前だ。人間は変わる。何も変わってないね、と笑える、そんなはずはない。


「……服部も変わっちゃったのかな」

 小林が俯いて呟く。真田の裏切りを全く予測できず、意気消沈しているらしい。

「あいつは、あいつだけは、昔のままだったよ」

 真田は僕らから目を逸らして、窓の外の景色を見る。


「……その言い方、服部を一泊泊めただけじゃないな」

「ああ、俺だよ。服部を逃がしてる協力者は」

 真田はあっさり認めた。

「一泊じゃない。服部はずっと俺の家に住んでたし、俺が服部に逃げ方の指示を出していたからな」

 自分はただ泊めただけだ、と叫んでいた彼の様子は、今尚いまなおはっきりと僕の眼裏まなうらに映っている。あれが演技だなんて、真田の演技だなんて。僕はまだ信じられなかった。


「……真田、お前何者だ?」

「わかりやすく言うなら、輸入業者だな。拳銃をロシアから輸入する役目だ。服部の上司とでも言うべきか。まあ二人しかいないから、上司というか俺がトップだけど」

 しばらく僕らと会っていない間に、随分大物になっていたものだ。

 偶然巻き込まれたであろう、国内ブローカーの下っ端をやっていた小林と違い、輸入業者のトップともなれば、どっぷり裏社会に浸かっている。

 真田のそんな事実、僕は知りたくなかった。


「今回の拳銃密輸事件を計画したのは俺だ」

 真田がくつくつと笑う。

「まさか、服部が失敗するとは思いもしなかったけどな。そうじゃなかったら計画は完璧だったぜ」


 自信満々にそう言う真田だが、僕はそれを否定することができなかった。服部のタレコミがあるまで、警察は密輸事件そのものを把握していなかった。その後も、警察は彼のタレコミ以上の情報を全く集められていない。現に、僕は小林が事件に関与していることも、真田が黒幕だったことも知らなかった。

 これを完璧な計画と言わず、何と言おうか。


「日本の裏社会なんか、あんなの全部サルばっかだぜ。たとえ経営の才があろうが、法律に詳しかろうが、拳銃なんてちゃちいオモチャを持って喜んでいる人間は、俺にはサルにしか見えなかったよ。なあ山村、サル山に人間が入ったらどうなると思う?」

「……そんなの、真剣に考えていたのなんて服部だけだろ」

 答えたくなかった僕はわざと話題を逸らす。

「人間はサル山のボスになれるんだよ。実際、俺はボスになった」

 真田は僕が逸らした話を真正面に戻して、けたけたと笑った。


「サル山のボスは俺だ。服部でも小林でもねぇ、この俺だ」

 僕は悔しさに下唇をじっと噛んでいた。微笑みながら柿の種ピーナッツを開封し、呑気に食べている真田の余裕は、僕には全くなかった。

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