第70話:「わんでー」

 夜ご飯はホワイトシチューだった。寒くなってきた季節らしくて嬉しい。


 ちなみに、夕食前に芽衣めいはパーカーを脱いでいた。買ったばかりの服を汚してはいけないという配慮はいりょだろう。


「これ、ありがとう、勘太郎かんたろう


 と手渡されたおれが、


「……えっと、これ、どうすればいいの?」


 と聞くと、


「どうすればって……?」


 と、眉をひそめられた。


「いや、なんていうか……」


 ……ほら、芽衣の着てたのを洗わないで着るのもなんか変態っぽいし、洗いかごに自分で持って行ったらそれはそれで『お前の着たものなんか着れるかよ』って思ってそうで感じ悪いし。


 ということを伝えたらそれはそれで感じ悪いか気持ち悪いかだよな……と思っていると、


「……あ、ごめん。洗濯せんたくして返すね……」


 と頬を染めながら脱衣所だついじょへと向かって行った。


「あ……」


 なんだかしいような気持ちになったのは、さすがにおれの胸の中で地中深くに埋めておこう……。




 食事を終えると、親がそれぞれ風呂に入ってからそれぞれの書斎しょさいに引っ込む。


 おれと芽衣はソファで横並びになりそれぞれのスマホとにらめっこしていたが、その間、芽衣は何度も船を漕いでいた。


「芽衣、何してんの?」


「プレイリスト……」


 カクンカクンと首を動かしながら芽衣がうめくようにつぶやく。どうやらさっき言っていたクリスマスのプレイリストを作っているらしい。


「いや、そんな状態になりながらやらなくても……とりあえず風呂入ってくれば?」


「ごめん、そうする……」


 そう言ってのそのそと立ち上がって風呂へと向かった。


 まあ、二日連続で全然寝ていないみたいだったから、そりゃそうか……。




 20分くらいすると、 


「お風呂、どうぞ。勘太郎、最後だから、出たら自動切ってね」


「おう」


 おれの隣に座り直しながら芽衣がはっきりと言った。眠気ねむけもいったんさっぱりしたらしい。


「……ていうか、さっきからまったく姿勢も表情も変わってないんだけど。石像?」


「おう……」


 それもそうなのだ。おれはといえば、未読スルー状態の赤崎あかさきからのLINEにどう返事をしようかと悩んでいるところだった。


「別にラブレターってわけじゃないんだから、さっさと返しなよ」


 そして、どうやらなぜこんな状態になっているかをこの幼馴染さまには見透かされているらしい。


「いや、この見えてないところに大事なことが書いてあるかもしれないだろ?」


 なんせ、未読スルーなのだ。つまり、ポップアップで出てきていたところまでしか読んでいない状態。


「もしそうだったらなおさら早く開いて早く返事してあげないと。緊張させたままもう2時間以上経ってるんじゃない?」


「うっ……!」


 それはそうすぎる……。


「……とりあえず開けるか」


「うん、早く」


 そう言うと芽衣は自分のスマホに視線を戻す。さすがに見てはいけないと思ったらしい。


 おれはがよしっとメッセージの画面を押し込むと、


七海『勘太郎くん、明日、一緒に帰れる?』


 という言葉で終わっていた。


 なんだ、それだけか……。


「……ど、ど、どうだった?」


 横からクールを気取ろうとして盛大せいだいに失敗している芽衣が声をかけてくる。


「ああ、うん、一緒に帰れるかってそれだけだった……」


「ふ、ふーん……。で、どうすんの?」


「まあ、話があるならちゃんと話さないとな」


「ふーん……」


 興味があるんだかないんだかよくわかんないような反応でスマホを両手の親指でぽちぽちと触りはじめる。


「どう思う……?」


「あたしに聞かないでよ。ただでさえワルモノなのに」


悪者わるものって……」


 そんなことは赤崎も思っていないだろうが、まあ、言わんとしていることは分かる。


 おれは、スマホをぐっと自分の顔に引き寄せて、


勘太郎『大丈夫』


 とだけ返事をして立ち上がった。


「……じゃ、風呂入ってくるわ」


「ほい、いってらっしゃい」


