夢の国の帽子屋
白川ちさと
夢の国の帽子屋
私は夢を見ている。
だって目を開けたら、ふわふわの綿菓子みたいな雲の上に立っていて、空はパステルカラーのピンク色に染まっているんだから間違いない。雲の向こうには大きなカップケーキの山が連なっていた。
夢にしても、すごくメルヘンチックな夢だなぁ。
足を踏み出してみると白い雲は、干した布団よりもフカフカだ。つい、その上でポンポンと弾んでしまう。
何度かジャンプをしていると、何かが見えた。
なんだろうと思って、もっと高く弾むと今度はちゃんと見える。誰かがこっちを見て、手招きをしていた。大きな帽子をかぶっていて、表情は見えない。
夢の中だから大丈夫だろうと思って、私はその人がいる方へと進んだ。
弾むように近づいていくと、平らな広場のような場所に出てくる。広場の中央には丸いテーブルが置かれていて、その前に手招きしていた大きな帽子の人物が立っていた。
「こんばんは、お嬢さん」
彼は丁寧に腰を折った。顔を上げると、私と同じくらいの年頃の男の子だ。そんな男の子にお嬢さんと言われるのは、少し奇妙な気がした。
「こんばんは。あの、私を呼んだよね?」
「そうだよ。ここは僕の夢の世界。君は招待客だよ」
道理でメルヘンチックな世界だと思った。私の夢ならもっと現実的なはずだもの。
「これからパーティでもするの?」
「そうだね。近いことをするかな。あ、ほら、他の招待客も来たよ」
彼が後ろに視線を向けるので、私も振り返った。
綿菓子の雲の間の道を通って、二人の人物がこちらに歩いてくる。
「ひっく、ひっく……」
一人は小学校低学年ぐらいの女の子だった。うさぎの耳がついたフードをかぶっている。大きな瞳からはとめどなく涙が流れていた。
「いつまで泣いているんや。俺が泣かしたみたいやんか」
もう一人は小学校高学年ぐらいの男の子。紫色のジャージを着ていて、猫のような目をしている。関西弁でぶつくさつぶやいていた。
「なんや、あんたら」
「ようこそ、僕の夢の世界へ」
「はあ?」
あからさまに怪しんでいる関西弁の男の子。
しかし、意に介さず帽子の彼は笑顔で続けた。
「君たちは招待客。僕がおもてなしするよ」
「何言うてんねん。俺は帰るで」
「うっ、うっ、ママのとこに帰りたい」
私は何となく楽しいことが始まるんじゃないかと思っていたけれど、二人はそうじゃないみたい。
楽しそうだなんていかに呑気だったか、すぐに思い知らされる。
「帰れないよ」
帽子の彼が笑って言う。
「え。でも、夢の世界なんでしょ。目が覚めれば」
「ここは僕の世界だからね。僕が帰っていいって言わないと帰れないんだ」
「そんな……!」
私たち三人に一気に緊張が走った。まだ彼の言うことが本当かは分からないけれど、決定権が自分にはないということは軟禁に近かった。
「うわーん! ママぁあ!」
涙を流していた女の子が火を点けたように泣きだす。
「おい! 本当かどうか知らんけどな! 今すぐ帰すって言うんや!」
関西弁の男の子は胸倉を掴もうとするけれど、すっと避けられた。
「暴力はいけないよ。それより、お茶でも飲みながらルールを話そう」
「ルール?」
帽子の彼は手でテーブルを示す。いつの間にかティーセットとお菓子が用意されていた。
私たちは椅子に座った。
どこかに出口がないか探してみたけれど、やっぱり綿菓子のような雲にキャンディやカップケーキが置かれているだけでどこにもなかったのだ。
「で。どういうつもりやねん。俺たちを閉じ込めたりして」
椅子の上に胡坐で座っている関西弁の彼は、けんか腰で隣の帽子の彼に迫る。
「まあ、落ち着きなよ。まずはお茶を飲んで」
目の前にはそれぞれティーカップに紅茶が注がれていた。いい匂いが鼻をくすぐる。私は持ち手に指をかけた。