 おれが脱衣所だついじょに入って服を脱いでいると、スマホがもう二回震えた。


七海『返事くれないからちょっと緊張しちゃったよ…』


七海『それじゃあ、明日の放課後』





 おれが風呂に入って上がると、芽衣がソファに横たわっている。リビングデッドじゃん……。


「おーい、芽衣?」


 おれはかがんで声をかけてみる。


「んん……」


 目を閉じて唇をほんの少しだけ開けたその顔は、見飽きるほど見慣れているはずなのに、少し息を呑むほどきめ細かい肌でつい見惚れそうになってしまう。なんとなくそのまま、もこもこのパーカーの上下をする胸元に一瞬目がいくものの、ふいっと戻す。おれも大概たいがい危険だな……。


「……芽衣、寝るなら部屋に戻んなよ」


「寝るぅ……」


「うん、分かってるけど……」


 緊張の糸が切れたのだろうか? まあ、寝てないままあの寒い中を散々歩いたら、こうもなるよな。


「芽衣、コンタクト外したか?」


「外してないぃ……」


「外さないと目が痛くなっちゃうんじゃないの?」


 おれは裸眼らがんなのでよく知らないが、姉が同じようにここで寝ていた時に母親によく言われていた。


「外すぅ……」


 芽衣はそう言って動かない。


「芽衣?」


「なにぃ……?」


「コンタクト外して、上にあがるぞ」


「うん……」


 そこまで言ってやっと芽衣はのっそりと腕だけをあげて指先で器用に目の中から薄いレンズを取り出す。


 そして。


「すぅ……」


「寝るなっての……。コンタクト保存しなくて良いの?」


「わんでー」


「わんでー……?」


 ……ああ、1dayか。


「はい、じゃあ貸して」


「うん……」


 おれは受け取った使用済みコンタクトレンズをティッシュにくるんでゴミ箱にスローインする。ナイスシュート。


「芽衣、起き上がれるか?」


「うん……」


 芽衣はのそっと起き上がる。言うことを聞ける時と聞けない時にムラがあるのはそれこそ姉ちゃんと一緒だ。寝起きっていうのはみんなこんなもんなのかもしれない。


「目、ぼんやりしてる……」


「今コンタクト外したからでは?」


「そぉかぁ……」


 おれの腕を掴んでのっそりと立ち上がる芽衣。


 歩き出してまた、


「あれ、ぼんやりしてるぅ……?」


 とつぶやいた。


「いや、階段危ないから……」


 おれが呆れながらも芽衣の少し前を歩くと、


「勘太郎がいれば大丈夫ぅ……」


 目をこすりながら芽衣がつぶやいてから、


「いや、信用は嬉しいんだけど……」


 その片腕でおれの腕をがしっと掴む。


「……!?」


 おれは少し、いや、かなりドギマギするも、振り払ったら芽衣が階段で転びかねないので、腕を掴ませたまま一段一段のぼっていく。


 なんとか芽衣の部屋までたどり着いて、ベッドに横たえる。


「ふえぅ……」


「何語……?」


 おれは芽衣のスマホを枕元の充電器に挿した。


「アラームは? 設定しなくていいの?」


「5時半……」


「早すぎるだろ……」


 芽衣のスマホにはロックがかかっているので、電源ボタンでsiriを起動して「5時半にアラームをかけて」と設定してやる。


「りょうかいですぅー……」


「芽衣に言ってねえよ……」


「はぁい……」

 おれはSiriは黙って実行してくれているのを確認する。


「じゃあ、おやすみ」


「おやすみぃ……」


 その肩まで毛布をかけながら、こんなになるまで付き合わせて悪かったなあ、と苦笑いをする。


「勘太郎ぉ……」


 すると、毛布のはしをきゅっと掴んでくるまりながら、おれの名前を呼んでくる。


「ん?」


「今日、楽しかったねぇ……うへへ」


 目を閉じたまま、幼児のように笑って呟く芽衣。


「芽衣、それは……」


 おれがルール違反を指摘しようとすると、すぅ……すぅ……と寝息だけが聞こえる。


「はあ……おやすみ、芽衣」


 ……おれは今日も眠れなさそうだな……。

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