「こないな怪しげなもん、口に入れられるわけないやろ!」
ドンッと拳でテーブルを叩くものだから、ガシャンと音が鳴る。私は慌てて手を引っ込めた。
「ふ、ふぐ……」
「ほら。泣かないで。クッキーはどう?」
涙が収まらない女の子に帽子の彼は、テーブルの中央に置いていたクッキーを差し出す。しかし、女の子は首をブンブンと横に振った。
「そっか。まずは自己紹介をしようか。僕は帽子屋。この夢の世界の住人だよ」
帽子屋と名乗った彼は、大きな帽子をくいっと上げて顔をよく見せる。やっぱり私と同じぐらいのあどけなさの残る少年だ。
「なんで知らん奴に自己紹介なんてせなあかんねん」
「えっと、私は
私は自分から言った。夢の中に閉じ込められて不安だからかもしれない。少しでも情報が欲しいと思った。
「僕が帽子屋だから、君はアリスだね」
「え……」
「あだ名だよ。その方が覚えやすいし呼びやすいだろ」
有田だからアリスとは。強引だし、私には可愛らしすぎないだろうか。
「そんなら俺はチェシャ猫のチェシャや。本名は名乗らへん」
「いいよ。それから」
帽子屋さんが見つめると、女の子はびくりと肩を揺らした。
「君はうさぎの耳があるから、うさぎちゃんだね。さぁ、楽しい時間の始まりだよ」
帽子屋さんはニコニコとクッキーを頬張る。
「ルールは簡単さ。これで、僕を負かすこと。それだけだよ」
帽子屋さんが懐から取り出したのはケースに入ったトランプだ。使い込んでいるようで、角がかすれている。
「なんや、トランプか。てっきりデスゲームでも始めんのかと思っとった」
チェシャは緊張させていた目元をいくらか緩めた。
「ははっ! 漫画の読み過ぎだよ」
「トランプで帽子屋さんに勝ったら、ここから出られるのね」
「そうだよ。ゲームは小さい子もいるからババ抜き。僕が最後にジョーカーを持っていたら、君たちの勝ちだ。すぐに目が覚める」
このときは、何回かすれば一回ぐらい勝てるだろうと私は気楽に考えていた。
配ったトランプは数字が揃ったカードを捨てると、五枚ほどになった。ジョーカーは私の元にはない。
「始めるのは誰から?」
「アリスからでいいんじゃないかな」
ババ抜きをするということ以外厳密なルールはないらしい。
「ん」
隣のチェシャが差し出してくる束から一枚抜く。
スペードの七。残念ながら揃わない。
「うさぎちゃんの番ね」
私は隣にいるうさぎちゃんに、トランプを差し出した。カードの上で手をさ迷わせてから、ハートのキングを抜き取る。
数字が揃ったようで嬉しそうにカードを捨てた。
「次は僕の番だ」
帽子屋さんがうさぎちゃんのカードを引く。カードを捨てて、チェシャに差し出した。
「こんなん、さっさと終わらすんや」
チェシャは選びもせず、適当にカードを引き抜いた。その顔が歪む。
あ、ジョーカーを引いたんだなと思った。
その後、私は慎重にカードを引いて、一番に上がることが出来た。ジョーカーは動かず、結局最後にジョーカーが残ったのはチェシャだった。
「まぐれや、まぐれ! 次は負けへんで!」
チェシャは熱くなって自分でカードを集めて切りだす。
どうやらチェシャは考えていることが顔に出やすいようだ。うさぎちゃんもポーカーフェイスとは言い難い。
一方の帽子屋さんはいつどんな札が来ても、笑みを浮かべて変わらない。
この調子だと時間がかかるだろうなと思いながら配られたカードを手に取った。
五回目の勝負。
負けの数は私が一回、チェシャが二回、うさぎちゃんが二回だ。自分からババ抜きを指定しただけあって、帽子屋さんは強い。
「なあ、アリスは中学生なんやろ。ええ作戦ないんか?」
チェシャは紅茶をすすりながら言う。あれだけ拒否していたのに、クッキーもバクバク食べている。
うさぎちゃんも涙を止めて、マドレーヌをかじっていた。
「中学生だからって、作戦なんて考え付かないよ。ババ抜きだから運が大きいんじゃないかな。あとは表情に出さないようにするしかないと思う」
「それもそうやな。おっ! あがりや!」
チェシャが一番にあがった。
「あ。揃った!」
うさぎちゃんもカードを捨てて手を上げる。最後の対決は私と帽子屋さんになった。
私の手持ちにはクローバーの三とジョーカーがある。
つまり、帽子屋さんがクローバーの三を引けば彼の勝ち。ジョーカーを引けば私の勝ちだ。
「よっしゃ、追い詰めたで! 絶対勝つんや、アリス!」
「アリスお姉ちゃん、がんばって」
チェシャとうさぎちゃんから声援を受ける。だけど、私が出来ることは表情に出さないようにすることだけ。
「あ! そうだ!」
私はいい作戦を思いつく。二枚のカードを切って、テーブルに並べた。こうすれば、どっちのカードがジョーカーか私にも分からない。勝敗は完全に二分の一の確率だ。
「おお! アリス頭ええ! 帽子屋、ジョーカーを引くんや!」
「お願い」
うさぎちゃんが手を組んで祈っている。私も心の中で祈っていた。
「僕はこっちを引くよ」
表情を変えずに帽子屋さんは左のカードをひく。そして、二枚のカードを中央に落とした。
「上がり」
慌てて確認してみると、残ったカードはジョーカーだった。
「そんなぁ」
「まあ、ええ。次もこの作戦で行こうや」
これなら最後に帽子屋さんと残りさえすれば、うさぎちゃんでも対等に勝負できる。
しかし、それから十回、二十回と勝負を重ねても、帽子屋さんに勝てることはなかった。
三十五回目の勝負。
「ええ加減おかしなるわ!」
チェシャが最後に持っていたジョーカーを放り投げる。
「おっとトランプは大事に使ってくれよ。これしかないんだから」
帽子屋さんが立ち上がって、床に落ちたカードを拾った。
「……どうして、一度も勝てないの?」
「よお考えたら、そもそもここは帽子屋の夢の中やろ。あいつの思い通りになるに決まってるやん! 元々、俺たちを帰さん気や!」
「うっ」
チェシャの言葉を真に受けたうさぎちゃんが目をウルウルさせる。
「君たちより前に来た招待客はたくさんいる。みんな、僕と勝負をして、勝ってここから出て行ったよ」
帽子屋さんはそう言うが、これだけ勝負していて全く勝てないなんておかしい。
席順を変えたり、わざとジョーカーを回したりしたのに全く勝てない。
「やっぱり、イカサマなんじゃないかな」
頭の隅で思っていたことをチェシャに耳打ちした。チェシャは頷く。
「イカサマの正体を破って、前の連中はこのおかしな夢から出て行ったってことやな」
チェシャの声は大きいけれど帽子屋さんは気にしていない。
「ババ抜きでイカサマなんて、後ろに鏡がついているってわけじゃないよね」
私は後ろを振り返ってみるけれど何もない。
「なら、トランプになんかあるんやないか」
「どうぞ、いくらでも見ていいよ。普通のトランプだから」
チェシャは帽子屋さんが揃えていたトランプを奪い取った。うさぎちゃんと三人顔を寄せ合って、トランプを観察してみる。
「普通のトランプだよね?」
「せやな。ただの古ぼけたトランプや」
何十回もババ抜きをしていたから分かっている。表には数字とマークが書かれていて、裏は赤い幾何学模様が描かれていた。
「これ、スペードの八だよ」
「え?」
うさぎちゃんが一枚裏になっているトランプを指さした。それをめくってみると、本当にスペードの八だ。
「なんで分かったんや!」
「ここに傷があるの。覚えちゃった」
確かにちょこっとひっかいたような傷がある。
「まさか」「まさかやで」
私とチェシャはカードをバラバラにしながら、ジョーカーを探す。
「これや!」
チェシャが見つけたジョーカーの裏をじっくりと見つめた。ほんの少しだけど角に折り目がついている。よく見たら見分けはつくだろう。
「見破ったで! これでこのおかしなゲームともおさらばや」
「まさかこんな単純なトリックだったなんて」
でも、これで夢から覚める。
「さあ、勝負や!」
それまでとは一転して上機嫌でチェシャはカードを配った。カードを受け取り、数字が揃ったカードを捨てていく。
ジョーカーは私が持っていた。これでは、帽子屋さんを負かすことは出来ない。
彼はいくらでも避けることが出来るから、最初に持っていないと勝負にならないのだ。
「ありがとう。僕とゲームをしてくれて」
カードを扇状にして帽子屋さんが言う。
「なんや、いまさら殊勝にしたって、俺らを閉じ込めた事実は変わらへんで」
チェシャのカードから私は一枚引く。
「……早く帰りたい」
私のカードからうさぎちゃんはジョーカーを引いた。
「大丈夫。まだ、朝には早いから」
そう言って帽子屋さんはジョーカーを引き、チェシャに向けてカードを差し出す。
「なんや、いまさら……」
当然、チェシャは違うカードを引いた。
「今までの子たちも見抜いて、ここを去って行ったんだ」
「また、誰かを招待するの?」
ジョーカーを避けて機械的にカードを引きながら私たちは話をする。
「本当は僕が招待したわけじゃないんだ。なぜか、僕の夢の中に入ってくる。そして僕がいいと言うまで帰れないんだ」
カードはみるみるうちに減っていった。
「そうだったんだ」
「早う帰せばいいやんか」
「でも、ずっとここに居るのは退屈でさ。トランプも最初は新品だったんだよ」
私はどこか違和感を覚えた。まるで――。
「あ! あがり!」
うさぎちゃんが一番にあがった。
「お。俺もや」
チェシャもカードを捨てて、手の平を見せる。
「あとは僕とアリスの勝負だね」
私が持っているのはハートのクイーン。帽子屋さんはテーブルに二枚のカードを伏せて並べた。少し観察するとすぐに分かる。ジョーカーは左側だ。
「さあ、アリス。君が引くのはどっちだい?」
当然、右のカードだ。これで全てがおしまいになる。
「ねえ、帽子屋さん。少し気になることがあるの」
もしかしたら引いた瞬間に目が覚めるかもしれない。
私は聞きたいことがあった。
「これまでも子供たちが帽子屋さんの夢の中に迷い込んできた。でも、みんな目が覚めていなくなったのよね」
「うん。僕が条件を言って、それがクリアされたら、みんな帰っていった」
「帽子屋さんはトランプがボロボロになって傷も覚えてしまうぐらい遊んでいた」
「うん。裏を見ればそのカードがどれだか分かるぐらい覚えているよ」
帽子屋さんの言葉にチェシャも、うさぎちゃんも驚く。どれだけ遊べばそんなことが可能なんだろう。でも、間違いない。
「それなら夢の世界に閉じ込められているのは私たちじゃない。本当に閉じ込められているのは帽子屋さん、あなたじゃないの?」
そう言った瞬間、世界にヒビが入った。私たちがいる地面もひび割れて無くなる。
「え」「おわっ」「ひゃあ!」
私たちはひび割れた欠片の中を落下した。帽子屋さんの姿も変わっている。私たちと同じパジャマ姿だ。彼は目を閉じて、落下に身を任せている。
「帽子屋さん!」
手を伸ばしても届かず、気づいたら私は一人ベッドの上にいた。
ただの夢だったのかな。心ここにあらずといった調子で私は学校に行く。夕方帰ってくると、テレビでニュースが流れていた。
『五年間、昏睡状態だった少年が奇跡的に目を覚ましました。友達とトランプがしたいと話しているそうです』
きっと帽子屋さんだ。私は自然と笑顔になっていた。
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